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出生前診断と胎児条項

−ドイツの胎児条項廃止とドイツ人類遺伝学会−
Prenatal Diagnosis and Abortion for Fetal Abnormality

玉井真理子1),足立智孝2),足立朋子3)

信州大学医療技術短期大学研究紀要、24巻、pp.49-60



When the criminal code was revised in 1995 in Germany, a provision of so-called fetal indication("Embryopathic Indication") for abortion was deleted. Fetal abnormality is no longer a valid condition for an abortion.

In response to this, the German Society of Human Genetics is voicing its opinion. According to said organization, the revision may invite misunderstanding and improper judgment. As long as the provision of fetal abnormality exists, it poses the danger of allowing one to judge a fetus with abnormalities to be "Not worth life", and it might also mislead one to believe that disabled individuals are not given enough protection.

Truly, there is a difference between the fact that abortion due to fetal abnormality is performed and what inclusion in the provision of the law indicates. Even without the provision, abortion due to fetal abnormality could be allowed only when it is within the range of medical indication and the decision to do so is, through Genetic Counseling, made to be the only feasible choice by the patient and her family.

Currently in Japan, there is debate among the parties concerned about the allowance of abortion due to fetal abnormality under the Maternal Health Protection Act. There is much to be learned from Germany's decision to delete the provision, including the recognition of the importance of Genetic Counseling and awareness of potential discrimination against individuals with disabilities. This is because inclusion in the provision of the law itself is a threat to their very existence.


Key Words:
abortion for fetal abnormality(胎児異常による中絶),Maternal Health
Protection Act(母体保護法),discrimination against disabilities(障害者差
別),German Society of Human Genetics(ドイツ人類遺伝学会)

1)信州大学医療技術短期大学部心理学研究室;TAMAI Mariko, Dept. of Psychology,
School of Allied Medical Sciences, Shinshu Univ.
2)ジョージタウン大学ケネディ研究所;ADACHI Toshitaka, Kennedy Institute of
Ethics, Georgetown Univ.
3)ジョージタウン大学ケネディ研究所;ADACHI Tomoko, Kennedy Institute of
Ethics, Georgetown Univ.

◆はじめに

 1996年6月に,優生保護法(1948年制定)が改正され母体保護法となったことは,関係者にとっては記憶に新しいところである.法律の名前が変わり,「不良な子孫の出生を防止し」という法の目的を示した第一条前半部分など,いわゆる優生条項が全面的に削除された.
 翌1997年には,スウェーデンの障害者を対象とした強制不妊手術問題がマスコミで取り上げられたのをきっかけに,日本でも戦後の優生保護法のもとで同様のことが行われていたと報道された(注1).1980年代においてすら,本人の同意によらない不妊手術は,公的な統計資料上でも140件(遺伝性疾患65件,非遺伝性疾患75件)あった(注2).一部の関係者の間では周知の事実であったことが,あらためて社会問題として取り上げられたのである.こうした法律を,つい最近まで,結果的にではあるにせよ容認してきたのが,日本社会である.障害や先天的な病気一般に対する差別や偏見は依然として存在しており,法律から「優生」という二文字を消すことだけでこうした問題が解決するはずもない.むしろ問題の所在が見えにくくなってしまったとも言える.
 さて,優生保護法から母体保護法への改正に際しては,付帯決議がついている(注3).この付帯決議は,法改正が非常に短期間に,しかも優生条項の大幅削除以外は手を付けずに行われたことに対して,今後は女性のリプロダクティブヘルス・ライツに配慮して改正後の法を再検討するという趣旨のものである.そのような方向で母体保護法の見直しが具体的に進んでいる事実は今のところないが,1997年に設置された厚生科学審議会先端医療技術評価部会では,また別な視点からの母体保護法が話題の一つになっている.それが,母体保護法へのいわゆる胎児条項の導入(注4)である.
 胎児条項とは,中絶の要件のひとつとして,「身体的又は経済的な理由により母体の健康を著しく害するおそれがある」場合(いわゆる母体の健康条項と経済条項)などのほかに,胎児の疾患を認め,法律の条文上それを明記するというものである.これに対しては,障害者団体等からの強い反対が繰り返されてきた経過がある.したがって,現在の日本は,中絶の要件として胎児の疾患を法律の条文上は認めてはいない.
 胎児の疾患を積極的に発見しようとする出生前診断技術は進歩しており,発見された胎児の疾患を理由とした中絶は実際には行われている.この場合,胎児条項のない現行母体保護法では,「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれがあるもの(第14条第1項)」という枠組みの中で行われることになる.しばしば法の「拡大解釈」あるいは「準用」などと言われる所以である.これを法と現実との間の齟齬ととらえるなら,出生前診断の倫理的法的社会的問題が生殖補助技術とともに重要なテーマとなっている厚生科学審議会先端医療技術評価部会において,胎児条項が問題になるのはある意味で当然の流れであったかもしれない.
 この胎児条項の導入の根拠として,先進諸外国の中絶規定のなかにはこの胎児条項があることがあげられてきた.日本母性保護産婦人科医会では,その会報の中で「(会員の中に)先進諸国と同様に胎児条項を認めようとする意見が強い」と述べ,胎児条項導入支持の立場を表明している(注5).
 しかし,必ずしも先進諸外国の中絶規定のなかに胎児条項があるわけではない(注6).たとえばドイツでは胎児条項にあたるものを1995年の刑法改正の際に廃止している(注7).本稿では,この胎児条項廃止に対するドイツ人類遺伝学会の声明を紹介し,今後の議論の一助としたい.

◆ドイツ人類伝学会の「妊娠中絶のためのいわゆる胎児適応の削除に関するドイツ刑法第218条の改正についての声明」について

 ドイツ人類伝学会倫理委員会では,社会的倫理的な問題に関して様々な声明(Statements)を出しているが(注8),このうち,「妊娠中絶のためのいわゆる胎児適応の削除に関するドイツ刑法第218条の改正についての声明(Statement on theRevision of §218 a of the German Penal Code with Elimination of theSo-called Embryopathic Indication for Terminating Pregnancy)」の内容は以下の通りである.

○妊娠中絶のためのいわゆる胎児適応の削除に関するドイツ刑法第218条の改正についての声明

1.1995年6月29日にドイツ連邦議会は処罰を科することなく妊娠中絶を行うために不可欠ないわゆる胎児適応(Embryopathic Indication)を代替えの適応条件を入れることなく削除した,ドイツ刑法第218条の改正を承認した.今後妊娠中絶は,以下3つの状況でのみ承認されることになった.
(1)刑法第219条(第218条第1項)に従い,妊娠第12週まで,そして専門家による義務づけられたカウンセリングセッション(「妊娠によって引き起こされた葛藤状態に対するカウンセリング」)の少なくとも3日後以降という,期限付きの枠組み内において
(2)刑法第219条(第218条第3項)に従い,妊娠後第12週までの,そして義務づけられたカウンセリングセッションを必要とはしない,いわゆる犯罪適応 (criminological indication)の枠組み内において,
(3)刑法第219条(第218条第2項)に従い,無期限の,そして義務づけられたカウンセリングセッションを必要とはしない,いわゆる医学的適応(medical indication)の枠組みの中において
 改正を支持する主張と改正にあたっての様々批評などから,改正が胎児適応を医学的適応に組み込むことを意味していることは明らかであった.これは特に,障害のある人は障害のない人に比べて少ない保護しか与えられず人生を楽しむことができないものだ,という誤解を解こうとする意図がある.以前の規則が,妊婦が理不尽に負担を強いられることにならないか,障害のある人生の価値を認めないことにはならないか,という疑問に明確に言及していたにもかかわらず,この誤解は生じていた.
 改正にはいくつかの不明瞭な点がある.それは出生前診断がこれらの状況の下ではすべて許されるのか,出生前診断後の妊娠中絶は合法であるのかといった疑問である.改正は連邦議会を通過し,おそらく今年中には法律になる予定である.今後の医学臨床の結果生じる疑問には,臨床遺伝学の視点から焦点が当てられるであろう.

2. 医学的適応は,第218条第2項に次のように記されている.「妊婦の現在と将来の生活状況を考慮に入れ,中絶が,妊婦の生命の危機を回避するためか,あるいは,妊婦の身体的精神的健康を著しく害する危険性を回避するために要求され,そして他のいかなる方法によってもそれらの危険性を回避することが不可能な時に,妊婦の同意を得ている医師によって行われる妊娠中絶は違法ではない.」

3.出生前診断を含む医学臨床は,第218条から胎児適応を削除しても,基本的には何ら変化はないであろう.今後も出生前診断は,我が子の疾病や奇形について関心のある妊婦に,提供されるであろう.過去にも行われていたように,出生前診断に先立ちカウンセリングをすることで,もし診断結果が正常でない時には困難な葛藤状況に直面するかもしれないということを妊婦に認識させるべきである.また妊婦には,法律の枠内で行われる妊娠中絶に関する情報も与えられるべきである.

4.以前の胎児適応は,妊婦に過度な負担がかかるかどうか問題の中心であり,胎児適応に関する最終決定が女性に一任されていることに関してはほぼ受けいれられていた.妊娠中絶の胎児適応は,刑法218条第3項の要求を満たし,妊婦の現在と将来の状況の理不尽さを理由に妊婦自身が中絶を決定した場合に適用された.妊娠中絶の胎児適応の背後にある真の理由は,胎児の疾病や発達障害を「生きるに値しない("notworth living with." )」と判断しているからであると,常に誤解されて推測されてきた.改正は,疾病,障害,そしてそれらの危険性によって胎児が直面する状況に関して特別に言及した部分を削除している.これによって,障害のある人の人生は,障害のない人よりも保護が少ないとする誤解を,ある程度まで解くことが可能であろう.

5.改正は,出生前診断の結果胎児異常が判明してももはや妊娠中絶の適応にはならない,ということを意味しているわけではない.医学的適応は,現在そして将来の妊婦の痛ましい状況を,考慮すべきものとして明確に規定している.これらは,出生前診断の結果,女性にとっての現時点での診断結果の重要性,出生前診断によって胎児の発達に関する何が明らかにされるのか,そしてそれが女性の将来の状況にどのような影響を与えるのかを含む.従って,出生前診断後のカウンセリングセッションは,常にそうであるように,胎児の発達に関する研究成果やその重要性について広範囲な情報を妊婦に提供しなければならない.出生前診断の結果,胎児が正常でない時は,研究結果や胎児の予想される疾病や障害の重篤性とは関係なく,妊娠中絶の適応は,医学的な知見にしたがって,もっぱら妊婦の身体的精神的健康が著しく害される危険性があるかどうかによって決定されなければならない.決定的な基準は,母体の健康の危機を回避する代替的な解決方法として合理的かどうかによって,いまなお評価されている.そしてそのことについて女性もまたカウンセリングを受けなければならないのである.以前の胎児適応と同様に,負担の基準が合理的であるかどうかに関しては,特に女性の評価が含まれる.それにもかかわらず,きわめて簡略化された医師の職務,すなわち妊婦の健康が現在または将来著しく害されう危険性があるかどうかを判断することが,新しい規則から生じた.これは,とりわけ女性自身が様々な選択肢がどのように彼女の健康に影響するかを判断することができない時に適用する.

 医師は,もっぱら母体の健康を考慮しなければならないので,検査結果が異常であるからといって,妊婦に妊娠中絶のアドバイスをしてはならない.
 以前と同様に現在も,仮に親の希望ではない時でも,テストの結果が正常な時には,医師は妊娠中絶の要求にしたがってはならない.(出生前の性の同定に関する声明;Statement on the Prenatal Diagnosis of Sex ,Med Genetik 2(1990)8, 出生前の父親同定のための診断に関する声明;Statement on Prenatal Paternity Testing,Med Genetik 4(1992)12参照)

6.過去と同様に,改正は,医学的適応による妊娠中絶の期限を規定していない.そのため,以前のように妊娠第12週以内では,医学的適応と期限モデル("Fristenregelung")は法的に重複することになる.以前は,胎児適応と医学的適応は,妊娠第22週まで重複していた.改正により,妊娠第13週目からの妊娠中絶は,医学的適応の枠組みの中でのみ処罰されなくなった.妊娠第22週後については,以前の規則と変わりはない.
 従って,改正により妊娠第22週以後の様々な医学実践は何の変化もない.以前と同じく,妊娠第22週以降では,診断結果が妊婦や胎児にとっての有効な治療に直接結びつく時,あるいは,診断が疾病や障害をもつ子どもの誕生に対する女性の準備に必要不可欠である時に,出生前診断が利用される.以前と同様にもしも妊娠第22週以降に医学的に妊娠中絶が要請されるなら,母体の疾病という危険性が,未熟なままで生まれてくることの胎児への危険性(通常この段階で胎児は母体外で生存可能である)にまさっていなければならない.

7.改正では医学的適応について,第219条(「妊娠によって引き起こされた葛藤状態に対するカウンセリング」)による義務づけられた専門家によるカウンセリングも,そしてカウンセリングと妊娠中絶の間の規定された3日という期間も,どちらも提示していない.いわゆる胎児適応に関する最初の声明も,第219条によるカウンセリングでは遺伝カウンセリングほど多くのものは要求されないことを明確にしている.この遺伝カウンセリングは,多くの声明によって出生前診断の際に義務づけられたものである(Med Genetik6(1994)187).出生前診断後のカウンセリングと妊娠中絶の間の規定された数日間は,妊婦とパートナーが彼らの決定を情緒的に処理するためにも妥当かつ不可欠な期間である.そのような期間はもはや医学的適応の枠組み内では要求されていないが,早急な決定や行動は,たとえ医学的理由で早急な決定が迫られている時であっても,可能な限り回避されるべきであろう.妊娠中絶を行おうとする時には,実際に施行される前に何日かの期間をおく利点を,女性に伝えるべきである.

8.出生前診断の結果が正常でないと知らされた妊婦が,身体的精神的健康が危機にさらされるかどうか,そして中絶が医学的適応によって行われるかどうかを,他の専門家に問い合わせる必要性は,改正によっては要求されていない.出生前の遺伝子診断の文脈内で,遺伝カウンセリングの中で,臨床遺伝学者(Facharzt furHumangenetik=ヒト遺伝学を専門とする医師)が適応を判断している.臨床遺伝学者は,規定に基づく継続的な教育によって,遺伝カウンセリングの心理学的,倫理的側面においても質を保つことを要求されるので,そのような状況での医学的適応による妊娠中絶に関しては,第218条第2項に掲げられたすべての要求を満たす必要がある.(Embryopathic Indication, Med Genetik6(1994)187に関する初期の声明参照).

◆ドイツ人類伝学会の立場表明に見る「遺伝カウンセリング」に関する記述と「出生前診断と人工妊娠中絶に関する声明」について

 前項で取り上げた「妊娠中絶のためのいわゆる胎児適応の削除に関するドイツ刑法第218条の改正についての声明」と密接な関連のあるものとして,「遺伝カウンセリング」と「出生前診断と人工妊娠中絶」がある.前者に関しては,「ドイツ人類伝学会の公共関係と倫理問題に関する委員会の立場表明(Committee for Public Relations and Ethical Issues of the German Society of Human Genetics,Position Paper of the German Society of Human Genetics)のなかに,それに関する記述がある(注9).後者に関しては,声明(Statement on Prenatal Diagnosis and Termination of Pregnancy)として発表されている.これらに関して以下で紹介する.

○遺伝カウンセリング

 遺伝カウンセリング(Genetic Counseling)は,遺伝的な疾患や障害の診断によって影響を受ける本人および家族,そしてそのような状況によって影響を受けるリスクがあることに関心を持つ人々に対して,遺伝医学者により提供されるサーヴィスである.遺伝カウンセリングでは,包括的医学的な遺伝情報,そして必要であれば診断方法も,本人および家族に提供される.それに加え,カウンセリングは,共感し尊重する態度によって,本人および家族が遺伝的な疾患や障害の診断やそのリスクを受け容れる視点,あるいは決定にたどり着く過程を援助するものである.
 遺伝カウンセリングは,本人および家族に生じる疾患のリスクが確定される診断の過程において,義務的な枠組みと考えられている.近年一般的に受け入れらているアプローチである,指示を与えない,あるいは異なる価値を認めるシステムに加え,遺伝カウンセリングでは,患者あるいはカウンセリー(counselee)が受容可能な決定に至るために,彼らの態度や経験を優先させるべきである.
 社会レベルでは,個人の生活設計や家族計画のために遺伝医学的サーヴィスを利用するか否かの決定に関する自由に関しては,本人が直接・間接を問わず圧力から免れられるとともに,社会経済的枠組みが個人行動の自由を第一に考えることを要請する.BMGの遺伝カウンセリングガイドラインで示されているように,ドイツ人類遺伝学会は,遺伝カウンセリングを,個人的決定における医学的に適切な援助であると考えている.(Med Genetik 8/3 (1996) Suppl.,pp1-2)

○出生前診断と妊娠中絶に関する声明

 乳幼児期に発症する疾病や障害のリスクと出生前診断の可能性に関する知識が深まるに従い,困難な決定を下さなけれなならない機会が増加してきた.ドイツ人類遺伝学会のメンバーである医師や研究者は,人工妊娠中絶(induced abortion)を選択肢として含んだ出生前診断を受けた親の個人的な決定を尊重する.検索に先立って,検査に関するあらゆる側面と起こり得る結果についての情報を与えるカウンセリングセッションが行われなければならない.
 出生前診断により深刻な疾病,障害,あるいはそれらのリスクが判明した場合,特に妊婦と担当医師は倫理的な葛藤状況におかれる.この葛藤には,人間の基本的価値と権利が関係する.これらは,胎児の保護,身体的尊厳,医療援助に関する基本的権利のみならず,妊婦の身体的および精神的尊厳を守るための医療援助の権利も含まれる.
 しかし,子どもの健康において治療不可能な障害が存在しそれが非常に重篤であるか,あるいはそのリスクがきわめて高いために,妊娠の継続を女性に要求することができない場合があることが認識されている(1993年現在のドイツ刑法218aの第2項の1).
 このことに関する決定においては,女性とパートナー,そして医師とカウンセラーも加わり結論を出さなければならない.その決定は,リスクの程度,障害の重篤度,援助と治療の可能性,そして子どもに対するそれらの重要性を基本とする一方で,妊婦の環境,疾病や障害をもつ子どもと生活することに対する女性自身の評価を基本としている.
 ドイツ人類遺伝学会のメンバーは,基本的に胎児の生命を擁護する立場であり,出生前診断の結果が正常ではなかったとき,法律の範囲内で女性が妊娠中絶を要求するときのみに例外的にそれを認めるものである.医学的事実を評価する医師が,胎児の生命が生きるに値しないなどと明言したり,そのような言い方でもって妊娠中絶を要請したり,あるいはそれを当然のものとしたりすることは断じて許されない.乳幼児期に発症する重篤な胎児の疾病や障害が出生前に診断された時,胎児と妊婦の間にある根元的な利益の葛藤にもかかわらず,それに耐え得る個人的な決定を可能にするような熟慮のなかにある妊婦の利益と同様に,子どもの利益も含めるて考慮するのが医師の義務である.

◆まとめ

 ドイツの中絶に関する法的規定は,いわゆる期限モデルと適応モデルの混在形である.これを単に混在形と呼ぶのではなく,積極的に「困窮事態を前提とした対話モデル」と呼ぶという主張もある(注10).あるいは「カウンセリングモデル」とも言い得る.それは,中絶の際のカウンセリングが,「妊娠によって引き起こされた葛藤状態に対するカウンセリング("pregnancy-conflict counseling")」というかたちで,必須のものとして位置づけられている(obligatory professional counseling session)からである.
 しかし,医学的的適応に組み込まれることとなった胎児適応の場合には,このカウンセリングは必須のものとはなっていない.第219条に規定された「妊娠によって引き起こされた葛藤状態に対するカウンセリング」では,カウンセリングと妊娠中絶の間は3日以上あけなければならないことになっており,同時に,別な専門家への問い合わせも義務づけられているが,改正後の医学的適応の規定はどちらも提示していないのである.
 それは医学的適応の場合には,その判断に医師が関与するのは当然であり,実質的にはカウンセリングは必須のものとなっていると考えられているからである.これは一般に遺伝カウンセリング(genetic counseling)と呼ばれるものであり(注11),声明の中でも「本人および家族に生じる疾患のリスクが確定される診断の過程において,義務的な枠組」とされており,「多くの声明によって出生前診断の際に義務づけられたもの」でもある.
 さらに、前述の「妊娠によって引き起こされた葛藤状態に対するカウンセリング」とは一応区別されている.声明は,このカウンセリングを,「遺伝カウンセリングほど多くのものは要求されない」ものとして位置づけている.加えて遺伝カウンセリングを担う臨床遺伝学者は,「規定に基づく継続的な教育によって,遺伝カウンセリングの心理学的倫理的側面においても質を保つことを要求」されている.つまり、出生前診断の結果等に基づき医学的適応によって中絶が考慮される場合,それに伴う遺伝カウンセリングを,より質の高いものとして想定しているのである.
 このように、声明は、法律上はある意味で不明確になってしまったカウンセリングというものを,あらためて医療専門職能集団の約束事の中で位置づけている.法的には当然とされなかったものを、医学的には当然のもとして宣言しているのが、この声明である。
 胎児適応を医学的適応として一括すれば,胎児適応による中絶は公式の統計上独立にはカウントされなくなり,実態が不明瞭になるというある意味での危険を犯すことになる(注12).それを承知の上で,敢えて胎児適応を削除し,「中絶が,妊婦の生命の危機を回避するためか,あるいは,妊婦の身体的精神的健康を著しく害する危険性を回避するために要求され,そして他のいかなる方法によってもそれらの危険性を回避することが不可能」であるか否かというきわめて困難な判断を,遺伝カウンセリングのプロセスにおける当事者と医師(ドイツでは遺伝カウンセラーの担い手は「遺伝医学者」となっているが、場合によっては,彼/彼女を取り巻く医療関係者も含むものと思われる)とのコミュニケーションに求めるというを道を,ドイツは選択したのである.
 加えて特筆すべき点は,胎児適応が法律の条文上存在することによって,胎児の疾病や障害が「生きるに値しない」ものと判断されることの危険や,障害者に十分な保護が与えられていないという誤解を招くことに言及している点である.改正は,疾病や障害により胎児やその家族が直面する状況に関して言及することを避けている.
 実際に胎児適応によって中絶が行われるということと,それを法律の条文に明記することは別のことである.胎児適応による中絶が法律の条文上明記してあることそのものが,障害者にとっては社会的な脅威になり得る.そのようなかたちで明記せずとも,当事者たちにとってそれが真にやむを得ない選択であることが遺伝カウンセリングの過程で確認された場合にのみ,医学的適応の範囲で,しかし実際には胎児適応によって中絶を行うことを、ひとまず許容することはできる.
 母体保護法への胎児条項導入があらためて現実の問題として浮上している現在,胎児条項(胎児適応によって中絶を認める要件)を敢えて廃止したドイツから学ぶべき点は,こうした遺伝カウンセリングの重要性に対する認識と,障害者差別に対する配慮であろう.

<注>
1)たとえば,朝日新聞1997年9月17日付記事「本人の同意なしの不妊手術,日本でも実態調べて,障害者や女性グループ厚生省に要望書」など.
2)優生保護統計によれば、本人の同意によらない(医師の申請による)不妊手術件数は、遺伝性疾患の場合1980年18件,81年13件,82年10件,83年8件,84年3件,85年6件,86年3件,87年1件,88年2件,89年1件,そして1992年1件,非遺伝性疾患の場合1980年19件,81年12件,82年9件,83年12件,84年8件,85年5件,86年2件,87年4件,88年2件,89年2件,1990年以降0件であった。
3)「優生保護法の一部を改正する法律案に対する附帯決議」(平成8年6月17日)は,「政府は,次の事項について,適切な措置を構ずべきである.1. この法律の改正を機会に,国連の国際人口開発会議で採択された行動計画及び第4回世界女性会議で採択された行動綱領を踏まえ,リプロダクティブヘルツ・ライツ(性と生殖に関する健康・権利)の観点から,女性の健康に関わる施策に総合的な検討を加え,適切な措置を構ずること.右決議する.」という内容であった.
4)この動きは,矢野恵子「いのちの価値が決められるとき―厚生省,産婦人科学会への疑問―」,生と死の先端医療:いのちが破壊される時代,p.24(開放出版社,1998)でも紹介されている.厚生科学審議会の議事録は,http://www.mhw.go.jo/shingi/kouseika.htmlで参照可.ただし,現在(1998年9月現在)議論は,胎児条項の必要性に関しては消極的な方向に向かっている模様.
5)日母医報平成9年3月号(p.7)には,「母体保護法のこれからの問題点の中で最大の懸案事項は,『胎児条項の設置』である.法制検討委員会では,障害児を妊娠し,この胎児がその時代の医療水準で『不治又は致死的と認められる著しい疾患に罹っている可能性が高いもの』に限って先進諸国と同様に胎児条項を認めようとする意見が強い.胎児条項の設置は,不治または致死的と診断された胎児の母親の精神的・身体的苦痛を考えてのもので,胎児診断による中絶は,母親の基本的人権あるいは母親の幸福追求権を尊重したものであり,障害児の出生を防止したり,障害者の人権を否定しているものではない.(文責・常務理事 新家薫)」と述べられている.これは,毎日新聞の同年2月25日付記事で,同会が母体保護法への胎児条項導入に関してすでに日母案をまとめたと報道されたことに対する抗議文の形になっており,現在法制検討委員会で審議中であることを強調してはいるものの,同会が胎児条項の導入に積極的であることは確かであろう.
6)イギリス・フランス・ドイツ・オランダに関しては,資料1を参照のこと.国連の調査によれば,胎児異常を中絶の要件として法的にみとめている国は190カ国中41%である(United Nation Population Information Network,http://www.undp.org/popin).
7)斎藤純子「夏季スモッグ対策法施行と統一妊娠中絶法制定(海外法律情報・ドイツ)」ジュリスト,NO.1075,p.16(1995.9.15)によれば,「障害を中絶の理由とすることはできないことを明らかにするため,胎児の疾患に関する指標は廃止」された.
8)1998年9月現在,英語で読めるものは以下の通りである.◇妊娠中絶のためのいわゆる胎児適応の削除に関するドイツ刑法第218条の改正についての声明(Statement on the Revision of §218 a of the German Penal Code with Elimination of the So-called Embryopathic Indication for Terminating Pregnancy)◇ヒト遺伝子とDNAシーケンスの特許についての声明(Statement on the Patenting of Human Genes and DNA-Sequences)◇出生前の性別診断についての声明(Statement on the Prenatal Diagnosis of Sex)◇ドイツ人類伝学会につての声明(Statement of the German Society of Human Genetics)◇中国の新しい母子保健法についての声明(Statement on the New Chinese Law concerning Maternal and Child Health Care)◇子どもと青年に対する遺伝子診断についての声明(Statement on Genetic
Diagnosis in Children and Adolescents)◇着床前診断についての声明(Statement on Preimplantation Diagnosis)◇乳がん遺伝子BRCA1の発見についての声明(Statement on the Discovery of the Breast Cancer Gene BRCA1)◇出生後の発症前診断についての声明(Statement on Postnatal Predictive Genetic Diagnosis)◇出生前の父性決定のための検査についての声明(Statement on Prenatal Paternity Testing)◇保因者スクリーニングについての声明(Statement on Population Screening for Heterozygotes)◇出生前診断と人工妊娠中絶についての声明(Statement on Prenatal Diagnosis and Termination of Pregnancy).いずれも,http://omnibus.ruf.uni-freiburg.de/~gwolff/E_POSPAPIE.HTM#9. Geneticで参照可.
9)この立場表明(Position Paper)は,1.前文(Preamble) 2.原則(Principles)
 3.目的(Goals) 4.社会的な不公平と不利益との関係(Relation to Social Injustice and Disadvantage) 5.サービス・アクセス・利用( Services, Access, Utilization) 6. 生活設計・家族計画における個人の自律的意思決定(Individual Autonomy in Life- and Family-Planning) 7. 専門家としての守秘(Professional Confidentiality) 8.十分に情報を提供される権利(The Right to be Fully Informed) 9.遺伝カウンセリング(Genetic Counseling) 10.出生後の発症前診断(Postnatal Predictive Diagnosis) 11.ヘテロの診断とスクリーニング(Diagnostics of Heterozygotes and Heterozygote Screening) 12.出生前診断(Prenatal Diagnosis) 13.遺伝子治療(Gene Therapy)で構成されており,http://omnibus.ruf.uni-freiburg.de/~gwolff/E_POSPAPIE.HTM#9. Geneticで全文参照可.
10)フライブルク大学教授でありマックス・プランク外国法・国際刑法研究所所長でもあるアルビン・エーザー氏は,1996年4月2日に行われた「医療をめぐる法律研究会」で「比較法から見たドイツ妊娠中絶法の改正」と題して講演し,そのなかで,1970年代までの中絶規制は「期限モデル」と「適応モデル」という2つの立法モデルだけだったが,これをあまりにも図式的な対置であるとし,「自己決定権を基礎とする期限モデル」・「第3者の判定に基づく適応モデル」・「困窮状態を前提とした対話モデル」3つの基本モデルを提唱している.
11)遺伝カウンセリングの最も一般的な定義は,「遺伝カウンセリングはコミュニケーションのプロセスであり,家族内での遺伝性疾患が発症したときの問題,あるいは発症リスクにまつわる人間的問題を取り扱うものである.そして適切な訓練を受けた者が,このコミュニケーションのプロセスを通して,個人や家族が以下のことをできるように,援助を試みるものである.1)診断,考えられる疾患の進行過程,可能な治療方法など,医学上の事実を理解すること,2)遺伝と疾患の関係,特定の親族に疾患が再発するリスクを正しく評価すること,3)疾患の再発リスクがある場合,対処方法にどのような選択肢があるかを理解すること,4)リスク及び家族の考え方を念頭に置いて,その家族にとって最適と思われる行動の方向付けを行い,そしてその決断に沿って実際に行動すること,5)疾患遺伝子を持つ家族が発症した場合,及び疾患の再発リスクがある場合に,可能な範囲内で最良の適応反応を示すこと(Ad Hoc Committee on Genetic Counseling: Genetic Counseling. Am J Hum Genet 27:240-242, 1975)」というものであり,親から子に伝わる(遺伝する)という意味での遺伝性疾患(hereditary disease)だけでなく,突然変異による先天性疾患など,広い意味での遺伝性疾患(genetic disease)を対象としたカウンセリングである.
12)バーデン・ヴュッテンベルク州の中絶統計は,<1>全体(Insgesamt),<2>一般的医学的適応(allgemein-medizinische Indikation),<3>精神医学的適応(psychiatrische Indikation),<4>優生的適応(eugenische Indikation),<5>犯罪適応(ethische(krimino-logische) Indikation),<6>適応なし,ただし相談規定によるカウンセリングを受けた場合(ohne Indikation nach derBeratungs-regelung),<7>不明(unbekannt)の順に,1994年は,10167件,318件,42件,118件,8件,9593件,88件,1995年は,9847件,220件,40件,107件,12件,9444件,24件,1996年は,14486件,469件,70件,0件,4件,13943件,0件,であり,1996年以降胎児適応(優生的適応)は0件である.

資料<イギリス・フランス・ドイツ・オランダの胎児条項概要>
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イギリス
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法規制:中絶法1967/受精・胚研究法1990
胎児異常の場合→「胎児条項」あり
   :期間による限定 なし
   :期間以外の条件 子どもの重篤な身体的・精神的障害
   :条文上の規定 physical or mental abnormalities as to be seriously handicapped
備 考:英国産婦人科学会のレポート(Royal College of Obstetricians and Gynaecologists: Termination of pregnancy for fetal abnormality, 1996)が,21週を過ぎてからの中絶は胎児殺し(fetocide)になる可能性があることを示唆(Lowther GW. Prenatal Diagnosis in the United Kingdom. Eur J Hum Gent 1997;5, suppl 1:84-89 より)
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フランス
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法規制:中絶法1975/生命倫理法1994
胎児異常の場合→「胎児条項」あり
   :期間による限定 なし
   :期間以外の条件 子どもの治療不可能な重篤な疾患
   :条文上の規定 sever condition, for which no treatment is available
備 考:胎児異常の場合の中絶に関して,無脳症の場合は確認件数299件のうち「医療目的での中絶」273件,28週未満/28週以降の内訳は259/14,確認件数に対する中絶件数のパーセンテージは,91.3%,同じく二分脊椎の場合は349件,193件,140/53,55.3%,21トリソミー(ダウン症)の場合は1,670件,741件,653/88,44.3%,18トリソミーは336件,242件,201/41,72.0%,というデータがある(J. Goujaer, B.E.H 13/1997, 55,25 mars 1997より)
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ドイツ
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法規制:刑法(1995改正)/胚保護法1991
胎児異常の場合→「胎児条項」はなく,ただし以下の場合には可
   :期間による限定 なし(以下の場合にのみ可)
   :期間以外の条件 母体の身体的・精神的健康を著しく害するおそれ 
   :条文上の規定 danger of severe impairment of the physical or psychological health of pregnant women
備 考:24週以降の致死的ではないが重篤な疾患胎児の中絶希望をどう扱うかはジレンマであるとの記述あり(Wegen RD. Prenatal Diagnosis in Germany. Eur J Hum Gent 1997;5, suppl 1:32-38 より)
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オランダ
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法規制:中絶法/集団スクリーニング法1995
胎児異常の場合→「胎児条項」はなく,ただし以下の場合には可
   :期間による限定 胎児が母体外では生存できない期間(24週)
   :期間以外の条件 *ただし上記は「胎児が母体外では生存できない場合」とも解釈できる
   :条文上の規定 foetus is not yet viable 
備 考:オランダ産科婦人科学会Dutch Society of Obstetrics and Gynaecologyのガイドラインあり(Leschot NJ. Prenatal Diagnosis in the Netherlands. Eur J Hum Gent 1997;5, suppl 1:51-56 より)



出生前診断・選択的中絶生命倫理
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