HOME >

配布資料「出生前診断をめぐる“現在”とELSI」

玉井 真理子 1997/12/06 第1回「母体血による胎児DNA診断」研究会,於:金沢



玉井真理子(信州大学医療技術短期大学部・信州大学医学部附属病院遺伝子診療部)
出生前診断をめぐる“現在”とELSI

第1回「母体血による胎児DNA診断」研究会 97年12月6日、於:金沢

■配布資料

★ わたくしは、信州大学医学部付属病院遺伝子診療部の心理臨床スタッフとして遺伝医療にかかわるとともに、日本ダウン症協会の生命倫理研究部会のメンバーとして、主に出生前診断をめぐる倫理的社会的問題を、当事者団体の視点からも考えてきました。

(スライド)出生前診断をめぐる、ふたつの“現在”:母体血清マーカーテスト(大衆化)と着床前受精卵診断(特殊領域化)/もうひとつの“現在”:母体血中胎児細胞DNA診断

★ 出生前診断に関しての最近の話題のうち、倫理的な問題が指摘されているものとしては、一方を「大衆化」と呼ぶなら一方を「特殊化」とも呼ぶことができるのではないかと思うようなふたつの話題があります。ひとつは、着床前の受精卵を遺伝子のレベルで診断するという着床前診断あるいは受精卵診断と呼ばれるもので、主に対象となっているのは、デュシャンヌ型の筋ジストロフィーです。これに関しては、(1)受精卵への侵襲および受精卵の廃棄などをめぐる倫理的問題が必ずしも解決されているとは言えないこと(2)その手技自体が体外受精を前提にしているため不妊治療としての体外受精に関する従来の適応基準に抵触すること(3)胎児異常の場合の中絶を避けることはできるが体外受精の過程での母体への少なからぬ侵襲はさけられないこと、という3つの問題を指摘することができると思います。臨床応用については、学会レベルでの議論が続いています。一方、母体血清マーカーテスト独自の問題としては、(1)従来の出生前診断と異なり、検査を受ける対象はハイリスク群に限定されず、幅広い層の妊婦をターゲットにした検査であるということ(2)とりあえずは採血だけという検査の手軽さからインフォームドコンセントが軽視される危険があること(3)あくまでもスクリーニングであり、羊水検査などとは質の違う検査であるということの意味、リスクや確率の概念などが理解されにくいこと、などをひとまず指摘できるかと思います。これら、母体血清マーカーテストと着床前受精卵診断を、出生前診断をめぐるふたつの“現在”とするなら、母体血中胎児細胞DNA診断は、もうひとつの“現在”あるいは“近未来”と言えるかもしれません。

(スライド)出生前診断全般の問題 存在の否定:生まれてきてはいけなかった命なのか?/「診断−治療」幻想:わかること・知ることはいいことなのか?/決定する主体と決定を引き受ける主体の不一致:誰が・誰の・何を・誰のために・何のために、決めているのか?

★ 出生前診断には、胎児治療への可能性をさぐる、あるいは、妊娠の管理に役立てる、分娩の時期や方法を選択する際の情報となる、先天的な疾患を有した児の出生に対する心理的な準備になる、などの利点ももちろんありますが、しばしば選択的人工妊娠中絶selective abortionと結びつくために、様々な問題がこれまでにも指摘されてきました。中絶一般の問題も含みますが、選択的に中絶すること独自の問題が指摘されてきました。ひとつは、存在そのものの否定につながる、という主張です。自分の人生設計から見て、今この時期に、あるいはこの状況の中で、子どもを産むわけにはいかないから中絶するというのとは違って、たとえばダウン症だから自分の子どもとしては要らない、障害をもった子どもなら自分の家族として迎える気はない、というふうに子どもにある条件をつけて、産むかどうか、すなわち中絶をするかどうかを決めるわけですから、その対象になる側からすれば、ある特定の属性によって、しかも自分という存在そのものと分かち難く結びついている属性によって、それを根拠に存在そのものを否定されることになるわけです。また、「念のために調べておきましょう」という医療サイドの台詞があり、それを抵抗なく受け入れてしまう患者サイドの習慣もあります。何が分かって何がわからないのか、何をどこまで知ろうとしているのか、わかること・知ることによってもたらされるものは必ずしも治療や予防ではない場合があること、それらを想像する力を、現代日本人はすでに失ってしまっていると言えるかもしれません。さらに、中絶することを決める主体と、それによって存在を奪われる主体は別であり、果たして、誰が・誰の・何を・誰のために・何のために、決めているのか?という問題もあります。「決定する主体」と「その決定を引き受ける主体」が一致しないという問題です。

(スライド)羊水検査:確実性は高いが侵襲が大きい/母体血清マーカーテスト:侵襲は少ないが確実性の低い/母体血による胎児細胞DNA診断:胎児情報へのaccessibilityの高まり

★ 「確実性は高いが侵襲が大きい羊水検査」と「侵襲は少ないが確実性の低い母体血清マーカーテスト」というように、内在的制約として不可避であった技術的なレベルでのそれぞれの限界を、母体血による胎児細胞DNA診断は、ひとまずクリアしているという点で、その利点は強調され得ると思います。しかし、より確実により簡単に胎児情報にアクセスできることは、しかも選択的中絶につながりうる胎児情報へのアクセシィビリティが高まることは、先に述べた出生前診断全般が有する倫理的問題をクリアすることにはつながらず、むしろ潜在的には先鋭化させ、そして先鋭化するにもかかわらず問題の核心は見えにくくなる傾向があるのではないかと思います。
(スライド)施設限定(拠点)方式:限定基準の公開と監査機構の設置/実施のガイドライン策定: medical & non-medicalの協同と当事者の意向尊重

★ したがって、当面の現実的かつ急務の対策として考えられるのは、1)出生前診断を提供できる施設を、複数の専門医がいるかどうか、カウンセリングを行う十分なスタッフがいるかどうか、などいくつかの条件によって制限し、その条件を公開する、2)出生前診断の実施にあたってのガイドラインを策定し、その策定プロセスにはmedicalだけでなくnon-medicalな立場のメンバーも参加するとともに、障害者・患者支援団体の意向も十分取り入れる、の2点であろうかと思います。また、一般のみならず医療専門職の中にも存在する“いわゆる障害や病気というものに対するネガティブバイアス”を可能な限り回避し、適切な今日的情報を提供した上で、検査を受けるにしても受けないにしても、検査の結果をどのように利用するかにしても、個人やカップルの自律的意思決定が十分尊重されなければならないと考えるからです。

(スライド)ELSI:Ethical, Legal and Social Implications

★ ヒトゲノムプロジェクトがその発足当初からELSI(Ethical, Legal and SocialImplications)に予算の3-5%を割いていてように、先端医療技術の開発と臨床応用に際しては、それがもたらす社会的・法的・倫理的さらには心理的問題を同時並行的に検討することを必須のものとして認識する必要があると思うからです。

(スライド)先端医療技術の開発と臨床応用とELSI:医療の提供者側から見ると「それは少し厳しすぎるのではないか」と感じるくらいのルールを自らに課し、それを公開した上で、新しい技術の臨床応用に踏み切るという慎重さを持たない限り、社会的非難を受けることは必至

★ 日常的な言葉で表現することを許していただけるなら、医療の提供者側から見ると「それは少し厳しすぎるのではないか」と感じるくらいのルールを自らに課しそれを公開した上で新しい技術の臨床応用に踏み切るという慎重さを持たない限り、マスコミをはじめとして社会的非難を受けることは必至であります。ELSIは、それを考えなければ何もはじまらない、それを真剣に考える気がないのなら何もできない、そういうものであるということを認識しなければならない、ある意味での“受難の時代”が、そしてある意味での“新しい時代”が、きていると思います。私は、先端医療技術の開発を否定しようと思っているわけではなく、慎重さを欠いた開発とELSIへの配慮を欠いた臨床応用によって社会問題を引き起こし、その結果として今後人類の未来に貢献するかもしれない技術の開発とその応用に不必要なマイナスの圧力がかかることを懸念するものであります。甘い基準でゴーサインを出すことによってむしろ起こるであろう問題を可能な限り回避する方法は、現実的な範囲でやや厳しめの基準をゴーサインを出す前に自らに課し、かつ“世間の眼にさらされる”ことを恐れない、そうすることによって医療職能集団としての見識を示し、そして信頼とともに一定の裁量権を得る以外の道はないと考えます。

(スライド)“新しい受難”の時代を切り開くために:遺伝カウンセリングのトレーニング(日本人類遺伝学会・日本家族計画協会)/医師以外の専任のカウンセラーの配置/サポートグループと連絡/ガイドライン:日本家族性腫瘍研究会「家族性腫瘍の遺伝子診断の研究とこれを応用した診療に関するガイドライン(案)」/診療:信州大学遺伝子診療部のシステム

★ “新しい受難”の時代を切り開くためにとりあえずできることは、臨床に携わっているのであれば、日本人類遺伝学会や日本家族計画協会が行っている遺伝カウンセリングのトレーニングを受けること、予算を捻出して医師以外の専任のカウンセラーを配置するか看護職を再教育しその職務にあてること、対象とする疾患のサポートグループと連絡をとること、などでしょうか。ガイドラインに関しては、まだドラフトの段階ではありますが、私が倫理委員のひとりとしてかかわった日本家族性腫瘍研究会の「遺伝子診断の研究とこれを応用した診療に関するガイドライン(草案)」が参考になると思います。また、診療のありかたとしては、これも手前味噌で恐縮ですが、信州大学遺伝子診療部のシステムが、それぞれ現実との折り合いがつくレベルという範囲で参考になると思います。以上僭越ではございましたが、若干の私見を述べさせていただきました。

★ なお、私の仕事の原点にあるのは、「障害」を持っていることそのものが「不幸」なのではなく、「障害」を持っていることは「不幸」だとしか思ってもらえないこと、思えないことこそが「不幸」なのだということを、多くを語ることなく、しかし、だからこそとも言える説得力をもって、存在をかけて訴えてくれたダウン症の息子の存在です。


■【発表原稿(7分)】

発表内容は、お配りいたしました資料にまとめましたが、限られた時間でございますので、資料の最初の部分は省略させていただきます。

★ 出生前診断は、しばしばselective abortionと結びつくために、様々な倫理的問題がこれまでにも指摘されてきました。ひとつは、存在そのものの否定につながる、という主張です。自分の人生設計から見て、今子どもを産むわけにはいかないから中絶するというのとは違って、疾患を有した児であるなら自分の家族として迎える気はない、というふうに子どもにある条件をつけて、産むかどうか、すなわち中絶をするかどうかを決めるわけですから、その対象になる側からすれば、自分という存在そのものと分かち難く結びついている属性によって、それを根拠に存在そのものを否定されることになるわけです。また、「念のために調べておきましょう」という医療サイドの台詞があり、それを抵抗なく受け入れてしまう患者サイドの習慣もあります。何が分かって何がわからないのか、何をどこまで知ろうとしているのか、わかること・知ることによってもたらされるものは必ずしも治療や予防ではない場合があること、それらを想像する力を、現代日本人はすでに失ってしまっていると言えるかもしれません。さらに、中絶することを決める主体と、それによって存在を奪われる主体は別であり、果たして、誰が・誰の・何を・誰のために・何のために、決めているのか?という問題もあります。「決定する主体」と「その決定を引き受ける主体」が一致しないという問題です。

★ 「確実性は高いが侵襲が大きい羊水検査」と「侵襲は少ないが確実性の低い母体血清マーカーテスト」というように、内在的制約として不可避であった技術的なレベルでのそれぞれの限界を、母体血による胎児細胞DNA診断は、ひとまずクリアしているという点で、その利点は強調され得ると思います。しかし、より確実により簡単により早期に胎児情報にアクセスできることは、しかも選択的中絶につながりうる胎児情報へのアクセシィビリティが高まることは、先に述べた出生前診断全般が有する倫理的問題をクリアすることにはつながらず、むしろ潜在的には先鋭化させ、そして先鋭化するにもかかわらず問題の核心は見えにくくなる傾向があるのではないかと思います。

★ したがって、当面の現実的かつ急務の対策として考えられるのは、1)出生前診断を提供できる施設を、複数の専門医がいるかどうか、カウンセリングを行う十分なスタッフがいるかどうか、などいくつかの条件によって制限し、その条件を公開する、2)出生前診断の実施にあたってのガイドラインを策定し、その策定プロセスにはmedicalだけでなくnon-medicalな立場のメンバーも参加するとともに、障害者・患者支援団体の意向も十分取り入れる、の2点であろうかと思います。また、“いわゆる障害に対するネガティブバイアス”を可能な限り回避し、適切な今日的情報を提供した上で、検査を受けるにしても受けないにしても、その結果をどう利用するかにしても、個人やカップルの自律的意思決定が十分尊重されなければならないと思うからです。

★ ヒトゲノムプロジェクトがその発足当初からELSIに予算の3-5%を割いていてように、先端医療技術の開発と臨床応用に際しては、それがもたらす社会的・法的・倫理的さらには心理的問題を同時並行的に検討することを必須のものとして認識する必要があります。

★ 日常的な言葉で表現することを許していただけるなら、医療の提供者側から見ると「それは少し厳しすぎるのではないか」と感じるくらいのルールを自らに課しそれを公開した上で新しい技術の臨床応用に踏み切るという慎重さを持たない限り、マスコミをはじめとして社会的非難を受けることは必至であります。ELSIは、それを考えなければ何もはじまらないというようなものであるということを認識しなければならないと思います。私は、先端医療技術の開発を否定しようと思っているわけではなく、慎重さを欠いた開発とELSIへの配慮を欠いた臨床応用によって社会問題を引き起こし、その結果として今後人類の未来に貢献するかもしれない技術の開発とその応用に不必要なマイナスの圧力がかかることを懸念するものであります。甘い基準でゴーサインを出すことによってむしろ起こるであろう問題を可能な限り回避する方法は、現実的な範囲でやや厳しめの基準をゴーサインを出す前に自らに課し、かつ“世間の眼にさらされる”ことを恐れない、そうすることによって医療職能集団としての見識を示し、信頼を得る以外の道はないと考えます。

★ とりあえずできることとしては、臨床に携わっているのであれば、遺伝カウンセリングのトレーニングを受けること、予算を捻出して医師以外の専任のカウンセラーを配置するか看護職を再教育しその職務にあてること、対象とする疾患のサポートグループと連絡をとること、ガイドラインに関しては、私も倫理委員としてかかわりました日本家族性腫瘍研究会のものが、また、診療のありかたとしては、これも手前味噌で恐縮ですが、信州大学遺伝子診療部のシステムが現実との折り合いがつくレベルという範囲で、それぞれ参考になると思います。以上僭越ではございましたが、若干の私見を述べさせていただきました。


(追加スライド)
●「生れてきたらかえって不幸」という論理のおかしさ

「存在することの不幸」<――>「存在しないことの幸福」・・・論理矛盾?

本人:「存在してはじめて」、そこに「幸/不幸」がある

●では、誰にとっての「幸/不幸」か?

「障害」や「病気」を有した存在を家族として引き受ける側


REV: 20161231
全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)