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障害者の国際条約――国連での動きを中心に




長瀬 修 障害・コミュニケーション研究所代表
『働く広場』2000年8月号(7月20日刊行)、No。275、4−9頁

1、「はじめに」
 八〇年代半ばから、障害者に対する差別をなくし、障害者の権利を保障するために
国際条約を作ろうという試みがなされてきた。八七年、八九年には国連総会で提案さ
れたが、今日まで実現には至っていない。そうした経緯を踏まえ、本年に入ってから
中国政府と主だった国際的な障害分野の非政府組織(NGO)が共同して、障害者の
権利条約制定の新たな動きを見せている。強制力のある条約が障害者に対する差別撤
廃、障害者の人権保障を国際的、国内的に進める一つの大きな手段である。
 「完全参加と平等」を掲げた八一年の国際障害者年からほぼ四半世紀を経たこの年
に、障害者問題に関する国際的取り組みが、条約制定という新たなクライマックスへ
の確実な動きを見せるのか非常に注目される。そして日本にいる者として、どのよう
にこの動きに対応し、また、貢献していくのか真剣に考えなければならない時であ
る。

2、「二〇〇〇年二月・ニューヨーク」
(一)社会開発委員会での条約提案

 中国政府代表が障害者の権利条約制定という提案を国連社会開発委員会の席上で
行った時、同委員会の障害問題特別報告者であるベンクト・リンドクビスト氏は驚い
たと自ら語っている。中国政府関係者からの情報では、主に途上国からのこの提案に
対しての反応は良く、先進国の反応は賛否が分かれているという。ジャマイカ、フィ
リピン、ノルウェー、ロシアは同委員会で条約提案支持を表明したが、気にかかる米
国の対応は否定的だった。国務省が否定的態度なのは筆者も全米障害評議会(NC
D)の国際問題メンバーに確認している。
 この提案が行われたのは社会開発委員会という経済社会理事会の下部委員会であ
り、年一度開催され、今年は第三八会期が二月八日から一七日まで国連本部で行われ
た。
 この社会開発委員会には障害者関係で重要な報告書がリンドクビスト特別報告者か
ら提出された。「障害者の機会均等化に関する基準規則実施状況のモニタリング」
(以下、基準規則と略)に関する同特別報告者からの九七年から二〇〇〇年までの三
年間の「最終報告書」である。報告書原文はインターネット上で国連のウェブサイト
(注一)からダウンロードできるし、翻訳は全日本ろうあ連盟の季刊誌「みみ」夏季
号、秋季号に掲載予定である。
 この報告書第三章の見解と結論でリンドクビスト氏は条約に触れて、「多くの政府
が条約の制定を受け入れる可能性は十分にある」とした上で、問題は条約を支持する
加盟国政府の数が条約制定に必要なだけ得られるかどうかだと疑問を提示している
(第一五七段落)。
 なお、第三八会期の社会開発委員会は経済社会理事会に対して、リンドクビスト氏
の任期の二〇〇二年八月まで二年間の延長を決議案という形で勧告した
(E/CN.5/2000/L.6)。
 
(二)基準規則の専門家パネルとNGOの動き
 社会開発委員会と合わせて、基準規則の専門家パネルがニューヨークで二月九日か
ら一一日まで開催されている。このパネルは特別報告者に助言を与える役割を持つ。
構成はインクルージョン・インターナショナル(国際育成会連盟)、障害者インター
ナショナル(DPI)、世界盲人連合(WBU)、世界ろう連盟(WFD)から各二
名、国際リハビリテーション協会(RI)と精神医療利用・生還者世界ネットワーク
(WNUSP)から各一名の全部で一〇名である。日本からは、九八年以降、WFD
理事の高田英一氏が専門家として選出されている。パネルの会議では最終報告書の検
討が行われ、条約化に関する議論も行われている。
 ニューヨークでは専門家パネル開催に先立ち、一九九九年二月に発足した国際障害
者団体会長同盟を発展させた国際障害同盟(IDA)の結成が行われている。構成団
体は国際育成会連盟、DPI、WBU、WFD、WNUSPに加え、世界ろう盲連合
(WFDB)である。専門家パネルに代表を送っている団体のうち、RIが含まれて
いない点に留意してほしい。それはIDAが「世界政治と国際障害領域において、障
害者の声を強化し、障害者に影響する共通課題に関する合同戦略を確立する」ことを
目的とし、障害者の国際組織のネットワークを目指しているためである。国際育成会
連盟の場合は親をはじめとする家族が主構成員だが、近年は本人活動を重視している
こともあり、「障害者団体」として他の団体からも認められてきている経緯がある。
 この国際障害同盟が社会開発委員会への声明を出し、基準規則の第三期のモニタリ
ング継続すなわち、特別報告者と専門家パネルの任期延長を求めている。

3、「二〇〇〇年三月・北京」

 二月上旬の国連社会開発委員会での条約提案の腹づもりを固めていた中国政府は、
三月一〇日から一二日まで北京で「世界障害NGOサミット」の開催を決め、国際障
害NGOに対して一月中旬には案内と招待状を発出している。ホスト役は半官半民の
中国障害者連合会である。同会長は故トー小平氏の長男のトー樸方氏である。
 案内状には、同サミットは新世紀の障害分野の将来戦略を討論する場であるとする
と共に、中国政府外相が出席し、機会均等基準の実施を強化する目的で、障害者の権
利条約制定を六月下旬にジュネーブで開かれる国連社会開発特別総会が採択するため
の行動について討論を行うと記されている。
 このサミットへの主な出席者は国際育成会連盟会長のドン・ウィルス氏、同第三副
会長のロバート・マーティン氏(自身が知的障害者で本人国際委員会委員長であり、
昨年の全日本手をつなぐ育成会全国大会で来日)、RI会長のアーサー・オライリー
氏、同副会長の松井亮輔氏、DPI事務局長のルーシー・ウォン・ヘルナンデス氏、
同アジア太平洋ブロック議長ナロン・パティバツラキッチ氏、WBU会長のユーク
リッド・ヘリエ氏、同事務局長のペドロ・ツリタ氏、WFDのキャロル=リー・アク
イリン事務局長、それに国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の知恵袋で
あるサン・ユンワ氏という「サミット」の名前に恥じない顔ぶれである。
 三月一二日に同サミットは上記の五団体に加えて、他の障害者NGO、障害者支援
NGO名で、障害者の権利に関する国際条約の採択を訴える「新世紀における障害者
の権利に関する北京宣言」を決議した。
 第五項で基準規則の強化のために各国を法的に拘束する国際条約が必要であると
し、連帯を訴え、第一〇項で「権利条約制定のためにそれぞれの団体が努力すること
を約束する」とした。
 筆者が昨年二月号の『法学セミナー』誌の「障害分野の国際人権法」で、条約提案
する可能性の高い国として中国政府(条約提案の時期として二〇〇〇年もしくは二〇
〇二年)を指摘したのは、「アジア太平洋障害者の十年」の宣言の際に中国政府、中
国障害者連合会が示した馬力を眼のあたりにしたからである。一九九二年当時、筆者
は八代英太DPIアジア太平洋ブロック議長のもとでDPIアジア太平洋事務局員と
して北京を訪問したり、宣言の採択に向けて各国DPI、各国首脳に働きかけた。実
際に北京(同連合会)、東京(DPIブロック事務局)、バンコク(ESCAP事務
局)の緊密な協力で同年のESCAP総会での採択にこぎ着けたのだが、北京すなわ
ち中国政府、中国障害者連合会の存在感が一番大きかったのは否めない。

4、「二〇〇〇年四月・ジュネーブ」

 北京宣言後の四月にジュネーブで開催された国連の人権委員会第五六会期で、リン
ドクビスト特別報告者が障害問題について報告した。これを受けて、四月二五日に人
権委員会は障害者の人権(E/CN.4/RES/2000/51)という決議を採択している。
 同決議は第三〇段落で「人権高等弁務官が社会開発委員会の障害に関する特別報告
者と協力し、障害者の人権のモニタリングと保護を強化する方策を検討し、特に専門
家パネルをはじめとする関係者からのインプット、提案を求めるよう要請する」とし
ている。
 同決議は前文で「二〇〇二年の日本での第六回DPI世界会議開催をはじめとす
る、障害者に関する国際会議の開催を歓迎する」としているのが嬉しい。この決議に
は日本政府も共同提案国に加わっている。

5、「一九八七年三月・リュブリアナ/
      八月・ストックホルム」
 歴史を簡単に振り返ってみる。障害者の国際条約提案は八七年三月にリュブリアナ
(スロベニア)で開かれた「欧州地域での世界行動計画実施に関する会議」、八月の
ストックホルムで開催された「国連障害者の十年中間年評価専門家会議」にさかのぼ
る。国連の専門家会議として障害者自身の専門家が史上初めて過半数を占めたこの会
議で、障害差別撤廃条約が提起された。背景には八一年のDPI結成以来の国際的障
害者運動の高揚があった。そしてストックホルム専門家会議に出席したイタリアのマ
リア・リタ・サレ氏が同年九月の国連総会でイタリア政府代表として全三六条の条約
案を提出した。しかし、多くの政府は財政面の問題や、他の人権規約・条約に障害者
も含まれていることなどを理由として反対し、提案は実らなかった。日本政府代表も
「条約起草のメリットはほとんど見いだしがたい」という発言を議事録に残してい
る。
 八九年に至って、リンドクビスト社会相(現特別報告者)が率いるスウェーデン政
府が再度、条約提案を行うがやはり支持が十分に集まらない。しかし、スウェーデン
政府は粘り腰で、条約が無理ならば、せめてガイドラインをと訴えた。その努力が九
三年の国連総会で採択された「障害者の機会均等化に関する基準規則」であることは
承知の方も多いかも知れない。現在の国際的障害政策の最重要文書である。
 念のため、基準規則の構成を次に紹介する。

一部 平等な参加への前提条件
 規則一、 意識向上
 規規二、 医療
 規則三、 リハビリテーション
 規則四、 支援サービス
二部 平等な参加への目標分野
 規則五、 アクセシビリティ
 規則六、 教育
 規則七、 就労 
 規則八、 所得保障と社会保障
 規則九、 家庭生活と人間としての尊厳
 規則十、 文化
 規則十一 レクリエーションとスポーツ、
 規則十二、宗教
三部 実施施策
 規則十三、情報と研究
 規則十四、政策形成と計画立案
 規則十五、立法
 規則十六、経済政策
 規則十七、業務の調整
 規則十八、障害者組織
 規則十九、職員研修
 規則二十、基準規則の実施における障害プログラムの国家的モニタリングと評価
 規則二十一、技術・経済協力
 規則二十二、国際協力
(全文の翻訳は 日本障害者協議会から刊行されている)。

6、「二〇〇〇年の中国提案か、NGO提案か」

 前二回の条約提案はそれぞれ八十七年のイタリア提案、八十九年のスウェーデン提
案として記憶されている。提案国の存在は大きかった。そしてそれは反面、障害分野
のNGOの動きが鈍かったことを示している。
 「八七年、八九年のミステリー」と筆者が名付けているのは、八七年、八九年に少
なくともDPIのネットワークが機能しなかったことである。八七年八月の国連専門
家会議での条約提案、同九月からの国連総会第三委員会でのイタリア政府による条約
提案という重要な時期に、国連での動きをフォローしているべきDPI本部からブ
ロック事務局、各国DPIに対して、「条約提案が行われているから、自国政府に対
してただちに条約支持を働きかけるべし」という指示は流されなかった。確かに当時
は、国際ファクスの普及もまだ十分ではなかった時代であり、インターネットが普及
した今日とは事情はだいぶ異なる。例えば、東京のブロック事務局とアジア太平洋各
国との急ぎの連絡は主にテレックスで行われていた時代だった。しかしファクスも、
航空便も、テレックスも届か本部からはなかった。
 NGO側は国連総会での動きに対する敏速なフォローが全くできていなかった。例
えば、DPIの誕生前後から八八年までの動きを追ったダイアン・ドリージャー(注
2)は八七年当時のDPIの国連総会でのロビー活動を記しているが、条約提案には
全く触れていない。当時の多くのDPI世界役員にとって初めての国連経験であり、
「トレーニング」だったとある。DPI自体が発行している『はじめの十年 障害者
インターナショナル 一九八〇年ー一九九〇年』"The First Decade"にも条約提案に
関する記述は全くない。当時のDPIは例えば八七年のストックホルム専門家会議の
議長、五名の副議長のうち四名、副記録者といった会議の主だったポストを占めるほ
どに既に成長し、国際的な政治的存在感は他の障害者NGOを圧倒していた。そのD
PIにしても、まだまだ国連総会の場でイニシャティブを取れるには至っていなかっ
たし、自らの世界的なネットワークを活かすことはなかった(できなかった)。
 したがって八七年、八九年の動きに対して障害者NGO側の反応は鈍かった。むし
ろ、ほとんどなかったと言っても過言でないだろう。
 しかし、障害者NGO間の協力関係、連帯は九〇年からの基準規則制定過程、九三
年の基準規則採択後の専門家パネルの活動を通して着実に強まり、深まってきた。そ
の現れの一つが前述の国際障害同盟の結成である。
 障害NGOはDPI、WBU、WFD、そして国際育成会連盟などの障害者NGO
と、リハビリテーションの専門職が構成するRIなど障害分野の専門家のNGOから
なる。DPIがRIから分離して誕生した経緯だけからでなく、全般的な障害者に対
するリハビリテーション専門家優位という構造の中で、障害者NGOとリハビリテー
ション専門家のNGOとの距離があるのは当然である。
 しかし、RI自身自らの組織内で障害者である専門家を要職につけるという努力を
行ってきた。その成果が昨年九月のRI総会で採択された「二〇〇〇年代憲章」に、
八〇年代後半から提起されてきた条約制定が盛り込まれるという形で実ったのではな
いだろうか。
 障害者NGOが中心となって条約制定のイニシャティブを取り、RIなど他のNG
Oも協力するという形で、二〇〇〇年の提案が実現するならば、今度の動きは中国提
案ではなく、「NGO提案」として実を結ぶだろう。そのためには、中国政府の政治
力(これは確かである)に過度に頼ることなく、各国内の障害NGOが自国政府に条
約賛成という姿勢を取るよう働きかけ、国連のいろいろな会議の場で国際障害NGO
がロビー活動を積極的に行う必要がある。

「これから」

 当面、六月二六日から三〇日までジュネーブで開催される国連社会開発特別総会、
九月五日からニューヨークで開催される国連ミレニアム総会がひとまず注目される。
しかし、今回の条約提案は短期決戦にはならないだろう。
 中国障害者連合会はこの取り組みは今年だけでなく、何年かかっても実現させると
いう決意を示している。子どもの権利条約の制定過程でポーランド政府が果たした役
割が大きかったように、仮に一国の政府が本気になって時間をかけて取り組めば、実
現の可能性は高まる。国連での主役はあくまで加盟国政府であり、今回の中国政府の
ように腰をすえて取り組もうという政府の存在は大きい。
 しかし、国際NGOは国際世論に大きな影響を与えることができる。対人地雷全面
廃止条約の採択の過程でもそれは明白だった。その意味で「三度目の正直」となるか
否かは、国際、国内の障害者組織、障害者支援組織の動きにかかっている。
 条約の動きは、国際的にも二〇〇二年に終結する「アジア太平洋障害者の十年」の
取り組みをどのように発展、継承していくのか、二〇〇二年に札幌で開催されるDP
I世界会議の中心的なテーマをどのように設定するのかにも深く関係している。国内
的には、障害者基本法の見直し、欠格条項への取り組みなどとも関係が深い。
 国連での動きに対して単に受け身でいられる、「コクレン」から降ってくるものを
後生大事にしている時代は終わった。政府だけが国連など国際的な政策決定の場に関
与するのではない。筆者は基準規則制定の現場に国連事務局障害者班の職員として立
ち会ったが、多くの場面で障害者NGOの意見が基準規則の文面に反映されるのを目
にした。国際的障害NGOや自国政府を通じて国際的な動きに積極的に参加できる時
代である。日本でも国際会議への政府代表団にNGO代表を加えるのが既に常識と
なっている。また国際障害NGOを見ても、前述の高田、松井両氏の他にも、DPI
の世界評議員の中西正司氏など国際的に活躍する方が確実に増えてきた。
 そして肝心の条約内容については基準規則が達成した線から後退しないようにする
必要がある。昨年六月七日に採択された米州機構(OAS)の障害差別撤廃米州条約
(注3)はDPIなどの息の長い取り組みの成果であり、インパクトはこれからを見
守らねばならない。実施を担保する「障害差別撤廃委員会」に各国政府がどのような
人材を送り込むかにもかかっている。先走った評価は控えたいが、条約の文面を見る
限り、「差別を徐々に撤廃し」(第三条第一項)という記述などがあり、全体として
いかにも弱いという印象を禁じえない。
 根本的な問題は、基準規則を基盤とし、発展させるというスタイルを取らなかった
ことにある。域内にADA(米国障害者法)という権利・差別禁止アプローチの好例
を持つ北米、中南米、カリブ諸国であり、しかもDPIがイニシャティブをとって五
年以上も取り組んでの結果がこれでは、他地域、そして世界レベルでの取り組みが危
ぶまれる。その意味で、北京宣言が第五項で「基準規則の強化」を条約の目的として
掲げているのは正しい。
 権利条約が実現しても一朝一夕には何も変わらないかもしれない。しかし、例え
ば、女性差別撤廃条約をはじめとする国際的努力が着実に女性の社会的地位を世界的
に向上させてきたような効果を障害分野の条約に期待してもおかしくはないだろう。
 日本政府がこのような国際的努力に積極的な姿勢を取り、具体的には、条約制定の
共同提案国として名を連ねることを強く期待している。

参考文献
*日本聴力障害新聞二〇〇〇年三月一日号、五月一日号
*松井亮輔「世界障害NGOサミット 北京宣言を採択」『JDジャーナル』二〇〇
〇年四月号


一、http://www.un.org/esa/socdev/geneva2000/docs/csd38e3.pdf 

二、Driedger, D. (1989) "Last Civil
Rights Movement" Hurst & Company は長瀬訳で『国際的障害者運動の誕生 障害者
インターナショナル』としてスペース96より九月刊行予定。

三、一部の邦訳は長瀬の明石書店オンライン連載『障害・障害学の散歩道』四月号
http://www.akashi.co.jp/menue/rensaiに掲載。原文のサイトは
http://www.oas.org/en/prog/juridico/english/treaties/a-65.htm



REV: 20161229
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