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ろう児の人工内耳手術の問題点

長瀬 修 1997
『生命倫理』8


  キーワード:人工内耳、ろう児、ろう文化、手話、倫理

1、人工内耳とは何か
 人工内耳手術とは内耳に小さな電極を挿入し、音を電気信号に変換、聴神経
に直接、電気刺激を伝える不可逆的な手術である。聴神経への電気的刺激の試
みの歴史は1800年代にまでさかのぼる1)が、「医学で初めての感覚器の
人工臓器」2)としての人工内耳の開発は1950年代に始まる3)。日本で
はオーストラリアのコクレア社の人工内耳手術の第1例が1985年に行われ
た4)。当初は400万円以上の高額の自己負担が必要だったが、94年4月
からは「高度先進医療」として、健康保険も適用されるようになり、経済的な
負担は大幅に軽減された。1996末現在では日本に735人の装用者がいる
5)。そのうち約1割が18才未満である。
 人工内耳は補聴器を用いても聴力の回復・向上が充分でない場合(感音性)
の新たな選択肢である。しかし、通常の聴力まで回復・向上させるものではな
く、手術後は長期にわたる装置の調整と聴能訓練が必要になる。
 日本で唯一厚生省の認定を得ている日本コクレア社は適用基準として以下を
挙げている。
(1)2才以上であること。
(2)両耳とも高度感音難聴であること。
(3)補聴器の装用効果が全く、またはほとんどないこと。
(4)蝸牛に電極が埋め込まれるスペースがあること。
(5)医学的禁忌のないこと。
(6)家族が過剰な期待を持たず、協力的であること。
(7)教育機関と密接な連携が保てること。6)
 人工内耳手術は、音声言語を身につけた後で音を失った中途失聴者からは福
音として大歓迎されている。リハビリテーションに困難はあり、元通りではな
いにしても、音声言語の世界への復帰を意味するからである。
 日本では日本コクレア社の人工内耳装用者が親睦と情報交換を目的として「
人工内耳友の会(ACITA)」7)を1988年に発足させている。年4回
の会報の発行や懇談会の開催を通じて、同じ環境にある者同士ならではの活動
を充実させている。1993年には人工内耳の実態調査を行い、独占状態にあ
る日本コクレア社への注文、要望も積極的に取り上げているのは高く評価でき
る8)。自助運動や本人活動として充実した動きを示しているのは心強い。
 この会の会報からは音の回復を喜ぶ姿が数多くうかがわれる。音の世界に慣
れ親しんだ後に、音がない世界へ移ることには戸惑い、苦悩がある。そこから
部分的であれ、音の世界にもどるのに人工内耳が確実に役立つことが伝わって
くる。

2、言語・文化集団としてのろう者
 このように中途失聴者には評価されている人工内耳がろう者からは強い批判
を受けている。
 「ろう者」とは聴力損失を持ち、手話を核心とする言語・文化的集団に帰属
意識を持つ者である。なお、手話は独自の体系、文法を持つ。例えば日本手話
は音声日本語に従属しているのではない。本稿での手話とは音声言語に対応し
ている手話、例えば日本語対応手話ではない。
 日本では1991年に木村晴美が発行人として言語的少数派としてのろう者
という視点からミニコミ「D」を発刊し、それが発展する形で1993年に、
言語的少数者としてのろう者を掲げる集団「Dプロ」が発足した。そして95
年の『現代思想』誌での木村晴美、市田泰弘による「ろう文化宣言 言語的少
数者としてのろう者」9)により、日本のろう文化運動は一つの頂点に達した
。歴史的な同宣言は次のように語る。

 「ろう者とは日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数派
である」ーこれが私たちの「ろう者」の定義である。これは「ろう者」=「耳
の聞こえない者」つまり「障害者」という病理的視点から、「ろう者」=「日
本手話を日常言語として用いる者」、つまり「言語的少数者」という社会的文
化的視点への転換である。このような視点の転換は、ろう者の用いる手話が、
音声言語と比べて遜色のない、”完全な”言語であるとの認識のもとに、初め
て可能になったものだ。10)

 これは「耳が聞こえない」という身体的状態と、「ろう者」という手話を用
いる集団に属するという社会・文化的状態を分離することを意味している。つ
まり必ずしも全ての「耳が聞こえない」者が「ろう者」ではないということで
ある。
 ちなみに英語では前者を小文字のdeafで示し、後者を大文字のDeafで示す用
法が広まりつつある。例えばKoreanと同じように民族集団としての位置づけで
ある。11)なお、身体と社会・文化の分離はフェミニズムでのセックスとジ
ェンダーの分離と並行的関係にある。12)
 ろう者が自らを文化集団として規定する傾向は国際的な傾向である。欧米は
特にその傾向が強い。例えば、文化的には欧米圏であるニュージーランドのろ
う協会が対象としているのは「音声言語獲得以前に聴力を損失した人で、文化
としてろうあ者の文化を身につけていることを自己認識し、ニュージーランド
手話を利用している人」13)である。
 ろう者の国際的な組織である世界ろう連盟(WFD)は役員の多くが欧米か
ら選出されている点で世界のろう者を代表しているとは言いがたい面もあるが
、その規約の中で「ろう文化」に明確に触れている14)
 この背景には特に1970年代に始まる手話に対する認識の深まりと共に、
世界で唯一のろう者の文系大学である米国のギャローデット大学でろう者の学
長が初めて選出された1988年のいわゆる「ギャローデット革命」によるろ
う者社会の意識の高揚がある。15)
 ろう文化の中核をなす手話の社会的認知は各国で進んでいる。スウェーデン
では手話がろう者の第1言語として法的に認知されている。1995年にはフ
ィンランドとウガンダが憲法で手話に言及した。特にウガンダ新憲法は文化の
文脈で手話を位置づけた点が特筆に値する。16)またスロバキアでは手話に
関する独立した法律が1995年に成立している。17)
 ろう者の文化的側面は国際的な政策文書にも既に反映されている。1993
年に国連総会で採択され、現在の国際的障害政策の最重要文書である「障害者
の機会均等化に関する基準規則」の教育に関する項目でも、ろう者の文化に配
慮した教育を求めるという記述がある。18)
 視覚言語である手話を中核とするろう者はろう者社会と呼ばれる集団を歴史
的に形成し、独自の集団を指向する傾向が顕著である。19)集団としての結
集力の強さは、ろう者間の結婚の割合が高いことに端的に示されている。20

 また、どの集団であれ歴史は重要な要素であるが、ろう者社会の歴史は学術
的関心の的ともなり、既にスウェーデンや英国では、学会が設立され、国際的
な学会 Deaf History Internationalも1991年に発足している。

3、ろう児の人工内耳手術への反発
 このような、「文化としてのろう」という視点から、ろう児への人工内耳手
術は激しい反発を招いているのである。自らの属する集団の将来を危うくする
行為と受けとめられているからである。
 なお、本稿で「ろう児」とは聴力損失のある子ども全般を意味する。「ろう
」を主に社会・文化的な意味にのみ用いる場合には、手話を身につける以前の
子どもに「ろう」を用いるのはむずかしい。しかし、筆者は「ろう」を身体的
状態と社会・文化的状態を包含する言葉として用いている。「ろう児」とは聴
力損失を持ち、将来的に手話を核心とするろう者社会に帰属意識を持つ可能性
が高い子どもを指す。
 人工内耳の技術が広まりつつある国を中心に、ろう児への人工内耳手術が政
治問題化している。ろう者組織ならびにろう児の親の組織が子どもへの人工内
耳手術に反対の声をあげている。21)日本でもDプロと全日本ろうあ連盟が
それぞれ、ろう児への人工内耳手術に対する疑問を呈している。22)
 95年7月に開かれた第12回世界ろう者会議は「ろう児に人工内耳手術を
勧めない。なぜなら人工内耳はろう児の言語獲得に役に立たず、情緒的、心理
的人格形成と身体的発達を阻害しうるからである。反対に、手話の中で育つ環
境が言語的ならびに他の発達を含む全面的発達を支える」23)と決議した。
 人工内耳に対する批判の一つは現状での人工内耳の性能の問題に関するもの
で、現時点で子どもへの人工内耳手術を考慮する際に重大な要素であると同時
に、将来的に人工内耳の性能がいっそう向上し音声言語の習得が確実になった
時点では消滅する可能性があることに留意する必要がある。
 これに対し、もう一つの批判点は、聴者である親がろう児本人の意向抜きで
、ろう者を聴者に変えようとするのは許されないという倫理的、より根源的な
批判である。手術という方法で、自分が親であるというだけで、自分の子ども
を少数派(ろう者)から多数派(聴者)に変えることが許されるのかという強
烈な問いかけである。「聴」と「ろう」はどのような関係にあるのか。
 ハーラン・レインは「聴者によるろう者社会の支配、再構成、ろう者社会へ
の権威の行使」24)を聴能主義(オーディズム)と規定し、ろう者・聴覚障
害者に関係する専門職者もこの聴能主義体制の一部であると厳しく批判してい
る。
 
4、人工内耳が真に活かされる環境

 9割のろう児は聴者の親元に生まれてくる。したがって多くの場合には聴者
の親がろう児の人工内耳手術を受けるか、否かの決断を下すことになる。ろう
児本人に代わって親がインフォームド・コンセントを与えることになる。圧倒
的な音声言語優位の環境の中で、どのような選択をするのか。こどものために
何が最善か親は迷う。
 子どもが2歳3カ月で髄膜炎により失聴し、3歳の時に人工内耳手術を受け
させた親は「手術までの7カ月の間、人工内耳の手術を受けることについても
じっくり考えました。まだ本人の意志で決めることができない年令なので、親
が勝手に決めてしまっていいのか?本人が選択できる年令まで手術を待つべき
ではないか?この子の人生を大きく変えてしまって構わないのか?後で本当に
良かったと本人が思ってくれるのだろうか?」25)と語っている。
 このような決断を迫られる親の数は人工内耳の普及につれて、ますます増え
る。その時にどのような情報が親、特に聴者である親に届くかが重要である。
 これまで日本では人工内耳は成人を主な対象としてきた。国際的には18才
以上の装用者が約6割であるのに対して、日本では18才以上の装用者が9割
近くを占めるという点が特色だった。そして日本の幼児の人工内耳手術例は非
常に限られてきた。96年末までで総計735人が手術を受けたが、4才未満
は10人である。26)しかし、今後は子ども、特に2、3才の幼児が対象と
なっていく動きが見える。
 オランダの社会学者であるスチュアート・ブルームは自らの二人のろう児(
当時7才と3才)に人工内耳手術を行わない選択をした。手話の重要性を認識
した結果である。ただ、人工内耳を完全に否定しているのではない。第2言語
としての音声言語の獲得の助けになるなら、ろう者社会も人工内耳を歓迎して
ほしいと述べている。27)ブルームのような選択が最善の結果をもたらすこ
ともありえるだろう。人工内耳を強制すること、逆に禁止すること、どちらも
望ましくない。
 小児医療に関するある研究会で、人工内耳に関して話をする機会を得た。そ
こでの一つの反応は、将来的に人工内耳の性能が向上した時点で、ろう者であ
る親であっても、自らのろう児に対して、人工内耳手術を行わない選択をする
のは許されなくなるというものだった。その研究会は不当な親の行為から、子
どもの人権を擁護するという立場から進められているが、このような議論には
心胆を寒からしめられる。「第3者が中立的な立場」から介入する場合に、そ
の第3者の中立的な立場が聴者の視点、聴能主義から自由である保障はどこに
もない。
 「言葉」というとこれまで手話は含まれていなかった。しかし、手話が「言
葉」の意味を変えている。これまで、言語習得というと音声言語ばかりが大切
にされてきた。日本では、ろう学校の教育でも手話が公的に認められたのは9
3年の文部省の「聴覚障害児のコミュニケーション手段に関する調査研究協力
者会議報告」に到ってからである。そういう状況がろう児にとって本当に望ま
しいのか、進展してきた手話研究を基に見直す作業が必要である。29)
 人工内耳と手話の関係で注目されるのは、フランスの「生命科学と医療のた
めの国家倫理諮問委員会」(CCNE)が94年暮れに出した「言語習得以前のろう
児への人工内耳手術に関する助言」と題する報告である。これは「CCNEは
現状での人工内耳の不確実性ー疑いもなくこれから長い年数、継続するーが続
く限り、子どもの認知の発達に悪影響を与えないよう、全力が尽くされなけれ
ばならないと信じる。音声フランス語の獲得は他の言語ー例えば手話ーを上手
に学ぶという経験を持っている場合にいっそう容易であるとする専門家の見解
に従い、当委員会は人工内耳手術を行う場合でも手話の学習を並行させること
で、子どもの精神的な発達と社会性の発達を保障することを勧告する。手話の
この面における有効性は明かである」としている。28)人工内耳手術を行っ
た場合でも、確実に言葉が身につけられるように、手話も並行して学ばせると
いう勧告である。
 従来伝えられることが稀であり、伝えられる場合には否定的に描かれてきた
ろう者の文化、ろう者社会に関する情報が特に聴者の親に届かなければならな
い。ろう児の親が人工内耳手術を求めるか否かを決める際に手話、ろう文化、
人工内耳の効用と限界に関して、広範で最新の情報と知識を得ることが不可欠
である。
 ここで強調したいのは、ろう者の組織による、ろう児の親、聴者である親へ
の積極的な情報提供、相談の役割である。こういった環境が整って、はじめて
人工内耳という技術が正当に活かされる。
 人工内耳という技術が真に活用される大前提として、ろう者と聴者、手話言
語と音声言語それぞれの関係、権力関係の見直しが不可欠である。


付記 本稿は「第12回世界ろう者会議に参加して <幼児の人工内耳手術を
考える>」『JDジャーナル』第15巻第7号、(95年10月)11頁、を
発展させた第8回生命倫理学会年次総会における発表に基づいている。


文献・注
1)ジューン・エプスタイン『人工内耳のはなし』学苑社、1992年、中西
靖子編訳
1)舩坂宗太郎『回復する聾』人間と歴史社、1994年
2)Lane, H. (1994) "The Cochlear Implant Controversy", WFD News, No 2
-3 (July 1994) pp. 22-28
3)舩坂前掲書
4)人工内耳友の会「コクレア社人工内耳装用者数の推移」『ACITA』、
1996年11月号 NO.35、59頁
5)『朝日新聞』1997年1月19日
6)日本コクレア『人工内耳ガイドブック』1995年、9頁
7)小木保雄会長、連絡先は〒228神奈川県座間市南栗原6ー8ー21
 なお同会による『よみがえった音の世界ー人工内耳を使用して』学苑社、1
992、も参考になる。
 聴者である私自身も失聴した場合には人工内耳を一つの選択肢として考慮す
るだろう。障害の世界に接することのメリットの一つは、様々な自助運動や本
人活動、また支援活動、サービスに触れて、「もしこうなったらあそこが頼り
になる」という人たち、グループを知ることにある。
8)人工内耳友の会「人工内耳の実態調査」1993年
9)木村晴美、市田泰弘「ろう文化宣言 言語的少数者としてのろう者」『現
代思想』1995年3月号、第23巻第3号、354ー362頁
 なお、同宣言、また、ろう文化運動から示されれている「ろう者は障害者で
はない」という主張に関する批判的私見は、拙稿「障害者はキズものか」『日
本手話学会会報』第53号(1995年)、6ー7頁もしくは、同じく拙稿「
<障害>の視点から見たろう文化」『現代思想』1996年4月臨時増刊「ろ
う文化」総特集号46ー51頁を参照されたい。
10)木村・市田前掲書、354頁
11)Padden, C. and Humphries, T. (1988) Deaf in America, Cambridge,
MA: Harvard University Press
12)上野千鶴子「差異の政治学」『ジェンダーの社会学』岩波書店、199
5年、1ー26頁
13)「海外のろうあ団体<8>ニュージーランド」日本聴力障害新聞199
6年12月1日号、第545号、11頁
14)WFD (1992) Statues of the World
Federation of the Deaf, WFD, Helsinki
15)Shapiro, J. (1993) No Pity, New York: Random House
16)長瀬修「ウガンダ新憲法」『福祉労働』96年夏号、第71号、70ー
71頁
17)"Sign Language in Slovakia" Disability Awareness in Action Newsl
etter 36, (March 1996), p. 3.
18)「障害者の機会均等化に関する基準規則」長瀬修訳、日本障害者協議会
、1995年
19)Lane, H. (1984) When the Mind Hears, New York: Random House
20)Aoki, K. and Feldman, M. W. (1994) "Cultural Transmission of a S
ign Language When Deafness is Caused by Ressesive Alles at Two Indepen
dent Loci", Theoretical Population Biology, vol. 45, no. 1 (February 1
994)pp. 101-120.
21)Lane, H. (1994) "The Cochlear Implant Controversry", WFD News, N
o.2-3 (July 1994), pp.22-27.
22)Dプロ「人工内耳とデフコミュニティ」『D』第9号(1994年3月
)1ー3頁
 高田英一「第十二回世界ろう者会議報告」『JDジャーナル』第15巻第9
号、4ー5頁
23)"Resolution of the XII World Congress of the World Federation of
the Deaf"WFD News, 1995 No.2 (November 1995) p.12
24)Lane, H. (1992) The Mask of Benevolence, New York: Knopf
25)「子どもの広場」『ACITA』35号、1996年11月号、53ー
54頁
26)朝日新聞1997年1月19日
27)スチュアート・ブルーム「人工内耳手術」『第12回世界ろう者会議報
告書』70ー77頁
28)正高信男「聴覚障害児の言語獲得と手話」『手話コミュニケーション研
究』第20号(1996年5月)、3ー8頁
29)スチュアート・ブルーム「人工内耳に関するフランスの動き」『みみ』
第71号、(1996年春)長瀬修訳、38頁



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