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カリフォルニアの光と闇――世界から・5

長瀬 修
19970625
『季刊福祉労働』75



 「バークレー詣で」とでも呼ぼう。米国の自立生活運動の発祥の地であるカリフォルニア州バークレーへ世界各地から、とりわけ日本から多くの障害者、障害関係者が詰めかける現象である。同地の自立生活センター(CIL)を訪問した日本人は多い。私自身も八七年の第二回日米障害者協議会でバークレーを訪問している。
 CIL以外でも、バークレーには障害者の権利擁護に取り組む「障害者の教育と人権擁護基金」(DREDF)があり、隣接するオークランドには故エド・ロバーツが創始者である「世界障害研究所」(WID)がある。アクセスや権利擁護の取り組みでカリフォルニア、バークレーは先進的であり、学ぶことは多い。世界の障害者の首都と呼ばれるのも不思議ではない。
 しかし、バークレーのあるカリフォルニアはもう一つの顔を持っている。それは米国の優生運動の伝統的な中心地であることだ。今世紀初めに米国で盛り上がった優生運動は、1907年にインディアナ州で全米初の強制的断種法制定をもたらした。カリフォルニア州もすぐに続いている。
 昨年、日本では優生保護法が母体保護法についに改正された。改正に向けての議論の中でも、優生保護法の前身の国民優生法(41年施行)はナチスドイツの33年の断種法にならっている点が強調されてきた。しかし、そのドイツの断種法自体が米国の断種法、特にカリフォルニア州の断種法に強い影響を受けたものである点はなぜか、あまり取り上げられてこなかった。
 「カリフォルニアに学べ」がドイツの優生運動の合い言葉だったのである。米国、特にカリフォルニアの優生運動はドイツと連携していた。米国の優生運動がドイツの優生運動を戦前に賞賛していたことを忘れることはできない。
 なお、米国の優生運動は外交面にも影響を与えた。日本の対米感情を悪化させた、1924年のいわゆる排日移民法の成立は西欧、北欧以外の人種を排斥する目的を持ち、、移民を「血統への長期的投資」としてとらえるべきであるとしたアメリカ優生協会の主張が色濃く反映されている。
 戦後もカリフォルニア州をはじめとして米国で断種は継続し、現在に至るもカリフォルニア州を含む二二州で断種法が存続していることである。また、障害学会(SDS)会長を務めるサフォーク大教授のデビッド・プファイファーによれば、三八州とコロンビア特別区では知的障害者の結婚が禁止もしくは規制されている。
 子どもを養子に取り、その子に発達に関する深刻な障害があると後で分かった場合に、養子縁組みを破棄することができるのは米国でもカリフォルニア州だけである。障害の状態が養子にとる前から存在し、養親がその状態を知らなかった場合に、縁組み成立五年以内ならば、その親は裁判所に養子縁組みの無効を訴えることができる。 出生前診断のスクリーニングに関する情報提供を義務づけているのも、カリフォルニア州である。出生前診断により障害児の出生が減り、おかげで州の経費が浮いたと公務員がテレビのインタビューで公言するのはカリフォルニアならではか。
 障害の問題を医療的に解決しようという傾向が米国では強い。それが最も顕著なのが、カリフォルニアである。まさにそのカリフォルニアが障害者の権利、アクセスに先進的な取り組みを行っていることをどう受けとめるのか。
 日本からカリフォルニア、米国を見る際にどうもいただけないのは、こういう面になかなか目が行かないことである。「福祉先進国である米国」などという驚くべき記述をたまに目にするが、第1期クリントン政権が最重要課題として取り組んだ医療保険改革が挫折し、米国は今も国民皆保険が保障されていない珍しい工業国(先進国)である。そのため、多くの障害者は医療保険に加入できない、もしくは加入できる場合でも法外な保険料を払わされるという状況が続いている。
 他国を見る際に必要なのは、自国に関するのと同じだけの<疑い>の気持ち、健全な懐疑心である。自国ではスローガンや「たてまえ」に対して健全な疑問を持つ人が、外国、とりわけ欧米となると急に無防備になってしまうのは不思議な現象である。欧米崇拝傾向が最も強烈に現れているのが、日本の障害分野かもしれない。
 カリフォルニアに学ぶことは多い。しかし、まばゆい光に目を奪われて、カリフォルニアひいては米国が持つ闇から目を背けてしまってはならない。光と闇、その両面を直視したい。

REV: 20161229
アメリカ合衆国
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