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希望としての南アフリカ
―世界から・第4回―
長瀬 修
『季刊福祉労働』74(19970325)
あのネルソン・マンデラがアフリカ民族会議議長として南アフリカ共和国の大
統領なのかと感慨にふけってしまうことが今でもある。
27年間を政治犯として獄中で過ごしたマンデラが90年2月に釈放された時
は、劇的という言葉では表現できないほどの衝撃だった。前年に国民党党首に就
任したフレデリック・デクラークによる大きな決断だった。黒人の闘い、国連を
中心とする国際社会の制裁、冷戦の終結、様々な要素がアパルトヘイト(人種隔
離)政策を終結に追い込んでいく。
アパルトヘイトを身近な問題として初めて感じたのは、83年から86年まで
、日本政府派遣の青年海外協力隊員としてケニアのジョモ・ケニアッタ農工大で
活動した時だった。63年の独立前に英国植民地だった時代にケニアでもアフリ
カ人は身分証明書の保持が必要だったこと、首都ナイロビもヨーロッパ人地区と
アフリカ人地区に分けられていたことなどを耳にした。その名残はまだ見受けら
れた。
ケニア国内の報道でもアパルトヘイトは常に詳しく報じられていた。新聞、ラ
ジオ、テレビどれもがそうだった。アパルトヘイトの報道に接すると、同僚や学
生がチッチッと舌打ちをしていたのを思い起こす。
ケニア政府のアパルトヘイト批判には、ケニア国内の圧政から目を逸らさせる
意図もあったにはちがいない。日本を含む西側援助供与国からの圧力で、ケニア
のダニエル・アラップ・モイ政権は92年末に複数政党制による初の大統領選挙
と総選挙を実施に追い込まれている。しかし、私にとってはいずれにしろ、アパ
ルトヘイト関係の情報に接する格好の機会だった。
解放運動時代のアフリカ民族会議(ANC)は英国のロンドンからニュースレ
ターを発行していた。私もケニアから帰国してから購読していた。あまり真剣に
は読んでいなかったが、ANC自身に対する批判をも掲載する編集方針には強い
印象を受けたものだった。そのような柔軟で批判が受け入れられる姿勢を持つA
NCなら、万一、政権に就いても排他的にならずに、白人との和解が進められる
のではないかと考えたりもした。
ANCに関しては、国連事務局障害者班に勤務していた際のウィリアム・ロー
ランドとの出会いも心に残る。ローランドは国連に認定された解放運動、ANC
の代表として93年10月にオーストリアのウィーンで開催された「障害者の機
会均等化に関する基準規則」(機会均等基準)の第3回作業部会に出席していた
。ANCの代表が白人だったのには内心、驚いたものだった。「人種を問わない
」という原則をANCは自ら実行していたのである。
時間が少し前後する。87年から88年にかけて障害者インターナショナル(
DPI)が南アの障害者組織である南アフリカ障害者組織(DPSA)の加盟問
題で揺れるできごとがあった。当時はDPI世界評議員で後に世界会長を務める
隣国ジンバブエのジョシュア・マリンガが、DPSAは反アパルトヘイトの解放
運動であり、黒人が主導権を握っていると主張し、DPSAが何らかの形でDP
I内に地位を持てるようにと訴えたのである。マリンガはアパルトヘイト体制下
の南アの方が、自国のジンバブエを含む他のブラックアフリカ諸国よりも障害者
分野での取り組みを真剣に行っているとも語っていて、印象的だった。この時に
は「南アフリカ」という名称が問題となって、DPSAのDPI加盟は結局棚上
げとなった。
南ア国内で「非合法黒人解放組織」(朝日新聞)だったANCが東京事務所を
開いたのはこの時期、88年5月である。ANCが90年代前半に政権与党にな
るとは夢にも思えなかった時代だった。私が副会長を務めていた青年海外協力隊
神奈川県OB会ではANC支援の意味もこめてジェリー・マツィーラ代表を招い
て高校等で講演会を数回開いた。折々に同代表は「アパルトヘイトの終わりは近
い」と熱っぽく語っていたが、私は真に受けたことはなかった。それほど白人支
配体制は磐石に映っていた。
しかしその後、驚くべき急展開でアパルトヘイト制度は撤廃されていく。90
年の反アパルトヘイト組織合法化、マンデラ釈放に引き続いて、91年には人種
差別関係法が全廃される。94年5月の全人種参加の総選挙を経て、国民統合政
府が樹立され、ANC議長のマンデラ大統領と国民党党首のデクラーク副大統領
(96年6月に辞職)が選出される。(カンボジア総選挙に引き続いて、この選
挙にも国際要員として志願したが、かなわなかった)
あれだけの血なまぐさい体制が、その終末を平和に迎えたのは奇跡に近い。盛
り上がる解放勢力を抑え、まとめあげる人望を持つマンデラと、極右をも含む白
人勢力にアパルトヘイト撤廃をのませたデクラーク、この二人のどちらかが欠け
ていても、新生南アの平和的誕生はなかっただろう。英雄だけで歴史は動かない
。しかし、個人が傑出した役割を果たす場面も確かにあると思わせた二人である
。
この南アフリカで新憲法が96年5月、制憲議会により採択され、本年2月に
施行される。新憲法は前文で「我々の過去の不正を認める」、「南アフリカは、
多様性の中に統一性を保ち、南アフリカに住む全ての者に属すると信じる」、「
過去の対立を癒し、民主的価値、社会正義、基本的人権に基づいた社会を築く」
としている。
第1章は基本原則を取り上げ、「人間の尊厳、平等の達成、人権と自由の促進
」を基本的価値として位置づけ、「人種差別主義と性差別主義」を否定している
。94年の総選挙で選出された下院議員の約25パーセントが女性である。
第2章は権利の章典で、「平等条項」が盛り込まれている。第2章第9条で「
人種、ジェンダー、セックス、妊娠、婚姻上の地位、民族的・社会的出自、肌の
色、性的指向、年齢、障害、宗教、良心、信念、文化、言語、出生」などを根拠
にして、国家と個人は直接的にも間接的にも差別してはならないと規定している
。
障害(ディスアビリティ)を取り上げている点に加えて、ジェンダーとセック
スを共に記述しているのが特に注目される。ジェンダーは社会的・文化的な性別
であり、セックスは生物学的な性別である。これを区別するのは、性差が社会的
、文化的に形成され、可変的であるとして、性差を相対化するフェミニズムの認
識に基づいている。どちらか一方でなく、両方を明記してある憲法は稀だと思わ
れる。
言語に関しては前述の差別禁止以外にも、第1章第6条で英語、アフリカーン
ス語など11言語を公用語として認定し、同条第5項で公用語などと並んで手話
の「発展と使用のための環境を促進し、作り出す」ための全南ア言語会議の設置
を規定している。
本連載の第1回(71号)で紹介した同じアフリカのウガンダ新憲法に続いて
、南アの新憲法でも障害と手話に触れてあるのが嬉しい。
さて、前述のローランドは雇用率等、日本の障害分野の政策にも関心が高く、
機会均等基準のNGO専門家集団に世界盲人連合を代表する専門家として活躍し
ている他、南ア盲人協会(SANCB)の事務局長である。同協会は視覚障害者
と視覚障害者関係者の団体であり、コサ語で盲人を意味する Infama という機関
誌を隔月に英文で発行している。点字版、テープでも入手できる。同誌の96年
2月号には、憲法制定会議からの支援もあって、新憲法の草案は点字版が準備さ
れ無料で配布されたとある。また、南アの社会・経済政策の基本文書である「復
興開発計画」(RDP)施策にも障害者の機会均等政策が盛り込まれると報じら
れている。同誌96年4月号では新会長としてインド系南ア人の就任が取り上げ
られている。
視覚障害に関して、南アのみならず、近隣の南部アフリカ諸国そして国際的に
も世界盲人連合の動き等も折りに触れ取り上げられていて興味深い。同協会の連
絡先は次の通り。
South Africa National Council for the Blind, P.O. Box 11149 Brooklyn0011
Pretoria, South Africa
Tel: 012-346-1171
Fax: 012-346-1177
アパルトヘイト制度は撤廃され、新憲法も整うなど、新生南アの歩みが始まっ
ているが、日本人としては「名誉白人」という真に屈辱的な待遇を受けてきたこ
と、またアパルトヘイト時代の南アと日本が最大の貿易相手国だった時期もあっ
たこと、共に忘れられないことである。
ソマリアやルワンダ、リベリアをはじめとしてアフリカのニュースは相変わら
ず暗いものが多い。それはアフリカの苦しい現実の反映である。だからこそ南ア
の動きは南ア以外のアフリカ人にとっても大きな希望をもたらす。
アフリカ人の「アフリカ人」としての意識はアジア人とは比較にならないほど
強い。黒人意識運動の指導者で惨殺されたスティーブ・ビコを描いた映画「遠い
夜明け」でも効果的に用いられた南アの新しい国歌のメロディーはタンザニアや
ザンビアと同じである。アフリカを讃える歌詞は各国の言葉で歌われている。ア
ジアで同じメロディー、同じ歌詞を複数の国が共有することはまず考えられない
。それだけ「アフリカ人」というアイデンティティは強い。その意味で、南アの
発展は他のアフリカにとっても大きな意義を持つ。
南アのアパルトヘイト撤廃への歩みを同時代史として見守ること、そしてその
歩みに本当にささやかながら参加することができたのは、この時代に生きる醍醐
味の一つにちがいない。
南アフリカの歩みは、障害分野に関する者にも示唆と希望を与えてくれる。ア
パルトヘイトを経験した国、人々だからこそ、様々な差別を乗り越え、障害を含
む多様な<文化>が共存できる社会が作り出せる。南アフリカはそんな希望を持
たせてくれる。
(文中敬称略)
◇南アフリカ
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