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障害の世界で:障害者・非障害者の関係――世界から・2

長瀬 修
19960925
『季刊福祉労働』72



 6月13日から16日まで米国の首都ワシントンで開催された障害学会(Society for Disability Studies)第9回年次総会に14日と15日に参加した。初めての同学会総会への出席だった。
 米国のこういった会議らしく、障害者自身の参加が非常に目についた。しかし、これは逆の視点から見れば、「非障害者の参加が非常に目についた」という表現ができる。どの視点から着目するのかという問題である。「コップの半分しか水がない」と見るか、「コップの半分も水がある」と見るかである。
 日本ではあまり感じることがないが、特に米国では、障害(者)関係の会議に非障害者の私が出席する際に、どことなく肩身が狭い気がする。なぜ、障害者じゃない人間が出席しているのか、という暗黙の圧力を感じる。これは外部から見えない、精神障害や内部障害の人たちも多分、感じていることだろう。私の場合、米国の会議の場合では<差異>としてのアジア系の容貌が少しは、そういう圧力を和らげるのに、役立っているかもしれない。
 「場違い」という感覚では、特に女性関係でも感じることがある。昨年暮れまで在籍していたオランダの社会研究大学(ISS)で「女性と開発:政策と戦略」という副専攻に登録した男性は私だけだった。授業である時、家父長制の話となった時に、冗談半分かもしれないが、ある女性が私を指さした。(その女性に)がっかりしたのを思い出す。
 障害分野での非障害者の役割は、昨年の総会に引き続いて、今年の総会でも話題となった。過去に障害学会等で活躍していた人たちが、「非障害」ゆえに学会から離れるという現象が、今年の総会では報告されていた。障害学に関するパネルディスカッションでも、障害者自身の視点の正統性を強調する意見と、障害の有無にかかわらず、正しい視点を重視する意見の両方が出され、私の見る限り、結論は出なかった。
 障害学会の季刊の学会誌 Disability Studies Quarterlyの96年冬号が、「運動のリーダーシップ」というタイトルで、障害分野における障害者と非障害者の役割を取り上げている。(注1)サラ・ワトソンという非障害の研究者とボニー・オデイという障害のリーダー、共に女性が原稿を寄せている。紹介文によれば、ワトソンは著名な障害政策研究者、著者、権利擁護者だが、障害分野での非障害者の役割に関する葛藤から、障害分野から離れてしまっている。
 ワトソンは、ある障害者活動家が彼女の論文を読んで、素晴らしいと評価したが、ワトソンが障害者ではないと知るとショックを受け、評価を取り消そうとしたという例や、障害学会の会議で、障害学会の創設者の一人である非障害の統計の専門家がパネルディスカッションに参加したら、障害もないくせにと嘲笑された例をあげている。肝心なのは障害者であることなのか、それとも障害者の権利を支持していることなのかと問う。今年の米国の大統領選挙を具体的なケースとし、自ら肢体障害を持つボブ・ドール共和党候補と、障害者政策に一層、積極的なビル・クリントン現大統領という選択で、米国の障害者は何を基準にどちらに投票するのだろうかと問う。
 ワトソンの主張の核心は「生理的なものが、どちらの場合であっても運命であるべきなのか」(注2)つまり、障害者として烙印を押され社会的不利を受ける場合と、非障害者として烙印を押され、障害分野での活動に制約を受ける場合、どちらの場合でも生理的なものが決定的な役割を果たしていいものかという疑問である。
 自分の姉妹が重複障害を持つワトソンは障害に関する研究を発表する際に、家族の障害に関して触れるべきかどうか迷う。家族の障害は「錦の御旗」ではないという指摘を活動家から受けている。
 簡単な答は見つからないとワトソンは言う。心の底から運動を支持するが、非障害の自分の場所が見つけられないのが悩みだと。
 複数の自立生活センターの所長を務めた経験を持ち、全米障害者評議会の一員である視覚障害のオデイは、障害者には障害関連の仕事に従事する機会しか開かれていないのが問題だとする。そして、その障害関連の仕事ができる最善の人物だからではなく、その仕事ができる最善の障害者だから、その仕事に就いているという偏見を取り上げる。障害分野は全体として障害者を多く含むべきであると共に、非障害者、特に権利擁護を強く意識している非障害者は指導的地位を許されるべきであるというのが、オデイの結論である。
 障害分野での非障害者の役割に関する疑問は、障害者そして、自らは非障害で、障害(者)に関係する者の多くにより共有されている。私自身も考えさせられてきた。
 当事者という言葉がある。障害分野では、障害者という意味で当事者という言葉が使われることが多い。しかし、障害分野での当事者という表現は誤解を招きやすいので、私はできるだけ避けるようにしている。なぜなら、例えば、障害児の親は、子どもが持つ「障害」の当事者であると感じる。親と子の一体感の強い日本では特にそうである。
 それに非障害者は確かに直接の当事者ではない。しかし、障害の問題に社会的側面が大きいという理解、社会における障害者と非障害者の政治・力関係が問題であるという理解のもとでは、非障害者もまさに当事者である。
 男性、女性の関係を例にとろう。性別分業等の性に関する問題を、単に「女性の問題」として考えるのではなく、社会的性であるジェンダーの問題として考える見方が浸透している。ジェンダーの視点からは、男性も当然ながら、当事者である。
 ジェンダーの視点は男性と女性の社会的な関係に焦点を当てるために、「女性の問題」としての取り組みよりも根源的なアプローチであるという見解がある。(注3)これに対しては、出発点だった「女性の問題」がないがしろにされるという危惧から、男女両方に関するジェンダーという視点よりも、「女性」という視点を強調する一種の揺り戻しも既に見られる。
 その危惧は理解できる。その危惧を無視するのではなく、重要な指摘として留意しながら、ジェンダーの視点から、男女の社会的な性別役割を見直すべきである。
 同様に、障害の世界でも、障害の問題を社会的に理解すればするほど、障害の世界での障害者の中心性は逆に弱まる。ある面では弱まるべきである。個人の身体的、精神的問題ではなく、損傷や機能的制約を持つ人に対して社会的不利をもたらしている社会の構造・環境こそが問題であるという視点への移行は、社会構成員全体の問題であるという視点への移行でもある。
 さらに前提として、ある社会問題に自分との関係性を見いだせるかどうか、つまり自分が当事者であるか考えるかどうかは、その人の視点のあり方、関係のとらえ方による。様々な社会問題に、関係がないと言おうと思えば、多分言える。広い意味での関係があると言えば、間違いなく言える。つまり、誰もが少なくとも広義の当事者でありうる。例えば、ボスニア・ヘルツェゴビナやルワンダの問題を関係ないと考えるか、関係があると考えるかである。
 障害者自身の声が政策に届きにくい現在の日本では、このような障害分野の障害者・非障害者の役割という議論は時機尚早にとられるかもしれない。日本の政治や行政の世界で、障害者は完璧な少数派である。日本の場合には例えば米国と比べて、障害者自身の中心性が一層、強化される必要がある。政策決定の場で、障害者基本法により、障害者の声を政策に反映する仕組みが多少は強化されたが、未だにあまりにも弱い。
 しかし、あるべき姿を構想する際に、障害分野での障害者と非障害者の関係を常に意識しておく必要がある。
 先日、人権に関する市民大学講座担当の大学教員から、障害者の人権に関するコマで話をするように頼まれた。障害者自身からの方がインパクトがあると判断して(少なくともそのつもりで)、障害者組織の事務局勤務の障害者を推薦した。その判断の中に、障害に関する分野での「障害者優越」という「政治的正しさ」(ポリティカル・コレクトネス)の考慮が含まれていなかったと言い切る自信はない。
 障害者自身の運動が障害者だけで構成されるのは至極当然である。女性組織が女性だけで構成されるのと同じである。
 しかし、障害に取り組むのは障害者だけではないし、障害者だけであってはならない。
 社会的不利を含め、障害の体験を個人的に持つことには特別な意味がある。自立生活運動や、障害文化運動が訴えているのはまさにこのことである。
 「障害者が障害の専門家である」ことである。「障害者でもできる」ではなく、「障害者だからできる」ことの筆頭には、障害差別をなくする運動、障害者の人権に関する運動がくる。米国の自立生活運動の父と呼ばれる故エド・ロバーツの「私を歩けるようにしないでくれ・・・そうなったら失業だ」(注4)という発言は、そういう意味である。
 しかし、それは「障害に関する取り組みを行えるのは障害者だけ」という逆の意味での決定論ではないし、そうあってはならない。

(1) Watson, S. (1996) "Movement Leadership", Disability Studies Quarterly, (winter 1996), pp.26-30
(2)前掲書
(3)Moser, C. (1993) "Gender Planning and Development", Routledge
(4)Shapiro, J. (1995) "Others Saw a Victim, but Ed Roberts didn't", U.S.News and World Report, March 27 1995, pp.6-7



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