(アイデンティティ)
アイデンティティについて触れたが、例えば英語でthe disabledという表現は障害だけが強調されるという理由で障害者からは忌避され、「人」を主体にした people/persons with disabilitiesもしくはdisabled people/personsが用いられているが、世界ろう連盟の名称はThe World Federation of the Deafであり、「ろう」を自らの最大のアイデンティティとしている。これはピープル・ファーストなどに代表される「障害はあくまで属性の一つに過ぎない」という考えと対極にある。
なお、一部のろう者の「我々は障害者ではない」という発言には微妙な側面がある(長瀬、1995)。障害分野ではこれまでも、精神と身体、傷痍軍人と障害文民などがともすれば摩擦を起こしてきた経緯がある。ろう者の動きもその延長線上に見られがちである。障害者インターナショナル(DPI)発足当時に大きな役割を果たし、英国DPIの初代会長を務めたフィンケルシュタインの「我々は障害者じゃない。あなたたちこそ障害者だ」(Finkelstein,1990)などが障害者の立場からの反論の典型例である。ろう者の言語・文化的性格を充分には考慮せず、ろう者の動きを社会的差別を受ける「障害者」から距離を置こうという単なる戦術にとみなしている。
しかし「手話」という言語を武器としたろう者の新たな動きがこれまでの「障害者運動」、「障害」という枠組みを通じた取り組みの限界を明らかにするという直感的な危機感が背景にあるように感じる。限界という言葉は不適切かも知れないが。言語・文化集団であるという戦術の方が効果的という判断を多くのろう者が下しつつあること自体が「障害」の枠組みへの否定的評価であると言ってもいいのかもしれない。
どのようなアイデンティティを選択して行くかはいずれにしろ、ろう者自身にかかっている。DPIをはじめとする障害者運動は「我ら自身の声」を訴えてきた。ろう者も同じように自分が「だれ」であるか、自ら決定するであろう。
引用文献(和英順)
木村晴美・市田泰弘(1995)「はじめての手話」日本文芸社
木村晴美・米内山明宏(1995)「ろう文化を語る」「現代思想」第23巻第3号(1995年3月)363ー392頁
長瀬修(1995)「障害者はキズモノか」「日本手話学会会報」第53号(1995年5月)6ー7頁
Finkelstein, V. (1990) "'We' Are not Disabled, 'You' Are", Constructing Deafness, The Open University, pp. 265-271
Lane, H.(1995) "Constructions of Deafness",Disability & Society, vol.10, No. 2, pp.171-189.
Lane, H.(1992) The Mask of Benevolence, Knopf.
Preston, P. (1994) Mother Father Deaf, Harvard University Press.