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言語・文化集団としてのろう者――オランダ便り・1

長瀬 修
19941225
『季刊福祉労働』65



 2年間強の国連事務局障害者班勤務(ウィーン、ニューヨーク)を終え、この9月からオランダはハーグの社会研究大学(略称ISS)で開発問題(南北問題)をテーマに院生を始めたところである。妻と娘二人(4才と1才)が一緒にいてくれるので心強い。
 編集部からの依頼で「オランダ便り」を本号より掲載させて頂くこととなった。とは言ってもオランダや欧州の事情に明るくないので、あくまで「オランダ発」の便りとさせて頂く。

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 十月一日から四日までドイツのハンブルクで「第二回ろう者の歴史に関する国際会議」が開催された。第一回は九一年の夏に米国のギャローデット大学で開かれている。主催は第一回時に結成された「ろう者の歴史インターナショナル」とハンブルク大学のドイツ手話センターである。参加者は圧倒的にろう者が多かった。
 「ろう者の歴史」は手話と並んで「文化・言語少数派」としてのろう者社会のアイデンティティの中核をなすものであり、現在、一つの研究分野として花開きつつある。スウェーデンに続いて英国でも今年に入って「ろう者の歴史学会」が発足した。この会議でも「学問としてのろう者の歴史」が大きく取り上げられた。
 「文化・言語集団としてのろう者」という主張は特に欧米を中心に広まっている。ろう者を手話という言語、文化という絆により結ばれた集団、一種の「民族」であり、その言語・文化は尊重されねばならないとする主張である。「聴覚障害者people with hearing impairment」という名称を否定し、自らを積極的に「ろう者」であると名乗るである。英語では民族名を含む固有名詞の始めの文字を大文字にする習慣があるが、それにならってdeafではなくDeafと記す。
 特に八八年のギャローデット大学革命(聴者の学長選出に対して、ろう者の学生が抗議活動を起こした結果、初めて非聴者が学長になった)以来、ろう者社会の意識は明らかに高揚しつつある。 
 なお、ここでいう「ろう者」とは「耳が聞こえない状態」により定義されるのではなく、「視覚言語である手話を共有する」点により規定される。中核になるのは、両親が共にろう者であるろう者である。つまり、手話言語のネイティブ・スピーカーである。この文化・言語による定義では、「耳か聞こえない状態」にあっても、手話を解さない人は「ろう者」(Deaf)ではない。逆に両親がろう者である聴者も、ろう者社会の少なくとも周辺部には含まれるとする解釈もある。
 言語・文化としてのろう者という発想は国際的に広まりつつある。本誌63号にも掲載された「障害者の機会均等化に関する基準規則」の教育に関する規則(規則6)の中に「文化」に触れる記述が以下のようにある。

 ・・・ろう者もしくは盲ろう者の効果的コミュニケーションと最大限の自立をもたらす、文化に配慮した教育に特別の注意を寄せる必要がある。

 ハンブルクの会議では所沢リハセンターの手話通訳専門職員養成過程教官の鳥越隆士博士が「離島の聾者の生活史:不就学者を中心に」という発表をされた。鳥越さんには帰路、ハーグにも寄って頂き、いろいろ話を伺う機会を得た。この類の会議は欧米中心になりがちなので、アジア・日本からの参加は本当に嬉しい。
 日本でも昨年(93年)の5月に結成されたDプロが「言語的少数派」を掲げ、機関誌「D」発行や「ザ・デフ・デイ」などの活動を行っている。連絡先は米内山明宏代表(〒174東村山市秋津町2ー22ー1ー1001、FAX0423ー96ー5811)。
 ろう教育や手話通訳の位置づけなどを考えても、「文化・言語集団としてのろう者」モデルは非常に有効ではないだろうか。ろう者分野は非常にダイナミックが動きが現在進行中である。単に「障害」とは何かという点だけをとっても、この動きが障害分野全般にとって持つ意味は決して小さくない。

季刊「福祉労働」NO.65、1994・1995年冬号 1994年12月(現代書館:東京都千代田区三崎町2ー2ー12電話03ー3262ー5906、ファックス03ー3261ー0778)


REV: 20161229
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