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障害者家族の父親のケアとジェンダー
−障害者家族の父親の語りから―

中根 成寿 200503 『障害学研究』1号:158-188



要旨

本稿は障害をもつ子どもの父親の会での聞き取り調査と父親の会での参与観察に基づく質的データにより、障害者家族の父親のケアとジェンダーについて記述することを目的とする。従来の障害者家族の先行研究は障害者家族のおかれた社会的構造を明らかにしてきたが、親のジェンダーが母親に偏っていた。父親の役割は「一家の稼ぎ手」に縛り付けられ、父親がケアや子どもについてどのような意味づけや不安をもっているのかという声は拾われていない。本稿では、成人期を迎えた障害をもつ子の父親の語りから、親のケアに対する願望と現実の齟齬を考察し、今後のケアの方向性について展望した。その結果、「母親との関係」「家族依存介護の限界の認識」「予測可能性の高まり/低下」「ケアリングの諸局面」の4つの分析カテゴリが浮上した。父親たちは、男性性を揺さぶられつつケアに携わっているが、同時にそれとの摩擦も経験している。しかしこの摩擦は、解決すべき摩擦と言うよりもケアを分節化し、ケアの意味の多様性を考えるきっかけとなっている。コミュニティケアが当たり前となる社会において、「施設か家族か」という二項対立は過去のものとなり、親と子を取り巻く社会との関係がより先鋭的に問われることになるだろう。本稿をその端緒としたい。


キーワード

障害者家族、父親、コミュニティケア、権利擁護


I. 本稿の目的

 本稿は障害をもつ子どもの父親の会での聞き取り調査と父親の会での参与観察に基づく質的データにより、障害者家族の父親について記述することを目的とする。近年、障害者家族に関する社会学的研究は増加する傾向にあるが、父親へのアクセスの困難性などから、母親への研究に大きく偏っているのが現状である2)。また障害者家族のライフサイクルの観点から先行研究に注目してみると、子どもの幼児期〜学童期の研究は盛んであるが、子どもが成人期を迎え、親が老いてゆく段階に注目した研究は未だ少ない。

以上の背景を基に、本稿では障害者家族の父親の語りに注目する。特に子どもが成人期を迎えつつある父親への考察を中心に行う。障害者家族においても父親は子どもや家族との関わりが希薄だとされてきたが、それが量的な少なさなのか、それとも関わりの質的な異なりが従来の分析枠組みからは「希薄」と映るのか、どちらだろうか。またケアという行為と「男性性」との関係についても併せて考察する。もちろん、本稿は「障害者家族の父親とは〜である」という結論を出せる段階のものではない。本稿の目的は、まず父親たちの経験や語りから父親自身、ひいては障害者家族を語る言葉を増やすこと、さらにそこから将来的な障害者家族のケアのあり方を考察することの二点である。

本稿は障害者家族の父親たちの語りを分析対象とするが、こうした手法を筆者は「臨床社会学」的手法と考える。臨床という言葉は治療、援助を想定させる。「臨床社会学」は「臨床する(ことに役に立つ)社会学」なのか、「臨床についての社会学」なのか、の二種類あると立岩(2001:172)は指摘する。筆者の立場は後者である。筆者は「臨床社会学」をこれまで書かれてこなかったこと、または本来の意図とは異なっていたり、過度に単純化されて言われてきたことを、社会学の立場から記述し分析する学問であると捉える。本稿における臨床社会学的取り組みとは、障害者家族における父親の語り(書かれてこなかったこと)を拾い、脱家族の目的のために親の葛藤をあえて単純化した自立生活運動の文脈では描かれなかった親の葛藤を記述することである。こうした記述の実践が実際の制度作りや実践に役に立つこともあるだろうし、すぐにはそうならないこともある。だが臨床社会学が社会学の特性である「関係性」からアプローチすることの重要性を訴え続けることは、問題を固有の家族に特有のものとしないために必要なことである。


II. 障害者家族における父親研究の先行研究

1. 障害者家族研究の立場から

要田(1999)や石川(1995,1999)らの研究は、障害者家族のおかれた社会的構造を明らかにした。土屋(2002)の研究はその社会的構造を実証的に検証し、障害者家族研究に厚みを与えている。要田や石川らは、障害児の親が社会規範や自己の中にある「健全者の論理」(要田 1999:18)によって陥りがちな状態を「障害児の親アイデンティティ」と名付けた。また岡原は自立生活運動において展開された脱家族論を整理し「障害児の親アイデンティティ」が障害をもつ当事者に抑圧的になりうることを指摘した(岡原 1995)。

以上の障害者家族研究は「障害児の親アイデンティティ」を始めとする親の行動や意識が、主に愛情と保護をもとに行動する母親のアイデンティティをもとに構築されていることに自覚的でありつつも、父親については未だ体系的な整理を行っていない。このことを指摘した土屋(2003)が障害者家族の父親研究に先鞭をつけたと言えるだろう。

海外研究においてはTraustadottir(1991)やRead(2000)が障害者家族のジェンダーについての考察を行っている。これらの調査では父親は経済的に家族を支える、または母親のサポーターとしての役割を担っていることが指摘されている。また、統計的なデータを基にダウン症児の父親と母親の健康状態の自己認識の調査をしたものとしてHedovら (2000)があげられる。この調査において、父親は母親と比較して身体や精神の健康は高い一方、「弱さ」や「感受性」といった感情の表出が困難であるという結果が出ている。

2. 父親研究の立場から

父親研究には、柏木編(1993)、牧野他編(1996)をはじめとする蓄積があるが、障害者家族における父親研究に関しては先述の土屋(2003)が先鞭であるといってよい。しかし、春日(1989:33)の父子家庭の研究は、障害者家族において父親の課題となりがちなCash(収入)とCare(介助・配慮)との関係に援用できる。父子家庭が抱える困難性は「男親」であることと「職業人」としてあることの両立の難しさとして提示される。現在の日本の男性労働者の環境は親としての男性を想定しておらず、親として生きようとすると、父親は経済的にも精神的にも追いつめられる、と春日は指摘する。これは「父子家庭は母子家庭よりも経済的に恵まれている」という社会の一方的な思いこみを当事者たちが否定するやりとりから描き出される。本稿では、障害をもつ子の父親の労働とケアの両立の困難さを提示するが、これは春日の発見に大きな示唆を受けている。

また男性学による父親研究は、このCash&Careを重要な課題として設定している(Hobson& Morgan 2002:14)。これらの研究は、男性の役割(特に離婚などで同居していない父親の役割)が福祉国家によってCash、つまり養育費を稼ぐことに強く規定されていることを批判する(Aldous&Mulligan 2002)。子どもの成長に金銭面以外で関わる、つまりCashだけではなくCare役割への願望が離婚後の父親からあがっている。具体的には、面会権(Visitation)などの要求から始まる事が多い(Gavanas 2002)。しかし、実際はケアに参加したくても労働環境やジェンダー規範などにより、男性がケアに関わることに一定の困難さがある3)。父親がケアに協力的になることはもちろん理想的なのだが、労働環境やジェンダー規範と折り合いをつけながらいかにしてケアに参加できるだろうか。父親研究と障害者家族の父親が抱える問いはこの点で重なる。なお、男性学が言うケアとは直接的な世話だけではなく子どもに配慮したり、責任を持つという広い意味で捉えられている。

3. 先行研究の知見から

障害者家族におけるケア提供は、社会的ジェンダー規範によりケア提供役割を担わされている女性の側、つまり母親に偏っている。そして父親の役割は、「一家の稼ぎ手」に縛り付けられてきた。これは障害をもつ子どもを育てる場合には療育教室への参加、住居改造や医療的措置に多くの費用を必要とするため、時間と費用の確保がそうでない場合より多く求められるからである。その結果、父親の役割は一家の稼ぎ手(Cash)、母親の役割は子に献身的なケアをすること(Care)となり、性別役割分業が強化される。そして、障害者家族においては、子どものケアに対してどのように関わっているのか、ケアや子どもについてどのような意味づけや不安をもっているのか、を語る父親の声が小さくなっていく。本稿では、男性学がケアに対する父親の声を拾ったように、障害者家族における男性、すなわち父親の声を掬い上げ、障害者家族における男性ジェンダーとケアについての関係を明らかにしたい。母親は、家族や子ども、社会と激しく相互作用し行為生成的に「障害児の親アイデンティティ」を構築し、それにコミットメントしたり、距離を置いたりしてきた(土屋 2002; 中根 2002b)。父親たちも、こうした家族、子ども、社会と激しく相互作用し、男性としての「障害児の親アイデンティティ」を形成していると予測される。従来女性ジェンダーの特性が埋め込まれてきた「障害児の親アイデンティティ」を男性の視点から語り直すために、本稿は、父親たちの語りにアプローチする。


III. 調査の方法・分析

障害者家族の親には父親と母親がいるが、父親へのインタビューが成功する可能性は高くない。まず、調査者が出会える父親は母親と比較して極端に少ない。ようやく出会えた父親へのインタビューの申し込みが失敗するパターンは大きく二つある。一つは父親が「子どものことは妻に任せっきりですから、そっちの方に話を聞いた方がええんちゃいますか」という父親自身による母親への誘導、もう一つは母親を通して依頼する時に起こりがちな「うちの亭主はちょっとね…」という母親によって父親へのアクセスを緩やかに遮られる場合である。こうした現象は筆者だけに起こっているわけではなく、障害者家族の研究者が共通して経験している(土屋 2003:119)。

本稿におけるデータは、2003年6月から2004年8月まで、障害をもつ人々の権利擁護を目的とするNPOが主催する「父親の会」へ参加することで得られたものである。「父親の会」でのフィールドノート、そこで知り合った父親への個別インタビューを通して、障害をもつ子の父親の語りを収集した。父親の会は隔月で開かれ、参加者は夕食をともにしながら自分や家族、子どもの近況や福祉制度についての情報交換を行う。話題は設定されておらず、話が途切れたときなどに筆者が質問を投げかけたりすることもあった。筆者はここでの父親同士のやりとりをフィールドノートに記述した。父親の会の参加人数は10〜13人前後である。子の年齢や障害はまちまちである。さらにこの会とは別に、知人から父親を紹介してもらい、インタビューを申し込んだ。インフォーマントの条件は、障害をもつ子どもの父親であること、子が成人期を迎えていることの二つである。質問票は用意せず、相手の話の中から話題を抽出する自由会話方式にて調査を行った。データは、プライバシーに十分配慮すること、発表の際は必ず許可を得ることを条件にテープに録音した。インフォーマントのフェイス・シートは以下の通りである。

 父親A。60代前半、30代後半の娘の父親で、娘には知的障害がある。娘は養護学校高等部卒業から約20年間、親元から地域の作業所に通っている。父親は企業を定年退職後、権利擁護のNPOで活動中である。  父親B。60代半ば、30代半ばの息子の父親で、息子は自閉症である。息子は前居住地域では4年間、現在の地域に引っ越してからは6年間、親元から作業所に通っている。父親は企業を定年退職後、権利擁護のNPOで活動中である。  父親C。60代前半、20代半ばの息子の父親で、息子は自閉症である。現在、息子は親元から作業所に通っている。父親は定年退職している。

インタビューデータの分析には、ストラウスとコービン(Strauss & Corbin 1990=1999)の質的調査分析の技法を参考にした。フィールドノートやインタビューデータに対してコーディングを行い、それを上位概念でカテゴライズし、カテゴリやコードの関係を検討しつつ、中心となるカテゴリを設定した。本稿では〈 〉で囲まれた文字がコードに当たる。中心となるカテゴリは「母親との関係」「家族依存介護の限界の認識」「予測可能性の高まり/低下」「ケアの諸局面」の4つである。インタビューを申し込む段階で「父親」と「ケア」という筆者の意図をインフォーマントに伝えていたため、カテゴリを「父親が語るケア」に焦点化して抽出した。ここでいう「ケア」は、直接的な身体介護をさす狭い意味のものではなく、他者への配慮までも含む、家族内における他者との相互作用という広い意味で解釈した。ケアを広く見積もることで、父親−母親−子の関係がより鮮明に描かれるのではないか、という意図があったからである。


IV. 調査結果

1. 母親との関係

障害をもたない家族と同様に、障害者家族においても、父親は家族との関わりが希薄とされてきた。障害をもつ子の児童相談所や訓練施設等通所に付き添い、知識を得て子の訓練に当たるのは多くの場合母親であり、父親は母親からの情報によってしか障害の知識を知り得ないケースが多い。故に父親は、子と直接関係を結ぶのではなく、間接的な位置に留まりがちである。そして父親の主たる役割は、家族のために経済的な支援をすること、つまり十分な収入を得ることがその中心となる。こうして典型的な性別役割分業が、障害者家族の場合には時間的・量的に増幅される。その結果、父親が子に直接向き合っていない、という指摘を受けることになる(土屋 2003)。

今回の調査においても、この構図は維持されていたが、父親が〈稼ぎ手の役割〉のみに集中しているわけではなかった。障害をもつ子の父親は、父親として家族とどのように関われるかを常に考えていた。しかし、親の会をはじめとする交流の場には、多くの場合母親が参加する。訓練の場にも母親が子どもを連れて行く。〈母親のネットワークの広さ〉や〈母親のもつ情報量〉は日々広がっていくのに比べて、父親は母親を通じてしかそれが広がっていかない。結果的に父親は障害に関する〈世界の狭さ〉を経験することになる。

それでも我が子の将来などに漠然とした不安が父親にはある。しかし情報は入ってこない。父親が共通して経験するのは、〈情報への飢え〉である(春日 1989:56)。自分や子、家族が将来どうなるのか、〈何をすべきか知りたい〉〈周りは何をしてくれるのか〉知りたいという願いを持っている。筆者が調査フィールドとした「父親の会」も上記のような父親の要求に応える役割を果たしている。情報を得て、父親が学ぶことで、家族の中でのケアに関わる場面、特に意志決定の場面(子の就学、就労、成人後の生活など、家族のあり方に関する決定)において〈母親と対等〉になることが、結果的に家族や子に直接向き合うこととして目指される。

父親A「お父さん方は何かしたい気持ちはあってもね、なにしていいかわからん。ってことはなんもかんもお母さんやってるから、お母さんが出番あっても父親の出番がない。だから…僕らやっぱり自分らもあの…お母さんだけに任せるのはまずいんちゃうかと。で、少なくともお父さん、忙しいかも知れないけど、関心を持つ。関心を持つと同時に勉強すること。そうするとお母さんと対等になるんじゃないかと。」
「なにをしていいかわから」ない父親にとって、育児に参加しなさい、子に向き合いなさい、という抽象的なメッセージは効果が少ない。逆に、それが実現できない父親を悩ませ苦しめる。障害をもつ子の父親である最首は、ただ父親を家事に参加させるだけでは「マイナスの形での労働分担型」であり「しわ寄せは子どもに来るというふうになってしまうのではないか」(最首 1998:294-295)と言う。役割分担の失敗について、父親の一人が次のように語っている。

父親B「家内としては子どもが大変なんやろうと。それだったら俺の方は、もうそんな世話やかんでいいと。もう自分のことはね、自分でできるだけのことはやると。だからとにかく、子どもを、子どもを中心にしてやってくれていいと。だから分担としては、子どものことは母親中心でやって、そのかわり、私に関わるいろんな負担、俺のこと、例えば着るもんがね、明日のもんが用意されてない、クリーニングがどうなってないとかは、そんなあれは、とにかく自分のことはできるだけ自分でやっていくからですな、その部分で軽減するから、まあ子どもの方にできるだけ専念してくれと、いう想いがあった。」

母親に子のケアに集中してもらい、父親は給与を稼ぐことで家族に貢献する。これは、障害者家族でない家族でも珍しくない性別役割分業を徹底する方法である。実に「合理的」な行動である。しかしこれは結局のところ「ケア」を単なる「マイナスの労働」してのみとらえ、足し算、引き算が可能な単純労働と見なしている。その結果、自身の労働と子どものケアを同じ「労働」として捉え、母親に子のケア全てを担わせる。これは「ケアという行為」の特性を見落としている。障害をもつ子のケアに限らず、育児や介護に代表されるケア行為は限度がない。やればやっただけ結果の出る仕事はないし、完璧にやりこなそうとしても終わりはない。終わりのない仕事に専念することで、母親の疲労やストレスは慢性的なものとなり、子の落ち着きもなくなっていく。仕事からの帰り道で、家の中から子の暴れる声が聞こえた時、父親Bは単純なケア分担の失敗を痛感する。この出来事は、父親Bがケアという行為の特性に気づき、単純に足したり引いたりできないものであると認識し、父親としてケアに参加するきっかけとなった。

父親B「だけど、この頃からやっぱりそれではやっぱりあかんのやなと、これは一緒に、その子どもを背負っていかないと、今から思って失敗やったなと思うのは、あの、分担…でやったらええやんなんていう風に思ってたいうこと自体が、今にして思えばまずかったなという気がしますね。」

家族内での〈ケア役割の専念化〉では、母親の負担やストレスが軽減されることはなかった。それよりもケアを〈母親と一緒に引き受ける〉ことで、母親をより支援する結果が得られた、と父親Bは振り返る。母親に子のケアに集中してもらうのではなくて、父親も〈ケアを共有する〉。父親への評価は、〈行動〉よりもあくまで協力する〈姿勢〉ではかられる(土屋 2003:128)。たとえ具体的な行動が上手にこなせなくても、また具体的な行動につながらなくても、ケア行為の特性を理解し共感を示す父親への母親の評価は高くなる。もちろん、共感することが具体的な行動につながればより理想的である。

父親B「それ(子どものケア行為への参加)をやりだしたらやっぱりね、子どもが、私に対して関わってくる態度というか、変わってきましたね。あれはね、やりだしてから10日か2週間ぐらいしたころでしたかね、家に帰ったらね、いままで子どもがですな、そんな玄関まで来ることもなかったのに、かえってドア開けてはいったらですな、子どもがだーっと走って出てきてですな、で、あがろうとしてる私にぱっと抱きついてくるんですよね。こんなこと今まで想像したことなかったなあと。うーん、やっぱりこれで正解やったんかなと。もう私も気持ちが楽になったし、家内もそれだけ…家内自身も、かなりちょっと明るくなってきました。」

父親Bはこの経験を振り返って「父親としてリーダーシップを発揮できなくても、母親に寄り添う、旦那の支援によって女房はがんばれる」のではないか、と父親の会で述べた。家族内でのリーダーシップを発揮し、合理的な選択を行うことは、「期待される男性像」また男性自身が保持する男性役割に合致する。しかし、ケア行為の場面では、その男性性が効果的に働かない場合がある。ケア行為には、合理的な選択と身近な他者との間で板挟みになってしまう場面が存在する。ギリガン(Gilligan 1982=1989)はこれを「正義の倫理」と「ケアの倫理」と呼び、その差異を指摘した4)

障害をもつ子をケアするという仕事には際限がなく、また完璧な結果を求めることもできない。ケア行為における家族内での明確な役割分業(父親が稼ぎ手、母親がケアの担い手)は肯定的な影響を家族に与えず、互いの負担感を高める可能性がある。ケア行為においては、相手の行為への理解と共感、経験の共有という〈共感作業〉が家族に肯定的な影響をもたらす。これは障害をもつ子のケアに限らず、育児場面における父親の役割にも通じている。中村(2001b:43)は家族の中での育児(ケア)を分かち合うだけでは、負担の分かち合いにこそなりはするが、それは単なる役割交代でしかなく、「家族のあり方を問題視する視点が抜け落ちている」と指摘する。つまり社会の中における家族という視点の欠落である。

この指摘は、障害者家族において、より現実味を帯びてくる。つまり子が成長するにつれて生じる障害者家族特有の問題である。父親Bも、母親に共感し家族に真剣に向き合うことで、視線を社会と家族の関係に向けていく。家族の中に向いていた視線が今度は社会、つまり家族の外側に向いていく。

父親B「でーそうなってくると今度は小学校の高学年くらいからがそうですけど、今度は福祉の方に気持ちが行くと。この子らの将来を支えていくためにはどうしていかないかんのかな。ちょうどまあ、私がそれしたのが昭和55年くらいの頃、気持ちが変わってきたのはですね。」

これは、親が高齢期を迎え、子が成人した後の生活のあり方をどうするか、という問題である。親亡き後問題を考えると、家族の中の関係よりも家族の外との関係が課題として浮上する。子が成人期を迎え、親が初老を迎えた時の父親の語りを次節で見ていく。

2. 家族依存介護の限界の認識

子が成人期を迎え、親が初老を迎える段階になると、障害をもつ子の親は大きな壁に直面する。それがいわゆる「親亡き後」問題である。子の障害告知の段階で「親より長く生きない」と医者が言ったのは、すでに過去の話である。今や多くの子が親よりも長く生きる。最後まで親が子のケアを行うことはできない。多くの親が自らの老いや更年期などでその事実を肌で感じ出すのは、この頃である。麦倉(2003:9)はこの成人後の問題の要因を「知的障害をもつ人とその家族が成人期に差し掛かったとき、いかに行動すべきかを示すロールモデルの不在」と指摘する。

父親C「だから、今になって、今が一番なんかこう、あのーある種の悩みと言えば悩みというかね、まああるんですよ。というのは、見えてこないっていうかね、将来子どもがどうなっていくんだろうかって、で僕らは確実に老いていくわけだから。」

障害をもつ子とその親のロールモデルの不在は、〈子の将来がわからない〉という不安と直結する。そして〈親は確実に老いる〉ことを実感すると同時にその不安は増幅する。父親の場合は、定年退職がその不安と向き合うきっかけになることが多い。

前節で見た父親Bは、子どもの障害の重さ故に早い段階で子どもや家族と向き合わざるを得なかったが、子どもや家族との関わりを限定的にしてきた父親たちの場合、家族がおかれた社会的状況に気づき、考え出すのは定年退職してからである。その不安と冷静に向き合った結果、〈親が生きられない現実〉を受け止め、〈家族の努力の後に〉社会に子を預けて親を引退したいと考える。しかし〈親が生きられない現実〉をうけとめた後でさえも、社会に子を委託する流れへと即座に移行するわけではない。

父親A「子どもの感情を悟れるのは親だけ。それでもやっぱり最後は自分でみなきゃいけないのかな、っていう思いは消えないですよね。」 父親B「親でさえ、こんなしんどい思いすることをね、他人がやってくれるはずはないやないかと。」

親は時間的な限界があることを知りつつも、〈最後は自分で〉〈最後は親だけ〉という思いを消し去ることができない。ケアを家族の外へ委ねられない理由についてどのような考察が可能であろうか。コービンとストラウス(Corbin&Strauss 1985)は、家族の中におけるケアが単純な労働ではなく、家族関係の調整や感情ワークなどを含む、と指摘した。家族関係の調整や感情ワークといった家族ケア独特の経験は「自分が唯一の介護者である」という感覚を介護者に抱かせる。これには、ケアする者とされる者が親子という親密で個別的な関係にあることも影響を与えている5) 。また障害をもつ子の親は、子が成長するプロセスにおいて、医療機関、学校、近所づきあい等で、否定的な対応を受けることによって、孤立感や疎外感を経験する(要田 1999; 麦倉 2003)。これが親たちの「自分たちしか子どもを守れない」という感覚を育てていく。

3. 予測可能性の高まり/低下

前節では、親が老いていき最後まで子を見られないという現実と、それでも最後まで自分で見たいという矛盾の中に生きる親の姿をみた。本節では、なぜ親がそうした矛盾を抱えるのかについて「予測可能性6) 」という概念を基に考えていく。障害者家族が直面する「壁」は大きく二つある。障害をもつ子の出生直後と、子の成人後の自立期である。この二つの段階において、親の人生への「予測可能性」が低くなる。つまり、親自身や家族、子の将来の見通しが立ちにくくなる段階と表現することができる。

障害をもつ子の出生直後の親は、多くの場合、驚きや悲しみの後に、情報を集め始める。障害についての医療的知識や子がどのように成長していくのかなどの情報を集めていく。その際、高い効果を上げているのは当事者集団としての親の会である。同じ地域で生活し、同じ種類の障害をもつ子の親の会の情報は個別具体的である。親は〈将来の姿を知りたい〉〈これからどうなるのか〉〈将来が見えない〉という予測可能性の低下による不安を親の会で得られる情報によって軽減していく。

障害をもつ子の親の行動は、予測可能性を高めることを目的とする。医師に相談する、同じ立場の親に相談する、理解のある学校に子を入学させるなどの行動は、〈子の安全〉と〈親の安心感〉、〈生活の継続性〉を目標にして、予測可能性を高めるために行われる。親の会では、年代別に周りの子を見ることができる。5歳年上、10歳年上の子とその親の姿は、有効な未来のロールモデルである。しかし、その予測可能性が再び低下するのが、親が加齢し子が成人期を迎える頃である。ロールモデル不在のまま、親は子を残して死なざるをえず、親は子の行く道を見届けるもできない。成人後の知的障害者の生活モデルの不在は、親の予測可能性を著しく低下させる。

父親B「ただ、親が年取ってきて、いずれその、親が先に死なざるを得ないと、いうことになった時に、あの…やっぱり本当にぶっ倒れて子どもを任すよりは…子どもが一番不安なんですよ、僕が死んだら(子どもの名前)はどうなるんやろと。」

予測可能性が低下すると、親は自分がいなくなった後の子の生活について模索を始める。入所施設が批判され、地域生活への移行が進んでいるとはいえ、親がいなくても問題なく地域生活が継続できるかといえば疑問が残る。「地域生活」という時の「地域」には、まだ親のいる家庭が重なっている(峰島他 2003)。そして親の願いである子の安全と健康という基準を満たし、なおかつ現在安定して継続できている試み、つまりは施設入所が選択肢にあがってくる。

日本の障害者施策においては、大規模施設収容体制が批判されて久しい。自立生活運動の中ではまず施設を出て暮らす、ということが目的とされた。2002年10月に出された障害者基本政策においても「脱施設化政策への転換」という文言が入り、政策としても入所施設から地域生活へと人々の生活の場を移すことが既定路線となった。入所施設が利用者をグループホームなどの地域生活へと移行させる試みも独自に始まっている7) 。「脱施設化」の流れはもはや自明のことのように思えるが、子が成人期を迎えた親に話を聞いてみると〈施設は常に選択肢〉にあることが判明する。親が若く健康なうちに施設を選ぶ人は少ない。しかし、親の会などで年配の親から早い段階での施設入所を勧められ、子が20代のうちに入所を決断する親の姿も報告されている(麦倉 2003:8)。そして親はそれが子による選択ではなく、あくまでも〈親の論理〉であることに自覚的である。

 父親A「今僕なんか、それ(親亡き後の生活)で悩んでるんですけど、入所施設が一番いいわけですよね、ただね、そうすることは、障害をもつ子が一生涯規則の中でね、全部規則の中で生活するわけじゃないですか。自分の自由ってないですね。」  父親C「僕は正直言ってうちの子どもの場合は、あのー入所施設があって、で、そこに入れて、でそこから作業所にでも通えたらいいんちゃうかなって思ってる。だから今度入所施設を国が作らないと言ってるのは、僕はちょっとものすごい問題だと思ってるんです。だから将来的には入所施設でしっかりした人がいつもいて、そこで目端を利かせてくれて、っていうのはうちの子にはあってるの違うかなと。」

施設入所に関しては、母親と父親で少し受け止め方が異なっている。調査において3人中2人の父親が施設入所を「しかたのない選択」と捉えていた。これに対して女性の家族介護者の多くは、施設入所を罪悪感のため「くだせない決定」だととらえている(Ungerson 1987=1999:120-122)。ある父親は「罪悪感はないって言ったら嘘だけど、その辺はあきらめんとしゃーない」と施設入所への可能性を語っている。生活の継続性や安定性という観点から、施設入所は「合理的」な選択肢である。ケアする存在として社会的に強く規定される母親は、自身の内部にある「ケアするジェンダーとしての女性」との軋轢を起こし、罪悪感を強くする。男性は「ケアするジェンダー」としての責任から免れているために、こうした罪悪感をもつことが少ない。女性介護者が義務感や罪悪感から施設入所を「くだせない決定」としているのとは違いが見受けられる。もちろん、父親が子を積極的に施設に入れようとする傾向がある、という訳では決してない。次の節では施設以外の生活を構想する父親の語りを見ていこう。

4. ケアリングの分節化

親亡き後、親が期待する存在の一つに、障害をもつ子のきょうだいがいる。彼ら彼女らは幼い頃より障害をもつきょうだいを見て育ち、そして親よりも比較的冷静にこの社会において障害をもつことの意味について知っている(Victoria 1999)。一方で親が自身の老いを自覚する頃には、障害をもつ子のきょうだいも定位家族を離れて自らの生殖家族を築いている場合が多い。親は〈きょうだいに負担はかけたくない〉と思いつつ、それでもきょうだいに〈口に出せない期待〉を抱く。

父親B「親はあの…自分の産んだ子どもやから、あの生涯つきあうということはやむをえないけども、きょうだいにまでそれを押しつけるということはね、我々としてはする気はない…だから、経済的な面も含めて、あんたらはそこまで関わってもらわなくてもいいけれども、だけど、精神的につながりというか、あの、負担はもっておいてくれと。その息子と嫁さんの方にはね。あの、兄さんはちゃんと生活しているのかな、いろんな施設(グループホームなど)はちゃんと面倒みてくれているのかな、いろんな不当な扱いはしてないかというあたりを、常に関心を持ってですね、いてほしいと。それ以上のことは、精神的以上の負担をあんたらには、個人的な負担を負わせないけれども、精神的なものだけはもっておいてくださいよと、彼らには言ってあるんだけども。」

父親Bは、すでに家族をもっている弟に兄の生活の〈個人的な負担〉を押しつけるつもりはないが、〈精神的な負担〉をしてほしいと願う。これは権利擁護の課題であるが、ここで注目したいのは父親Bの語りにおいて〈個人的な負担〉と〈精神的な負担〉が明確に区別されていることである。これまでの人生において、親が「全て」担ってきた役割について、父親Bは分節化を行っている。ここに「ケアの社会的分有」の萌芽がある。親や援助者や社会が「ケア」という言葉を使うとき、その意味合いは「世話」や「負担」というように様々である。では、ケアの意味合いの違いには、どのような行為や期待が込められているのだろうか。

ここではフィッシャーとトロント(Fisher & Tronto 1990)の研究を参考に、ケアの要素について整理する。フィッシャーらはケアのプロセスを4つの次元に分類した。すなわち「配慮すること(care for)」、「ケアの運営責任をもつこと(take care of)」、「具体的なケア提供をすること(care giving)」、「ケアを受けること(care-receiving)」の4局面である8) 。父親Bのいう〈個人的な負担〉は、ここでの「具体的なケア提供」を指している。そして〈精神的な負担〉は「配慮すること」を指している。親亡き後、社会福祉法人が子の生活の「ケア責任」をもち、グループホームなどの共同住居で生活しながら作業所へ通う子の生活を組み立てながら、具体的な「ケア提供」を行っていくと仮定する。その状況において父親Bは、弟に離れた所から兄への「配慮」を行ってほしいと考えている。兄の生活が十全に行われているか、過度なストレスを抱え込んでいないか、金銭面で不利益を受けていないか、などの「配慮」である。

ケアのプロセスは、配慮する人、ケア提供をする人、ケア責任をもつ人(具体的にはケアプランを作成する)が別々の存在であることが望ましい。逆に言えば、3つのケアの担い手が一致すると、深刻な問題が起こりやすい。問題とは、家族介護で言えば、介護者の燃え尽きや被介護者への虐待、施設で言えば、暴力や社会とかけ離れた生活環境といった人権侵害や金銭面での搾取などである。ケアのプロセスの中に他者の目が入らないことがいかに危険なことかは、多くの論者が指摘している9) 。入所施設は、予測可能性や継続性は高いが、3つのケアの担い手が一致しがちである。地域生活は、ケアの担い手の多元化が可能だが、現在では予測可能性や継続性が乏しい。ケアの担い手の多元化と予測可能性・継続性を同時に満たすケア環境をいかに構築するかという課題が浮上する。

父親たちは、これまで行ってきたケアを振り返って、親亡き後も子へのケアが十全に行われていくかどうか〈将来を確認したい〉と述べる。つまり、親が亡くなった後、次のケア体制をあわてて考えるのではなくて、親が生きているうちに、親なしでも〈継続可能なケア〉のセッティングをし、それを見届けたいということである。

 父親B「あの…だから、(親が何にもしないで死んだら)その子ども(にとって)自分を代弁してくれる人はいなくなっちゃうし、本当に混乱するので、むしろ親がいろんなことに口出ししてくれる、いろんな意味であの、関わってくれる間に、他人の手に子どもをゆだねてですな、で、その間にその人たちとうまくやっていけるのか、ちゃんと。だから、こちらの希望として言えば、私らがほんまに体がうごかんようになるまでこの子の面倒をみるということがいいのかな?と。それよりもむしろ私らの体が動ける間に、他人の手に子どもをゆだねてですな、で、他人の手でもこの子が生きていけるというのをみて、我々目をつむりたいなという思いが今やっぱり非常に強いですね。」  父親C「その不安をある程度取り除こうとすればね、われわれが目の黒いうちに、子どもが他人と一緒に生活していける、ああ心配ないな、これで何とか生きていけるな、というそういう安心感をやっぱりほしいなという思いですね。そういう意味では、僕はそんな自分がぶっ倒れるまで子どもと一緒にいたくはないわけで…」

親は、自分で最後まで子の面倒を見たいと願う。矛盾する現実として、親の体力や寿命の限界がある。生活の〈予測可能性〉を高めつつ、なおかつ〈継続可能〉な選択をするならば、親はこの矛盾する課題を解消する必要がある。そこで、自分であれこれ言える間、つまり子の生活が親なしでも継続可能かを〈配慮〉できる間に、親は将来のケア配置を構想する。子を抱え込むでもなく、入所施設へ丸投げするでもない、なおかつケアの担い手を一元化しない、という配置である。

これは、ギリガン(Gilligan 1982=1989)が男性のものだとした「正義の倫理」のように切断的で合理的な選択主体ではなく、親と子の個別の関係性を前に立ち止まる父親の姿である。当事者の自己決定を尊重しつつ、しかし完全に相手に任せるわけにも行かない、そんなジレンマを川本(2000:28)は「立ち入らず、立ち去らず(自己決定と内発的義務)」と表現する。石川(2004:236)が「自己決定の積極的尊重の意味をこれほど素敵に表現した言葉も少ない」と評するこの言葉は、成人期を迎えた障害者家族の親子関係のジレンマをも的確に表現している。ケア行為がもつ多様性については別の稿であらためて論じたい。


V. 考察−ケア行為と「男であること」の間で

分析の結果、障害者家族における父親の「母親との関係」、「家族介護の限界の認識」、「予測可能性の高まり/低下」、「ケアリングの分節化」などのカテゴリが浮上した。以上のカテゴリと男性ジェンダーとの関係を整理して、まとめとしたい。

1. 男性ジェンダーとの摩擦

障害者家族では、父親は子どもや母親との関わりが希薄である、とされてきた。確かに、子どもを訓練/介助するという役割に参加しない、できない父親がそう表現されても仕方ない現実がある。しかし、現在の社会状況において、父親が障害者家族と積極的に関わることには困難がある。本稿において「ケア分業の失敗」を語った父親Bから筆者は以下のような手紙を受け取った。

父親B「私の場合は我が子と真剣に向き合い、家内と介護を分担する為には、職場の配置の転換が不可欠でした。それまでは帰宅は常に夜9時から11時(寄り道一切なし)、帰宅後も仕事のことで頭がいっぱい、休日も仕事を持ち帰らざるを得ないという状況で、肉体的な疲労と仕事のストレスで全く気持ちにゆとりがなく、まずその状態を解消しないと子どもに毎日直接関わることは不可能でした。しかし、その余裕のあるポストへ配転を希望することは、自分の職業人としての将来性もプライドも捨て去り、それまで十数年間の努力を否定する、自殺行為に等しい、重い選択なのです。昇級もボーナスも格段に悪くなり、昇進もなく能力的に劣ると思っていた部下が今度は自分の上司になるといったことも起こり得ます。更に、人間にとって、自分の能力を発揮する場所を失うというつらさが理解できますか。それまでの価値観を根底から覆さない限り、耐えられるものではありません。」

ここで表現されているのは、障害をもつ子どもの父親として子どもに関わりたいという願いをもちつつも、職場において「それまでの価値観を根底から覆」すことの困難さである。自殺というメタファーで彼が語るのは、これまで彼が築き上げてきた男性性を自ら否定することである。特に定年退職以前に、「職業人」としての自らを否定することは「男性性」を大きく揺らがせる。

そのような葛藤を乗り越えて、ケアする存在として家族に関わっても、それは「家族内介護の限界」を認識することにしなかならない。つまり、障害者家族におけるジェンダー問題の一つとして指摘されてきた「父親の不在」が解消されたとしても、それは父親−母親間の問題の共有になりこそすれ、「家族内介護の限界」を克服する方法には成り得ない。しかし、「母親との関係」でみたように、感情や問題の共有が障害者家族にとって大きな前進であることもまた事実である。

2. 男性としてケアに関わること

ケアに参加し、家族内介護の限界を認識することで、男性は「ケア行為」が自ら生きてきた職業人の世界とは異なる価値観をもっていることに気づいていく。ある父親は、障害をもつ子どもが生まれてからの自分自身の変容を歴史小説を引用して振り返った。

父親B「僕はあの、司馬遼太郎が好きでですね、あれなんかの時に日露戦争のね、『坂の上の雲』の中でね、あのー大山巌が、だいたい大将って言うのは勝ってる時はもう、寝てたらええのやと。負け戦の時は出ていかないと仕方ないと。って言ってて、で、それはそうやなと思ったんですよ。でね、僕はやっぱり、これは今やっぱり負け戦に入った時、あのーいわば退却せな仕方ない時、やっぱりね、一家のリーダーシップをとる立場の人間としては、あのーやっぱり出て行かざるをえんところやなと。」

ここでいう「負け戦」とは、障害をもつ子どもの存在をそう捉えているのではない。彼にとっての「負け戦」とは、めまぐるしく変わる局面において「大将」(父親)の真価が問われる場面をさす。「一家のリーダー」と自分を位置づけ、子どもの障害を巡って起こる不測の事態への対処にこそ、自分の役割を感じている。そこには「妻や子どもを守る性」としての男性ジェンダーによる自己規定が強く表出されている。ケアの場面では男性役割は否定されたり反転したりするが、このようにケア場面が男性性の表出の場になることもある。天田は家族介護における男性性の表出を「役割の共同化と裏腹の、観念化するジェンダー」(天田 2003:372)と名付けている。

つまり、父親たちは仕事の配置転換や母親への協力によって自らの「男らしさ」を弱めたと認識しているが、ケアへの参加の過程においてもそこはやはり男性として関わるしかない。リーダーシップを発揮し、将来への指針を遠く見通したいという願いは「男性ジェンダー」に期待される役割と合致する。父親の会でも「父親として」「一家の大黒柱として」という枕詞が発言に数多く見られる。また、家族介護を行う男性介護者は、ケア行為を自らの職業人としての経験や言葉で語り、女性介護者よりも介護に効率性や合理性を求めることが明らかになっている(Ungerson 1987=1999:126-127)。

ジェンダー役割を希薄化させ、なおかつ役割の分業化がなされても、やはり男性は男性ジェンダーとして家族やケアに関わるしかない。父親Bの場合で言えば、ケア行為への参加は自らを家庭の大黒柱として再規定する契機となった。男性として、家族の「予測可能性を高め」、将来的なケア環境の構築のために「ケアの分節化」を行う。これらのカテゴリの生成プロセスに、既に男性ジェンダーが見え隠れしている。


VI. 今後の課題

1. 「男らしさの複数性」への批判

本稿は、障害者家族の父親の語りを通して、社会における障害者家族の位置、ケアを巡るジェンダーの偏りを発見することを目指してきた。だからこそ「障害者家族の父親だって困難を抱えている」と指摘するだけに終わらせないことが必要である。それは「男性性の複数性」(Connell 1995; 中村 2000)を豊かにし、「男性のジェンダー経験」を語ることにはなっても、現状の社会構造や女性、障害をもつ当事者との関係が浮かび上がってこないという弱さが露呈するからである(渋谷知美 2001:454)。障害者家族における父親の語りから、ケアにおけるジェンダーの枠組みをゆさぶり、男性がケアに参加してもなお残る家族内介護の限界を明らかにした。さらに、ケアの担い手を家族の外にまで広げようとする父親の姿を発見した。ケアを家族の外に広げていく事への詳しい論述は別稿にて行う。

2. 親が子を語ることの「限界性」

今回の調査に限ったことではないが、親が子を語るという行為自体に一定の「限界性」がある。親は子を「自立できない」存在として語る傾向が強い。もちろんここでいう自立は、自立生活運動や障害学が発見した「自己決定する自立」とは異なる。確かに、親は子を「保護」するが故に親である。ここで「保護」の全てを否定し、親が子を意味づけることの限界を自己決定の侵害として否定することが果たしてできるだろうか。ケア行為は、それを必要とする者のニーズを満たすだけでなく、行う側の願望や自己実現までも含んでいるので、親の関わりをすなわち自己決定の侵害とするのはあまりに短絡的である。それこそ周りとの関係を考慮せずに自己決定だけを主張する「堅い〜空虚な自己決定(立岩 2000)」に陥りはしないか。その限界性は、家族という空間において、親子の個別的関係が必然的にはらむものである。ゆえに、その葛藤を語る言葉を豊かにし、その言葉を流通可能な概念として抽出することが必要である。そしてその概念は、障害者家族ひいては近代家族そのものを相対化する「梃子」と成りうるだろう。

3. 障害学と家族、親との関係について

障害者家族という場において、親の意識や行動の変容を見ることは、自立生活運動における「脱家族」の主張をより多面的にする。自立生活運動における脱家族論は、「出る側(障害をもつ当事者)」の主張であった。家族への引力が強く、親の愛情を「全力で否定」しなければならなかった時代性、政治性を考慮すれば、当然の主張である。「出ていかれる側」である親の語りをみることは、脱構築できたものとできないもの、なお残るものを確認する作業である。当事者と個別の関係性をもった親の行為全てをパターナリズムとして否定することはできない(秋元 2004)。パターナリズムと配慮は、ある部分で重なる。ならばケアの機能を多元的に満たすために、ケアの諸局面を分節化し、子と親の関係のあり方を考察する必要がある。

父親A「親はいったい、僕らはこれからの(子どもの名前)の人生を、出来るだけ長く、で普通に暮らしていけるようにするためには、親は何を出来るかっていうことを、何をすべきかっていうと、まあそれから誰が何をやってくれるかっていうのがあるんだけど…」

本稿では、成人期を迎えた障害をもつ子の父親の語りに注目し、障害者家族のジェンダーと子の成人後のケアを考察した。もちろん、当事者の視点が重要であることは疑う余地もないが、脱家族論をより多面的に描く意味で、「親の側から語る」こともまた必要である。

コミュニティケアが当たり前となる社会において、親と障害をもつ当事者はどのような関係を築いていくのだろうか。日本より早く国家レベルにおいて脱施設化を成し遂げたスウェーデンの障害者家族研究に興味深い報告がある。それは、脱施設化が当たり前となり、障害をもつ人々が多く地域で暮らすようになった結果、逆説的に、親や家族に対するケア参加への期待が強まったという報告である(Pejlert 2001)。障害をもつ人々が施設や病院で生活している間は、親はそのケア責任を問われることが少なかったが、コミュニティケアが主流となると「サポートする家族」としての役割期待が強まっていく(Schwartz 2003:583)。

コミュニティケアの浸透は「施設か家族か」という二項対立を薄め、間のグラデーションをより多様化させていく。当事者と家族は、自立10) した関係でも隔絶された関係でもなく、親と子であるという個別の関係が相互依存的(inter-dependence)に構築される。親が子に対して特権的な力を持つわけでもない。障害をもつ当事者を思い、配慮する多くの人々の中の一人として、親はケアに参加する。ケアのニーズを満たし(ケアの分節化)、なおかつ継続可能なシステム(予測可能性の高まり)を障害者家族はどのように成し遂げていくのだろうか。「家族内介護の限界」を緩和するようなケアを社会的に分有するための制度や関係を表現するために、また障害者家族のリアリティを語るために、本稿で生み出したカテゴリを役立てたい。それが筆者にとっての障害学的挑戦である。


【付記】

本稿は、第1回障害学会(2004年6月12-13日、静岡県立大学)での報告に加筆・修正を行ったものである。当日フロアから質問をくださった方、報告後にご意見をくださった方、また優しさと厳しさのこもった丁寧な査読してくださった二人の査読者にこの場を借りてお礼を申し上げる。


【注】


【引用文献】



The Fathers of Children with Disabilities: Care and Gender
     Nakane Naruhisa(Graduate school of Sociology,Ritsumeikan University)

Summary

The purpose of this paper is to describe care and gender whom the fathers of children with disabilities, based on the qualitative data gathered by interviews with fathers and participatory observation at the fathers’ group. The prior research on the family of people with disabilities has succeeded in revealing the social structure around them, but its concern tended to lean to mothers. The role of fathers was thought to be no better than a breadwinner and how they put their children and care in context were little considered. Thus, this paper examines the gap between parents’ wish and limitation of care and explores the future possibilities of care, focusing on talks of fathers whose children have disabilities and are about to come of age. It leads to the 4 analytical categories such as relationship between fathers and mothers, realization of limitations of family-based care, possibility to prospect, and phases of care. Fathers’ mainly values are swayed or even face friction against care when they take part in care. However, this friction is not a problem to be solved, but an opportunity to articulate care and to notice various meanings of care. Letting the question ‘Institution or Home?’ be bygone, this paper studies how the community, children with disabilities and their family transform in community-based care.

Key words:
Family of people with disabilities, Fathers, Community-based care, Advocacy


REV: 20161229
障害学  ◇中根成寿  ◇全文掲載 
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