本稿は,「障害をもつ子の親」とはどのような存在で,どのような支援の可能性があるかという問いの出発点として位置づけられる。1章では,「障害児のいる家族研究」の中で親がどのようにとらえられてきたかを述べる。これまでの研究では障害がある子どもに焦点を当てた個人モデル的アプローチが優勢だったが,自立生活運動などの実践活動の中で確立されつつある社会モデルの発想が,親と子を個別の存在であることを主張していることを述べる。さらに要田洋江の研究を参考に,障害をもつ子とその親が社会的にどのような位置にあるのかを述べる。2章では,すでに存在している家族支援,親支援方法が,どのような対象像を持ち,どのような援助を親に提供しているのかを,レスパイト・サービスやセルフ・ヘルプ・グループを例に挙げて論じる。さらにそれぞれの家族支援方法を分類することで,「障害をもつ子の親」への家族支援の成立可能性について論じる。
障害に関する認識が変化しつつある。WHOによる障害の定義が変更されたのもこうした流れと合致している。「障害」が,個人に存在する生物学的な「欠損 impairment」ではなく,社会的に構築される「障壁 barrier」であるという認識に変化しつつある。これは,「障害は個人に属するもの」という医学モデルとは別に,「障害は環境の産物である」と考える「社会モデル」への要求が高まってきていることを示している。
この「障害の社会モデル」の確立を模索する研究が,障害学である。障害学は,従来の障害研究が自然科学的な認識による「個人モデル」や,障害者=社会的弱者という認識を崩さなかった社会福祉学に支配されてきた,という批判を出発点として,当事者の視点から障害に関する現象を捉え直す研究を目指している。
障害に関する研究が自然科学や社会福祉の枠に収まりきらなくなったのは,障害をもつ当事者やその家族の関心が,自然科学からの「治療・発達」や福祉制度による「物質獲得」から,障害をめぐる文化やアイデンティティ,障害そのものを理解することへと移りつつあるからだと言える。障害学は「障害の社会モデル」の構築のために,医学モデルの専門的知識とは違うアプローチ,つまり当事者の経験重視の研究を指向している(M.Oliver, 1992)。だが,この方向性に偏りすぎると,当事者の個別性の主張のみになり,障害学がカテゴリを巡る政治的な争いに終始してしまうのではないかという危惧を,筆者は持っている。
障害学が,社会制度や文化的理解にまで影響を与えていくには,カテゴリとカテゴリの研究ではなくて,カテゴリの間に立つ視点が必要になる。そこで筆者が研究の対象に選んだのが,「障害をもつ子の親」である。障害をもつ子の親は,障害を持っていない「健常」というカテゴリに分類されはするけれども,「障害に関する当事者性」を帯びている。しかし親は子と一体でないので,決して当事者にはなりきれない。その一方で社会からは,「障害をもつ子の親」,「障害児のいる家族」として扱われる。たとえ家族の中が,成員同士の葛藤に満ちていても,である。
一般的に親は,社会から子を「保護するべき」者として規定される。子が障害を持っていて,(身体的な依存か,決定に関する依存かはあるにせよ)日常的に他者に依存せざるを得ない存在ならば,その子は弱い者として扱われる。「保護」や「じりつ」1)という言葉が,障害を持たない親子関係よりも,より切実な問いとしてその親子関係に迫ってくる。しかもそれは障害をもたない親子関係と異なって,子の成人後もその役割を期待される。
成人後の子の代弁者としての役割でさえも,代弁という行為の二面性(自己決定とパターナリズムの相克)を孕んでいるがゆえに,簡単ではない。依存せざるを得ない存在の,「じりつ」を考えなければならない故に,障害をもった子の問題は,当該の親と子の「関係性」の問題となってくる。これは,「依存からじりつへ」という簡単な二項対立の問題ではない。障害をもつ子とその親の場合の依存と「じりつ」は,そうでない親と子の依存と「じりつ」とは別の構造を持っているのではないか。すなわち,依存せざるを得ない存在が「じりつ」するためには,頼れるべき存在があって初めて「じりつ」への可能性を模索することができる。つまり障害をもつ子と親の関係における依存と「じりつ」の関係は対立関係にあるのではなく,重層的な「土台と構築物」的な関係にあるのではないか。さらにそこは,「家族」,「ジェンダー」,「福祉」,「自己決定」,「パターナリズム」という多くのキーワードが集中している多層的で高質量な磁場である。障害をもつ子とその親に焦点を当てて考察する意義はまさにこの点にある。
1970年代頃の社会病理学のテキストを見ると,「障害児のいる家族」は「病理家族」として位置づけられている(大橋薫,1976)。確かに子殺し,親子心中,という病理的な事件も起こっている。だが,筆者はここでもう一度社会病理学の原点に帰ろうと思う。彼らを病理として捉えるならば,それは既に我々の視点が病理であるという,社会病理学の原点に立ち戻り,「障害児の親」や,「障害児のいる家族」を「問題を抱えた家族」,「困難な家族」と考える視線自体がすでに病理をはらんでいる。
「障害児家族=病理家族」とするテキストが書かれてから,すでに30年が過ぎた。この間に日本は,経済的には高度成長を終え,国家としての経済成長は終焉を迎えた。福祉制度を支える人口のバランスも変化した。一方で障害をもつ人の社会への参加も進んだ。生殖技術の驚異的な発展はますます人間の「質」を問い,そのひずみを社会の中において「弱くある者」に押しつけている。出生前診断という他者の質を他者が選択できるという,空恐ろしい現実が今日も社会のどこかで行われ,障害をもつことに対する恐れがますます強められていく。能力を失うこと,他者に依存することへの恐れは,既に弱くある者への共感ではなく,排除という形で表現される。ここで考えるべきなのは,弱くある者たちがどのような日常を生きているか,どのような制度のもとにおかれているかを知ることである。彼らについて知ることは,いま私たちが生活している社会がどのような社会かを知ることにもつながる。
それにも関わらず,「障害をもつ子の親」への上記のような視野をもった研究は少ない。その原因も含めて,本稿では,「障害をもつ子の親」とはどのような存在かを論じていく。
また「障害をもつ子のいる家族」はなにも日本だけの問題ではない。一般的に日本よりも福祉制度が充実していると考えられているイギリスでも,障害をもつ子のいる家族が依然として社会的な不平等を被っているという報告がなされている。1998年発行のイギリスのDepartment of healthの報告(DoH, 1998)には,その序文において「障害児が社会の障壁によって阻まれているのと同じように,障害児がいる家族は社会制度によって,その社会参加を阻まれている」とある。さらにMonica Dowling & Linda Dolanはブレア政権における福祉重点化政策においても,障害をもつ子のいる家族は依然として社会的な不平等を被っていると報告している(Monica Dowling & Linda Dolan, 2001)。これはすなわち,福祉制度の不備,という単純な問題ではなくて,「福祉国家が家族支援をどのように位置づけているか」という普遍的な問題へもつながる問いである。
そのためには,「障害をもつ子の親」がどのような立場にあるかを明らかにしていく必要がある。そこで本稿では,「障害をもつ子の親」という主題をはっきりさせるために,大きく二つの作業を行う。1章では,これまでの日本の「障害児をもつ家族」に対する研究の流れを追うことで,「障害児の親」という存在がどのように捉えられてきたかを述べる。2章では,「障害児のいる家族」に対するフォーマル,インフォーマルを含めたいくつかの支援方法が,それぞれどんな対象像を持っているかを検討し,支援方法が「障害児の親」をどう捉えているかを見ていく。その上で,「障害をもつ子の親」とはどのような存在かという主題をもう一度検討し,今後の研究の礎としたい。
はじめに,本稿における表現上の区別について整理しておきたい。すでにここまでで,筆者は「障害児の親」と「障害をもつ子の親」という二つの表現を使っている。これらの表現を筆者がどのように使い分けているかを述べておくことは,本稿の基本的認識にも関わってくる重要な問題であるので,最初に整理しておく。
本稿,ひいては筆者の研究における最大の関心は「障害をもつ子とその親」の関係性にある。ゆえに子が成人していてもいなくても筆者の研究対象となりうる。ただ,「子」という存在には二種類の意味があることを整理しておかねばならないだろう。すなわち「児童」としての18歳未満の「子ども」と,親からみた関係としての「子」である。本稿では「障害をもつ子」と表現し,主として関係性を重視した表現をとるが,特に「障害をもつ子ども」,「障害児」とした場合は,18歳未満の「障害をもつ児童」を指すことにする。
また本稿において,ならびに筆者の研究において特に注目している障害は「知的障害」である2)。子に知的な障害があれば,児童期はもとより,成人後も誰かが彼の決定を支え,選択肢を用意していかざるを得ない。時には彼の意志を「代弁」していかざるを得ないだろう。その時は果たして誰が「最善の決定」を知りうるだろうか。それは必ずしも親とは限らない。そこには「自己決定」と「パターナリズム」が葛藤する空間が存在する。知的な障害をもつ子とその親を対象とする一つの論点である。
障害をもつ子どもと障害をもつ成人とに境界線を引いて考えた場合,「自己決定」と「パターナリズム」がより大きな論点となってくるのは成人期である。なぜなら,児童には親のパターナリズムがある程度許容されていると考えざるを得ないからである。しかし,成人後も親が子にパターナリズム的な代弁行為を続けているとすれば,ここには親子それぞれにとって問題が発生する素地があるのではないだろうか。
上記のような表現上の整理の上に,第1章では先行研究が「障害児をもつ家族」をどのようにとらえてきたかをみることで,「障害児の親」という存在を論じていく。
家族ストレス論とは,ある家族の内部,または外部にストレッサー(stressor)が生じた場合,そのストレッサーが家族力学にどのような影響を与えるかを検証する方法である。これは,システム論の系譜に位置づけられる分析法である。家族内,家族外での家族のストレスに関する研究は1980年頃から,盛んに行われるようになった。植村勝彦と新見明夫は家族力学研究の系譜について次のように整理する。
障害児の存在が家族に与える影響の媒介過程に組織的な注意がはらわれるようになったのも,1970年代の半ば以降である。従来の研究で取り上げられてきた要因は,障害児の本人の属性に関わるものに集中してきており,とりわけ,障害の種類,程度といった障害そのものの差異に注目するものが多かった。そうした研究の中では,自閉症児の母親への負担がより大きいことが比較的共通して指摘されているが,影響を与える領域まで,一定した見解が示されているわけではない。(中略)最近になって,こうした障害児本人の属性要因や,家族内の客観的な要因に限るのではなく,家族外の要因や個人の主観的な要因をも検討する動きがでてきた(植村・新見,1991)。
障害児個人の分析から家族内力学の分析,さらには家族外の要因や個人の主観にまで研究対象が広がっていく過程には,過去の親研究,家族研究への反省が込められている。障害児のみが研究対象になっていた時代を久保紘章は「家族はつねに障害児の背後におしやられて副次的に扱われ,研究の全面にでることは少なかった」(久保,1982)と指摘している。さらに,植村・新見は障害児個人のみに注目する研究を批判して次のように述べている。
そこで行われてきた研究の多くは,『病理学的』アプローチを採用しており,子どもの病理が家族の病理と関連があることを仮定するものであった。いわば,家族は障害児の病理の説明変数であり,充分な根拠がないまま,障害児の親には『問題がある』とされる傾向の背景となっていたことは否定できないであろう。しかし,1970年代半ば以降からは,こうした『病理学的』アプローチへの批判から,家族そのものが研究の対象としてクローズアップされてきた。そこでは,障害児をもつ家族は,特別な病める家族ではなく,ただ,障害をもつことによって,様々な影響を受ける存在であるという見解が定着するようになってきた。(植村・新見,1991)
障害児がいる家族を「病理家族」として扱うことの弊害を,植村らはバーンとカニンガム(Byrne, E.A. & Cunningham, C.C.)の研究から導き出している。すなわち,植村ら(1991)は「障害児の家族は高水準のストレスを被っており,それによって家族成員の心理的障害が不可避的に起こる,というこのアプローチの仮定が,逆に障害児のいる家族は等質的な集団であるという一般化を生み出した。それによって,障害児への反応における個々の家族の相違が重視されず,その反応の潜在的な要因としての社会・経済的地位,家族数,障害児の年齢,障害の種類や程度などが考慮されていなかった」と批判する。
1980年代の家族ストレス要因の研究は,多くのケーススタディによって進展した。上記で批判されたような個々の家族が抱える個別の要因を分析し,様々な尺度で数値化し,より正確に家族ストレスの要因や力学,家族の耐性や成員への影響を把握しようとしている。特に障害別の分析や,健常児家族との比較がより重要であると捉えている(植村・新見,1981,1985,1986)。これらの研究におけるそれぞれの尺度3)については論じることは不可能であるため,ある程度包括的に整理せざるを得ないと思われる。
では障害児のいる家族のどこに影響がでるか。谷口政隆(1985)はこの点について,@両親の心理的ストレス,A夫婦間の危機的状況と安定,B兄弟姉妹に加わるストレスをあげ,この中でも特に夫婦ではなくて子どもの親としての個人にもっとも強いストレスがかかるとしている。さらに生活のどのような場面でストレスが生じるかについては,@家事・介護上のストレス,A所得と支出を巡るストレス,B社会的な孤立の3点を挙げている。
次に,どんな影響がでるか。久保紘章(1982)は障害児をもつ家族に対するストレスの影響として,@身体的影響,A心理的影響,B社会的・対人関係的影響,C経済的影響,D日常生活の中で生じる問題(子どもの発作,食事を与える際の特殊技術など),E障害児より学ぶことをあげている。ネガティブな影響が多いように思われるが,家族間の葛藤により,家族がほどよい協力関係を身につけたり,家族成員それぞれの人間観にも肯定的な影響を与えたりする点があることも見過ごしてはならないとも,久保は指摘している。
ただ,こうした肯定的な影響は社会制度による援助があって初めて発揮される。中塚善次郎は,障害児の家族が経験するストレスには,障害児自身がストレッサーではなくて,社会的な偏見や,無理解,制度的な不備が影響しているとしている(中塚善次郎,1984,1985)。多くの研究者が,個別的なケーススタディを詳細に行い,ストレス要因を把握しようとしてきたのも,それをどう社会制度に反映できるかという目的のためであると考えられる。渡辺顕一郎は谷口らのストレス要因研究を整理して,障害児家族のストレス要因を左右する社会的要因について以下のように整理する。@的確な診断評価システムの存否,A当事者グループの存在,B地域社会に存ずる態度・価値思考(渡辺顕一郎,1997)。専門家のサポートだけではなく,親同士のインフォーマルな支援制度もストレスの緩和につながるとしている。
家族ストレス研究は,障害児家族を病理家族と見る個人モデル的見方から,障害児家族を制度的に支えるという社会モデルへの流れをたどっている。障害児の親とはどのような存在かを社会的にとらえる際に,家族ストレス研究の流れが示唆してくれるものは大きい。
現在の日本の社会福祉制度においては,家族という空間は依然として福祉的援助の担い手としての中核を占めている。社会福祉基礎構造改革で叫ばれる「施設収容型」から「地域福祉」へという時の「地域」がまだ「家族」による援助を前提とした改革だということは多くの研究者が指摘している。
とりわけ,障害をもつ子は成人を迎えても家族の直接的な援助を受け続け,家庭内にとどまるというケースが多く見られる。このことは親と子の関係を癒着させ,お互いがお互いなしでは生きていかれないという依存の関係をもたらしやすい。
ただ,親子であるがゆえに援助することもあれば,親子であるがゆえに伝えにくいこともある4)。こうした家族内の葛藤を嫌い,「家族であり続ける」ために家族を出る取り組みが模索された5)。それは1981年の国際障害者年やノーマライゼーションの概念の輸入をきっかけとして進められていった。
1981年の国際障害者年を境にアメリカ型の自立生活運動が日本にも広まっていった。アメリカの自立生活運動は,公民権運動の中で生まれた。その思想や技術を学んできた障害をもつ当事者たちを中心に,各地に自立生活センターが発足し,障害をもつ当事者同士で,自立生活を支え合うという動きが活発になってきて,現在に至っている6)。
家族や施設から出る。けれどもそれは終着点ではない。(中略)そして,どうして経済的に暮らしを成り立たせていくか,地域の人々とどう接するか,介助者をどう見つけるか,その介助者とどう関係を作っていくか,具体的な多くの問題が待っている。引き留める磁力から自らを引き離し,困難な場所に自らを投げ入れたときと同様,出てきた先のここで生きていくためには,一人の今持つ力では足りないことがわかる。だから生活の様式を伝達しあうネットワークを作る努力が様々に始められたのは自然なことだった。(岡原正幸・立岩真也,1995)
「家を出る」と決めてもさてどうするか。彼らは家を出ることが難しいが故に家族とともに暮らしていた。だから「出よう」と決めても簡単には出ることができない。だから自立生活センターが形成されていった。自立生活運動のキーワードとしては,自立生活プログラム,介助システム,ピアカウンセリング等があげられる。生まれてから家を出るまでの生活のほとんど一切を家族により介助されてきた障害をもつ人々は,お金の管理,人間関係の調整といった日常的な生活を営むのに必要な能力を身につける機会をほとんど奪われてきている。だからまず,こうした日常のロールプレイから始めることになる。自立生活プログラムには,「食事作りのプログラムや電動車イスを使った外出体験プログラムから,介助者をうまく使いこなす介助者管理(アテンダント・マネジメント)プログラム」(北野誠一,1996)などがある。こうした日常生活のスキルを磨くところから自立生活は始まる。
次に介助システムのことについては,自立生活センターが考える介助システムはたいていの場合,介助を受ける人が,自身で介助者を選び,自身が望む介助を受ける。そして基本的には介助は有償である。その資源は利用者の自己負担ではなくて,社会が負担することが望まれている。しかしそれが実現できない場合・具体化していない場合には,自立生活運動に賛同する人たちによって支えられていることが多い。こうした資源的な流れをここで展開することはできないが,重要なことは「家族以外の人に,介助を受ける人の意志を最優先して,介助を受ける」(立岩真也,1995)ことの実現である。
さらには,介助者や家族以外の人と関係を結ぶ際に重要となってくる,人間関係や自己のアイデンティティの問題にどう対処するか。こうした人間関係の問題にうまく対処できるように,自立生活運動ではピアカウンセリングを積極的に取り入れている。これはピア(仲間)と障害をもつ自分自身への肯定的な感情を取り戻す取り組みである。肯定的な感情がないと,自立生活の中で乗じる困難に対して立ち向かっていくことができない。現状では,「家族の世話になって当たり前」という日本社会の常識の中で自立生活を送らざるをえないのだから,そうした「世間の荒波」にどう対処していくかは自立生活の技法と同じくらい重要となる。障害をもつことがどのような意味を持つのか,社会とどのように向き合っていくのかを仲間同士で考えていく取り組みである。
自立生活センターを中心とした自立生活運動は,障害をもつ人々が,家を出て暮らすこと,就労すること,家庭をもつこと,という可能性を開くという点では,多くの果実を実らせている。具体的にはピアカウンセリングや,自立生活プログラムを確立し,自己決定や相互扶助という概念をいち早く自立生活運動の中に取り込んでいた。そして脱施設化,権利擁護,消費者主体(障害をもつ人々自身がサービスの選択権を持つ)という理念を現実のものとしていったのである。
では自立生活運動が展開されていく中で,家族とりわけ「親」という存在は果たしてどのように位置づけられたのか。自立生活運動において,家族は「離脱される場所」として設定された。愛情に満ちあふれる場所としてとらえられながらも,その愛情が覆い隠してしまう感情の葛藤,親への申し訳なさ,障害のある人々自身にかかる負担を軽減するために自立生活運動は進められた。この運動を家族の側から見ることが必要である。今後の課題としたい。
これまでの研究において,「障害児の親」を独自の対象としてとらえた研究は果たしてどれだけあったであろうか。久保紘章(1982)は「障害児のいる家族」に対する研究に,研究者たちが目を向けだしたのは1970年頃であると指摘している。しかし研究自体がなかなか進まず,特に社会福祉学分野においての研究が少ないという現状が存在する。その状態の中で「障害児のいる家族」を主に扱ってきたのは,精神医学分野,発達心理学分野,障害児教育分野である。北沢清司(1992)はこの状況をさして,「障害児のいる家族」研究を「非常に少ないことと,体系的には追求されていない段階」であると指摘する。精神医学分野,発達心理学分野からのアプローチが「障害児のいる家族」を扱ってきたことに対して,安藤忠(1995)は「わが国における1990年代までの家族支援研究は,結局のところ,実践的にも,障害をもつ子どもの障害克服に付随した,副次的な性格のもので,障害受容に関する研究等はあっても,現在求められている内容から見ると,全般にわたって,きわめて低調で,援助する側からの要求色の強いものであったといえる」と整理している。
以上の整理から,「親」は「家族」とほぼ同義に使われ,個別の支援対象としては見なされなかったことが指摘できる。この背後には,家族についての特定の考えがあるのではないかと考えられる。つまり家族には,構成員各自の利益に還元されることのない,それらを越えた共通利益がある,という考え方である。この考えに従うと,子の利益は親の利益と同一視される。だが,もちろんこうした考え方は家族を一面的に捉えすぎている。家族内でのポジションにより強弱が存在しているため,家族成員それぞれの利益は異なって当然である。
家族の中での利益関係を重視した研究が少ないという状況の中,要田洋江の『障害者差別の社会学』(岩波書店,1999年)は,社会学的な立場で「障害児の親」を体系的に分析した初めての文献である。要田の研究がこれまでの障害をもつ子の家族研究と大きく一線を画すのは,障害をもつ子と親を全く別にとらえ,その利害対立,感情の葛藤と日本社会の差別構造を描き出したことである。要田はこの本の冒頭で,障害をもつ子の親たちに話を聞いたときのエピソードをこう語る。
障害児およびその家族−とりわけ母親−は,なぜ差別されなければならないのかというものであった。しかし,親と障害児との関係は,必ずしも同じ位置にたつものでもなかった。親の悩みにそのまま「同情」することは,障害児の存在を否定することであった。次の私の疑問は,なぜ母親はわが子を愛することに葛藤を生じさせなければならないのか。どのようにこの問題を理解していけばよいのかということであった。(要田,1999)
要田のこの指摘と,自立生活運動において指摘された愛情故のしがらみを組み合わせると,障害児のいる家族が抱える各成員の葛藤の構図が見えてくる。要田は「障害児の親」という対象を,「差別問題と社会問題の交錯する交点」とし,さまざまな問題が複合して現れる場であると考えている。一つは障害者と健常者の関係,二つ目は親と子の関係,三つ目は現代社会における制度としての家族の問題として整理する。
要田はこのような問題意識を元に,障害者と母親としての女性にすべての負担を押しつける日本社会の社会福祉制度や家族制度を批判する。すなわち,人間の存在そのものに価値を見いだすのではなく,能力によって人間の価値を決める「健常者の論理」が社会全体に存在し,社会福祉制度は,「選択主義型残余的福祉モデル(家族・親族がとことん面倒を見,あるいは民間の福祉を買い,それでもダメなときに国が援助を与える)」であり,家族自助を基本としている。さらに,家族内にもジェンダーによる性別役割分業が浸透しており,障害児の第一義的なケアは母親に押しつけられている。障害児のケアを,社会は家族に期待する。家族の中では父親が子のケアを母親に期待する。より立場の弱いものへとその負担を押しつける構造が日本社会には存在する,と要田は主張する。
さらに要田は,母親の内部にもこうした「家族自助」「母親の保護役割」が内面化されており,国家・社会の価値観をそのまま反映して,子に接してしまう「国家のエージェント」としての母親の姿を描き出す。母親が国家のエージェントの役割を果たす時に現れるのが「子が社会の迷惑にならないように子の監視を怠らない」,「愛される障害児に育てよう」という,子を全身全霊で愛し,慈しみ,社会の荒波から必死で守るという献身的な親の行為である。
要田は,差別されたくがないゆえに世間の同情をうけることができる「障害児の親」役割を引き受け実行してしまう母親の葛藤を「親の両義性」と名付けた。要田はこの両義性について,次のように説明する。「(障害児をもった)ショックという反応が表現する障害児をもった親たちの『とまどい』は,親たちが“差別される対象”であると同時に“差別する主体”であるという,両義的な存在であることに由来している。」「差別される主体」であると同時に「差別する主体」であるという要田の主張は,障害をもつ子の親の複雑な立場をよく表現している。この複雑な立場で親(特に直接的なケア役割を期待される母親)は社会の価値観と子の存在との間に挟まれて立ち往生したり,揺れ動いたりする。
親自身のアイデンティティの不安定さを,過度に親であることで満たそうとする場合,親はよりパターナリスティックな親にならざるをえない。子を愛し,ケアすることで親自身の,親としてのアイデンティティは満たされることになる。しかしそうすると親と子の関係は密着し,子が社会へと開かれていく機会を剥奪する。だからといって,子がじりつできるように,親が子と距離をおくことは,親としてのアイデンティティを危うくさせるだけでなく,社会からは子への愛すら疑われかねない。こうして親と子の二者関係が密接になり,家族の内部でそれが進行していくと,行き着く先はケアすることに疲れ果てた親子心中ということにもなりかねない。障害をもつ子を抱えた親が子を道連れに心中を図ったという事件を聞いたとき,親に集まる同情は果たして何を意味するのか。その同情が持つ意味に気づき,批判の声を上げたのが1970年代頃の当事者運動である。
要田の分析は,これまで述べてきたような「障害児の親」が立たされている微妙なバランスを描き出している。その上で要田は「共生社会への展望」を語っている。日本社会に,個人の存在を認め合う相互扶助のシステムを構築するためには,残余的福祉モデルや性別役割分業からの脱却が必要であると述べている。
石川准(2001)は要田の分析を評して「分析がスタティックであることと,そのスタティックな分析と未来への希望のギャップの大きさ」が気になると述べている。しかし,要田の研究は,「障害児の親」を子とは異なった個別の存在として捉えた,おそらく日本で初めての体系的な研究ではないだろうか。要田の分析からみると「家族支援」とは安易にいえなくなってしまう。「家族支援」というときの「家族」の中に利害対立があれば,「誰に対しての援助か」という問いが必然的に浮上してくるからである。
言い換えれば,「障害をもつ子の親」という個別の独立した立場への家族支援や,そうした視座・問題把握はこれまでほとんど皆無であったということである。要田の研究以前,「障害をもつ子の親」は独自の援助対象として捉えられてこなかった。その原因は,これまでの個人モデルにたつ専門的援助者たちが,社会に存在するさまざまな価値や文化,ジェンダー・バイアスに鈍感だったことにある。
とは言え,要田の分析をそのまま現実の親の姿としてみてしまうと,「障害児の親」は制度的・文化的な被差別者となってしまい,久保紘章(1982)が指摘したような「障害児をもつことの肯定的な影響」を見過ごすことになってしまう。親の子に対する肯定的な感情を表現したり,社会に対して自らの存在を訴えかけていく行為は必ず親には見られる。すわなち,「障害をもつ子の親」は要田の述べたような社会的状況におかれているが故に「特別性」をはらむ存在であると同時に,たとえ障害があろうとなかろうと存在する親子関係の一般性(必ずしもよいものだけとは限らないが)も同時にもっている。つまり障害をもつ子の親は「特別性」と「一般性」を同時に保有する存在である。だからこそ,冒頭で述べたような「自己決定」や「パターナリズム」という親子関係一般に通じる問題を,より切実に,現実的に考えなければならない存在なのである。
では,「障害をもつ子の親」の「特別性」に配慮しつつ,親子関係の一般性を引き出すような方法とは果たして何であろうか。それは,障害をもつ子どもが幼い頃からの将来を見据えた家族支援であると考える。
次の章では,いくつかの「障害児の親・家族」の支援方法を分析し,それぞれの支援方法がどのような対象像をもっているかを見ていく。親と子を別々にみる視線の重要性や脱家族の思想と,家族支援がなぜつながるのか。家族支援方策が充実すれば,かえって家族の機能が強化され,脱家族の取り組みが遅れるのではないかと考えることもできる。しかし,筆者は家族支援方法と脱家族の思想は矛盾しないと考える。家族機能を強化するような家族支援ならば,確かに脱家族の取り組みは足を引っ張られるだろう。しかし,家族機能を代替するような家族支援ならば,脱家族的な実践を後押しすることができると考える。より直接的に言うならば,家族機能を社会化する,すなわち家族の親密さを解体するような家族支援を行うことが,脱家族的な志向を持った家族支援になりうるのではないかと考えている。
この章では,障害をもつ子の親やその家族に対する支援方法が,どのような対象像をもっているかを述べていく。制度がもつ対象像を「障害をもつ子の親」とはどのような存在かという問いの手がかりとしたい。
家族との関係から見た障害者福祉政策について,末益昭夫(1981)は2つの方向性を示している。1つは「障害者を施設に収容することによって,家族の負担をなくし,施設が家族にかわって障害者に必要な医療・介護・教育・訓練・生活指導・扶養などの機能を提供しようとする方向である」もう一方が,1981年の国際障害者年以来のノーマライゼーションの流れである。施設収容第一主義が批判され,できるかぎり地域や家庭で,障害をもつ人とその家族へ福祉を提供しようという流れになっている。
こうした動きの中で,1987年にアメリカで開催された「家族サポートに関する国際会議」において,リプスキーはFSS(family social service)の重要性を説き,障害者本人のQOL(quality of life)はもとより,家族のQOLの重要性を主張した。そのFSSが考慮すべき項目として,以下の10項目を挙げた。@情報提供サービス(Outreach),A家族・介護者の訓練(Family member/Care giver training),Bカウンセリング(Counseling),Cレスピット(一時的な息抜き:Respite),D移送(Transporta-tion),E特別援助サービス(Special assistance services),F経済的援助(Financial assistance),G住宅援助サービス(Housing assistance services),Hレクリエーション(Recreation),I危機介入サービス(Crisis intervention services)。(Lipsky,1987=安藤訳,1995)
安藤忠(1995)はこの項目を現在の日本の制度に照らし合わせて,「様々なサービスのメニューが整えられてきたが,法制上の不整合性に加えて,縦割り行政の溝,提供側の姿勢や専門性に対する疑問,自己申請主義に伴う不利益,特別なサービスをうけることに対する家族側の心理的抵抗や知識不足等がその有効性を妨げているのも確かで,彼我の間の,サービスということのコンセプト自体に大きな振れがあるのは否めない」と述べている。
行政による制度の複雑さが利用を抑制していることに加えて,制度自体が持つ偏りもまた存在するのではないか。つまり「母子健康手帳」にみられるように,親と子を一体としてみるような世帯型の支援が多く見られるということである。さらには,「障害児・身体障害者・精神薄弱者のホームヘルプサービス」を例に挙げて論じれば,このサービスは,実際の運用に当たっては家族がケアを引き受けきれない場合にのみしか利用できないという実状がある。この背後にあるのは,家族によるケアを前提とした家族支援策と,親と子の利益は一体であるという考え方である。行政の制度を見渡してわかるように,制度上の支援策は親子それぞれへの個別の支援よりも,世帯支援に比重が偏っている。要田洋江が指摘したような「選択主義型残余的福祉モデル」に基づいた世帯単位の支援方法しか行政の制度は持っていないと言えるのではないか。
行政による家族支援策上に存在するのは「親子の利益一体型」の対象像である。これを論じるために,次節では家族支援策のいくつかをとりあげ,どのような援助観をもとに,どのような援助を行っているかをみていく。本稿では治療・療育指導,親訓練プログラム,レスパイト・サービス,セルフ・ヘルプ・グループを取り上げて論じる7)。
前章で述べたように,「障害児家族」に関する研究の中心をなしてきたのは,精神医学,発達心理学を中心としたアプローチである。これらのアプローチは,子どもの障害を適切に診断し,本人にあった形で発達を促進することを理念として設定している。療育的な観点から見た家族支援は,子どもを治療することが,親への援助にもつながると考えている。本節では,治療・療育指導がもつ親像を変容させたこと,療育システムと家族支援方法が結びついてしまうことの問題点についても論じていく。
1950年頃から始まる治療・療育的観点からの家族支援は,その対象像を大きく転換させている。この時代における障害児のいる家族に関する研究は,おもに神経症の子どもの家族に向けられていた。神経症や分裂症などの心因性の障害は,主に家族間の力学がその原因と考えられてきたため,障害児の治療のためには家族力学の改善,即ち家族全体を治療するというアプローチがとられてきた。これを「治療モデル」と呼ぶことにする。
しかし,この「治療モデル」は非心因性の障害,例えば器質障害である自閉症やダウン症といった障害をもつ子どもとその家族の分析には適応できなかった。なぜなら子どもの障害の原因が,家族の力学にあるのではなく子どものインペアメントにあることがはっきりしているからである。だから,こうした非心因性の障害児の家族は「病理」家族ではないし,「治療」の対象にはならない。たとえその家族が問題を抱えていたとしても,それは子どもに障害があるがゆえの二次的な影響であるとみなす。こうした見方は前章で述べた「家族ストレス論」と近い。
このように,「障害児家族」の脱病理化と,日本における1970年代後半からの早期療育システムの完成(安藤,1995)にともなって,「障害児家族」は療育活動の担い手としての役割を与えられることになった。1976年に発表されたフィーニー(N.R. Finnie)の『脳性まひ児の家族療育』にも,障害をもつ子の親の,子どもに対する援助的役割の大切さが強調されている(Finnie, 1976)。安藤忠はこの研究が日本における療育・家族支援に果たした役割について「同書は,初めて療育における両親の役割を,医療的専門家のレベルと同等に置き,そのための援助の必要性とその枠組みを説いたものであり,(中略)日本に紹介された,家族支援のごく初期の具体的内容として,療育史に特記される役割を果たしたことは間違いない」(安藤,1995)としている。だが,安藤も述べているように「家族に対する援助を,子どもの家庭内での発達援助を目的とした扱い方(介護の心構えと技術の習得)に限定している」(安藤,1995)ことも指摘しておかねばならないだろう。
だが,日本において早期療育システムが自治体レベルで浸透してきた1980年代後半には,「障害児のいる家族」の役割は「治療の担い手としての親」へと変容していく。かつては「治療される存在」であった家族が「治療する主体」へと対象像が変化したのである。
だが,こうした療育システムと家族支援制度が結びついたことの問題点もまた指摘しておかねばならない。指摘できる問題点は,「家族構成員の利害対立」と「母子密着」の2点を療育による家族支援方法は見過ごしているのではないかということである。この場合の「家族支援」というときの「家族」とは果たして誰をさしているのであろうか。障害をもつ子どもを支援することが家族を支援することになる,という思考は「障害児問題は障害児にとっての問題である」という個人モデル的な発想と親和性を持ってしまうのではないか。春日キスヨはこのことを指摘し,「その視点のみにとらわれて家族をみるとき,親ないし家族は,障害児の発達を保障する支援者,もしくは,それを阻害する家族としてのみとらえられる傾向を持つ。そこでの親子の状況は,家族内関係に自閉した位置づけを与えられ,解釈されることが多くなる」(春日キスヨ,2001)と述べている。これに加えて,療育システムがおもに母親をその担い手としてみなしてきた歴史もこの傾向を後押しする。母子保健行政は療育システムにおいて「母子一貫管理」を行うことで,母親と障害児の距離を限りなく縮めている。その根底にはボウルビィ以来の母子関係論が存在する。これまでさまざまな批判や軌道修正が行なわれてきたにせよ,ボウルビィの母性剥奪理論(maternal deprivation)や愛着理論は,いまもなお,療育・育児分野への影響力が大きい。これらの母子関係の理論は,ケア・依存関係がより鮮明となる障害児のいる家族において,はっきりとその影響を見ることができる。さらに社会制度や規範との関係でいえば,男性優位社会の性別役割分業体制がこの「母子密着関係」を強化していることも指摘しておかねばならない。障害に関する社会福祉的な制度支援が遅れているのは,母子関係論が国家や男性社会に利用された結果といえる。
個人モデルの視点で家族支援を見るとき,その「家族」は限りなく「母親」と近くなっていく。社会学や社会福祉学的な見地からの障害児の家族研究が遅れた影響は,この療育システムによく現れているといえる。母子密着が維持され,家族支援が母親支援と同義になり,社会との連帯が失われるとき,母親は家族の中で孤立し「自分ががんばれば何とかなる」と,より子との距離が密着していく。親はストレスをため,いつかは子に反乱を起こされるかもしれない。地域での療育システムは有効な家族支援の一つではあるが,一方で「社会」との連帯を制度面に組み込んでいくための作業が必要なのではないだろうか。
親訓練・親業訓練は,日本ではまだなじみが薄いが,1970代以降アメリカを中心として多くのプログラムが開発され実践されている。親訓練とは「子どもを援助するために親に実践的な知識を教え,学習と行動変容の原理を教え,親業スキルを発展させることによって,親を助けること」(山上敏子他訳,1996)と定義されている。親訓練は,親を「伝統的に子どもの第1次養育者であり,マネージャー(監督者)であり,行動モデルであり,しつけをする人であり,また子どもの社会化と変化を促進する人」(山上敏子他訳,1996)であると考える。親はこの訓練プログラムの中で,治療の核として位置づけられる。親は,子どもと一番長く過ごす存在であるし,親は子にとって環境の一部である。故に親は子にとって一番影響力のある存在であるので,子どもの行動パターンを変容させるには親を変容させることが一番の近道であるという理念を親業訓練プログラムは持っている。
親業訓練プログラムの中で,特に器質性の障害児に限ったものをあげるとすれば,発達障害児に対するポーテージ・プログラムやワシントン大学プログラム,自閉症児に対するTEACCHプログラム,脳性マヒ児や運動障害児のためのボバース・アプローチやボイタ法などがあげられる(渡辺,1999)。
親業訓練プログラムは,多くのプログラムが存在し,一概には語ることはできないが,ここでは自閉症児向けのTEACCHプログラムを例に挙げて論じる8)。TEACCHプログラムが捉える親像は,「親はもはや子どもの状態の本質的な原因と見なされることはなく(筆者注―かつて,自閉症児は親の育て方に問題があると考える人もいた),援助,助言,訓練を求めて悩む人」(山上敏子他訳,1996)であるとみなされている。
このプログラムの特徴は,「構造化された環境」である。自閉症児の世界認識は,きっちりと体型づけられており,彼ら彼女らは自分自身の認識に従ってきっちりとルーティンワークをこなそうとする。その特性をふまえて,自閉症児の周りの環境を構造化された環境にすることで,親や周りの人々は,子どもとコミュニケーションを図ることができる。さらには,自閉症児の特徴である視覚による情報収集能力を生かし,目で理解できる情報で構成されたコミュニケーション環境を用意することで(構造化された環境),本人や家族,周囲の人々と,本人に合わせた形態の双方向的なコミュニケーションをとることができる。
ここには,自閉症児が通常のコミュニケーションモードができるように発達を促すのではなく,自閉症児のコミュニケーションに周りがあわせる,という理念が存在している9)。コミュニケーションに障害をもつ子どもが,コミュニケーションの仕方を工夫すればコミュニケーションをとることができる。
TEACCHプログラムは自閉症という診断を正しく親に伝えるところから始まり,さらに親からのこれまでの症例の聞き取り,これからの治療の方針などが話し合われる。これらの行為には,両親のカウンセリング効果も含まれている。自閉症児の場合,親が正しい診断を受けていない場合も多い。その診断がはっきりしない状態は親にとってストレスとなる。もちろん,自閉症児であることを告げられて喜ぶ親はいないが,自分の疑問の裏付けをとることができ,これからの方向性が見えてくるという点で,正しい診断や正しい情報は,親にとって何よりの手助けとなる。このことが,障害をもつ子どもをもち途方にくれている親には大きな援助となる。
親訓練プログラムは,2.2で述べたような療育指導と同じように,親を家庭における直接的な援助者と位置づけている。親を指導することで子どもを援助しようとするものである。親の疑問に科学的に答えたり,子どもの障害を理解して好ましい対応を引き出すために親訓練プログラムは適切な方法を提供しているといえる。
レスパイト・ケア・サービス(respite care service)10)とは「障害児(者)を持つ親,家族と,一時的に一定の期間,障害児の親から解放することにより日頃の心身の疲れを回復し,ほっと一息つけるようにする援助」(廣瀬貴一他,1993)と定義されている。レスパイト・サービスには「レスパイト・ケア」や「レスピット・サービス」等いくつかの名称がつけられているが,本稿では上記の定義に従い,レスパイト・サービスで統一する。
レスパイト・サービスは1970年代にアメリカで発達し,その後,欧州等へも広がっていった家族支援方法である。この動きの背景には,心身障害者施設の「脱施設化 deinstitutionalization」の進展があり,さらに脱施設化に伴う在宅ケア,地域ケアの一環としての家族支援を充実させるためにこのサービスが開始された。日本では1980年代の後半から家族支援の具体的な方策として注目されだしている。
なぜレスパイト・サービスは家族支援の有効な策として登場してきたのか。名川勝はレスパイト・サービスのもつ可能性を,「家族がほっと一息つける」ことよりも,もう一歩進めて「障害をもつ人のケアを家族から一時的に代行することによって障害をもつ本人と家族にもうひとつの時間と機会を提供する,家族支援サービスのひとつ」と定義する。
これまでレスパイトというと,一時的に障害のある子どもを預かって家族が「ほっと一息つく」ことがその主たる目的であるとされてきたところがあります。もちろんそれも大切な目的のひとつであり,今でもまだ使えるサービスが手近に無く,一息つくことすらも出来ない地域が数多くあることは確かです。しかしレスパイトと呼ばれるサービスを提供し続けていると,利用者が必要としているのは必ずしも「一息つく」ことだけではないらしいと気付くようになります。例えばちょっとした用事を足したいときに子どもを預かってもらう人(親)にとっては,得られるものは人手です。学校からのお迎えを頼む人(親)にとっては人手と移送手段が欲しかったという方が当たっているでしょう。サービスを利用してスタッフと一緒にプールに通う人(本人)にとっては,本当は新しい友だちが欲しかったのかもしれません。(中略)こうした実践例が続きますと,提供するスタッフとしてはレスパイトサービスを考え直さざるを得なくなるでしょう。つまり,利用者(本人・家族)のもともとの願いに立ち返ってみよう,と。家族全員が地域で普通に日常の暮らしを継続していくために必要だというのなら,それを提供できるようにしよう。そのように考えていきますと,レスパイトの定義は上記のように変わります。スタッフが行うのはケアの一時的な代行である。その結果,障害のある本人や家族にはもうひとつの(スペシャルな)時間あるいは機会が得られるのです。(名川,1998)
レスパイト・サービスは,「障害をもつ子の親」に新たな可能性を提供する。子と離れることで,親も子も新たな時間や機会を得る可能性がある。1990年代後半からの社会福祉基礎構造改革の流れの中で,障害をもつ人への福祉施策として支援費制度11)の導入が検討されており,日本の障害をもつ人の生活の場も脱施設化の流れをたどっている。よって今後,日本においてもレスパイト・サービスが家族支援の中心として機能する可能性は高い。またレスパイト・サービスは障害児の家族だけに適応されるものではなく,児童虐待のような危機状態にある子どもを家族から一時的に脱出させ,子どもの安全を確保するという目的でも利用されている(名川,1994)。
レスパイト・サービスが,障害をもつ子に対する短期入所サービス(ショートステイ)とどう違うかという点には議論の混乱もある。このサービスがいまだに社会的な制度としては認知されておらず,先進的な自治体やコミュニティだけでの実施にとどまっていることもその原因としてあげられる。渡辺顕一郎はレスパイト・サービスとショートステイを比較して,ショートステイはレスパイト・サービスに比べて,ケアを担う家族成員の負担軽減効果を期待する場合もあるが,あくまでも障害をもつ本人の介護保障的な意味合いが強く,また手続きも煩雑で対応施設も少ないため利用が限られるとしている(渡辺,1999)。イギリスにおける利用者への聞き取り調査でも「親たちはベビーシッターサービスとして位置づけているが,提供者はレスパイト・サービスとして位置づけている」(Monica Dowling & Linda Dolan, 2001)との声が聞かれ,利用者には明確な違いが意識されているとは言い難い状況である。
混乱する現場において,実際の取り組みが日々の実践の中で手探りのうちに導入されていることをふまえつつも,広瀬貴一は,「大方の関係者からは理想論と批判を受けることを覚悟の上で」レスパイト・サービスの基本理念を次のようにあげている。@障害児(者)が日常過ごしているような生活(普段の生活)が継続できること,A障害児(者)の障害の程度にかかわらず,このサービスが受けられること,B手近にあって気軽に利用できること・緊急時にはすぐに対応してもらえること,C費用負担が妥当な額であること,D介護を受ける障害者本人も満足し,両親,家族も納得のいくサービスであること(広瀬,1993)。
レスパイト・サービスはアメリカ以外にも,イギリス,カナダ,オーストラリアで制度的に保障されており,サービスをめぐっての研究報告もすでになされている。大井英子はそれらの調査研究を整理し,サービス利用の主な効果を次の通りとしている。@家族のストレスの軽減,Aその結果,家族機能の改善,Bケア担当者(主として母親)が,ケアをうける本人を含め家族に対して余裕をもって接することができるようになって関係の改善が図られた,C社会的な孤立状態が軽減された(大井,1993)。
レスパイト・サービスの最大の特徴は,援助の対象を「障害をもつ個人」ではなく「障害児の親として日常的なケアにあたる人」に明確化している点である。つまり,2.2や2.3で紹介した家族支援方法とは主眼的な対象が異なる。家族支援といった時にでさえ,障害をもつ個人に注目が集まりがちだったこれまでの援助とは異なり,明確に「ケアする者のケア」をうたったのである。障害をもつ子を持つことで,親のアイデンティティは「障害児の親」に占領されがちである。しかし,レスパイト・サービスが実現されることによって,「障害児の親」でない自分を一時的にでも獲得できる可能性がある。
レスパイト・サービスはサービス利用者の利用理由を原則として問わない。これは障害児のいる家族を社会的に支援しようという試みであると同時に,障害をもつ個人とその親は全く別の存在であることを主張しているのである。ともすれば,障害をもつ子を人に預けて自分の時間をとれば「自分の子どもがかわいくないのか」と愛情を疑われるような風潮がある。しかし障害をもつ子を日常的に見守り,ケアし続けるという行為は経験したことのない人の想像以上に緊張と疲労を伴うものである。こうしたプレッシャーに注目するからこそ,レスパイト・サービスは成立してきたのである。
もちろん,レスパイト・サービスにも批判の声はある。すなわち,レスパイト・サービスは障害をもつ人を一時的に預かるサービスであるので,逆に考えれば日常的なケアは家族が担うという家族によるケアを前提とするサービスなのである。ゆえにサービスを充実すればするほど,かえって家族による負担を肯定化する恐れがある。これは「ケアの社会化」という理念には反している。
しかし,現在の日本の仕組み(民法による親族の扶養義務等)が急激に変化しない限り,家族によるケアはある程度認めていかざるを得ない。成人期を過ぎた障害ある人がいつまでも家族によってケアされ続け,社会との繋がりが切られているのは論外だが,未成年の障害ある子どもを,家族とレスパイト・サービスによる他者の両方でケアしていくことはこれまでになかった可能性があることは,すでに述べてきた。ケアする者へのケアという視点は,対人援助の質を押し上げ,家族の個人個人が利益を享受できる可能性がある。
また,こうした私的領域に公的な援助を浸透させていく際には,支援制度が持つ意味を明確にする必要がある。日本の家族規範には家族単位での自助原則が未だに根強く浸透しており,規範的な抵抗にどう対応していくかが必要となる。たとえば「ドメスティック・バイオレンスと夫婦げんかはどう違うか」,「児童虐待としつけはどう違うか」など,家族内への援助には常にこうした問いがつきまとう。レスパイト・サービスに関していえば,「子どもの養育は親が責任を持つべきだ」「親の私的な理由のために子どもを預けるなんてとんでもない」「子どもの最大の利益に反する」(Monica Dowling & Linda Dolan, 2001)12)という批判をどう突き崩していくかを平行して考えていく必要が出てくる。
セルフ・ヘルプ・グループは,自発的に,同じ境遇にあるものたちが集まりあって形成する集団である。しかし,社会福祉制度の中にはっきりと位置づけられているわけではない。セルフ・ヘルプ・グループが当事者支援制度として注目され,さらに学術的な研究の対象とされてから,まだそれほど多くの時間が経っているわけではないため,セルフ・ヘルプ・グループが持っている支援者像,支援効果についての理論的な整理はまた別の課題としておく。だが,セルフ・ヘルプ・グループが家族支援・親支援に有効な方法であることだけはすでに多くの論者が指摘している。中でも岡知史はセルフ・ヘルプ・グループの定義や効果について次のように述べている。
セルフ・ヘルプ・グループとは,難病,摂食障害,レイプ被害,幼児突然死の苦しみ,育児上の悩みなどの(まさに「死」「喪失」「病気」に関わる)同じ問題を共有する当事者たちが,自発的に集まってミーティングの場を設け,相互に支えあうグループのことである。従来の市民運動のように,行政に対して積極的に働きかけるというよりは,当事者同士が互いのもつ痛みや苦悩を「分かち合う」ことに主眼を置くところに特徴のあるグループだと言えるだろう。(岡知史,1999)
「障害をもつ子の親」たちのセルフ・ヘルプ・グループのメリットをあげるならば,同じ立場で障害をもつ子を育てている親の姿を見ることができること,個別の障害についての具体的情報を得られること,障害をもつ子を育てることについて一緒に考えることができること,があげられる。
こうした内容の言葉や情報を,専門的に定義された言葉ではなく,親の目線・言葉で話し合っていくのである。この「話し合う」というところにセルフ・ヘルプ・グループの大きな特徴がある。同じ立場で考え,生きている人々の存在は,それだけで悩んでいる個人に様々な影響を与える。相手がたとえ確固とした答えを与えてくれなくても,「私はこうしている」と教えてくれることや,悩みを共有してくれることにより,悩める個人も,話を聞いた他者も自己や子に対する理解を深めることができる。
自らの言葉で,自身や子の障害への意味づけを行うことをセルフ・ヘルプ・グループは後押しする。セルフ・ヘルプ・グループは専門家を含まない集団である。専門家が存在しないということは,そこでは自分なりに問題の把握ができる自由さが生まれる。自分の言葉で,自分や子に対する肯定的な感情や否定的な感情までも共有することができる。
セルフ・ヘルプ・グループへの参加者は,問題の直接的解決をセルフ・ヘルプ・グループに求めているのではない。参加者がそこに求めているのは,自分の問題を安全に語ることができる場所と,自分の語りが受け入れられることである。その後に参加者は,自らの問題の所在を自分の言葉で把握し,それを社会的な文脈の中で位置づけていくのである。
「障害をもつ子の親」のグループの場合,会の参加者同士の関係を決めるのは,子どもの年齢であることが多い。子の成長段階にしたがって目の前に課題が立ち現れてくる。そこでこれからその課題に取り組む親は,すでにその年齢における課題をやり過ごしつつある親の経験を聴き,それを参考に自身の課題に取り組むのである。 こうした同じ立場のものたちから聞く「ことば」はなによりも援助的な効果のある「情報」となる。セルフ・ヘルプ・グループが親たちに支援するのは,具体的な情報や,障害をもつ子を育てていくことの意味を理解することである。資源的支援ではなく「意味を問う」ことを支援するという視点はこれまでの社会福祉の制度にはほとんどなかった。いうまでもなく,こうした「意味」の面での支援も資源的な援助と同じくらい重要である。
ここで確認しておくべきことは,セルフ・ヘルプ・グループが障害をもつ子を育てていくのに必要な「情報」や,障害をもつ子や親自身への理解に対する援助を行っているということ,さらに家族支援というよりは,「親個人」への援助という意味合いが強いということの2点である。親と,障害をもつ子を別の存在として扱い,子に必要な援助と親に必要な援助は異なるということをセルフ・ヘルプ・グループは示している。セルフ・ヘルプ・グループが担っている親への支援の方法を詳しく分析することは,親という存在が社会的な文脈の中でどう位置づけられているかを見ることにつながる。
ここまで,家族支援として現在位置づけられているいくつかの支援方法が,それぞれどのような対象像をもち,なにを優先的な目標として設定しているかを考察してきた。それらを図示すると図1のようになる。
横軸に「世帯支援型」,「個人支援型」という軸をとる。「世帯支援型」は家族集団には共通の利益があり,世帯を支援することが家族成員全体への援助効果があるとする観点である。「個人支援型」は,家族成員には世帯の利益とは異なった独自の利益があり,個人への利益を促進することが,世帯全体の利益にもつながるとする考えである。
縦軸には「家族内機能促進型」,「家族成員自立促進型」という軸をとる。「家族内機能促進型」の支援は世帯単位での支援効果を高めようとするものであり,家族成員の能力を高め,家族集団内部での相互支援を促進する。この傾向が強すぎると,家族自助に依存した支援に陥る危険性が高まる。それに対して「家族成員自立促進型」は家族の成員それぞれが,家族外からの社会的支援をうけつつ,家族の中において,成員間の援助効果を相互に高めようとする支援方法である。
治療・療育指導は,子どもに直接援助し,子どもの能力を高めることが子どもにも親にも支援効果があると考える。そのため,世帯支援型と家族機能促進型に位置づけられる。子どもの発達は親にとって何よりの喜びであるし,子どもの可能性も広げることができる。しかし,障害をもつ子どもの発達には少なからず制約が存在し,生活の一部をある程度他者に依存せずにはやっていかれない。ある程度の年齢になれば,親や家族以外の人々との繋がりが求められる。その段階がくれば,次の支援方法に移行していく必要がある。また,親は子どもの治療者として,子どもに付随する存在としてみられるため,親個人としての利益は得られにくい傾向がある。
親業訓練プログラムは,親個人の親スキルを高めようとする支援方法である。子どもの障害について正しい知識を得て,障害とのつきあい方を知り,子どもとのコミュニケーションをとることができるようになれば,親自身にも子どもにも利益をもたらす。親個人としての利益も追求でき,なおかつ子どもとの接し方に習熟することで家族機能が向上する。親業訓練プログラムを一概にひとくくりにすることはできないが,本稿で挙げたTEACCHプログラムは「自閉症の理解」や「コミュニケーションの取り方」を親に教えるという意味では,親に対しての「治療・療育」的な側面が存在する。
レスパイト・サービスは,その理念で親個人へのサービスであることを明確に述べており,親や第一義的なケア提供者(primary career)に身体的,精神的に「ほっとしてもらうこと」を目的としている。だが名川が述べたように,レスパイト・サービスは単に親にほっとしてもらう以上に,親や子に,新しい時間や機会を提供する支援効果が多層的な援助方法である。「障害児の親」以外の社会的立場を獲得できるレスパイト・サービスは,親にも子にも相乗的な援助効果をもたらす。家族成員それぞれ独自の利益を享受でき,なおかつ家族以外との連帯も生じるため,将来的な自立生活へもつながりやすい。
セルフ・ヘルプ・グループは,親に子の障害に関する情報を提供したり,親個人がもつ「障害そのものの意味」,「障害をもつ我が子」,「障害をもつ子の親である私」といった大きな問いを,同じ立場にあるものが共に考えたりする場である。これは同じ悩みを抱えたもの同士の相互扶助的なつながりである。それだけに支援という言葉すら正しくセルフ・ヘルプ・グループを表現できないのかもしれない。援助する者が,いつのまにか援助をされる側に回っている,他者を助けることが自分を助けることにつながるという特性は,他の支援方法にはない大きな特徴である。
セルフ・ヘルプ・グループで語られる言葉は,「子どもを受け入れられない」や「将来のことを考えると,子どもと一緒に死にたい」という,時には子の利益とは相容れないものもある。そうした時に親たちはその親が子を受け入れられるように話を聞いたり,アドバイスをしたりする。子どもの幼児期・親に成り立ての時期におけるセルフ・ヘルプ・グループの支援はまず家族としての機能を成り立たせることに向かう。その後,子の年齢が上がってくるに従って,今度は子と親の別々の利益が生じてくる。いつまでも親と子がべったりしていては,お互いに個別の利益を損なう可能性が出てくる。そのためには情報を交換して,子の親離れ,親自身の子離れを実現していくための手段が相談される。故にセルフ・ヘルプ・グループは家族機能を促進したり,逆に家族成員の自立を促進したりと子どもの年齢によって支援効果が変動していくものである。
ここで注目すべきは,世帯支援型の家族機能を促進する支援方法は専門家主導で発達してきたのに対して,個人支援型で家族成員の自立を促す支援方法は,親の自発的な集団や地域から発展してきたということである。もちろん,専門家の行う援助には学術的な蓄積に基づく体系的な援助理論が存在し,それは障害をもつ子の「発達」という観点からみれば,親の期待に十分応えられているであろう。しかし,親もまた子と同様に支援が必要であることは,1章で述べた家族のストレス要因や要田の研究が証明済みであると考える。その上でなぜ,レスパイト・サービスやセルフ・ヘルプ・グループが親たちの集団から誕生し,いまなお求められ,一定の効果を上げているのか。そこには障害をもつ子とは異なる存在としての親がおり,障害をもつ子とは違った支援を求めているということの証明ではないだろうか。これは裏返せば,親の要求に応えうる支援制度を公的な枠組みは用意しきれなかったということでもある。
親たちが求めているものは,「親が『障害児の親』であるが故に生じる困難」を緩和する措置である。「障害をもつ子を24時間ケアすることの体力的なつらさ」や,「『障害児の親』以外の自分が失われてしまうことのつらさ」を緩和する支援,さらには「障害をもつ子を育てることの意味」,「障害とは何か」という問いに答えられるような支援方法が求められている。そのためには,家族支援を,世帯単位,親子単位だけではなく,親と子それぞれ行っていく必要がある。レスパイト・サービスが示しているように,親と子と個別に考えることは親にも子にも新たな可能性を開き,また親から子へのケアの質を向上させ,より相乗的な援助効果をもたらす。これらの支援方法を見てわかるように,親にも子にも個人としての利益が存在するということである。
これまでの世帯支援は,世帯全体での利益を優先し個人の利益を軽んじる傾向があった。例えばある家族の世帯利益が「10」だとして,その内訳が「父親8,子5,母親-3」だとしてもそれをよしとしてきた。「障害をもつ子のいる家族」の場合,こうした利益バランスはさらに偏ることになる。
個人型の支援によって,家族成員の中で不利益を被るものをなくすことで,家族全体の利益も押し上げるような家族支援が必要となってくるのではないか。「障害をもつ子の親」に注目することで,こうした世帯支援における個人の利益の内訳がより鮮明になる。
本稿では,「障害をもつ子の親」という主題に注目することの意味を,「障害児のいる家族」研究,さらには「障害児のいる家族」への支援方法を見ることで検討してきた。その結果,次のようなことが明らかになった。
「障害をもつ子の親」,特に母親は,家族自助規範や愛情規範によって,また社会制度全般にわたって,心身ともに過度な負担を強いられてきていた。そうした立場にある親を支援するためにも「障害をもつ子の親」とはどのような存在かを捉えるかが重要となる。
「障害児をもつ家族」に対する研究は,障害をもつ子に注目する医学モデル的な視点からのものが優勢であった。その結果,家族に対する支援方策はあっても,「親」に対する支援策は,いまだに体系化されず研究も進んでいない。「障害をもつ子の親」への社会的な視点が確立されずにいるため,「障害をもつ子の親」への支援は,療育をはじめとする障害をもつ子ども(障害児)への直接的援助と,家族全体に対する社会福祉制度のはざまに取り残されてしまっている。
それは,日本の家族支援制度が,世帯支援を基本としており,なおかつ家族自助の規範が根強いためである。世帯支援が基本となる支援方法では,親と子が個別の存在であることが見過ごされ,親と子の利益を同一のものと見なし親と子の密着化を招きかねない。
だが,ようやくレスパイト・サービスのような「ケアする人へのケア」という視点を持った援助方法が形成されつつある。またセルフ・ヘルプ・グループのように,制度的支援では解決できない,同じ立場からの情報支援や,障害を理解するための支援にまで援助の幅が広がってきている。この二つの支援方法の最大の特徴は,「障害をもつ子」からは独立した親個人の利益に沿った支援であるということである。
レスパイト・サービスとセルフ・ヘルプ・グループに注目して,家族支援がいかにして成立するかを考えると,家族支援がはらむ矛盾が明らかになってくる。その矛盾とは,世帯支援型の家族支援策を推し進めていくと,家族自助規範が強化され,親と子が社会とつながっていく契機が奪われる可能性である。反対に,個人支援型の家族支援策を推し進めていくと,家族の機能が外部化され,家族は解体の方向に向かいかねない。
だが,家族自助意識が強く,なおかつ世帯という支援方法が根強い日本の現状では,やはり個人型の家族支援が必要となるのではないか。1章の最後に述べたように,脱家族(家族成員の自立)の思想と,家族支援を積極的に行うことはやはり矛盾しないのである。
これから考えていく必要があるのは,障害の「社会モデル」の議論をふまえつつ,「障害をもつ子の親」は障害をもつ子とは全く異なる存在であることを明確にしながら,それぞれに個別の支援方策を考えていくことである。家族の成員それぞれが社会とつながりを持ち,世帯としてではなく,個人として社会化されていくような取り組みが必要なのではないか。
「障害をもつ子の親」という視座からは,現状の日本社会が持つ社会保障制度の偏り,家族規範,さらにはどのような家族支援が必要かという多くの課題が浮き彫りになる。