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ゆるやかな、予定された死
一生物学者の体験的介護論

加藤 憲二(生物学)



ゆるやかな、予定された死
一生物学者の体験的介護論

                            加藤 憲二(生物学)

  信州大学医療技術短期大学部平成8年度公開講座
  生と死の医療──教養としての医療part2

 大阪の喧噪の中で育った私が、大学では生物学を勉強する、とい言いだしたときの
周囲の反応に、「憲二は天皇はんとおんなじことやるんやて」というのがあった。実
利と合理の大阪のど真ん中で、生物学なんぞを勉強しようというのはおおよそ普通で
はなかった。
 1学年500人の学生がいて350人くらいが国立大学に進学する高等学校で、私
と志を同じくしたのは他にもう一人、築地の国立ガンセンターの研究所でウイルスの
研究をした後、最近国立大学に移った丹生谷君くらいであったことからも、そのマイ
ナーぶりは明らかでしょう。<私がなぜここにあるのか>という問いと、<その私が
いなくなった後、というのは何なんだろうか>という問いにとりつかれていたという
ことより、直截な、きわめて大阪的な上の問いが、私は好きである。その後20年余
りも勉強させてもらって、いったい何が分かったというのだろうか。
 学問の入り口は、とりわけこの国での学問の入り口はきわめて狭量。上のような問
いなど心の中に潜めることによってしか1人前にはなれません。いわゆる専門バカと
いうやつに成らねばならない。これはこれで一つのことを深く学ぶためのオーソドッ
クスな手法として、必要だという気はします。しかし人生は決して長くはない。自分
が一番知りたかった問い、「生命っていったいなんだろう」に立ち帰りたいという思
いは徐々に強くなっていく。強くなっては行くが、それに比例するように1日の中で
の自分の時間が少なくなっていきます。大学のこと、学会のこと、人のお世話のこと
、等々等。そんな日々の中で、私と私の妻は、脳出血で倒れた一人暮らしの彼女の父
親を松本へ引き取りました。やってみたらという、畏敬する医師の言葉に励まされて
でもありましたが、私達を動かしたのは、3カ月がたったから引き取ってほしい、と
いう名古屋の病院からの有無を言わさない電話でした。それからの1年半の戦いで、
感じたこと、考えたこと、学んだことをお話しします。


REV: 20170127
信州大学医療技術短期大学部
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