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障害者の就労を考える
──2つの働き方を調査して──

石黒 加奈子・坂井 幸恵・寺岡 亜記・芳田 真由美
(2000年度信州大学医療技術短期大学部看護科3年)
卒業研究レポート 200012提出



はじめに

 障害者は家庭または施設といった場所で主に生活をしていた。するとそこには社会的自立のための「働く場」が欠如していることに気がつく。今回、私達は一般企業で働いているKさんや地域の障害者が働く場として梓川村にできたパソコン工房“ポコアポコ”のことを知った。その現状を受け止め理解することは、看護者として障害を持って生きていく患者に先の見通しを考えたケアを提供するための役に立つかもしれないとも考えた。そこで、障害者が“働く”ということについて、聞き取り調査をすることにした。
 7月15日に、“ポコアポコ”がどんな雰囲気なのか、どんな仕事をしているのかを知るために一度訪問した。その後、8月5日に再び訪問し、TさんとFさんにインタビューした。それ以外にもメールでのやりとりをして、質問に答えてもらった。Kさんには8月13日にインタビューした。

I Kさん

1980年 5歳のとき、逆上がりの着地に失敗。脊髄損傷し車椅子使用者となる。
1982年4月 地域の小・中学校の普通学級で統合教育を受ける。
1991年4月 通信制高校へ入学。
1993年3月 大学入学資格検定合格。
1994年4月 初めての車椅子の学生としてS大学人文学部へ入学。
1998年1月 ダスキン障害者リ−ダ−育成海外研修派遣事業第18期生として合格。
1998年3月 S大学人文学部卒業。
1998年10月 カリフォルニア州バ−クレ−CILでインタ−ンとして研修。
1999年8月 帰国。
1999年10月 某システム会社のコンテンツグループのテクニカルライター(製作担当)として勤務。

大学まで
 障害を持つ子供を傷つけたくない、また障害を持つ子供を社会に出すことで他人に迷惑をかけると考え、外に出したがらない親もいる。しかしKさんの親は子供を外に出す方で、幼い頃からKさんを積極的に外に連れ出した。「あんたが大きくなったら海外なんて連れて行けないから、今のうちに、親が元気で介助ができるうちに行きなさい」と言われ、よく海外旅行に連れて行ってくれた。そして小学校・中学校は統合教育を受けさせた。
 Kさんは「小学校時代にいじめにあい、5〜6人に囲まれて“おまえ生意気なんだよ”と言われたが“どこがどう生意気なのか言ってごらん”と言ったら、誰も答えられずそれからいじめはなくなった」と言う。Kさんはいじめを受けたが、母から「理由のない子どものいじめだから障害を持っていることを気にすることはない。」と教えられ、相手に立ち向かうことができた。
 Kさんは教師になりたいと思っており、教員免許は大学に行かないと取得できないため大学へ行くことを志した。
 「障害を持っている人が大学に行くこと自体がすごく珍しい。大変なんですよ。どうしてかっていうと試験を受ける段階で障害学生を受け入れるかどうかっていうのがあって、試験自体が受けられる大学が多分60%ぐらいで、さらに中の設備が整っている大学っていったら本当にもう少ない。」
 Kさんが受けた大学は、障害者が受験することを受け入れていたので入学することができたが、車椅子の生徒はKさんが初めてだったため大学の講義棟にはエレベーターやスロープがなく移動が困難だった。3年生になってやっとスロープが作られ、図書館などにエレベーターが設置され、学習環境が整えられていった。
 一方大学生活では、最初は生活上不便なことが多く学校に行く手段がなかった。バスにリフトもなく、車の免許もなかったので交通手段に困り1年目は母と2人暮らしで、車で送り迎えをしてもらっていた。その後免許を取り車での移動が可能となったため、2年目からは一人で暮らすようになった。「障害者の自立を妨げる1番の障害は親だって言われているの。やっぱり親は子供がかわいいから絶対に守ってやりたいという意識が強く、自分の目が届く範囲で生活してほしいらしい。」と障害者の親について言う。Kさんの親は家の中に囲いこむような親ではなかったが、それでも大学に入って1人で生活したり遠出したり、親の目を離れて行動する時に親の猛反対にあった。そこでTさんは親を安心させるために、徐々に段階を踏んで理解していってもらった。例えば、集会に行く際に「最初は行き帰り親に送ってもらい、次に親と一緒に電車で行き、そこで自分がどういう人と出会い何をしているのかを親に見てもらって、ようやく1人で電車に乗って出かけることを親に納得してもらった。
 中学校の友達とも今も仲がよくて、連絡をとったり旅行に行ったするという。ただ「中学の友達は、私がまだ将来どうなるかも全然見えない状態だっただろうから、私が車の免許取ったよぉっていうのもすごいびっくりされる。」それに比べると「大学の友達は、こう一人で生活してて車椅子で行動しているのが普通って感じ」で受け止めていたという。

就職活動
 Kさんは当初、教員になりたいという思いがあって、教育実習に行った。
 「教員免許って、教育実習は絶対に行かなくちゃいけないことで、すごく困って(出身校の)N高の通信の方で教育実習をやらせてもらえないかと頼んだんだけど、でも“通信じゃだめだから”って言われて全日制の方でやってもらいました。N高はエレベーターとかスロープとかついてるんですよ。どうやって通おうかって、それが大変だったんですけど。例えば身障者が泊まれるホテルがないんですよ。ホームステイとかも無理だし、ホテルも街もまだ全然設備が進んでないし、ひどかったですよ。駅もエレベーターも何もないし。
 たしか、3年ぐらい前に全盲の方が教員試験を受けられて、そういう人が受け入れられるようになったんです。それまでは試験を受けること自体拒否されるって感じだったんですよ。」
 その後民間会社への就職を考え、大学4年の時に就職活動を始める。
 「就職活動も、例えば企業面接とか試験とかありますよね、まず試験を受ける段階で断られるんですよ。企業に入るか入らないかの前の段階で“受け入れられません”、しかも“試験を受けるのもだめです”っていうのがあるんですよ。だから実際に話を聞いてもらえる企業がすごく少ない。
 私は一般のいわゆる大学生がする就職活動と障害者向けの就職活動の2本立てで両方やってたんですけど、一般学生がするような就職活動をすると企業説明会に行けないんですよ。会場に階段があるから。企業説明会に行こうと思って行ったんですよ、ホテルだったのかな、入れなくて困っちゃってうろうろしてたら、向こうの受付の人が出て来てくれて“どうしたんですか?”って言ってくれて“すいません説明会に行きたいんですけどもちょっと入れないんです”って上げてもらったりとか、まずそこからですよね。だから本当に誰でも来ていいっていうのが説明会の主旨だけど、でも実際に説明会に選ばれている会場はバリアフリーではない。それは説明会に障害者が来るってこと、会社に就職することっていうのを視野に入れてないってことなんですよ。だから自分がきっかけとなったことはいいことだと思う。
 就職活動をする時に一番困るのが情報がないってことですよね。よく大学新卒者向けに無料で配られる『全国企業一覧案内』には何千という会社が並んでいると思うんだけど、某会社から出ている障害をもつ人向けの就職情報誌『サーナ』では1999年秋号で31社のエントリーなんです、全国で。少ないですよね。“積極的に障害者を受け入れましょう”っていう会社がこれだけしかないんです。だから、どこのどういう企業だったら受け入れてくれるのかがまずわからないしそれがきついことだなって思います。本当に自分のやりたいことをやろうと思ったら、もう自分で開拓するしかないと思いますね。自分で苦労していかないと道が開けるまで待ってたら、多分だめだと思うから。自分で開いていくしかないと思いますよ。」
 このような苦労があったが、Kさんは2社内定をもらった。しかし、教育学部に進学し、教員になることを考えたのには、統合教育への興味があった。「自分の学校に目の見えない子や、耳の聞こえない子などの障害を持った子が、私以外になぜいないのか不思議でした。」
 そこですぐには就職せず、アメリカでの障害者の現状がどうなっているのかをみたいと思い、ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業に応募し受かって、大学を卒業した年の10月から翌年の8月まで、アメリカに10ヶ月研修に行った。
 Kさんはバークレーという福祉の町として有名なところに住んだ。その街のバスにはリフトがついており、アパートもフラットになっているなど日本よりもずっと公的設備・交通・テレコミュニケーションが障害者に配慮されていて、全く問題なくアメリカで一人暮らしをすることができた。

職場
 Kさんが就職したのは帰国した年の10月である。
 「もともとものを書くことに興味があって、あと英語から離れたくないっていうのがあって。今行っている会社の就職は、バークレーから8月に帰国してきて、就職活動を始めてハローワークに行って。実は前から狙ってたんですよ。もし地元で就職するんだったらここだなって思ってて、もしそこが決まらなかったら東京に行こうと思って。やっぱり東京の方が受け入れてくれる企業が多いんで。でも今の会社に面接をしたら受かっちゃって。採用は4月かなって思ってたら、向こうの大学の卒業時期は6月なんですよね。それから就職するとなると日本の場合はずれるんで、10月に新人を取るっていうことで、普通の大学に行ってた人とかが何人か一緒に就職しました。」
 Kさんの肩書はコンテンツグループのテクニカルライターである。「紙版の取扱説明書がオンライン上で見えると思ってもらえば。色や図も入っていて動きもあって、ホームページそのまんまがマニュアルになっているって感じです。」
 勤務体制はフレックスタイムである。コアタイムと呼ばれる時間だけ出勤すればその前後の時間は何時に来て何時に帰ってもよく、Tさんのコアタイムは午前10時半から午後2時半までである。「朝、体調が悪い時とかあるんですよ。病院に行ってリハビリを受けなきゃいけない時とか、病院の定期検診とかあったりするんで。例えば10時半からだったら、病院って8時半からやってるんで検査を受けてからでも十分行かれるんですよ。だから休みをいちいち取らなくて済むのですごく楽、いい勤務体制だと思います。」
 「なんかたまたまいいとこに入ったと思うんですけど、こっちが言う前に改善してくれちゃうんで。“スロープつけましょう”って付けてくれたりして。新社屋が建つって時も事前に聞いてくれて、車椅子利用者のことを考慮して建ててくれましたよ。さらに今年3月に移った新しい事務所は全くのバリアフリーです。車椅子用の駐車場に、化粧室が整い、室内はほぼまっ平らで段差がないんです。一人あたりのワーキングスペースが広く、机の間の通路もかなり広いのは大助かりです。スイッチの位置も棚の高さも問題ありません。強いて言うなら駐車場に屋根をつけてほしい、ってことぐらいでしょうか。つまりこの事務所内では、私は“車椅子である”ことを特に意識することなく仕事に励むことができるわけです。入社して5日目に会社の社長にお会いして、お話する機会があったんですけども。その時に“何か不便なことがありますか”“あったら言ってくださいね”って。“別にそれはあなたのためではなくて、将来ここに就職するための障害を持つ人のためになるんだから、全部言って下さい”って言われて。たまたまいい会社だったんです。」

U パソコン工房「ポコアポコ」

経緯
 パソコン工房「ポコアポコ」は、パソコンの技術を利用した就労の場を作り出そうと1999年に梓川村に開設され、ボランティアの人達の支えもあって運営されている。
 その設立には「松本障害者パソコン通信研究会」と「プロボノ」という松本市を中心に活動する2つの集まりが関わっている。「松本障害者パソコン通信研究会(http://www.avis.ne.jp/~pasokon/)は、パソコン教室を開いて教えたりして障害者のコンピューター利用の支援をしていたが、その中でコンピューターを使った垂れ幕印刷を始めた。ただ仕事場として使っていた総合福祉センターで料金をとる仕事を行うのは難しく、作業をする場所を探していた。
 他方、「プロボノ」は福祉施設の職員や医療関係に勤める人、製薬会社の社員などで構成される研究会で、それぞれの職場での課題や問題点の情報交換をしてきた。そこで、話し合いや情報交換をしているだけではつまらない、何か事業を始めたいということになった。この中には身体障害者療護施設に勤めるTさんもいた。施設内で仕事をしてもらうにしても、一部の入所者だけに特別な時間をかけることは許されず、また、ここでも施設内で料金をとる事業を行えないという事情があり、施設外に仕事場があることが望まれていた。
 そこに、プロボノの代表で包括的な地域医療を目指す梓川診療所の医師のHさんから、診療所併設のデイケアセンターの機能を活かした新たなボランティア活動ができないかとの申し出があり、双方に籍を置くメンバーの仲介でパソコン工房「ポコアポコ」を1999年3月にスタートさせた。
 当初梓川診療所で仕事をしていたが、テレビがうるさくて場所が狭く、仕事がはかどらなかった。診療所で仕事をしていれば障害者用のトイレはあるし、段差もなく診療所からの注文も簡単に受けやすかったのだが、施設内ということで営利を目的とした活動をなかなか公にできなかった。「だんだん彼らも力をつけてきてそれ相応の仕事ができるように」なってきたこともあって(Tさん)、2000年4月に現在の場所に移転した。
 「ポコアポコ」は、音楽用語で「少しずつ・だんだんと」という意味のイタリア語である。この名前には、ペースを保って少しずつ地道に経営して行こうという気持ちが伝わってくる。

活動
 調査時のポコアポコのメンバーは、脳性麻痺の人が3名(身体障害者療護施設に入所しているAさんを含む)、脳の外傷による体幹機能障害の人が2名(Fさんを含む)、頚椎小脳変性症の人が1名(以上の人が1種1級)、筋ジストロフィーの人が1名である。ボランティアには施設の職員、公務員、会社員、医者などあらゆる人がいる。その中の一人であるTさんは、身体障害者療護施設で指導員をしながら、ポコアポコの中心的存在として活躍している。
 「障害者が生活してて、人間生きてれば何かするじゃないですか。で、ずっとA達に長いこと言ってきたのは、“勉強しろ勉強しろ”っていうことでした。何で同い年なのに俺は働いててお前達は何もしてないんだ、っていう話をずっとしていて、でも勉強してじゃあ何になるのっていう答えが出てこなかったよね。障害者が時間を持て余しててじゃあ何するって、遊ぶか、学ぶか、寝るか、飲むか、食べるしかないんですよ。でも飲んだり食べたりすると吐いちゃうし、必ず誰かに迷惑をかけるわけで、そう考えたときに学ぶっていうのは誰にも迷惑をかけないじゃないですか。」
 メンバーのFさんは24歳で、高校3年生の時に事故で障害をもった。「TさんやIさんが声をかけて下さったり、たまたま梓川村に住んでいたこともあって村内の障害者として声をかけられました。他に診療所のH先生にも声をかけていただき、パソコンのことは全然何もわからなかったんですけどいちおう障害者パソコン研究会っていう団体に入ってて、そのパソコン講座に通いました。せっかく声をかけていただいたし、家にいてもすることないし何か始めようと思ってパソコンを買ったのが動機です。」よかったことは「いろんな人と出会えたことです。こういう状態にならなかったらこのような仕事をしていなかったと思うし、パソコンの使い方も知らなかったと思います。」
 ポコアポコでの仕事は、パソコンを使った印刷業で名刺・はがき・チラシ・ポスター・垂れ幕などを作成している。作業は自宅と職場の半々の割合で行なわれている。基本的な打ち込みは障害者が主に行い、最後の詰めの部分を健常者がサポートしている。具体的には細かい場所を動かす作業、画像の貼り付け、文字の大きさの設定、構成終了後の全体のイメージを確認することである。体力面では一人一人の体に合わせた仕事の量を分担している。出勤日は毎週木曜日と土曜日の午前中で、仕事の打ち合わせや自宅で作ったデータの印刷などをしたり技術指導を受ける時間にしたりしている。給料は、去年1年で1人2万円だったという。

今後
 「今、設備面を充実していきたいっていうのがあるのでそこにやっぱりお金をかけている。きりがないですね。今はいろんなところからの寄付を受けていて、診療所からの寄付が主です。これから村が寄付に関わって下さるということで多分設備に関しては大幅に改善されるだろうと思います。 設備にあるものはほとんど借り物ですから。ポコアポコ自体で買ったものはプリンターとソフト関係のものですね。トイレは向かいにある役場の障害者用トイレを使ってます。」(Tさん)
 ポコアポコの特性は「家族ぐるみってとこじゃないかな、やっぱり。ボランティアの子供をポコアポコに連れてきたりして、家族全員が何らかの形で関わってくれている。子供達が自然に障害者と接している。それをもっと広げていきたいなっていうのが始めた時からコンセプトの中にあったんだよね。この場所ではそれが可能だけど、診療所では子供達と接する機会がなかったからね。これからの課題として障害者に今後何かをしてくれる人を作っていく。お金を稼ぐよりも子供達に障害者と触れ合う機会を持たせて、その子達が大人になってボランティアに来てくれる方が価値があるんじゃないかって。下手に経済的自立を考えるよりも、そうやって社会に出て行って、人とうまく接して行ったほうが、それをお金に換算したらすごい額じゃないかと思うんです。」(Tさん)
 「学校でも会社でもない、えらい難しいボランティアでもない、義務もない、子供達や高齢者、それから閉じこもり症候群の女の子達が出て来やすいような施設でありたい。心に病はあるけど体は元気な人と、知的能力は低いけど体は元気な人と、頭はいいけど体が動かない人がいたら、お互いの残存機能を活かせば何か一つのものになるだろうと思います。(市町村)障害者プランの関係で、村が全面にポコアポコを支援したいということで、事業全体として近々リニューアルスタートとなるので今準備中です。村からいろんな人が紹介されてくるのでメンバーは増える予定です。この施設の目的自体がちょっと変わってきて、今までは営利目的ということを前面に出してきたんですけども自立に向けた訓練目的の施設になるんです。場所も今の施設の5倍の広さの生活改善センターに移ります。現在のポコアポコの方が道に面していて、通る人がみんな声をかけてくれるので立地条件はいいのですが、今までボランティアでやってきた限界みたいなものもありますし、どこかで妥協しなければいけないのかなぁとも思っています。」(Tさん)

V 違いをどう考えるか

当たり前のこととしての就労
 今回調査した2つには大きな違いがあった。それをどう捉えたらよいのだろう。Kさんの言葉に即しながら考えてみたい。
 この違いには働くことのへ意味づけも関わっているようだ。なぜ働くか。Kさんにとっては、それはまず、聞かれる必要のない、「当たり前」のことだった。
 「働きたいというか、働くのが当たり前だって思ったっていうか。私が自分の中で大学行くのも当たり前だったし、卒業したらまぁ就職するのが当たり前だと思ってたから、だから障害者うんぬんの前に私は就職することを先に考えました。」 もう一つは、これも「当たり前」の一部とも言えるのだが、働いて「一人前」という思いである。
 「社会的に認められるっていう意味では大きいかもしれない、一般企業に就職って。あたしは結局それをねらって、こういうのを作ってきたわけだし。やっぱり今の社会って大多数である健常者を中心に作られているわけじゃない。そこに入って行こうって思った時に何が有効かって考えると、とりあえず一つでも学歴をもっているのがまず有効になると思うし、それが有効だからまず、そこまでなろうと私は思ったし、変な話だけど、きちんとした格好をすること、例えば化粧をしたりとかスーツを着たりとかそういうのが有効だなって。やっぱり社会に受け入れられるっていう意味では非常に大きいことだと思うし、やっぱり社会に役立つって夢だっていうよね。年金をただもらう身じゃなくて、自分がお金を納める身になるってこと、その意味は大きいよね。まだよくわからないんだけど。私の中で働くことってごく普通のことで就職するのも当然だと思っているから、それほどではないけど、やっぱり現状を思った時に障害を持った人が納税者になる意味はとても大きいと思う。うーん、やっぱり変な話だけど一人前として認められるっていうのは大きいよね。」

制度
 Kさんにとって当たり前のことに社会はどのように関わっているだろうか。障害者を受け入れる職場が少ないこと、その情報がないことが指摘された。その是正をはかる法律があるにはある。
 日本では「障害者雇用促進法」により、企業などの事業主に障害者の雇用率の下限を定めることで就労の促進が図られている。この障害者の雇用率の下限は現在、民間企業1.8%、特殊法人・国・地方公共団体2.1%等となっている。さらに「障害者雇用納付金制度」という制度がある。雇用率を達成しない事業主から「納付金」という名の罰金(雇用しないことを認めてもらうためのお金)を徴収し、「障害者雇用調整金(身体障害者のための設備設置等に必要な費用)」、「報奨金」及び各種の「助成金」にまわそうというものである。
 「私としては、多分新人採用ってかたちだと思うんだけど、多分補助とかは受けられると思いますよ。一般企業ってパーセント条項で、日本の場合は会社が何%かの障害者を雇わなくちゃいけないっていうのがありますよね。」
 ただ、「企業に余裕があったころは障害者枠でとってくれるらしいんだけど」、必要とされているというより、枠を満たすためにとっているのではないかと思える。その気も企業にないと、雇用調整金を払ってすませられる。就職当初、Kさんは、障害者枠として雇われたのか、仕事ができる能力があると見込まれて雇われたのか、見きわめができず困惑したという。結果的には会社側から「設備的な配慮はするけど仕事はしてもらいます」とはっきり言われて、Kさんは「働くこと」を期待されて雇われたと感じたという。
 アメリカではADA(障害をもつアメリカ人法)で、当該の職務について資格(能力)のある障害者を差別することを禁止している。「医療上・身体上・精神上・障害があるとされたものに対して、その障害を理由にした雇用差別をしてはならない」とされているのである。こうした制度の方が、Kさんのような人にとってはよいかもしれない。
 それ以前に、日本では制度的な門前払いがある。多くの法律に障害者を排除する欠格条項と呼ばれる規定が残り、医療職を含めた就労からの排除もある。それをなくすことが必要だとKさんは言う。
 「最近、障害者の欠格条項の見直しがありますよね。最近の流れだなぁって思うんですけど、やっぱりああいうのがあるとやれるのかやれないのかをしてみる前にまず“あなたはだめですよ”ってしっかり言われてることなんですよ。やれるのかやれないのか実際に試す前に、あなたは障害を持っているんだから、障害を持っている人はこういうことをすればいいとか、こういうことしかだめなんだと言いつけられてる。それは、多分障害者自身の考えにもあるんだと思う。障害者の気持ちの中にも試験を受けるのが無理だから私たちはお医者さんにはなれないんだとか変な固定観念ができてるんだろうなって思いますね。」

周りの人
 「やっぱり、周りの人の反応は障害をもっている人が大学に行くのは無理だとか、就職するのは難しいんじゃない、というのが周りの見方だと思うんだけど、私はその前にまず自分が何をしたいのか、じゃあどこの企業に就職するのかが先で、どこの企業が受け入れてくれるのかが後だと思うんですよ。だけど、現状では、どこの企業が受け入れてくれるのかが先に来ちゃうから、すごい職種が限られてしまいますよね。例えば目の見えない人だったら、あんまさんとかもう固定観念がありますよね。それはそれで障害者の就職を保証するという意味で貴重なことだと思うんだけど、でも逆にそれしかできない、そういうイメージができちゃっているんだろうなって思いますね。」
 「“障害を持っている人を助けてあげましょう”みたいな政府の公報があるじゃないですか。あれって刷り込みだなぁって思うんですけど。“手を出さないといけない”みたいな変な義務感ができちゃってるって思いますね。その人がやればいい、やらせればいいんだと思っちゃうんだけど。」
 雇用する側にもどう対応したらよいか測りかねているところがあるとKさんは言う。「企業の方も雇いたいんだけど、どういう障害をもった人が来るかわからないっていうのと、やっぱり仕事が本当にできるのかもわかんないという不安があるんだと思いますね。」

難しさも変わる
 仕事ができる人も門前払いする制度がなくなること、あるいはそうした差別を禁止すること、そして障害者イコール仕事ができない人といった決めつけがなくなること、それで就職の可能性は広くなるだろう。ただそれでも一般就労するにはその仕事ができなくてはならない。
 Kさんは大学から就職に至るまでにはさまざまな困難があった。ただKさんは、設備があれば仕事ができ、手も使えるし、コンピューターも扱える。しかしKさんのようにみんながみんな一般就労できるわけではない。
 「重度の障害を持つ人に対してはもっと就労の機会っていうか、そういう手段があるといいなあっていうのは思うけどね。でも難しいんだよね、やっぱり作業所的なものになるかあるいは補助的な就労とか、そういう感じになっちゃう。」
 Kさんも難しいことを認めている。
 「ただ、どこまで重度の人が就職できるかと考えた時に、私のいたバークレーCIL(自立生活センター、http://www.cilberkeley.org/)では手が使えなくキーボードが打てないので音声入力を使って仕事をしている人がいた。私も実際にその人を見た時に“これぐらい重度の人でも仕事ができるんだ”と思った。将来的には本当にどこまで重度の人が就職できるかっていうのはこの先の展開によると思う。」
 つまり一つは、重度で無理と従来思われてきた人でもそうとは限らないこと、仕事を補助する技術などによって可能な範囲が広がっているということだ。障害の度合いだけを考えれば、今仕事を得られていない人にも、またポコアポコのような仕事場で働いている人の中にも一般就労が可能な人はいる。だから障害が重いから仕事は無理だと決めつけることはできない。
 そしてもう一つ、私達は障害の程度によって軽度の方が就労しやすいと思っていたが、障害の程度が軽い重いだけの問題ではないようだ。生まれ育った環境や周りに働いている障害者がいるのかいないのか、情報があるのかないのかということが大きく影響しているように思う。Kさんの場合は小さいころから特別扱いされなかったことが大きかったようだ。「障害を持った後も普通の教育を受け、普通の日常生活を送っていたので考え方や意識、能力的にも普通の人に近いと思う。」
 環境が違ってくることによって、誰もが同じように就労できるようにはならないとしても、今よりも一般就労する人は増えるはずだ。それでKさんは、自分が仕事に就き、それで先に述べた障害者=仕事ができないに決まっている人、という周囲の見方を変え、また障害者本人の方も一般就労している人を知ることで変わってくる部分があるはずだと考えている。それもKさんがあくまで一般企業での仕事を求めてきた理由の一つのようだ。
 「日本で障害者と言われる人は5%で、その中の肢体不自由で脊損の人の割合って言ったら、もう本当に少なくなっちゃって、その中でさらにN県って47分の1なんですよね。それで初めて納得した。“周りにいないんだから”って。だから身障者の人にだって会わないだろう。会わないんだから、慣れている人はいないだろう。初めて今日会う人が、私に対して戸惑いを感じてもまあ当たり前だと。それからはだんだんね、初めて障害を持つ人と接する人達に会って疲れなくなった。」
 「私の場合は先に道を作っておきたいっていうのが自分の中の意識として大きい。変な言い方だけど障害の程度によって社会に出ていける度合はやっぱり決まってきちゃうと思う。その中で多分私は出て行けるほうだから、だったらどんどん出ていって先に道を作っちゃえば後から来る人が楽じゃないって思うんだよね。前にいろいろやってきてくれた人がいるから今電車に乗れたり、車を運転できるようになったりしているはずなんだよ。多分一番最初に車を運転しようと考えた人がいると思うの。その人がすごい反響があったり、いろんなことがあって車椅子の人が運転できるっていう今になっていると思うの。だったら、じゃぁ私が先に出て行けるんだったら先に出て、作っていけば後から来た人がさらにその上を行ける。もっともっと出て行けるじゃない。それがどんどん続いていったらもうちょっと住みよくなるかなって。それが自分の中での納得のさせ方なんだけどね。」

場を作ってやっていくことの意味
 だから、一般就労といわゆる福祉的就労の二つを固定して考えてはならないだろう。いまなんの支障もなく企業で働いていて、私達もそれを自然なこととして感じるKさんにしても、時期が違い環境が違っていたら、そのように働いていなかったかもしれない。さらに今後もそれを変えていくことができるだろう。それでもなお一般就労が難しい場合は残るだろう。Kさんもそれはわかっている、上の「納得のさせ方なんだけどね」という言葉にもそれはうかがえる。
 自分で稼いで税金を払うことで一人前という考え方もあるが、自分で稼ぐのと別に所得が保障されれば、お金にそうこだわることはないかもしれない。その上でも、自分の家や施設以外に生活の場所、活動の場があった方がよいとは言えるだろう。ならば、そこで仕事としてやれることがあればやり、うまくいけば利益をあげ、収入を増やしていくという方向もあってよい。そんな意味でポコアポコのような仕事の場が作られ活動していくことの意味はなくならないだろう。
 ポコアポコは周囲の人たちに支援され、お膳立てされて作られた部分がある。そうして初めて始めることができたとも言え、それはそれで評価すべきだ。また、IIの終わりでも触れられたように、自治体の施策との関係でポコアポコの性格も今後変わっていくのかもしれない。ただ、今まで家庭や施設で得られなかった参加や自律がそもそものこの場所の存在意義なら、参加者自身が運営していく方向に進んでいったらよいと思う。そのことを考える上でも、今回実際に働いている人の話を十分に聞けなかったのは私達の反省点である。
 最後に、調査に御協力下さいましたKさん、ポコアポコの皆様、また御指導下さいました立岩教官、近藤教官に深くお礼申し上げます。


……以上……


REV: 20170127
障害者と労働  ◇信州大学医療技術短期大学部
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