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障害者と医療者
──バリアを越えていくために──

飯ヶ浜 実・江藤 愛・小原 直美・黒田 雅子・高木 美希
(2000年度信州大学医療技術短期大学部看護科3年)
卒業研究レポート 200012提出



はじめに

 近年、バリアフリーに注目が集められている。バリアの中でも物理的なバリアについては配慮され、改善されてきているが、私達の中にある障害についてのバリアはまだ残っていると感じる。
 そこで、私達に一番関係がある、医療の現場での障害者に対する対応の仕方を知りたいと思い、実際に障害を持つ人が医療者に対してどのように思っているか話を聞こうと考えた。
 8月7日の橋本和子さんへの第1回インタビューで、医療者の患者さんへの対応で気になったことを話していただいた。この結果をもとに、言葉使いや説明などの対応、医療と介護、病気と障害について8月12日により詳しくお話をうかがった。
 また8月11日、「ぴあねっと21」(松本市立障害者自立支援センター)の所長である大下京子さんにも同様のインタビューを行なった。その後、9月26日に大下さんの紹介により副所長の降幡和彦さん、スタッフの一員である行田茂さんにも、医療についてインタビューを行なった。以下では、脳性マヒの障害をもつ、行田、橋本、降幡、3氏からの聞き取りを用いる。

1 対応について

橋本:障害者に限らず、年上の人たちに対しても、子ども扱いしたしゃべり方でいるのを聞いて、実際あなたがたよりか年上の人たちの方が人生の先輩なんだし、自分が意志のはっきりしているときに子ども扱いされて話しかけられたらいったいどんな気持ちになるかって言いたかった。
──:医者も看護婦も同じような対応でしたか?
橋本:同じです。一番私が病院に行ってショックを受けたことは、「いい体してますね」って言われたこと。「えっ」と思って、まあ内科系の医者だったからよけいにそう言ったのかもしれないけど、「すごい嫌みなこと言いやがって」。そのあとに「あら話がわかるんですね」とか言われて。「ちょっと待って」と思って、それが一番何年間かのなかでは。

 医療現場での認識が世間一般の障害者に対する認識と変わらないということだろうか。そのような発言もあった。

橋本:やっぱり一般的には障害者っていうか脳性マヒの人とか脳の病気をやった人に関しては、誰もがやっぱりそういう目で見たりとか、見られてる。偏見だと思うんですよね。

降幡:医療現場でなくて、世間も同じ。メガネの視力を直しに自分の彼女とメガネ屋行ったとき、僕じゃなくて彼女に説明されて、彼女もびっくりして「私の目じゃないですよ」って。一生懸命、店員が「この人は視力が落ちて…」とかなんとか彼女に言ってて。… もう一つ面白い話がある。買い物して僕が一万円出しても、いつもおつりは僕には返ってこない。ポッと出して、返ってくるのはどこかというと僕の彼女のところだ。介護人のようにしっかりしたように見える人がいつもお金を受け取るようにみんなが思っている。

 子ども扱いされる。本人でなく周りの人が話しかけられる。ただそれも変化してきている部分はあるという。
──:昔と比べると対応は良くなってきてますか?
橋本:病院に限らず、社会全体がやっぱり障害者の人に対して、接し方とか遠い目で見ることがなくなってきたかなって(思う)。だいたい大きい店とか車椅子のマークのついたトイレや駐車場があるし、車椅子が設置されているから。たかが10年前なんてこんなこと考えられなかったから、そういう面でソフトになってる。

 こうして変化も見える中で、むしろ医療・福祉の場の方が対応が悪いという指摘がある。

──:医療現場こそ、障害者の方に特別視とかが、世間よりないような気がしたんですけど、そうじゃないですか?
行田:んー、そうじゃないね。最初のときは、赤ちゃん言葉使われたね。とくに看護婦さんから。普通はそんなに気にしないと思うんだけど。本当に赤ちゃん言葉、「わかるよねぇ?」ああいう感じでしゃべる。むかついたことがあった。

降幡:一般に障害者とか弱い人間と接するときに、みんなが思っている感情が、そのまま医療現場にも色濃く出るよね。

橋本:話し方はすごいやっぱ嫌だった。本当に子ども扱いは老人病院にまず行ってみてもらうのが1番わかりやすいかもしれない。
──:基本的に同じですか。老人と障害者の扱いっていうのは。
橋本:同じですよ。だって「あらー和子ちゃんよう来たわね」って。自分がそう言われたらいやですよね。21や22になって子ども扱いされて。それと同じ。
──:具体的にどのようなことですか?
橋本:よく年寄りの人に話しかけるよね。うーん、何て言ったらいいか。その場にいたほうがわかりやすい。普通の会話じゃないから。
──:大人として見られてない?
橋本:全然見てない。
──:バカにされているわけではないんですよね?
橋本:とは違うと思うけど、私の立場から言えばバカにされている。向こうは看護婦なりの、というか慣れてしまってるから。
──:それとも障害者と決めつけているんですか?
橋本:たぶんそう。私の後にくっついてどっか一緒に行けば、相手がどうしゃべってくるか一番よくわかる。
 見た目だけで判断されちゃうから。私は何も理解できないんじゃないかなって感じで。
──:橋本さんからみて、そのように思われているんだなってわかります?
橋本:もう、すぐわかるよ。「わかるかなー」って言われて、気が短くなったせいか、「きちんと話してください」って言った。前だったらいいやいいやってごまかして、その場から離れてたけど。

 先の橋本さんの発言にも「脳性マヒの人とか脳の病気をやった人に関しては」とあったが、こうした対し方には、言語障害や知的障害、また言語障害があることなどから知的障害があると思ってしまうことも関わっているようだ。

橋本:(コミュニケーションは)やっぱり言語障害が重いと大変かもしれない。
──:相手が聞き取れないことに対しては?
橋本:生返事してるときがけっこうある。頭はうなずいてわかっていて「はい、はい」とか言ってるんだけど、返ってくる言葉が全然違う内容が返ってくる。「あーこの人聞いてないんだなあ」って思うことが何度かある。そういうときはこっちが何回か言ってわかってもらうまで話すしかないと思う。でもそこにあきらめの感情が入って、こっちが負けだなと思う。

 だがコミュニケーションをきちんと取らないことは、医療現場ではときにとても危険なことだ。

──:最近医療に関わっているうちで嫌な対応を受けたことは?
降幡:山ほどあるね。例えばA病院で何年間に何回か首のレントゲンを撮りなさいって言われてさ。椎間板が減って神経が出る前に椎間板を見ておこうって言われるでしょう。でX線に行くでしょう。X線に行って医者はちゃんとこの人には説明しろってインフォームド・コンセントしろって言っているのに放射線技師はしない。簡単に首をいじくる。とにかく。CP(脳性マヒ)は首後ろにやると危ないんだよ。神経出ている場合があるから。それ1回いきなりボンとやられて体中にばーっと電気が走ってもう終わりかと思った。その時運が悪くて新人のレントゲン技師の研修をしながらやっていたわけ。で、もたもたしてるじゃん。それを見てイライラしてきてがんがん手を動かしてきた。僕は本当に首がいっちゃうかと思って。つまり説明をすればいいじゃん。「ちょっと首を動かしますよ」とか。それをまったく言わない。それはもう1つ、知的障害があって理解できないっていうふうに思われている場合がけっこうある。
──:下手に説明したって理解できないって…
降幡:理解できないのならしない方がいいっていうことことがあるよね。
──:行田さんはそのようなことはありました?
行田:ありますね。

 他の利用者と同様あるいはそれ以上に、彼らはインフォームド・コンセントを強く望んでいる。

──:医療職に望むこととかがあればお聞きしたいんですけど。
橋本:病人は障害者とか専門的なこととかは知らないしわからない。入院してるとよく朝、採血とかしますよね。しかも寝てるときにするんですよ。昼間の忙しい時間帯にできないから朝に来るんだけど、もういきなり朝来て、「採血ですよ」とか言われて、「えっ、何で前の日に言ってくれなかったんだよ」思うことがけっこうある。知らないから、やっぱり言われるまま。どんなことでもいいからちゃんと説明してほしいとか、本人の承諾を得てほしい。それが医者でも看護婦でも同じことが言える。他の患者さんと対等にしてほしい。特別視しないでほしい。

──:昔と今では医療は変わってきていますか?
橋本:(昔は)患者はある意味で任せっきりになっていたかな。患者もいろんな情報を知っていたほうがより安心できる医療になるんじゃないかなと思う。医者が一方的にああしろとか、こうしろとか言わなくなった。どこまで今、インフォームドコンセントが話し合われているのかわからないけどさ。説明してくれるならばちゃんとわかりやすい言葉で言ってもらわないと困る。
 S大で子どもを産もうとした障害者の人がいて、私は聞いただけだから分からないけど、「障害者の人が子どもを産むから見に来い」って言って、医学部の学生とか集められてジロジロ見られたって。
──:本人の同意とかはなく?
橋本:ないない。今でこそS大は紙が貼ってあるけどそんなのはその場でいちいち同意を求めない。
──:病院にもよりますね。
橋本:そうだね。医学部の学生がもっともらしい顔して先生の横についてて、自分の体のことを診てもらいに行ってるのに、専門用語で学生に話しているだけで。それを黙っていれば、それで終わっちゃう。私なんか、長い間病院に通っていて、自分で言わないといけないことはちゃんと言うようにしているから、まだいいけど。

降幡:インフォームド・コンセントやインフォームド・チョイスを一般にしなきゃ。毎日同じ作業を繰り返している人にとって、来る人来る人に説明したくないよね。でも来る人は初めてだよね。そこの感覚のずれ? 僕だって来る人全部説明したら嫌になるからね。こういう思いが、立場の違いであるってことを現場で忘れないでいてほしい。こんな当たり前のことをいちいち説明するの?ってなる。責めてるんじゃなくって、たまたまそういう立場で関わったために僕らには、説明するのが面倒くさいのかなって思う。だから顔見知りの人には絶対そんなことはしない。

 医療者が毎日同じ処置をし説明しているとそのうち慣れてしまって説明もせずに処置などを行なってしまう傾向があると思う。処置には一つ一つ目的がありどんなに小さいことでも説明することは、信頼関係を築く上で重要になる。また、患者の安心感につながると思う。
 言語障害のある人との言葉でのコミュニケーションのあり方についてうかがった。

──:言語障害の人とかと会って、どういうふうに接したらいいかがわからなくて、生返事をしてしまったことがあるんですけど。
橋本:もしわかんなかったら、小さい50音の表とかを使ってやるとか、大変だけどそうやってコミュニケーションとるしかない。その人を見ていかなければいけないんだから、横にいる人に頼ることはすごい簡単なことかもしれないけど、コミュニケーション取らなければその人がどういう人なのかどんどんわかんなくなってしまう。

──:コミュニケーションがうまくとれず、相手が生半可に返事をしてる時とかわかりますよね。
行田:そういうことは僕たち、敏感だから。それはわかりますよ。
──:どのように対応しますか?
行田:何度も言って理解してもらおうと思うけど。わかんなかったら、ほんと繰り返し聞いてくれよ。こっちもそうなら答えるんだけどね。
──:そういうときどう聞き返せばいいですか?「わかりません」とか…。
降幡:「わかりません」て言うか、「もう一度お願いします。」とか。「わかりません!!」とか言われるとわかる気がないのかと思われるし。「わかりません」には「僕には理解できません」の意味も含まれている。聞き返されて一瞬むかつくよね、「わかれよ1回で」と思うこともあるけど、でもそれはしょうがない。「実は私、降幡さんの話の3分の1はわからなかったんです」って言われた時に、ちょっとショックだったかな。後からだよ。話してるときに言ってくれればいいけどさ。
──:聞き返すのが悪いような気がして。
行田:でもそれは、失礼だと思うんだ。
降幡:聞き返すの、すごく抵抗あるのはよくわかる。悪いなあって思っちゃう。でもその部分がもしかしたら一番肝心な部分かもしれないからね。話の全体が見える部分かもしれないしね。
 聴力障害の方もいるんで、知的障害がある方もいるんで、それはわかりにくいと思います。けど僕がお願いしたいのは、まず普通に対応してほしい。それから聴力障害の人かわかんなければ、分からなくなったときに初めてわかんない対応をすればいい。

 生返事をしているのはよくわかると言う。よく聞き取れなかったり理解できなかったことは正直に言った方がよい。当たり前と言えば当たり前だが、それができていない。

2 障害と医療

 そもそも医療施設や福祉施設の利用者には障害をもっている人、生活に支障のある人が多いから、世間一般にある障害者に対する意識が、そのまま、より多く、現場に現れるということはあるかもしれない。ただそれだけではないようだ。

橋本:だいたいの病院は子ども扱いをする。言葉だけとか、すべてにおいて。老人施設や療護施設では、無理やり食べさせる。自分で食べられないというのもあるかもしれないけど。自分で自由に食べさせないといけない。プラス時間だよね。時間の都合で終わらせないといけないみたいなことがあるから。
──:施設で、食事とかリハビリとか思い出すと、無理やりな面があったかもしれない。…
橋本:自分がやられたらどうするかだよね! あまりそういうこと考えていないんだよ。

 子どもと障害者と高齢者が同じに扱われている。三者は誰かの「お世話になる」人である点で共通している──高齢者であるだけでは「お世話になる」人だとは限らないが、医療・福祉施設の利用者はそうしたサービスを必要とする人たちである。この人たちが一括りにされ、一人前の扱いをされないことになる。
 そして障害者や、障害や慢性疾患のある高齢者は、だからこそ継続的な「世話」も必要とするのだが、「治らない(治りきらない)人」である。「治る」ことが医療にとっての成功だとすると、「治らない人」は失敗した人で、それで疎んじられるということだろうか。
 橋本さんは、障害を「治す」(軽減する)経験、リハビリテーションについても語った。

橋本:それ(リハビリの時間)だけで何年か終わっちゃう。もっと他にやることってあるし。もったいないし。養護学校とか療護園とかにいると絶対一日のうちにリハビリの時間があって。やれっていえばやるし、それをやらないとどんどん遅れていって。子どもが自分で選べればいいけど、やりなさいって言われればやるしか。でも、やっぱり私は病院の方針でもともと足でおもちゃとか、字とか、洋服きたりとか全部足でやっていたんだけど、普通の人に近付けるために一切足を使ってはダメだと禁止されていた。それが一番最近まで続いていた。なんとか手で御飯は食べれるようになったけど、授業の中では自分でメモを取れるわけではないから、全部頭の中に入れて、夜養護学校の寮に帰って皆が寝静まってから足で字書いてもう一回やり直したりとか。
 もともと歩けない人は歩けることを知らないから別に歩きたいと思わない。逆に私なんかは歩けてたから歩けなくなったときに、また戻りたいってのはすごいあった。どこまでのリハビリがいいのか。体の基礎を作る部分では必要だと思う。でも、動けるようになるために、楽になるために生かしていけばいい。脳硬塞とか倒れた人でも、ある段階までは必要で、やったほうがいいと思うけど、あとは本人の自力に任せて。実際、病院でリハビリやるよりか自分の家に帰ってきていろいろやった方が、どうしても動かないといけないから、もっといいリハビリになる。たしかに、病院のリハビリに行って、その場に行けばやっぱ、やらないといけないし、毎日病院に行ってればそれだけよい方向に行く。しかし、毎日毎日繰り返さないといけないし、やっぱり家のこととかやってれば、そんな時間もったいない。それがだんだん(リハビリは)いいやって。

 橋本さんはリハビリテーションを全面的に否定しているわけではない。こんなこともあった。

橋本:歩けなくなってS大にかかって、その場でもう歩けないって言われた。歩くことで首に負担がかかるって。でもそれは絶対に納得できなかったから、他の病院に行ってリハビリとかやって。

 けれど、指図され、とくに「普通の人」に近づくことが選択の余地のない目標として与えられ、また他にしたいことがある時にもそれが最優先とされるのはつらいと言う。他の様々なことの兼ね合いを考えて、生活全体の中の一部に位置づけられるべきものだと言う。

降幡:僕を見てくれている整形の先生が、今はリハビリ専門だけどその先生がかなり患者側に立って尽くしてくれている人なので周りからはブーイング。医者っぽくない医者だし、迷惑なんじゃない?、ああいう医者は。
 さっき行田さんが医者は顔を見て話さないって言ったけど、見る必要はないんだよ。だって医者は症状だけがわかればいいんで人の顔なんか見ないよね。でも人として顔見て話された方がいいよね。全体から部分を見るといいんだけど、逆だと関係が悪くなるよね。今の医学は細胞とか原子とかまで関わっている。そういうものには人権なんかない。そこに目が行っちゃっているから大きな人権が奪われる。細胞なんかが集まって人間なんだよね。人間を治すなら人権だよね。さっきの行田さんのことも行田さんの顔をみて話して説明してくれればうれしいけど、怪我をみてこの怪我はねっていうから顔なんて関係ない。

 病気や障害を含めてその人自身である。しかし、医師は患者の病態・生理の部分だけに重みを置いて、一人の人間として見ていないというのだ。

橋本:私、自分が障害があるってところからどこか逃げたい時があって、逆に障害者がこんなにやってるんだってことを見せつけたい時があった。だから歩けなくなった時に、歩けない自分を受け入れられなかった。もがいたり、いろいろ迷いがあって。結局それを受け入れないといけない時期が来たから、結果的に出た答えが、病気は薬とかで治るけど、障害は一生。逃げることができない。自分の体としてやっていかないといけない。
──:(歩けないことを受け入れるまでに)どのくらいの期間かかりましたか?
橋本:けっこう。半年以上は。一番は何やっても、自分でなにもできない。でも生きてかなきゃいけないから。じゃあどうするかっていうところに踏み込んだときにしょうがないって(思った)。前はけっこう明日また動けなくなって、寝たきりになったら怖いなっていうのがあったけど、今は寝たきりになったらなったで、何か関わりが持てるんじゃないかなっていう、ものの見方ができるようになったから、全然怖くなくなった。
──:誰かに相談をしたりはしたんですか?
橋本:いやもう、相談はできなかった。
──:もし(医療者との)信頼関係がしっかりしていたら相談できていましたか?
橋本:そうだね。もし、つながりがあったらね。自分が思っているのはやっぱり自分の身近で一番安心できる人が医療の場に何人もいてくれるというだけでいいかなと思う。

 目に見える障害だけに注目するのではなく、障害を受け入れようとしている人の心の変化にも注目することが必要になってくる。障害はその人の一部分あるいはその人そのものとして受け入れられるようになれば医療者の考えも社会の考えも変わってくると思う。けれども、少なくとも今のところ、医療の中にそういう対応がなかなかない。橋本さんの言う「安心できる人」とは誰だろうか。
 医師があまり期待されていないとすると、看護者だろうか。ただ医師にしても、少なくともできないことはできない、できることには限界があるとわかってほしい、はっきり言ってほしいと言う。

降幡:医学部に僕の知り合いの教授がいて、生徒からはとても評判が悪い。「医者も完璧じゃない」とその教授は言い続けているんだよ。患者にとっては病気は一生もので、医者は部分しか関われないのに、「治る」って言ってしまう。「でも患者さんにとっては一生もんなんだよ」って言い続けてる。でも、医学界でそんなこと言ってたら変だよね。医者は治せるっていう、生体肝移植するって言っているS大の医学部が、病気は治りませんって言ってるのは変だよね。そういうのをすごく変だと言われてる。だけど、そっちの方が正解だよね。A病院のA院長は、「医者には限界がある。治ると思って来られる患者でも、治る患者は8割であっても2割はだめなんだ。だめな2割をどう伝えるかが、医者のテクニック。そのテクニックを惜しむとブーイングになったり、クレームがきたりする。でも10割にはならない。2割、3割はだめだっていう判断を下さないと医者にはなれない。」と、1時間もかけて僕に話してくれた。

 障害として状態が固定されれば、多くそれは完全に治ることはない。障害は一生のものになり障害を含めてその人である。障害はその人が障害を持ちながらもよりその人らしく生きられるように援助するというところに重点がおかれなければならない。それなのに、医者は障害に対し治療だけにこだわってしまい「治る。治る。」と言ってしまう。治らないことは治らないとしっかりと伝えず、治療を続けてしまったりするので、不信が生まれてくるのだと思う。医療には限界がある。治らないことがあることを認め、治らないものは治らないと伝えることが必要である。

3 医療と介護

 障害を治そうとする医療者の考えと障害を受け入れ障害を持ちながら生きて行こうとする障害者の考え方のギャップを見てきたのだが、それとともに、障害があることによって生活上必要になってくるものに医療の場が現実にどう対応するかとう問題がある。病気だけを持って入院している人よりも援助を多く必要としている障害者への医療現場での対応はどうなっているのだろうか。またどうしたらよいのだろうか。医師だけでなく看護者も、その人の病気、治療のためのケアに注目しがちになり、きちんと患者の全体を見られていないことがある。けれど、それは単に意識の問題だけではないようだ。きちんと対応しようとしても、看護者が、あの忙しい業務の中で十分に患者さんに関われるかと考えてみると、疑問である。橋本さんの言葉の中にも、「プラス時間だよね。時間の都合で…」、「昼間の忙しい時間帯にできないから…」、というのがあった。
 このことと直接にはつながらないのだが「訪問看護」についてこんなことを聞いた。

行田:私はいま1週間に1回訪問看護を受けているんですよ。本当は必要ないんだけど、ホームヘルパーに週2回来てもらってて、2回だけじゃ足りないもんでもう1回頼んだらだめだってことで訪問看護を使おうって。それて週3回なんとか確保してるんだけど。
──:どのくらいの人数で来られるんですか?
行田:1人で。家にリフトが付いてるもんで看護婦が1人でも大丈夫。

 このような訪問看護の使い方がよいのかどうか。よくはないのだろう。ただ、利用者からみれば、場合によっては、看護でも介護でもどちらでもかまわないことがあるということだ。介護としてなされてよいものが行政からの制約で看護としてなされている部分がある。これは在宅の場合だが、病院ではどうだろうか。

──:やっぱり病院の中は人手が足りないってことがあるからですかね?
橋本:そうですね。
──:看護婦と介護者のすみわけはできる? 病院にも看護婦以外の介護を専門にする人を置いた方がいいですか?
橋本:必要だと思う。必要最低限しか看護婦さんにはやってもらわないから。
──:気軽に頼めないってこともありますか?
橋本:うん。麻酔かけて手術した後に痰が出るでしょ。あれを絶対飲み込んではいけないって言われてたから出すんだけど、出したいたびに看護婦を呼んでたら、看護婦は他の仕事できない。私も気持ち悪いから、横にティッシュとかタオルとか置いといてもらって、出すしかなかった。
 別に考えた方がいいかも。介護してくれる人と。看護は医療的なケアが主だから、全部看護婦にやらせちゃうこと自体おかしいのかも。看護婦が手が回らないと、ただ寝かされているでしょ。あれはすごい辛いよ。ただ天井見て。

──:今、行田さんが医者や看護婦にこうなってほしいなとかいう希望はありますか?
行田:例えば私がA病院に通っているでしょ。で外に出ると自分でトイレに行くことができないんですよ。そういうところの対応って言うか、なんか外来の看護婦とかみんな忙しがっていて頼むに頼めないこともあるし。
──:介護福祉士とかいたらいいなとかは?
行田:そうですね。必要だと思いますね。外来の看護婦がみんな忙しいのに声かけるにもかけづらいってとこあるしね。最悪の場合、A病院では総合処置室ってとこがあって、そこへ行って頼むんだけど、それでも日によってそこも忙しい時があって我慢して帰ってきたことも度々なんだけど。あそこはヘルパーがいるからさ。もっと看護士が増えてくれれば一番いいですね。

 看護者が忙しそうだから気軽に頼めないという理由で、患者に気を使わせてしまっている。看護者が忙しくて日常生活援助ができないのなら、患者のニーズを考えて病院のスタッフ構成を考えなければならない。
 看護士ももっと病院には必要だ。患者にも男女両方いる。男ならではの悩みはやはり同性に言いやすいし、羞恥心を考えるとやはり同性の人がいると安心できる。必要なことを頼みやすい。
 そしてホームヘルパーなど、介護する人が病院には必要だと橋本さんと行田さんは言った。看護者の不足を介護者で補うという考え方はよくないのかもしれない。しかし現に、看護者だけでは日常生活の援助に対応しきれていない。また、その援助の仕事は、在宅や福祉施設では福祉サービスとして行われており、病院だからそれができない、してはならないという理由はない。そして、日頃からその人とつきあいがあり、対応の仕方がわかっている介護者なら、その人のニーズによりよく対応できるかもしれない。
 医療・看護と介護の境界線はもともとはっきりしないところがある。医療者にだけ認められている医療行為をこれからどう考えていくか。また事故が起きた場合の責任の問題をどうするか。こうしたことも考え解決しながら、様々な職種の人と連携を取っていくことが求められている。
 ただ、いま現実には病院にいるのは医療者であり看護者である。である以上、繰り返しになるが、その人がどんな援助を必要としているかを本人から知ることが必要だ。病気で病院にやってきた障害者の障害の部分は一人一人違うし、それに関わる援助も人それぞれなのである。

橋本:最近はもうやってもらうことに慣れたから、「こうしてほしい、ああしてほしい」ってちゃんと言うけど、慣れないときって人任せに介助とかやってもらっていた。逆に怖いときがある。介助をマニュアル通りにやられちゃうと、怖いなって思う。どういうふうにしたらいいのか本人に聞くべきではないかな。」

おわりに

 インタビュー前は、医療現場に障害者を特別視したり見下した対応はないのではないかと考えていた。しかし、障害者が赤ちゃん言葉をはじめとする子ども扱いや、説明の仕方など、納得のいかない対応を今まで受けてきたと知った。現状は私達が考えていたよりとてもシビアだったと思う。世間一般よりも、障害や病気に注目し、障害者を一人の人間として見ていない対応があることに気付かされた。それが結局、障害者を特別視し、見下した接し方になっている。この事実に早く医療者が気付き、接し方を変えていく必要がある。
 「医療には限界がある。それをどのように伝えていくのかが医者のテクニック」だという言葉があった。医療は病気や障害を治すものと考えていた私達にとってこの言葉はショックだった。実際は治らないこともたくさんある。だからこそ治らないことは正直に伝えなくてはいけないと思う。
 障害も自分自身の一部であることを受け入れようとしている障害者と、治すことを使命としている医療者との間でギャップが生じている。医療者は障害者が訴える「障害は一生もの」を理解し、医療という面だけで障害者を捉えるのではなく、医療を含む介護、福祉といったトータルな面でのケアを障害者は望んでいるのではないだろうか。
 バリアフリーといっても、バリアには様々な種類のものがある。この中でも、人間の中にあるバリアは、どのバリアよりもバリアフリーにしていくのが難しいのではないだろうか。しかし、医療者を目指している私達にとって、この人間の中のバリアを越えていくことが必要だ。
 最後になりましたが、お忙しい中この研究に御協力いただきました橋本さん・大下さん・行田さん・降幡さん、また御指導いただきました立岩教官・近藤教官に心よりお礼、感謝申し上げます。


……以上。以下はホームページの制作者による……


REV: 20170127
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