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中信地区に広がりつつあるファミリーハウス

浦野 春美  小林 涼子  竹野 敬子
(1999年度信州大学医療技術短期大学部看護科3年)
卒業研究レポート 19991224提出



I はじめに
 中信地区には小児が入院して治療を受ける病院はいくつかあるが、遠方から入院している人が多く、親の身体的・精神的・経済的負担が大きいため、病院の近くに家族が低額で利用できる宿泊施設(ファミリーハウス)1)が必要であることを社会福祉学の講義や昨年度の卒業研究2)から知った。
 この卒業研究で、伊原らは、信州大学附属病院の小児病棟に入院している子どもに付き添う家族の状況を知り、宿泊施設の必要性を調査した。
 そこでは、アメリカのマクドナルドハウスの設立までの経緯や運営がまず簡単に紹介され、ついで日本での動きについて述べられている。その後、中信地区で活動している「カンガルーの会」の例会等に参加し、信州大学附属病院に入院している子どもの母親にアンケートやインタビューを行なった結果をまとめた。宿泊施設の必要性は存在するが、病院の対応に対する不安から宿泊施設の利用ができないという意見が多くあることが明らかにされた。そこで小児科の看護婦長に家族の付き添いに対する病院側の考え方をあらためて聞いてもいる。病院側の条件が整わないと多くの子どもの母親が気軽に利用できるようになるのは難しいことを研究報告は述べている。ただ、この調査がきっかけにもなり、10月にはファミリーハウスとして使えるアパートが幸運にも見つかっており、希望者がいれば宿泊施設として使える見通しはたった。この時点で、昨年度の調査は終わっている。
 それが、今年(1999年)に入って、松本市では「浅間カンガルーハウス」が上記のアパートを借りて開設、そして豊科町では「あづみのファミリーハウス・はなみずき」がスタートし、中信地区でもファミリーハウスが現実のものとなってきた。そこで私たちは、そのスタートまでの経緯や現在の運営について、また今後の課題について、運営に関わっている方たち、またハウスを利用された方にお会いしてお話をうかがった。

・8月2日:盛岡から来て「浅間カンガルーハウ ス」を使用した第1号で子どもが生体肝移植を 受けたAさんにインタビューする。
・8月10日:「松本カンガルーの会」代表の西垣 さんから会の設立からファミリーハウススター トまでの経緯と運営、今後についてうかがう。
・9月25日:松本カンガルーの会定例会に参加。
・9月28日:「あづみのファミリーハウス」の副 代表である県立こども病院赤羽婦長を訪ね、  開設に至る経緯と運営、今後についてうかがう。 また利用していた方2名、当時使用中の方2名 の計4名から使用しての感想などをうかがう。
・11月20日:松本カンガルーの会の定例会に参加。
・12月17日:松本カンガルーの会の大沢さんに運 営についてうかがう。同日、県立こども病院の ソーシャルワーカー岩原さんに近況をうかがう。
・12月18日:松本カンガルーの会のBさんに近況 をうかがう。
・12月21〜22日:電話等で事実関係を確認。

 この調査の中でファミリーハウスに関わるさまざまな問題も浮き彫りになってきた。そして、今後医療従事者として患者さんやその家族と関わっていくにあたり、それらの問題をどう捉え、それにどう対応していくったらよいのかを考えることになった。インタビュー調査をまとめ、ファミリーハウスについて知ってもらい、その今後のあり方について考えてもらうために、本報告を行なう。
II あづみのファミリーハウス「はなみずき」
 1 できるまで
 長野県立こども病院ができたころ(1993年5月)から、まわりの人たちや職員から「ファミリーハウスがあればいいね」という声はあったという。また、松本のカンガルーの会(後述)に出入りしていたお母さん方で、松本地区のファミリーハウスだと遠すぎるので、こども病院独自のものを作りたいという動きもあった。
 そして、1998年9月、この病院に入院している子どものお母さんや子どもを亡くされたお母さんたちが、なんとかしたいという具体的な動きを始めた。入院している子どものお母さん方にアンケートをとった。また、お金のことをどうするかを考え出した。
 1998年11月、国は緊急経済対策の一環として慢性疾患児家族宿泊施設設立のための19億円の支出を決定した(申請の締め切りは12月25日)。1つの施設を建設する費用として4000万円を国が出すというものだった。病院の各科の部長や婦長が委員になって会が発足し、家族の人たちも会を作り一緒になって参加しようということになった。だが、これは土地と運営にはお金が出ず、こども病院は拡張工事をしているためお金がかかっている。県としてもお金を出さないといけないが拡張工事のため予算がない。それで、こども病院は結局今回は申請しないことに決まった。
 こうして国のお金は頼りにしないことになったが、家族の方とこども病院の各科の部長や婦長たちが集まってアパートを一部屋借りるだけでもよいからと、1999年2月28日に「ファミリーハウス・ジョイントミーティング」を開催した。東京のファミリーハウス運営委員会の事務局長、国立がんセンター中央病院小児科の医師、小児病棟の婦長さんなど全国的に有名な方たちが一緒にやりましょうということで応援に来てくれた。町会議員や豊科町の有力者の人たちにも来てもらった。
 病院の婦長や職員の方たちもこのこども病院のお母さんたちがこんなふうに困っているということを話した。また豊科町の収入役の空いていた持ち家が約2年前から宿泊施設として提供されており、そこを2日に約1人が利用していることや、滞在施設がないから泊まれないが欲しいと思っている人のおよその数が出され、滞在施設が必要だということが報告された。
 このミーティングのことは新聞などでも報道され、こども病院には滞在施設が必要だという気運が高まった。ボランティアとしてこの病院にこれまでも関わってきた人だけでなく、これからボランティアとして何かできないかという人も現われた。お金はまったくないが、会員を増やしてその会員がお金を出し合えば何とかなるだろう、ぜひ作ろうということになった。豊科町の町会議員の人もその会に来てくれ、豊科町に働きかけてこども病院で困っていることを町で何とかしようという話になって議会にかけてくれた。緊急の措置で豊科町から古い教員住宅に手を加えてそれを貸してもらうことになり、「はなみずき」ができた。
 そして3月30日、貸借の契約書に調印して、4月1日から運営が開始された。1年契約で1戸月額3000円で貸してもらうことになった。利用者の利用料は1日1人1000円とした。ビラを貼り出すなど会員が呼びかけ、4月中旬には使いたい人がでてきた。必要なものを紙に書いて貼り出したところ、今まで貸してくれていた方が一式出してくれたり、こども病院の職員も家にあるものを出してくれたり、また外来に通っている患者さんも協力してくれて、あっという間に集まった。4月27日から実際に「はなみずき」の利用が始まった。
 2 利用と運営の現状
 建物は病院から 1.5kmのところにある。ただ、病院とファミリーハウスの間にはコンビニエンスストアやスーパーがないため、買物をするには遠回りしなければならない。2世帯分がつながっている平屋の建物の、その2世帯分がはなみずきとして利用されている。コンクリートではなくブロックを積み上げて作った、夏は涼しく、冬は寒いような建物である。各々6畳間が2部屋ある。お風呂・トイレ・台所は共同であり、お風呂は建物のすぐ横にあって、居室からいったん出て使う。最初に入った方たちはアパートや旅館、ホテルに泊まる気分で行くと古い建物だったので悲しかったという。それにトイレが汲み取りのため臭かった。だが、下水道の方は徐々に完備してきている。
 「当時はとにかく必要だったため豊科町から借りたが、1、2年はここを使用してお金を貯めたらよいアパートに引っ越したいと思っている。最終目標はマクドナルドハウスのようなリビングがあって、キッチンやプレイルームが共同のものを作りたいと思っている。しかし半年ばかりの間にトントン拍子でできたことは本当に豊科町のおかげだと思っている。」(赤羽婦長)
 会にはきちんとした規約があり、病院を会場に理事会を1ヶ月に1度の割合で開いている。代表は以前こども病院にお子さんが入院し、カンガルーの会に参加した経験もあって「はなみずき」に関わることになった上条さん。上条さんは今回の施設が具体化する前、東海大学に宿泊施設の立ち上げについて話をうかがいに行ったこともある。副代表は赤羽婦長である。役員の体制は理事が8人(患者の家族3人、病院の職員5人)、顧問4人(家族2人、職員2人)、他で構成されている。病院の職員もボランティアとして関わっている。
 「はなみずき」の運営を始めるときにはかなりの苦労を予想していた。だが、こども病院のソーシャルワーカーの岩原さんが利用に際しての窓口の役目を果たし、施設は順調にまわっている。病院としてはファミリーハウスの経営はできないけれど、ボランティアとして関わってくれてよいということを認めてくれており、勤務時間内にファミリーハウスの窓口になれたり、トラブルがあったら対応できるようになっている。
 利用する人の中には外来にビラが貼ってあるのを見て看護婦に相談して説明を受けたり、入院の予約をする時にファミリーハウスの契約をして帰られる人もいる。窓口となっている岩原さんから鍵を渡され、利用者が自主管理している。退去する時は個人で掃除をしてもらい、長期利用の場合は会の方から点検に行くようにしている。
 最初はもとが何もない中で予算を立てたときも赤字を覚悟で始めたけれど今はとても盛況である。開設から11月までの利用状況は以下のようである。

   4月 5人・延べ14日
   5月 8人・延べ36日
   6月 5人・延べ31日
   7月 10人・延べ50日
   8月 12人・延べ83日
   9月 10人・延べ49日
   10月 11人・延べ49日
   11月 9人・延べ26日

 今のところ、利用者の優先順位をつける必要もなく使いたい時に使ってもらえ、断ることもない状態である。また、利用期間は長期の方で1ヶ月すこしで特に利用期間も制限していない。今までのところ家族全員で利用する人はいないが、要望があれば受け入れるという。
 家賃は豊科町との協議の結果とても安くなっているが、電気、水道、ガス代などの公共料金は一般家庭並みにかかるから、これらを払うとかなりの赤字を予想していた。だが利用者が多く、また1口2000円の年会を払う会員が 100人を超え、上半期は赤字にはならなかった。
 ボランティア活動に対する民間助成にも積極的に応募している。現在は財団法人ドナルド・マクドナルド・ハウス・ジャパンのデン・フジタ財団から助成金を受けている(75万円)。また、共同募金に助成金を申請し、認められた(29万円)。NHKのわかば基金は申請したが通らなかったが、他にもなんでも申請できるものを見つけては申請している。12月現在、日本財団に申請中であり結果は来年にわかる。ただ、これらの助成金はハウスの日常的な運営には使えない。パソコン購入や親と離れて暮らす入院児の兄弟と親とのサマーキャンプの開催などに使われている。
 3 利用者と運営者の思い
 4人の方に感想をうかがうことができた。Aさん、Bさんは以前に利用された方、CさんとDさんは私たちの調査当時利用されていた方である。
Aさん:福島県の方でこども病院までは高速を使って2時間かかる。入院していたお子さんを含め3人家族で、そのお子さんに付き添っていたおかあさんがはなみずきを利用した。1日1人1000円という料金については安いと思っている。お風呂が離れているため夜はとても怖い。トイレも洋式にしてほしい。病院からは午後9時半頃戻ってくる。
Bさん:駒ヶ根市の方で、こども病院までは高速を使い(4000円)、1時間30分かかる。お子さんは3人で両親、祖父母の7人家族だが、当時は入院したお子さんに付き添っておかあさんがはなみずきを利用した。利用料は安いと思っている。利用料以外にかかる費用は1日1300円くらい。家から持ってきたものはタオル類と洗面用具など。トイレとお風呂を何とかして欲しい。テレビも画面が悪いので見にくい。
Cさん:中野市の方でこども病院までは車で1時間20分かかる。3人姉弟の次女のお子さんが入院していて計5人家族。利用料は安すぎるくらい。昼はお子さんが院内学級に通っていて夜付き添いたいために昼間ファミリーハウスに帰っている。家からは洗面用具や着替えを持ってきた。1日に2000円くらい食事などでかかっている。ファミリーハウスに電話がないため電話がほしい。
Dさん:伊那市の方でこども病院までは車で1時間15分くらいかかる。入院しているお子さんを含め両親、祖父母の計5人家族。1日に 500〜1000円くらい食事などでかかっている。お風呂は一人だととても怖い。

 現在使っている方は旅館がわりに安いからという理由で使っている方が半分くらいいる。しかし会を運営している人たちは、宿泊施設としての機能だけでなく、精神的な支えになり、また地域の人が参加できる場になってほしいと考えている。
 「泊まることがあればよいというのではなく、重い病気を持った子どもの家族の方たちがお互い励ましあったり、ゆっくりと心が休まるような場所作りが一番の目的だった。そのためにはイベントを企画したり、みんなが楽しめるようなファミリーハウスとして今入院している子どもの家族のバックアップができればいいと思っている。」
 「この会をやって分かったことはいろいろなところで支援してくださったり、新聞に載ったりすることにより多くの方が協力してくださること、またこの病院に関わった家族の方が自分の子どもがよくなったにしろ亡くなったにしろ、何かこの病院にお返しをしたい、闘病中の子どもや家族の方に何かできないかと考えてくれる方がたくさんいるということだった。」(赤羽婦長)

II 浅間カンガルーハウス
 去年の先輩たちの卒業研究も一つのきっかけになり、また障害者の移動サービスをしているCさんの紹介もあって、Cさんの友人である大家さんからアパートの一部屋を提供してもよいという話をいただいた。そしてこの春、実際に利用したいという方が現われ、「浅間カンガルーハウス」開設の運びとなった。
 これを開設し運営しているのは「カンガルーの会」である。またこの会の活動は、豊科の「はなみずき」が実現に至った素地のひとつにもなった。まず会の活動の経緯をまとめる。
1 カンガルーの会
 1992年当時、附属病院を会場に、医学部の教員や医学部生、医療技術短期大学部の看護科の教員や学生たちも参加する自主的な研究会「死の臨床を学ぶ会」があり、塩尻市の高校で教師をしている西垣さんもそこに参加していた。その勉強会で、看護学科(当時)の小松先生がアメリカのマクドナルドハウスの運動を紹介された。西垣さんはその運動に強い関心をもつとともに、その時の会に参加し質問などした松本教会の牧師の大沢さんを初めて知った。大沢さんには御自自身のお子さんがかつて長期入院していた経験がある。それからしばらくの時を経て、西垣さんは会を作ろうと大沢さんのところを訪ねた。大沢さんもそれに賛同し、1、2ヶ月の準備期間を経た後、1995年5月、白血病の子どもを持つ人と、西垣さんと大沢さんの3人が発起人のようなかたちで会は発足した。
 ファミリーハウスを作ろうという目的は最初からこの会にあったのだが、会の活動はより広く、病気の子どもと親の支援を行なっている。特に小児科領域における子どもの両親の希望をかなえたいと考えている。ポスターを貼って病院にアピールしながら病院内で話せないことがあったらカンガルーの会に来てもらうようにした。松本教会を会場に毎月1度の例会を休まず開いてきた。悩みや疑問、何でも話し合う場である。また病気の子どもに関わる相談や情報の提供を行なっている。
会の性格について西垣さんは次のように言う。
 「数人でもよいので困っている人がいたらサポートしていこうと思ってやっている。会員制とか何もない会だから何の義務もないし会費もない。やってみてわかったのは、会というのは人数とかそういうものではない。その人が気持ちのどこかにとめてくれれば会の存在価値もある。毎月の定例会も葉書を出しているのは60人から70人いるが、みえるのはその10%くらいで10人集まれば大成功だし、少ない時は5、6人でやっている。しかしこの地域で根着いたという実感はある。」
 2 開設までの経緯と現状
 会はこうした活動を継続しながらファミリーハウスの可能性を模索してきた。アパートの持ち主との交渉まで行ったこともあったが、家賃が確実に支払われるのかといった心配、また、病気の子どもが利用することに対する抵抗感があり、さらには、亡くなったら「うちで葬式をするのか」といったことまで心配されて、実現にはいたらなかった。それが今回、なかば偶然的な要素も作用し、理解のある大家さんが見つかった。
 1998年9月に附属病院で生体肝移植などを行なっている第一外科の看護婦長が、昨年度の卒業研究の調査から、この会が宿泊施設などを一生懸命運動していると聞いて、会にみえた。生体間肝移植にはドナーが必要で、2人が入院することになり、また入院期間も異なり、その人たちに付き添う人も相当期間病院にいることになる。しかも、遠くから移植を受けに来る人が多い。宿泊施設がが必要なのは入院している子どもの家族に限ったことではなく、その点ではカンガルーの会の主旨とは異なってもかまわないと会では考えた。旅館ではどんなに安いところでも5000円はかかるので、何とかしてあげたいという思いがあった。
 アメリカなどでは家を寄付してもらい運営や管理したり、家を建てるという方法がとられている。たとえばマクドナルドハウスはマクドナルドの寄付によって建てられたものである。昨年度の調査のまとめの時期、1998年11月、厚生省が宿泊施設の建設に予算を付けたことは、「はなみずき」のところでもふれた。カンガルーの会でも実現に向け、信州大学附属病院や松本市に働きかけてみたが、景気対策で急に決まったことだったため、結局市も病院もそれに応じることはできず、新たな建物を建てることはできなかった。部屋を借りて利用してもらうという形態は「はなみずき」と同じで、松本の場合は民間のアパートが利用された。
 1999年の1月や2月は契約や管理をどのように行なうかを検討し、準備を進めた。利用者の第1号は生体間肝移植を受ける患者と盛岡から一緒にヘリコプターで信州大学附属病院に来た家族の方(患者の母親)だった。婦長の紹介でファミリーハウスを使用することになった。
 部屋の間取りは和室8畳の 120cmの押し入れつきが1部屋、4畳半のフローリングにキッチンと玄関、ユニットバスである。信州大学附属病院から 1.8kmの距離にある。近くにはコンビニエンスストアが2件、銭湯もあるが食堂は少ないため、食事のできる店を紹介している。
 最初は1部屋でどうなるかまったく予想ができなかった。大家さんとの交渉により礼金はいらないことになり、1日2500円として利用日数の家賃を払うこと、公共料金は大家さんが払ってくれることとなった。現在、この2500円は利用者本人が払っている。この値段はファミリーハウスとしては高く、東京など他の地域では1000円から1500円くらいである。カンガルーの会が適切と考えている額よりは1000円くらい高いが、旅館で泊まるのに比べれば半値以下で仕方ないこととして受け止めている。その後西沢婦長からもう1部屋借りられないかという要望もあった。2部屋の管理は大変だが、できれば増やしたいと考えている。
 病棟内にカンガルーの会が貼ったポスター等を見て利用を考えた人は、まず病棟の婦長やソーシャルワーカーに相談し、大沢さんに連絡が来る。そしてハウスマネージャーのBさんを通して部屋を紹介されて鍵が渡される。Bさんやカンガルーの会のCさんが使用中一緒に食事をしたり、ハウスを訪れて病院では話せないことを聴くなど心理的援助もしている。掃除は利用者自身が行なうが、BさんやCさんもハウスの掃除をしシーツを洗濯している。利用料は銀行口座に振り込んでもらい、それを大沢さんが月末に大家に渡している。
 ただファミリーハウスを1ヶ月連続で利用するとアパートの家賃より割高になる。長期の利用の場合には、もう一つの手段として、不動産屋を介してアパートを借りる方法がある。アパートの部屋は空いていても短期ではなかなか貸してくれない。しかし現在は、Y商事(社長さんのお子さんが病気をしていたことがあった)が比較的安価で質のよいアパートを貸してくれている。またホテルを使用する人もいる。カンガルーの会ではファミリーハウスだけでなく、こうしてアパート等を借りる人への情報提供、生活支援も行なっている。
 特に緊急入院の場合は、生活のために必要なものを持って来ることができない。入院の後にしても自分の荷物を宅急便で送ってもらうのは大変である。部屋を借りられたとしてもふとん一つなく、茶碗一つない状況である。必要なものを提供する活動が必要であり、会ではその活動を行なっている。病院までの交通手段としていらないという人からもらって修理した自転車を提供している。また冷蔵庫も同様な方法でもらって部屋に置いた。
 「アパートは病棟の婦長さんから紹介された。アパートから病院までは歩いて20分くらいかかるためバスに乗っていった。もう少し病院に近いところがよいと思う。午前7時ころのバスに乗っていき、午後9時くらいまで病院にいた。最初は月5万円くらいと言われていたが、公共料金込みで貸してもらい1日2500円で月7万5千円になるので少しくいちがいがあった。ふとんや冷蔵庫、洗濯機、テレビなどは貸していただいたので、消耗品のみ自費で購入した。携帯電話は持っていた。大家さんはとても親切な方だった。病棟内に同じような疾患の方が多いため、相談はできていた。夫は一人で実家に残り、手術前後の2、3日は松本に来ていた。」(最初に利用したAさん)
 この方は最初の利用者だったので、利用料等が決まったのは利用の希望があった後だった。実際に使ってもらいながら、受け入れ体制が徐々に形作られてきた。1999年3月から12月までの利用状況の概要は以下のようである。ただこれですべてではなく、12月18日現在で計9家族の利用があった。下記のうち小児の家族は8月から9月にかけて静岡から来て利用した患児の父親とおばあさんで、利用の割合としてはむしろ成人の患者の家族の方が多い。ただこの期間、ファミリーハウスでの支援と別に、小児の家族でアパートを借りた4例について支援を行なってきている。

 3月21日〜6月5日:盛岡から 1〜2名
 6月10日〜7月19日:新潟から 1〜2名
 7月23日〜7月29日:福岡から 1名
 8月30日〜9月6日:静岡から 1〜2名
 9月17日〜9月22日(上記と同じ)1名
 9月28日〜10月1日:神戸から 1名
 12月10日〜12月11日:埼玉から 1名

3 支援のあり方について
 マンパワーが必要だが、カンガルーの会にはそれが足りない。患児の親の会としてスタートしたので、子どものことを無視してまで会に関わることはできないためである。だが現在ハウスマネージャーの仕事は会のメンバーであるBさんがつとめている。Bさんのお子さんは1998年11月に亡くなっている。そのお子さんが闘病中、会が資金集めのためのバザーをジャスコで行なった時、酸素ボンベを携帯し、子どもを抱いて一生懸命頑張る姿があった。それらの活動を通してBさん自身が会に深く興味を持ち、積極的に参加してくれていた。それで会の運営をBさんに任せようと考えたが、大沢さんは反対だった。大沢さんは、子どもが亡くなって3、4ヶ月ではグリーフケアやグリーフワーク(悲嘆の癒しの作業)は終わっていないから、そういう人に責任のある仕事をやってもらってよいのかと考えたのである。しかし他に適切な人がおらず、主婦であるBさんなら昼間も活動できるということで、お願いすることになった。
 「適任者は心のケアを提供することがポイントになる。ただ時間的に余裕があるからお手伝いをしますという方は病む方の家族の気持ちがわからず、時に無神経なことを言ってしまうことがある。Bさんは自分が3年間子どもの世話をし、しかも子どもを亡くされているので気持ちをわかってあげることができる。その優しさに感動し、自分の町に帰っても同じような活動を行ないたいと考える方や会に寄付してくれる方も現われた。Bさんのこぼした種が地域で育つには大きな壁がある。しかし一回Bさんのような経験をされ、それが心に刻まれ、そしてそれに感動を受けた方はおそらくやってもらえると思う。いろいろ難しいが、10年20年続いていけば日本も少し変わると思うし期待もある。最後は人の問題になる。関わる人に適任者がいるかという要素が大きい。」(西垣さん)
 西垣さんがもう一つ強調していたのは医療サイドの参加、協力の重要性だった。
 「それともう一つ病院側の姿勢である。余計なことをやって、と言われると会としても立つ瀬がない。協力してもらえるのはありがたいが本望ではない、というおまけ的な発想をされると育つものも育たない。ドクターは病気を治すのが仕事で、看護婦はケアをするのが仕事だと言われればそうだけど、一歩踏み出してもらわないとならない。これは要するにトータルケアの問題であり、人としてどこまで看られるか、看てもらえるかである。病んでいる人は弱い立場で、その家族もまた弱い立場だし、そうした時に社会がどれだけ手を差し伸べられるかである。とても深いテーマで、最後は人の在り方や社会の在り方などが関わってくる。しかしそのことに気がついて捉えようとする医療者は少なく、まだまだ病気を治せば文句はないだろ、みたいな発想がある。」

IV 考察
 私たちは中信地区のファミリーハウスの事情を調べ、ファミリーハウスのできてきた過程や運営について明らかになった。その中からファミリーハウスの運営に関する問題や今後の課題が出てきて、そのことについて私たちの視点で考えた。
 <金銭面について>
 「あづみのファミリーハウス」は会員を募り、1口2000円の会費を集め、上半期は赤字にはならなかった。また日常的な運営費にはあてられないが、ボランティア活動を助成する民間基金から助成金をもらっている。しかし現在のファミリーハウスでは使用する人、使用したい人のニーズのすべてに対応はできていないので、さらによりよいアパートへ引っ越すために資金が必要である。
 カンガルーの会では資金集めのためにバザーをやったり、一般の方や病気で子どもを亡くされた方からの寄付金によってまかなわれているが、それだけでは運営は成り立っていない。現在も運営費用についてのめどがたっていないため資金調達が課題である。
 特に重要なのは、利用者が負担する利用料をどの程度に押さえることができるかである。
 あづみのファミリーハウスの利用料は1日1人1000円でこれはファミリーハウスでは平均的な値段であり、利用者も安いと感じている。他方、浅間カンガルーハウスの利用料は一日2500円である。旅館に泊まるよりずっと安いが、東京など他の地域のファミリーハウスの利用料金は1000〜1500円くらいであり、それと比較するとやや高めである。しかし大家にも経営上の理由によりそれ以下で貸すわけにはいかないので、一定の家賃を会が払えるようにしていくことが必要である。
 全国のファミリーハウスの中には民間企業が運営を支援しており、それで運営資金がまかなわれているところもある。このように企業が運営に関わっていける体制を整えていけばよいのではと考える。また年会費や月会費がとれるような形態になればひとつのアパートや部屋が借りられるため、実績を作り認めてもらうことが必要である。
 <地域の人の支援について>
 もう一つは地域の人々の理解である。メディアを通してこれらの活動について広く知られるようになったので、少しずつではあるが地域に根付いてきている。それによりよい条件でアパートを貸してもらえたり、会員が増え寄付をしてもらえる。
 また生活支援においてのボランティアは必要であるが、あづみのも松本も今年から始まったばかりなので、その数はまだ足りない状況である。松本ではアパートやファミリーハウスに家財道具を運ぶ段階でもっともボランティアが必要である。今はハウスマネージャーのBさんとカンガルーの会のメンバーであるCさんが中心となって運搬を行なっているが、2人では重たい荷物を運ぶのは重労働であるため、男性の力が必要となっている。会の他のメンバーも時間が空いていればすぐに連絡をくれるが、子育てなどの家庭の事情で参加したくてもできないでいる。あづみのでは一般のボランティアも申し出があるがさらに多くの人に参加してもらいたいと考えている。そのためメディアを通してさらに活動を広めていき、地域の人々の理解を得ていくと同時にボランティアとして活動に参加することで、地域の人々の支援の必要性を認識してもらえると考える。
 <医療従事者として>
 高度先進医療が進むにつれて患者やその家族の身体的・精神的・経済的な面で負担が大きくなってきていて、医療従事者は家族を含めてトータルケアをしていく必要がある。その中でも特にファミリーハウスは宿泊施設として一部の病院や医療従事者は必要性を理解し、認めている。しかしまだ多くはファミリーハウスにも関心がなく、その部分だけ医療の中では明らかに遅れている。疾患だけを治療・看護するのではなく、家族を含めた広い視野で医療が行なわれなければならない。今後このような運動が発展していくためには、まずどれだけ必要であるかを強く病院側に訴えていき、医療従事者の認識を変えていかなければならない。

V おわりに
 今回の研究を行なっていく中で、ファミリーハウスを広げていくためには地域の人々の理解が必要であると同時に、病院や医療従事者と運動をしている人々との協力があってそれらの運動が円滑に行なわれていくことがわかった。また今回は残された家族の問題について触れることはできなかったが、これから医療従事者として関わっていくことが必要であると感じた。
 最後になりましたが、ご指導いだきました阪口先生、立岩先生、そしてなによりお話を聞かせてくださった皆様に深く感謝いたします。


1) 「特定の病院でしか受けられない難病の治療のために遠隔地から来る患者あるいは病児とその家族が、病院の近くに安価に宿泊でき、また同時に同じような境遇にある家族との情報交換や相互の支えあいまで目的とする施設」の正式名称としてホスピタル・ホスピタリティ・ゲスト・ハウス(Hospital Hospitality Guest House)」があるという(清田悠代さんの卒業論文、大阪府立大学社会福祉学部、1999年12月提出、による)。本報告では中信地区で「ファミリーハウス」がよく使われるのでそれにならう。なお清田さんの卒業論文や関連ホームページはhttp://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/1.htmの「50音順索引」→「入院患者に付き添う家族のための宿泊施設」からリンクされている。他に国立がんセンター6A病棟の母親たちの試みを描いた本として岩井啓子『病院近くのわが家』(1998、朝日ソノラマ)がある。
2) 伊原美紀・奥成美子・小原信男・小池梓「宿泊施設を作りたい──松本での可能性を探る」(『学生研究論文集 平成10年度』、1999、信州大学医療技術短期大学部看護科)


  ◆入院患者に付き添う家族のための宿泊施設
  ◆信州大学医療技術短期大学部


REV: 20170127
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