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2002年度前期レポート




◆「子殺しと母性に関する考察」

◆子殺しと母性に関する考察

K(立命館大学政策科学部4回生)
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■はじめに

 「子殺しと母性に関する考察」というテーマを設定した動機について。昨年8
月13日、神戸市道場小学校1年生の勢田恭一君(当時6歳)の遺体が、黒いゴ
ミ袋に入れられて尼崎市の北堀運河で発見されるという事件が起き、調べで両親
の虐待による死亡と判明した。
 各メディアは、両親を「ヤンキー夫婦」「母性愛と粗暴性が同居」「鬼母」
「外道父と残忍母」などと容赦ない批判を浴びせ、加害者(両親)対 被害者
(息子)の構図を全面に押し出した。私は、このメディア(世間というか社会と
いうのか・・・)の事件の捉え方に疑問・問題を抱かずにはいられない。連発さ
れる「母性の欠如が虐待を引き起こす」の「母性」とは一体何なのか・・・。こ
の疑問を少しでも晴らしたいと思い、このテーマを選んだ。
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■参考文献
1『疑わしき母性愛』ヴァン・デン・ベルク著 川島書店
2『日本のフェミニズムD 母性』井上輝子/上野千鶴子/江原由美子/天野正
子 共著 岩波書店
3『人類生活者・溝上泰子著作集 第三巻 国家的母性の構造』溝上泰子 著
4『母性愛という制度 子殺しと中絶のポリティクス』 田間泰子 著 剄草書

5『婦人公論 5月22日号 尼崎市小学1年生虐待死事件を追う―勢田知子被
告からの手紙』 佐藤万作子(フリーライター) 

 1〜5の参考文献をもとにレポートを執筆しました。3に関しては、あまりレ
ポート内に反映されていません。理由は内容が難解だったためです。 一応、参
考までにあげておきました。
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「子殺しと母性に関する考察」

■さまざまな分野で多用される「母性」の定義について

 「母性」という言葉が日本で初めて用いられたのは大正時代初期である。この
言葉はスウェーデン語、英語のmotherhood, maternity にあたる言葉として登
場し、定着したのは昭和期に入ってからのことだという。「母性」という言葉は
頻繁に用いられるものの、はっきりとした定義があるわけではない。広辞苑には
「母性とは女性が母として持っている性質。また、母たるもの」とされている。
しかし、これらの記述には具体的に女性の状態・特質の何を持って母性とするか
には全く明らかにされていない。「母性とは本能である」と言われても、なんと
なく釈然としない。

 母性という言葉が、研究上の概念として確固たる地位を占めているのは、医学
分野およびその近接領域である。これらの分野・領域では母性は次のように捉え
られている。
母性とは「子供を産み育てるために備わった特性(特異な能力)のことである
が、さらにはかかる特性をもった者の総称」である。広義には女性の性と同義的
に解釈されているが、狭義には、妊娠・分娩・産褥期の女性を対象として、とく
に子を産み、哺乳し得る能力を持つ女性の身体的特徴、およびその状態を意味し
ていると考えられる。

 近年では広義の概念が採用される傾向がある。1965年の母子保健法の制定
を受け、翌1966年に公示された厚生省の実施要領は、おおむね思春期から更
年期にわたる年齢層を母性保健の対象とする方向を示している。妊娠・分娩・産
褥期の一時期に限らず、母であり、母となり得る可能性をもつ全期間におよんで
母性を捉え、その保健衛生を指導する視点が打ち出されたのである。

 しかし、この広義の概念の採用により、母性概念は医学的な根拠を超えた価値
観をも含有する方向へと拡大されていったと見ることができる。
例をあげると次のようなものである。
  「女児が、成長につれて女性らしくなり、女性として成熟し、結婚し出産し
て母となる。みずからの子を育て終えて、さらに孫の世話をする。女性の一生は
母になること、母であることに終始しているといえよう。母となることは、女性
だけの持つ特権であり、男性がこれにとってかわることはできない。このよう
に、女性が生まれながらにして有する母としての天分を総称して『母性』とい
う」

 母性の定義は、医学的な分野だけにとどまらず、子供への愛情面に関する価値
的解釈が混在しているのをみることができる。母性に関しては、女性独自の生殖
能力を指すものから、一般常識的な価値観を内在させるものまで、母性概念は多
義的に用いられている。

 つまり、「母性」とは、この言葉を受け取る側の価値観に基づいて如何様にも
定義されることが可能なほど、あいまいな言葉ということではないか。

 問題なのは、「母性」の定義の曖昧さを残しておきながら、一方で母性は絶対
的なもの、崇高なものという社会的通念が浸透していることである。とりわけ日
本では、子育てにおける母親絶対の理論、母性信仰が根深く浸透している。

■「子殺し」の世間一般での捉えられ方にみる問題点 「母性の欠如」で片付く
のか

 子殺しは江戸時代から「間引き」というかたちで始まり、現在も続いている。
警察庁によると、2000年1年間の児童虐待による検挙件数は186件(前年
より66件増)で、被害児童は190人、うち44人が死亡している。児童相談
所での児童虐待相談処理件数は、1万7725件に上っている。(この増加の背
景には、児童虐待防止法施行による「通報」の急増がある)
※江戸時代の間引きは、経済苦を理由に行われたものであり、現在の子殺しとは
性格が違う。私がここで言いたかったのは、子殺しの歴史は長く深いということ
だ。

●子殺しの事例
1973年 8月29日 子供を布団蒸しにして死亡させる
1974年10月 5日 子供を石膏詰にして死亡させる

 このような、異常な殺害方法、また死体の捨て場所にコイン・ロッカーや焼却
炉、川などが選ばれる新奇さなどがあいまって、人々に大きな衝撃を与えてき
た。この衝撃の意味するところは、母親に対する従来の常識「母親とは子供のた
めには己が命とさえ交換できるもの、そしてその愛情には偽りがない」が、根底
から覆されたということである。

 この種の事件は後をたたないためか。新鮮さこそ失ったものの、発生件数その
ものに変化はなく、育児放棄や子殺し、母子心中は跡をたたないのが実情であ
る。現在こうしてレポートを書いている最中にも、女子中学生が母親に殺害され
冷蔵庫に2週間放置された事件が報道されている。子殺しにいたる理由、状況に
はさまざまなものがあるが、メディア(社会一般)は、苦悩する母親に対して
「母性喪失」「鬼母」という逸脱者のレッテルを貼る。子殺しをした母親に対し
て「あの人は子供がかわいくないのかしら。母性が欠如しているのではないかし
ら・・・」というふうに、である。

 間引きの原因が経済苦・貧困からの脱出であるのに対して、現代の子殺しに対
しては、その原因を母親の無責任さ、冷酷さ、未成熟さ、子供の私物化に求めら
れるのが、今日の一般的な論調である。しかし、現代の子殺しに関して、これら
の「母性の欠如」だけに原因を求めることができるのだろうか。

 現代の子殺しの背景には、種々の要因が複合的に絡み合っているといえる。母
親が子供を殺し、そして自らの命を絶った後、残された父親は何が原因か分から
ず、呆然としているというようなことが起きているが、これは夫婦間で悩みを共
有することができない、夫婦間の関係の貧しさが象徴されている。また、乳児を
抱えたまま生活苦に耐えられず子殺しに走ってしまった未婚の母からは、無責任
な男性の存在だけでなく、十分な援助体制もないまま、母子を孤立させた地域社
会の姿勢が問題点として浮かぶ。

 以下にあげるのは、民間の女性グループ「子殺しを考える会」で発行した『子
殺し白書』からの情報である。
● 母子心中・子殺しの主な原因について
未熟児だったことから・・・・・・・・・2件
発育の悪いのを苦に・・・・・・・・・・2件
育児ノイローゼ・・・・・・・・・・・・2件
産褥ノイローゼ・・・・・・・・・・・・2件
上の子を病死させたため自信をなくして・・・・2件
体の弱いのを苦に
体が悪く、手術を前に
"さん粒腫"の手術で一生目がみえなくなると思いこみ
幼稚園になじめないのを苦に
学校を休むのを苦に
三歳児検診用のアンケートによい回答が書けなくて
ぜんそくを苦に
育児づかれ
入院中の学業の遅れを苦に
自閉症
知恵遅れ
脳性小児麻痺・・・・・・・・・・・・・2件
その他・・・・・・・・・・・・・・・・2件

 これらの原因の中で、障害児殺しに関しては「私が死んだらこの子はどうな
る」という切羽詰った状況下での殺しである。これらの問題に直面するとき、は
たして障害児を救うためには殺すしか方法がなかったのかということである。

 他者からすれば「そんな些細なことで、子供を殺すなんて」と思われることで
あっても、当事者にとっては、最大の関心事である。つまり、動機が些細であれ
ばあるほど、子供に対する関心が強いということいなるのではないか。

 子殺しにいたるまで、誰にも相談できなかったという事実にも着目する必要が
ある。正確には、育児の悩みを母親に相談しても「みんな、おなじように乗り越
えていくものなの。我慢しなさい」という、答えにならない答えしか返ってこな
い事実だ。
 子供に関する問題について、ほとんどすべてを母親の責任のもとで解決しなけ
ればならない環境が、母親を子殺しに向かわせているのではないか。そして、子
殺しを起こしてしまうと、非難は大抵母親の「母性の欠如」へと向けられる。

 尼崎市の小学1年生虐待死の被告である母親・智子さんは「こうなる前に助け
てほしかった」と言っている。この言葉から、育児に関して孤独に悩んできた
「被害者」の面をみることができるのではないか。つまり、育児に関して、孤独
な立場に追いやられる母親は、子殺しの「加害者」であると同時に、地域社会か
ら孤立を余儀なくされた「被害者」という見方もできるのではないかと思うの
だ。

 子殺しの原因を母親の「母性の欠如」に求める風潮は、地域社会が母親を孤立
させてきた事実を「母性の欠如」という隠れ蓑で包み隠そうとしているように思
えてならない。

■まとめにかえて

 率直なところ、このレポートで疑問が晴れたとは言えないように思う。まだ
「母性」について、モヤがかかったような状態で理解できていないところが多
い。虐待を続け、子供を死に至らす事件にたいして「子供がかわいくないのか・
あんたは鬼母か」という次元で争うような事柄ではないと、痛感した。女性には
元から母性が備わっているとする考え方は、女性に育児を押し付けている原因に
なっているのではないかと思った。


……以上……


REV: 20170127
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