■ケア付住宅設立運動  ※『生の技法』より 「これ(八王子自立ホーム)にも刺激されて次にケア付住宅建設の運動を始めたのは「札幌いちご会」である★43。この会の活動は,脳性マヒ者の巨大コロニー「北海道福祉村」建設の計画に自らの主張を反映させることを目指して77年に始まった。彼らは福祉村の中に個室を作ることを要求するとともに,78年にそれが可能なことを一か月の合宿による実験で明らかにする試みを行う。また,79年にはメンバーの小山内がスウェーデンでのケア付住宅の状況などを実際に確か[p268]め,帰国後は一般の住宅に住み,ケア付住宅の現実的な可能性について実験を続けていくとともに,その建設を北海道に要求する運動を行った。★44行政の対応は当初積極的ではなかったが,継続的な働きかけの結果,85年に北海道は「障害者の生活自立の促進について」という報告書を出し,それをうけて八六年に道営の重度身体障害者ケア付住宅が開設された★45。10名が入居し,そのうち身辺介助が必要な者が4名,調理・買物に介助が必要な者が各2名いる。市と北海道から合わせて年に1800万円の補助を受け,時間あたり 750円が介助者に支払われている。(88年) *43 この会の活動については以下の文献の他,機関誌『いちご通信』(七七年発刊)を参照。私達は八七年一一月と八九年二月に小山内さんの話を伺った。 *44 福祉村について北海道社会福祉会編[85],今岡[85B ]。合宿の実験について,札幌いちご会編[78]。スウェーデンでの体験について小山内[81C ]。 *45 これは第2種公営住宅(特定目的住宅)として建設された始めてのケア付き住宅である。文献として浅野[87],鹿野[87],『われら人間』43(87年):6-9,小山内[88A][88B]。」(『生の技法』より引用) 「…事実,こうした中で,ケア付住宅の建設運動に関わってきた人々の間にもその意義を限定的に捉える方向が出てきている。4・5にみた試みの新たな事例としても,また4・5・6にみた論点の交錯について再度考えるためにも,札幌いちご会の活動をみよう。いちご会は注53に述べたような事情,ケア付住宅でのケアが必ずしも満足のいくものでなかったこと,なによりいくらケア付住宅を設置していっても到底介助を必要とする障害者全体のものにならないという認識から,ケア付住宅開設の後,@八六年末,ケア・サービス,住宅紹介,カウンセリング,移送サービスを行う合衆国のCILに比較的近い機関設立のための自立生活基金を得る募金活動を始めるとともに,Aまず幾人の障害者の集団(民間アパートに何人かが集まるという形を想定)に対して介助保障を行うという「グループ・ケア」制度を構想し,八七年以降札幌市に働きかける。だが,特定の団体に助成は出来ないとされ結局果たされず,また,この形にしても障害者全体のごく一部のものにしかならないという判断からこれを取り下げ,B八九年四月から,会の専従職員三人(給与月十万円)を中心とした(他に主婦・無職・学生各一名)介助者による介助サービス(一時間四百円+交通費百円,宿泊一泊千円),及び移送サービス(一時間四百円+実費)を始める(開始後七五日で,十六人の利用者に対し介助七六二時間,宿泊七五日,移送九七回・二千キロ余)とともに,同年,C東京都の介護人派遣事業を参考にした「全身性障害者介助人派遣事業」の設置を札幌市に対して要求する。[p275]東京都の制度と異なっているのは時給制にするとしていることで,市長宛ての要望書ではパートタイマーの主婦の雇用対策になることも指摘している。時給制は介助を必要最低限のものにしようとする意図からも来ている。会員の小山内はできるだけむだなケアをなくすため,曖昧なボランティアや専従職員をやめ,生活保護の他人介護制度,特別基準もケア制度として曖昧であるがゆえすべてなくし「「実際にはこれら全てを活用せざるを得ないでいるのだが「「,必要なケア時間によって介助料を設定するきめ細かな制度にしていくべきことを述べている★55。以上には第一に,ケア付住宅の限界に関する基本的な論点の一つが出ている。第二に,4・5にみたあらかたの要素が取り込まれている。第三に,介助の極小化という志向がある。これは,前章にもみた,介助保障要求を過剰で非現実的と批判した東京青い芝の会の主張であり,この会がケア付住宅建設運動においてもとった発想であり,またここと人的にも交流のあったいちご会が,自らのケア付住宅建設においてもその基幹に据えた発想であって,公的介助保障を要求する運動とかつて年金改革に力を集中した運動との「対立」あるいは後者の前者に対する「不信」「「と思えるのだが「「の構図を引き継いでいる。またこれに関連するものでもあるが,第四に,時給制,主婦のパートタイム労働としての介助という線を明確に打ち出している。第三,第四の点について,私達はまだ自らの見解を「「第三の点に関して他者の介助はなくならないという当たり前のこと以外「「述べていない。これは最後の節に残そう。 *53 八王子の場合,開始当初から,この問題が生じる。最初に入居したのはこの住宅建設の運動を進めてきた人達だったが,新たに入居する人の選考に関して,都によって建設されたという性格とのかねあいからも,都行政と入居者の間にそごが生じたのである(『とうきょう青い芝』)。また札幌いちご会が建設を進めてきたケア付住宅に入居できた会員は一名だけだった。 *55 いくつか補記する。ケア付住宅に入居できなかった小山内はその格差を「天国と地獄」と表現し,入居した鹿野は「天国なんてない」と記した。@八六年黒柳徹子コンサートを皮切りに,八七年には糸井重里作成のテレホン・カードを販売,八七年から三年間で書き損じ葉書を三十万枚余集める。小山内[88]の印税も全額これにあてる。B登録年会費五千円(保険料含む),事務費として月千円の基本料金(月二○時間以上利用の場合時間あたり五○円を上乗せ)。以上,小山内[87],『いちご通信』69−80号(87−89年),八九年二月の小山内さんへの聞き取りによる。なお相模原の脳性マヒ者が地域で生きる会もケア付き住宅の運営と併行してケアシステムを構想中。C九○年六月,札幌市は前記(↓注22)自治体に続き,介護手当の助成制度の開始を決定。対象は二○歳以上の一級の者。介護者は三親等以内の親族を除く。一時間七百円。初年度は利用者一五人延べ三七八○時間を見込み三三○万円の予算を計上。会の反応も含め『いちご通信』84(90年):8-9」