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モーリタニア・イスラム共和国
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○外務省 各国・地域情勢 モーリタニア・イスラム共和国

◆2005/09/27 国境なき医師団 西アフリカでコレラが大流行 -MSFはスタッフ、物資などの支援を強化-
◆2007/08/09 外務省 日・モーリタニア外相会談及び夕食会について
◆2007/08/09 外務省 モーリタニア・イスラム共和国に対する無償資金協力(ヌアクショット・ヌアディブ小中学校建設計画(第3期))に関する書簡の交換について
◆2007/08/15 外務省 地雷専門家のアフリカ派遣について
◆2007/08/21 時事ドットコム モーリタニア、中国へ鉄鉱石輸出へ
◆2007/08/21 ECO JAPAN 第1回 サハラ砂漠でお茶を(前編)
◆2007/08/27 毎日新聞 The・Interview:モハメド・サレック・ウルド・モハメド・レミンさん
◆2007/08/28 ECO JAPAN 第1回 サハラ砂漠でお茶を(後編)
◆2007/09/04 ECO JAPAN 第2回 生まれて初めて、水問題が身に沁みた(前編)
◆2007/09/11 ECO JAPAN 第2回 生まれて初めて、水問題が身に沁みた(後編)
◆2007/09/17 中国情報局NEWS [中国之最:第6回]中国茶、生産量第1位の省は?
◆2007/09/19 Sankeiweb 洪水被災者150万人に・アフリカ17カ国、国連推計
◆2007/09/26 AFP BB News 「読みがな」をふったブッシュ大統領の演説草稿 誤って国連ウェブサイトに掲載される
◆2007/09/26 Sankeiweb/Sponichi/東京新聞 正しく読んで大統領! 演説草稿に“発音記号”
◆2007/09/27 サンパウロ新聞 アフリカに目:資源開発積極化:ペトロブラスとバーレ・ド・ドーセ
◆2007/09/27 ohmynews 同性愛をめぐる世界最新事情
◆2007/11/14 MSN産経ニュース 大使館1つ9億円 新設めぐり財務省と外務省が火花
◆2007/11/15 UNHCR Japan News UNHCR、モーリタニア難民帰還のための協定に調印
◆2007/11/22 中日スポーツ 来年のパリダカは過酷!! 今年より距離が1000キロ以上増
◆2007/11/26 時事ドットコム 初のアフリカ地雷除去支援へ=08年度から、モーリタニアで−政府
◆2007/11/27 外務省 モーリタニア・イスラム共和国に対する無償資金協力(食糧援助)に関する書簡の交換について
◆2007/12/19 外務省 モーリタニアに対する国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を通じた無償資金協力「モーリタニア難民の帰還及び再統合計画」に関する書簡の交換
◆2007/12/23 intellimark.co.jp モーター・スポーツ選手とレプソル社員が登場するカレンダー 収益金はアフリカの医療支援に
◆2007/12/26 MSN産経ニュース モーリタニアの仏家族襲撃犯 アルカーイダと関係か
◆2007/12/26 AFP BB News モーリタニアの仏人観光客銃撃事件、3人を拘束
◆2007/12/27 AFP BB News モーリタニアの仏人観光客銃撃事件、アルカイダ系組織が関与か
◆2007/12/28 外務省海外安全ホームページ モーリタニア:イスラム過激派の活動活発化に伴う注意喚起
◆2007/12/29 時事ドットコム 2007/12/29-15:08 モーリタニアでのレースは予定通り=自動車ダカール・ラリー
◆2008/01/02 carmode-news.carmode.net ダカールラリー、1月5日スタート
◆2008/01/04 時事ドットコム 2008/01/04-22:02 ダカール・ラリーが中止=モーリタニアの政情不安理由に−自動車
◆2008/01/04 MSN産経ニュース パリダカに忍び寄るアルカーイダの影 治安悪化の北アフリカ
◆2008/01/04 NIKKEI NET パリ・ダカが中止、モーリタニアの治安悪化で
◆2008/01/05 東京新聞 パジェロ有終飾れず パリ・ダカ全日程中止 三菱・増岡ら落胆
◆2008/01/05 yomiuri.co.jp レース開幕前夜にパリ・ダカ中止、テロ組織から脅迫
◆2008/01/05 AFP BB News 2008年ダカールラリー、安全上の理由で中止に
◆2008/01/05 中日新聞 パリ・ダカ、初の全面中止 モーリタニアの治安悪化で
◆2008/01/05 中日スポーツ パリダカ中止 モーリタニアでテロの危険性
◆2008/01/05 MSN産経ニュース パリダカ中止 危険と隣り合わせのルート
◆2008/01/10 時事ドットコム 2008/01/10-06:49 時の言葉「パリ・ダカ」
◆2008/01/12 MSN産経ニュース 仏家族殺害で2人逮捕 モーリタニア
◆2008/02/01 yomiuri.co.jp モーリタニアでイスラエル大使館銃撃、仏人女性ら3人負傷
◆2008/02/12 時事ドットコム 2008/02/12-00:34 来年はアルゼンチンとチリで開催へ=自動車ダカール・ラリー
◆2008/02/12 asahi.com パリダカ、09年にアフリカから南米に転戦
◆2008/03/21 毎日新聞 チベット暴動:「五輪の政治化反対」各国から支持…新華社
◆2008/03/27 AFP BB News ダカールラリー主催者 アフリカ開催を誓う
◆2008/04/08 cnn.co.jp 食糧価格高騰で暴動、国連事務所も襲撃 ハイチ
◆2008/04/17 JANJAN インド:FAO代表「食糧不足は非常事態」
◆2008/04/26 時事ドットコム 2008/04/26-19:19 食糧高騰の混乱、世界に拡大=1日100円以下の貧困層直撃
◆2008/04/30 asahi.com モーリタニア・シンゲッティ……砂と闘う町
◆2008/08/06 asahi.com モーリタニアで軍部がクーデター、大統領と首相を拘束
◆2008/08/06 cnn.co.jp 首脳更迭された軍がクーデター、大統領を拘束 モーリタニア
◆2008/08/07 毎日新聞 モーリタニア:軍がクーデター 大統領府を制圧
◆2008/08/07 jp.reuters.com モーリタニアでクーデター、大統領が拘束される=大統領の娘
◆2008/08/07 外務省 モーリタニア情勢について
◆2008/12/22 NIKKEI NET モーリタニア軍政、拘束の大統領を釈放
◆2008/12/22 外務省 モーリタニア情勢について
◆2009/01/17 cnn.co.jp カタールとモーリタニア、イスラエルと関係断絶 ガザ侵攻で
◆2009/06/19 cnn.co.jp 世界的な不況で「人身売買」状況が悪化と、米国務省報告


 
 
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2007/08/21-10:22 モーリタニア、中国へ鉄鉱石輸出へ

【ヌアクショット20日AFP=時事】モーリタニアの国営鉱山会社ナショナル・インダストリアル・アンド・マイニング・カンパニー(SNIM)は20日、中国に年間1.5トンの鉄鉱石を輸出する7年契約に調印した。調印はSNIMとチャイナ・ミネラルズ・コーポレーションとの間で行われた。(写真は北京の建設現場で、大規模な鉄のはりの組み立て作業をする労働者)

 SNIMによると、今回契約した中国への輸出は、同社の年間生産の約21%、2010年の生産目標の18%にそれぞれ当たる。契約は更新が可能。鉱工業省によれば、モーリタニアの鉱業部門は同国の国内総生産(GDP)の12%を占める。

 中国は石油を含め多くの商品をアフリカから調達しており、アフリカでの足場を急速に拡大している。中国は06年11月に北京でアフリカ48カ国とともに首脳会議を開き、その際、09年までにアフリカへの援助倍増と50億ドル(約5737億円)の借款供与を確約した。また中国は、アフリカで鉄道や基礎的なインフラ施設を建設している。そのほか、低価格品の大市場の開設を望んでいる。 〔AFP=時事〕



 
 
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第1回 サハラ砂漠でお茶を(前編)

西アフリカ

「北の人びとと南のエリートは、地球環境の吸収力と再生力を脅かすほどの速さで、消費を続けている。地球規模で存在する貧困や環境の衰退、汚染の責任は、先進国の住民たちの消費癖と浪費癖にあるのであって、南の人口増加にあるわけではない。」

『アジアの眼−NGOからの反グローバリズム−』(モハメド・イドリス著、安藤栄雄監訳、中本健一訳、緑風出版)

エコ生活への小さくてとるに足りない第一歩

「アフリカや中国では、どんどん森が消え、砂漠化が進んでいる。このままでは、地球環境は悪化する一方だ。もう人類も長くないだろう」

「世界中で80万人が飢えているというのに、こんなもったいないことばかりしていたら、地球はダメになるぞ」

この頃、毎日のように、そう囁かれる。けれども、妙じゃないか。これまでずっと“地球に悪い”消費生活こそが豊かさの証だと信じて、突き進んできたのはいったい誰だろう。消費は美徳だと教え込んできた大人たちが、今になって「どうも、度が過ぎたようですな」と、溢れる商品に囲まれて戸惑う子供たちに呪いの言葉を吐くのは、何だかちょっと腑に落ちないではないか。

滅亡の序曲を奏でる、不安でグローバルな数字に憔悴しながら、眉間に皺を寄せてばかりいても始まらない。このペシミズムの淵から何とか這い上がれないものか。

そんな時、ふと、希望があるように感じたのは南だった。南といっても、物理的な方角を示す南ではない。日本を含む先進諸国に対する、概念としての南だ。

なぜなら、食のグローバル化は、“飽食の北と飢餓の南”という食の南北格差を助長しているという。時間切れの弁当や会食の余り物、過剰生産によって廃棄される農産物など、北で捨てられるもったいない食べ物をゼロにすれば、南の飢餓がすぐにでも解消されるともいう。南にいる彼らは、わずかな食べものとモノに甘んじて、つましく暮しているのだ。

だとすれば、これからの地球に優しい暮らしのモデルは、ここではなく、あちら。つまり、これまで“貧しい”だとか、“不便だ”と呼んでよく知ろうともしなかった南の国々にありはしないだろうか。

それはもしかすると、おセンチな幻想に過ぎないかもしれない。しかし、ともかく、砂漠で人々がどんな風に暮らしているのか、森が消えていく地域の子供たちと私たちの暮らしはどうつながっているのか、まずはそこを覗いてみようではないか。

こうして、私は35歳もとうに過ぎた頃になって、無性に南への渇望を感じ、旅立つことを決めた。その旅は結果的に、遅ればせながら、水や土のこと、地球に優しい暮らしなんてことを、考え始めるきっかけになっている。

それは、地球にしてみれば、小さくて、とるに足りないような一歩だった。しかし、当事者である私にしてみれば、すこぶる無自覚な暮らしが、地球と折り合いをつける“しなやかさ”に触れた、貴重で忘れがたい第一歩だった。

そんな、狭い了見で生きていた頭がぞろりと一回転するような、驚異と謎に満ちた旅をこれから綴ってみようと思う。

モーリタニアの茶道

夕日で薔薇色に染まった砂丘が、どこまでも続いていた。飛行機から見下ろしたサハラ砂漠の眺めは、神秘そのものだった。

だが、物事は遠くから眺めるのと、実際に身を置くのとでは大違い。旅立ったのは2月半ばのこと。湿度の高い日本より楽かなと、たかを括っていたら、日中は30度をかるく超え、午後は「ハルマッタン」という砂漠の熱風が吹き、晴れているのに白くかすむ。喉も、鼻の穴も砂だらけで、慌てて市場でターバンを買ったほどだった。

ロシア人の夫ミーシャとやってきたのは、西アフリカのサハラ砂漠の国モーリタニアである。イスラム教徒が大半を占める国だけに、この時ばかりは“オス”であるミーシャの存在が、何かとありがたかった。 美しい衣が並ぶ市場にて。

美しい衣が並ぶ市場にて。

サハラ砂漠は、広さが日本の国土の12倍もあるらしい。しかもサハラ以南は世界で最も貧しいとさえ、いわれている。だから、地元の人に遊牧民の食文化について訊ねてみても「そうねえ、悪いけどあんまり期待しないでね。移動生活だから、何しろ材料がないし、せいぜい山羊の焼肉くらいね」という、うすら淋しい答えが返ってきた。

遊牧民たちのテントには、大抵、山羊の皮袋がぶら下がっている。これに牛の乳を入れ、揺すってバターを作り、さらに残った乳清を半日ほど乳酸発酵させ、水と砂糖を加えて「ズーリ」というサワーミルクを作る。彼らにとってこれは大切な栄養源だ。さっぱりしていて飲みやすく、予想に反して、お腹も平気だった。

何よりも格別だったのは、彼らのお茶文化だ。あるフランス人研究者は、このモーリタニアの茶道を知った時、「これに比べれば、日本の茶道など子供の遊びだ」なんて評したという。まあ、「子供の遊び」は言い過ぎだとしても、それは、えらく泡を立てるという点でユニークだった。

私たちがお茶をご馳走になったのは、セブ牛を170頭も飼っている遊牧民の農家のテントだった。外から見れば、ボロボロなテントも、中に入って落ち着いてみれば案外と広く、光に透けてみえる継ぎ接ぎの花や幾何模様が愛らしい。まだ18歳の美しい妻は、幼い息子を膝に抱えたまま、器用にお茶を淹れてくれた。

彼女は、まず牛の糞を燃料に、お茶を煮出した。茶葉は、中国産だという半発酵の緑茶。そして、ホーローの急須をやおら頭の高さにまで引き上げ、小さなグラスめがけて茶を注ぎ、いい音を響かせたのだ。おやっと思って見ていると、次に2つのグラスで同じ仕草を繰り返し、グラスに泡が半分まで立つと、液を除いて泡だけにする。そこにミントの葉を加えた暖かいお茶を注いで完成である。砂糖はたっぷりとスプーンに2杯。このお茶をゆっくりと3杯はいただく。

そうやって泡を立てることで、お茶の香りを封じ込めるのと同時に、テントの中には陶然たる甘い香りが満ちる。砂漠で貴重な水分を補給するのに、これを最大限に楽しむのが サハラ式茶道だった。

沖縄で、かつて楽しまれていたという、泡だけをいただく“ぶくぶく茶”というものに出合ったことがある。何でもそれは、ぜいたくなお茶の時間に飽満感を添えるための工夫だったという。食べ物に事欠くモーリタニアにも、あるいは同じような事情があるのかもしれない。

驚いたのは、帰国後だ。このホーロー急須と茶を買って帰り、猿真似してみたのに、ちっとも泡が立たなかったではないか。若いお母さんが、片手でさりげなく淹れてくれた砂漠のお茶に、そんな極意が潜んでいたとは、飲んでいる時は想像だにしなかった。

モーリタニア初の試み、ミルクの流通を実現

アフリカへやってきた理由は、実は友人のナンシー・アベイディラハーンという女性に再会するためだった。2000年、イタリアで出会った時、彼女は「遊牧民は、今や絶滅の危機に瀕しているのよ。世界中でもおそらく500万人、サハラでは50万人くらいになってしまった」と教えてくれた。

「彼らは、基本的にアウトローで、昔から、国よりも民族や血縁をずっと重んじている。アフリカではね、数十年前まで国境も何もなかったのに、列強の植民地化と相次ぐ国の独立で、その行動半径は一気に狭められた。その上、サハラ周辺の砂漠化が進んでいる。異常気象になれば、すぐに餌が尽きて、家畜が倒れてしまう。若者たちは食べていけないから、結局、外国に出ていくの」

ここからが、ナンシーの凄いところだ。彼女は「遊牧民が絶滅する前にしっかり記録しておこう」などとは思わなかった。

「私に、何かできないかな」と思ったのだ。

そこで始めたのは、遊牧民の牛や山羊、ラクダのミルクの流通だった。しかし、日本やフランスとは訳が違う。首都のヌバクショットでさえ、スラムが大部分。しかもモーリタニアでミルクを流通させるのは、初の試みだった。

列強によるかつての植民地化の歴史は、アフリカを“素材の提供者”たらしめ、加工技術の導入や工業化を著しく妨げたといわれている。この人口260万人のヌバクショットにも、油やスパゲッティ、塩の加工工場くらいしかなかった。

そのなかでナンシーの工場は群を抜いていた。衛生観念も大らかなこの国で、その工場は驚くほど清潔だった。

約1000の遊牧民一族を細腕で支える女性

イギリス生まれ、フランス育ちのナンシーは、1970年にモーリタニア人の夫と結婚、この地に移り住んだ。ところが8年後、政権が変わり、2人の息子ともども国外追放になる。フランスでは、ホテルの支配人でも、魚市場の通訳でも、何でもやって生き延びた。そして85年、ふたたび政権が変わり、パリで生まれた三男を抱えてようやく帰国する。

「そうして一段落ついた時、何か始めたいと思った。そして大学の卒論のテーマだったミルクの流通を実現できないかと考えた。フランスのNGOや地元の銀行に資金繰りを相談して回って、何とかここまで漕ぎつけたってわけ」

イスラム教の国で、白人女性が事業を起こすのは至難の業である。ナンシーは、もっと深くこの国の人間になろうと、ムスリムに改宗した。また、資金繰りより大変だったのは、食糧も水もシェアする遊牧民の世界で、家畜の乳を売ることが一種のタブーだったことだ。それは、我が子を売るにも等しいとさえいわれてきた。

「でもね、酪農文化の豊かなこの国で、タンカーで運ばれてきた外国のロングライフ牛乳を買うなんておかしいでしょう。地元の牛の、しかも低温殺菌のミルクなら、みんなの健康にだってずっといいし……」

ナンシーは、そう説得して回った。88年、ようやく創立に漕ぎつけた会社に『ティビスキー』と名づけた。ティビスキーとは春という意味。春はサハラがもっとも穏やかで美しい季節だ。数年後には、試しに世界初の珍品、ラクダのチーズも考案した。

「ビタミンやミネラルが豊富で、健康食品そのものなのよ」と本人は自信満々だったが、地元にはまったくチーズを食べる習慣がなく、やむなくヨーロッパに輸出した。

こうしてわずか6人で始めた仕事は、今や各地に3つの集配所が生まれ、230人を雇用するまでになった。

工場には、早朝から、腰に手をあてた誇り高い遊牧民の男たちが、アルミ容器でミルクを運んでくる。アラブ、先住民系のベルベル、それらの混血のムーア、フルベなど、民族衣装に身を包んだ様々な風貌の男たちが、次から次にやってくる。

イスラムのマッチョな男たちも、ナンシーにだけは一目、置いていた。砂漠に災いを運ぶとして、敬遠されがちなよそ者にあって、彼女は例外中の例外だった。なぜなら彼女は、男たちに貴重な現金収入をもたらしたからだ。以前のように身を切られる思いで、牛やラクダを売らなくていいのだ。

そんな信頼関係を持つ遊牧民の長たち、約1000人がミルクのサプライヤ(提供者)となっている。彼らが率いる一族の暮らしがすべて、ナンシーの細い肩にのしかかっているのかと思えば、空恐ろしいほどだった。

順風満帆に見えるその事業も、予期しない何かが起きれば、すべては泡と帰すかもしれない。砂漠化が迫っている。2002年には、寒さで草が生えず、3分の1の子牛やラクダが死に、遊牧民の数も減った。政治も不安定だ。その意味で、彼らとは運命共同体なのだ。

「そうなった時は、そうなった時よ」と、それでも彼女は笑い飛ばした。

後編に続く



 
 
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The・Interview:モハメド・サレック・ウルド・モハメド・レミンさん

 <The Interview in Nippon>

 ◇砂漠化阻止、国挙げて−−モハメド・サレック・ウルド・モハメド・レミンさん(44)=モーリタニア外務・協力相

 60年に仏領から独立後、いち早く外交を構築した国の一つが日本だ。政府開発援助を通じた日本国民の支援に感謝を述べたい。

 わが国は「アラブ・アフリカ」と「サハラ砂漠以南のアフリカ」との接点にある。アラブ・マグレブ連合(AMU)の一員でありアフリカ連合(AU)の哲学にも同調している。来年5月、横浜で開催の第4回アフリカ開発会議(TICAD4)は、アフリカ諸国にとって意義深い会議になると思う。テーマの一つでもある環境問題だが、わが国で最も深刻なのは全域で広がる砂漠化だ。毎年8月に「植林の日」を設け、約20年前からは樹木がいかに大切かを啓蒙(けいもう)する活動を続けている。雨期前には空から飛行機で種をまく取り組みも実施し、料理には炭でなく、ガスの使用を呼び掛けている。

 モーリタニアは自然のままの海岸線が約750キロ続き、ユネスコの世界遺産でもある渡り鳥の飛来地アルガン国立公園や、「シンゲッティ」「ティシット」などの古代都市遺跡など観光資源も多い。美しい表情をみせる砂漠もその一つだ。

 治安も安定しており、国民はホスピタリティーにあふれている。イスラム教国家だが、昔から女性が社会で活躍しており、寛容で開かれた国だ。国会で28%が女性議員なのもその象徴だ。3月には、民主化選挙による大統領が誕生し、国は変革期を迎えている。

 水産資源に加え、鉄鉱石や銅などの豊富な天然資源を活用するビジネス・投資環境も整いつつある。進行する油田開発のあり方について日本からも学び、発展につなげていきたい。【聞き手・高尾具成】

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 ■人物略歴

 キファ市出身。87年外務・協力省国連課長に。国連人権委員会代表、在カナリア諸島総領事、在ジュネーブ国際連合・国際機関政府代表大使などを務め、07年4月より現職。モーリタニアはサハラ砂漠西端に位置し、国土の5分の4は砂漠。首都はヌアクショット。

毎日新聞 2007年8月27日 東京朝刊



 
 
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第1回 サハラ砂漠でお茶を(後編)

前編はこちらから

約9000ものアイテムは本当に暮らしに必要なのか?

西アフリカのモーリタニアでミルク工場を経営する友人のナンシー・アベイディラハーンが、ロッソという町の集配所のチーフを紹介するから、よかったら遊牧民のテントに泊まってみたらどうかといってくれた。願ってもない申し出だった。

本当のことを言えば、こうしてサハラで2つの文化に橋をかけるナンシーに会いに来たのは、遊牧民のモノのない暮らしを覗いてみたかったからだ。何でも日本人は、一家で平均9000ものアイテムを所有していて、これは世界のどこよりも多いそうだ。そして、そのモノが多過ぎる生活が、環境問題のネックになっている。

一方、茶器や調理道具、ポータブルなテントくらいしか持たない遊牧民の暮らしは、私たちの消費社会の最前線のような暮らしとは対極にある。「モノで溢れ返った暮らしから、もうちょっと贅肉を削ぎ落としたい」−−近頃、たるんできたお腹を見下ろすにつけ、そう思っていた。

そんなわけで、意気揚々と集乳のトラックに揺られてたどり着いたロッソの町では、チーフのドクター・アブダライ・サラムが待っていてくれた。彼は、アラブ系の父とマリの少数民族バンバラ族の混血で、シリアで学んだ獣医さんだった。

厳格なイスラムの階級社会にあって、彼はちょっとふんぞり返っていたし、女とは握手できない戒律だそうで、夫のミーシャとは幼馴染かというほどじゃれ合っているくせに、私が握手しようと手を伸ばすと「おっと、ごめんよ」と手を引っ込める。それでも好感の持てる屈託のなさがあった。

ドクターによれば、遊牧民には2種類あって、町にも家を持ち、牛や山羊を遊牧させる人々と、家を持たず、始終、ラクダと遊牧している人々がいるそうだ。ナンシーが取り引きする男たちの中で、ラクダ派は2割程度だという。あの若い妻がテントで淹れてくれたお茶を飲みながら、ドクター・アブダライが教えてくれた。

「アフリカの牛は、どれも古代にアジアからエジプトやエチオピア経由で伝わったんだ。インドから来たセブ牛はBC2000年くらい。角の長い牛は、 BC5000年頃で、今じゃ、この辺にしか生息していない貴重な牛だよ。彼らは暑さにめっぽう強いし、ツェツェ蝿の媒介する病気にも免疫があるんだ」

そう言えば、その長い角の美しい牛は、エジプトの壁画にもよく描かれていたような気がする。日本の牛に比べれば、えらくスマートだったが、狭い畜舎で太らされる牛と、荒野でわずかな餌を探し続ける牛と、どちらが恵まれているのかはわからなかった。

遊牧民が暮らす砂漠の町に舞うビニールゴミ

ロッソは、首都ヌバクショットに負けず劣らずスラムに迫力のある町だった。そこで目についたのは、町はずれのゴミ捨て場で風に舞うプラスチックゴミやビニールだった。それは、砂漠に憧れたランボーも、サン・テグジュペリも知らない、悪夢の始まりのような光景だった。

小さな露店で「これが、定番のプチ・デジュネ(朝食)だよ」と少し自慢げにいいながら、ドクターがご馳走してくれたのは、ネスカフェにドイツ製のコンデンスミルクをグラスに3分の1まで注いだカフェ・オレだった。

あまりの甘さに面喰う私に「どう、うまい?」などと訊きつつ、ドクターがぼやいた。

「この町で、環境なんてことを考えているのは、俺くらいさ。だってね、あのプラスチックゴミを、放し飼いの山羊が食べちゃうんだよ。すると、腹を壊して僕んとこにたくさん運び込まれてくる。手術が本当に面倒でね」

まるで、海流に乗って行き着いた日本のビニールを食べて絶命した太平洋の海亀ではないか。モノの少ない砂漠とて、もはや消費社会の軋轢から逃れられない。ただ、ドクターのどこまでも呑気な口調だけが、ちょっと救いだった。

「さてと」

ドクター・アブダライは、手の平を擦るなり、運転手に指図して、車に積んであった絨毯を木陰に広げさせた。木陰といっても、棘の生えたラクダの好きな潅木で、ほとんど日除けにはなっていなかったが、暮れ色の夕日は、もう肌を刺すこともない。ドクターはそこでお茶をしようというのである。

「えっ、また?」

なにしろ、先ほどまでドクターの自宅で、奥さんの手料理をご馳走になり、その後、ゆっくりとお茶をしながら、居間でごろごろ昼寝してきたのだ。しかし、砂漠の男たちは、お茶の時間こそ人生の至福と感じている節があって、とにかく、暇さえあればお茶をする。ドクターは、その中でもまた無類のお茶好きだった。

「ラクダの搾乳までは、まだ時間があるからね」

お茶になれば、いつもそうするように、ドクターは涅槃像(ねはんぞう)よろしく寝そべると、満足げに赤い夕日を眺めた。その晴れやかな「お茶にしよう」宣言の前には、「日没までに、何とか撮影を終えたいのですが……」という呟きも空しかった。

サハラ以南は、この10年で食糧事情がもっとも悪化した最貧地域と呼ばれているのだが、どうも、この呑気なお茶会に何度も参加していると、不思議なことに悲壮感が湧かなかった。

砂漠で貴重な幸を分け合う“共食の文化”に触れる

悠然と夕日を眺めながらお茶していると、ふいに辺りが騒々しくなり、鼻を鳴らしながら、ラクダたちが駆け寄ってきた。こうして集まってきたラクダの後ろ足の一方を手早く縛り、鮮やかな搾乳の技を見せてくれたのは、遊牧民の中でも放浪度が高いベルベル族のおじさんだった。

渇きとの戦いが日常である砂漠の暮らしは、忍耐の一文字に尽きる。ちょっとした判断のあやまりが、死を意味する。それなのに、その目の優しさは何だろう。しげしげと、珍しい一行を眺める、その息子の澄んだ目は何だろう。

すっかり日が沈み、ラクダも静かになった頃、ドクターが、妹一家のテントに泊めてくれるという。彼は、今や町に家を持っていたが、妹一家は半遊牧の暮らしだった。

テントのそばには、もう夕食の支度が出来ていた。この国で、数少ない伝統料理と呼べるものに、ニジェール川流域の国々に共通するセネガル風クスクスがある。野菜や肉、時には魚をトマト味で煮込んだクスクスで、その晩も、それだった。

ただ今夜は、贅沢にも、鶏の丸焼きがどんとのっている。昼間にドクターが、私たちのために市場で買ったものだった。砂漠の人たちは、こうして、いつも一皿の料理を、みんなで囲んでいただく。地元の女性たちは別に座るが、外国人ということもあって、私も特別に男たちの輪に加わっていいという許可が出た。

やかんの水と石鹸で手をよく洗い、右手で、ご飯とおかずを握りながら、口まで運ぶ。日本では、この頃、老いも若きもいっしょに食べる会食の場が減ってきたが、イスラム文化圏には食べ物を分け合う“共食の文化”が色濃く残っている。

分かち合う相手は、異教徒も例外ではない。時には、悪い咳をし、鼻水を垂らしたおじさんまで、行きずりの旅人にお茶を回そうとするので、往生することもあった。

とりわけ砂漠の食事には、貴重な幸を分け合うせいか、どこか厳粛な気配が漂う。そして、いつも腹六分目ほどだった。

夕食を終えて立ち上がると、街灯もネオンも、高層マンションもない、砂漠の夜空は、星が文字通り、降るようだった。

「星がきれいですねえ」

私たちが口を開けていると、ドクター・アブダライの義理の弟さんが、少し不思議そうに呟いた。

「そうですか、星がきれいですか」

そして、私たちの隣に並んで、しばらく夜空を見ていた。案外と身近な宝物に人は気づかない。毎日、眺めていると、そこにあることにすら慣れてしまうものだ。

しばらく黙って星を眺めてから、すっかりお世話になったドクターは、こう言い残して、帰っていった。

「砂漠を知らない人は、砂漠なんて不毛だって言うでしょ。でも、砂漠で育ってみるとね、砂漠から離れているのが、無性に淋しくなるんだな」

冬の乾期とあって、テントの中は、思いのほか、快適だった。眠ろうと目をつぶると、まるで海が近いのかと錯覚するような音がする。風の音だ。ひゅうひゅうというのではなく、さらさらと砂が流れていく音だ。それが、子守唄のように心地よく、蚊の鳴く声がする町中のホテルより、ぐっすり眠れた。

ドクターの言う砂漠への郷愁というのは、ひょっとすると、この不思議な音のことかもしれない。

朝、何か、幸せな夢を見たような気がするのだが、風がどこへやら運んでいってしまったように思い出せない。テントから顔を出すと、地平線を走る淡いバラ色の朝焼けの上に、どこまでも透明な空が広がっていた。



 
 
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第2回 生まれて初めて、水問題が身に沁みた(前編)

サハラを駆ける“老トヨタ”

その日、私は、西アフリカのモーリタニアから陸路でマリへと抜けるため、国境付近のティンベトラという村で、乗合いの車を探していた。砂漠の吹き溜まりのような村で、露店を覗いても、中国産のプラスチックのバケツや生活雑貨が並んでいるばかりだった。

車の値段交渉は、ロシア人の夫、ミーシャに任せた。日本人は、どうもこういう交渉が苦手だ。相手の凄みに気後れし、すぐに面倒くさくなる。しかし、ペレストロイカの混乱を経験したロシア人は違った。それはせこい。大阪人もかくやというほど値踏みには強いのだった。

10分ほどの交渉の末、1人30ドルで1000km先まで運んでもらえるという。喜びいさんで車を見に行くと、これが「いったい、何十年前の代物だ!」というようなトヨタの中古トラックだった。お腹のあたりは錆びている。運転手は、恐ろしく愛想のない痩せたおやじさんで、にこりともしなかった。

思えば、ヌバクショットから道路を疾走したのも、トヨタのランドクルーザーで、これまたえらい中古だった。だが、目の前にあるトラックよりはましだった。何でもスペインからモロッコ経由で、ヨーロッパ仕様の中古日本車が流通するルートがあるらしい。

それにしても、数年で、日本人がころころ新型車に乗り換える一方で、サハラの民は、その“ターミナルケア”をしつつ、最後まで使い切ってくれているわけで、これを地球規模のリサイクルと呼ぶのだろうか。日本で耳にすれば、ちょっといい話かもしれないが、これから始まる1000kmの砂漠の旅の道連れとしては、あまりに頼りなげだった。

ところが、このトラックが、待てど暮せど出発の気配がない。昼食時になり、仕方なく村に一軒しかない食堂へ行った。ムスリム国なので、女男が別れて食事を始める。砂の吹きこむテントで日除けをしただけの食堂で、女主人は、銭を入れた緑のバケツを枕にぐうぐう昼寝し、雇われた村の少年がせっせと骨ばかりの羊を焼く。その羊肉に黒い雪のようにぶわっと群がる蝿。

さすがに食欲も減退と思い切り引いていたら、輪になってこの皿を囲んでいた1人の優しい女性が、「ほれ、あんたもひと口、お食べ」と、かろうじて肉のついた骨を1本、差し出した。

「スーダンのとある村で、ツェツェ蝿が媒介した病いで、多くの村人が失明」というイタリアの新聞記事が頭を過ぎったが、この親切を無碍(むげ)にしては失礼千万、腹を括ってご馳走になった。すると、ふた口で食べるところはなくなったものの、甘辛いスパイスが効いていて、さすがは野放しで育った羊だけあって肉そのものの味がした。

砂漠の真ん中でタイヤがパンク

そうするうちに3時頃になり、ようやく出発という段になって、トラックには、目を疑うような光景が展開していた。

15人である。しかも、「引越しですかい」というような大荷物の人々もいる。その荷物の山の真ん中に赤ん坊連れの女性、脇から守るように男が2人、結局、荷台に乗り切れず、運転席の上にも3人。かりっと細い人が多い砂漠で、思い切り例外の男もいるではないか。

多めに代金を支払った嫌味な外国人、つまり私たちは、運転席の隣にきゅっと納まり、ひび割れたガラス窓の向こうにぶらぶらしている砂だらけの細い足を、呆然と眺めた。

だが、呆ける出来事は、それで終らなかった。

この後、“老トヨタ”は、土造りの村に寄り、なんと嫌がるロバと、これを買ったおじさんを積んだ。下から腹と足を押され、上から耳としっぽを引っぱられたロバの、切なそうな眼差し。彼が芒洋と目を放る行く手には、渇いた砂漠が、どこまでも広がっていた。

トヨタは、物凄い砂埃を巻きあげて、砂漠を走った。

「あれ、道がなくても砂漠を走れるんだ」。そう声に出して訝ったのは、サハラ砂漠に対して砂丘のようなイメージを持っていたからだ。だったら、車なんかで走れるはずがない。しかし、実際には、サハラには砂丘は少ない。大半は硬い岩盤で、どこまでも平たい砂漠だった。

そんなわけで、車でも走れる。どうもうっすらと道らしいものがあるのはわかるのだが、次第に、辺りの風景は、どんな人工的な建物にも、生き物にもお目にかからない迫力のある地帯へと突入していった。

冬だし、湿度がないだけ日本よりましかもとさえ思っていたら、大間違い。棘々の潅木がまばらに生えているくらいで、日陰というものがない。喉はじわじわと渇いていった。

ヌバクショットで買ったミネラルウォーターが、そろそろ底をつく頃、一抹の不安がよぎった。

「ひょっとして、飲み水に当分、ありつけないのではないか?」

だが、それは単なる不安にとどまらなかった。準備が甘かったと悟ったその時、突然、砂漠の真ん中で、プシュッという不気味な音をたてて、車が止まった。タイヤのパンクした音だった。

サハラの辞書に効率の文字はあるのか!?

タイヤはこれまた、えらく年期の入った“老ブリッジストーン”だった。その時点で発覚したのは、大人数の中の3人ほどは、運転手の助手だったという事実だ。彼らは、無言のまま、タイヤを取り替えにかかった。しかし、感動するほど手早いはずもない。

「冗談じゃないわよ、私を殺す気かい」などと、地元の人に紛れて旅をしようとプランした夫に悪態をつきながら、うろうろして待つこと1時間。

ようやく車に新しいタイヤが収まり……と思いきや、このもったいない王国に、そんな発想はなく、どうやら大きな穴をふさいだだけらしい。ともあれ、何とか直って出発。

ところが、そろそろあたりが暮れかかってきた頃、対向車もほとんどない砂漠の道で、また、車が、カタカタカタと妙に高い音を立て始めた。

やがて、ガタッと鈍い音とともに、車体が下がり、また止まった。

その瞬間、運転手が小さく呟いた。

「ネ・パッ・ポッシーブル」。(そんな馬鹿な!)

心の中で、思い切り、突っ込んだ。

「セ・ポッシーブル、ポッシーブル」。(馬鹿なもんかい。定員7人の中古車に15人も乗せて、おまけにロバまで積んで、エンコしないわけねーよ!)

そして悄然(しょうぜん)と車を降りながら、「サハラの辞書に効率の文字はあるのだろうか」などと腕組みし、乾いた唇を噛みしめた。だが、この不測の事態にも関わらず、地元の人たちの表情には笑顔さえ浮かんでいるではないか。

「きっと、砂漠の熱さと乾きに慣れない軟弱な東洋人だけがコロッと逝って、アンデスの聖餐ならぬ、サハラの……」などと身震いしつつ、持っていたミネラルウォーターの最後の1滴を飲み干すと、生まれて初めて生命の危機というものを感じた。さらに唇が渇く。

待つこと数時間、何をどうしたものか、車は奇跡的に動き始めた。カタカタと弱々しい音はそのままにゆっくり進む。何度も止まりそうになる車をなだめすかし、そろりと運転するおやじさんの姿は、子供の頃、大人の自転車を片足でこぐ少年を思い出させた。

真夜中、私たちを乗せた老トヨタは土造りの小さな村に静かに止まった。



 
 
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第2回 生まれて初めて、水問題が身に沁みた(後編)

前編はこちらから

心と身体を癒やすお茶

マリへ向かう“老トヨタ”の運転手は土造りの小さな村に止まると、何の解説もないまま、奥に消えた。どうやら、今夜は、ここで野宿して、伝書鳩ならぬ伝書ラクダか何かで代車を呼び寄せるのか。すると、規格外の大きなおじさんが、「マンジェ、マンジェ(めし、めし)」と手招きする。井戸があるのだ。

わずかなお金を払うと、村のおばさんが、お茶とチキンスープのかかった米を食べさせてくれた。

夢にまでみた水分だった。

この晩、小さなグラスでいただいたお茶が、どれほど心と身体を癒やしてくれたことか。わずかな量のお茶が、体全体にしみわたるような気がした。喉だけでなく、心も、脳みそも「おお、待っていたぜ」とばかりに歓喜の声をあげた。

満足げな人々の真ん中で、ただ、そこにいることが嬉しく、心が冴え冴えとし、これは一種の悟りの境地だな、などと感じた。今にしてみれば、単なるナチュラル・ハイの状態だったに違いない。それでも、悟ったといえば、悟ったのである。

砂漠で、その晩、しみじみ思ったのは、日本は国土の7割が緑の山だということ。時々、雨が降りすぎもするが、おかげで水には恵まれている。5万本もの川が流れ、飲食店ではお冷やがタダで出る。これは、毎日、感謝の祭りをしていいくらい、恵まれた国なのではないか。

それなのに、子供は、夏、おんもに出たとたん、「喉が渇いたあ、何か買って」とわめく。なぜなら、町には自動販売機が溢れ、近頃は、外国の水までじゃんじゃん輸入している。そんなもの、サハラの人々に、恥ずかしくって見せられたものではない。

こうして、これまでてんで他人事だった水問題が、生まれて初めて、自分のこととして胸に迫ってきた。それは、わずかな砂漠の井戸水が、体内の水分に注ぎこまれたことで起こった、ひとつの化学反応のようなものだった。水の洗礼だった。喉元過ぎればなんとやら……というけれど、「このお茶の味を忘れまじ」と肝に銘じたのだった。

村のおばさんが用意してくれた鍋には、たくさんの手が伸びてきた。底に焦げついていた米粒まであっという間になくなったが、ふた口もありつけば、不思議とそれで満足だった。

砂漠は本当に悲壮なものなのか?

お腹がくちくなると、地元の人たちは、持参してあった寝袋でさっさと寝てしまった。用意の甘い旅行者は、かろうじて屋根だけある小屋に横になってみた。すると、また星が夢のように美しかった。

ふと、それまで没交渉だったマリの青年が、私との間に寝ているミーシャに「ヨーロッパ人は、5つ星ホテルなんて言うけれど、アフリカ人はね、これを100万星ホテルって呼ぶんですよ」などとロマンチックなことを言う。要は野宿なのだが……。

夜空をぼーっと眺めていると、尾っぽの長いほうき星が、ゆっくりと流れていった。

そのうち、マリの青年の詩的な話が「君、日本に暮しているのなら、私と手を組んで、中古のランドクルーザーの新しいルートをつくらないか」などという怪しげな申し出に変容していくのを遠くに聞きながら、数時間ほど、うとうとした。

明け方になると、寒くて目が覚めてしまった。とても寝てなどいられない。仕方なく肩を抱えて、あたりをうろうろした。やがて、地平線がすっかり明るくなった頃、スポーツカーでカップルらしきフランス人が、砂漠を疾走していった。

察するに、私が思うほど砂漠は悲壮なものでもないのかもしれない。

だが、その楽天主義に反し、地元の人々と足並みを揃えることにした私たちの旅は、なおも悲壮であり続けた。この日も、お昼過ぎまで、車は一向に動かず、やる気なさげな修理は続き、ほとんど絶望的になった頃、車が直るという奇跡が起きた。

この時になって初めて気がついたのだが、日本人にはどう贔屓目(ひいきめ)に見てもゴミクズ同然の車を、サハラの民は、修理のための助手たちを乗せ、壊れては直し、また壊れては直しして進む。いつの時代からか、それが慣習になっているらしかった。そして、そのメンテナンス能力は、どうやら捨てたものではないらしい。

だが、それならそうと、最初から教えて欲しかった。

憎っくきおやじと思っていたが……

朝、村の美しい娘さんにお茶を淹れてもらった私は、俄然、潤っていた。

そして、やっと冷静な気持ちで「さあ、行きますよ」とさえ口に出さない寡黙な運転手のおやじの横顔をしげしげと眺めることができた。

かりかりに痩せ、浅黒く日焼けした頬は、まるで干からびたニジェールの川底のようにひび割れていた。ターバンから覗く鉤鼻に、深く窪んだ目元。その険しい風貌は、ハリウッド映画の悪役そのものだった。

けれども、そのおやじこそは、どこも同じに見える広大な砂漠で、どこにいけば井戸のある村があり、昼飯を出す女たちがいるのか、その地図が、そっくり頭に入っている砂漠の達人だった。例えるならば、日本の山奥で、食用キノコを見分け、熊に襲われないすべを知っているまたぎだった。

いざとなった時の命綱は、隣で、早くも眠りこけている都会育ちのロシア人ではなく、このおやじである。

よく見れば、窪んだ目元が優しそうで、キュートではないか。しかも乾きに強い強靭な体を持ち、わずかな水と食糧で文句も言わず、アラーの神に感謝していただく。消費社会で、食べ放題なんてやっている国民より、ずっと存在自体がエコロジカルではないか。

そう思い直すと、前日まで生命の危機に曝そうとしていた憎っくきおやじに、不思議な尊敬の念すら覚えた。

しかし、生命の危機的状況は、それで終りではなかった……つづく。



 
 
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[中国之最:第6回]中国茶、生産量第1位の省は?

2007/09/17(月) 09:57:14更新

  香ばしく爽やかな中国緑茶、茉莉花の香りが漂うジャスミン茶、芳醇な味わいの烏龍茶など、中国のお茶は多彩で、中国旅行のお土産として買い求める人が多い。品種も価格もピンからキリまで、高級なものではグラム単価で金の重さより高額なものさえある。

  そんな中国茶の生産量が年々増加している。2005年の中国の茶の総生産量は93.5万トン、過去10年間で2倍近くまで増産されている。その背景には国際的な需要が高まっていることが挙げられる。

  「碧螺春」や「鉄観音」など、中国のお茶は名前だけ聞いても、どこで栽培されているのか意外と分かりにくい。そんなお茶の生産量中国一の省を探ってみた。

  【中国で最も茶の生産量が多い省は福建省】 

  国家統計局によれば、福建省の2005年の茶の生産量は18.5万トンで、中国一の生産量を誇る。武夷山は有名で、かつては皇帝しか飲むことが出来なかった「大紅袍」など、古来より茶の名産地。

  そして高級緑茶「龍井」で有名な浙江省が14.4万トン、プーアル茶に代表される雲南省の11.6万トンと続く。湖北省や安徽省、四川省も銘茶の郷だ。

  現在お茶は健康飲料として、世界中で飲まれている。年間の消費量はおよそ300万トンといわれ、中国はその3分の1を生産している。輸出量も28.7万トンでインドについで世界第2位、最大の貿易相手国は日本だが、モロッコやモーリタニア、ガーナなどアフリカ諸国への輸出が目立つ。

  「茶は南方の嘉木なり」、陸羽が書いた中国最古の茶の文献の冒頭である。中国南方を原産とする珍しい植物が、現在では遠くアフリカの人々にも愛されている。(編集担当:長谷川昌志)



 
 
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「読みがな」をふったブッシュ大統領の演説草稿 誤って国連ウェブサイトに掲載される

* 2007年09月26日 14:34 発信地:ニューヨーク/米国

【9月26日 AFP】「nuclear(核)」を「nuke-you-lar」と発音するジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)米大統領のために「読みがな」をふった国連総会(UN General Assembly)演説草稿が25日、国連(UN)のサイトに誤って掲載された。

 これは各国首脳の氏名、旧ソ連の衛星国などの国名、首都名の読み方を指南したもので、例えばニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)仏大統領は「sar-KO-zee」、モーリタニア(Mauritania)は「moor-EH-tain-ee-a」、キルギスタン(Kyrgyzstan)は「KEYR-geez-stan」、ジンバブエのロバート・ムガベ(Robert Mugabe)大統領が「moo-GAH-bee」、ジンバブエの首都ハラレ(Harare)が「hah-RAR-ray」といった具合だ。

 ホワイトハウス(White House)のスポークスマンは、「読みがなをふるのは普通のこと」とした上で、ブッシュ大統領にとっては特定の名詞の発音が困難なのかとの質問には「無礼な質問だ。ノーコメントだ」と答えた。また、「演説の草稿がどのような経緯で国連のサイトに掲載されたのかはわからないが、すぐに削除した」とした。

 皮肉にも、読み方が極めて難しいと思われるミャンマーの民主化運動指導者アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)さんの名前には読みがながふられておらず、ブッシュ大統領は少々とちったあとに正しく発音した。(c)AFP



 
 
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2007/11/26-16:51 初のアフリカ地雷除去支援へ=08年度から、モーリタニアで−政府

 政府は26日、アフリカ北西部のモーリタニアで地雷除去作業の支援を行う方針を固めた。最終的な現地調査を行った上で、2008年度から開始する。日本はカンボジアなどで地雷除去支援を行ってきたが、アフリカでは初めて。アジアで活動実績がある非政府組織(NGO)と連携し、地雷や不発弾の処理、地雷除去の専門家育成などに当たる。

 日本は08年5月、横浜市で開く第4回アフリカ開発会議(TICAD)を主催する。同会議を控え、地雷除去の分野で日本の貢献をアピールする必要があると判断した。



 
 
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モーター・スポーツ選手とレプソル社員が登場するカレンダー 収益金はアフリカの医療支援に

2007年12月23日

MotoGPではホンダ・ワークスのタイトル・スポンサーとして知られるスペインの大手石油会社のレプソルYPFは、同社が積極的に推進しているアフリカの医療支援を目的としたチャリティーの一貫として、MotoGPのレプソル・ホンダ・チームをはじめ、レプソルYPFからスポンサー支援を受ける各モーター・スポーツ・チームの選手たちの写真を使用した2008年カレンダーを、スペイン国内のガソリン・スタンドで販売している。

ここでは、そのレプソルYPFが販売するカレンダーの1月から12月までの各ページに使用されている写真と、それらの撮影風景を収めたメイキング映像を紹介する。

■モーター・スポーツ選手とレプソル社員が登場するカレンダー

レプソルYPFは、現在スペイン国内の同社のガソリン・スタンドにおいてアフリカ医療支援を目的とした2008年カレンダーを5ユーロの金額(約800円)で販売しているが、このカレンダーにはチャリティーの他にも、MotoGPスターのダニ・ペドロサやニッキー・ヘイデン、ならびに世界トライアルの元チャンピオンであるフジガスこと藤波貴久選手などのモーター・スポーツ選手たちと共に、年間を通して世界中のサーキットを転戦するスタッフを含むレプソルYPFの社員たちへのねぎらいの意味が込められているという。

■モーター・スポーツとレプソル社員を通して福祉活動を直接的に表現

このカレンダーにはレプソルのスポンサー支援を受けて世界で活躍するモーター・スポーツ現役選手や往年の元選手たちの写真がひと月ごとに1名ずつ配されているが、その写真には各スポーツ選手と共にレプソルYPFの総務、労働管理、人材管理など、それぞれの部門の身体に何らかの障害を持つスタッフを含む社員がやはり1名ずつ写っており、むしろ今回のカレンダーの主役はスポーツ選手よりもそのスタッフたちという事のようだ。

レプソルYPFは、スペイン視覚障害者協会(ONCE)が推進しているINSERTAプログラム(雇用促進プログラム)に加入しており、身体、精神、知覚など、それらの障害を持つ人達の社会的地位や生活の向上を狙っての雇用促進を訴え、身体に障害を持つ多くの人材の雇用を自ら実践している事でも知られている。

■収益金はアフリカの医療支援に

なお、各ガソリン・スタンドでの販売で得られたカレンダーの収益金は、過去2回のリスボン・ダカール・ラリーの開催期間中に計26トン以上の医薬品をアフリカのモーリタニアとセネガルの7つの病院に寄付しているダカール・ソリダリオ基金に全て渡され、今年は医薬品だけではなく何十セットもの車椅子、松葉杖、補助歩行器など、身体に障害を持つ患者から体力的な負担を減らすための医療器材となり、アフリカの各病院に寄付される予定だ。

■写真撮影風景などのメイキング動画

今回のカレンダーはスペインで最も実力が認めているとされる12名のカメラマンにより、それぞれひと月ごとにモーター・スポーツ選手とレプソルYPFの社員が1名ずつ撮影されている。以下がそのメイキング風景の動画だ。

(映像提供:レプソルYPF)

カレンダーに登場する現役選手や元選手は、1月が往年の小排気量連続王者であるアンヘル・ニエト、2月がダニ・ペドロサ、3月が今年の世界トライアル王者となったトニー・ボウ、4月が世界トライアルの2004年度チャンピオン、フジガスこと藤波貴久選手、5月が2004年のダカール・チャンピオンであるナニ・ロマ、6月が99年度のWGP500ccチャンピオンのアレックス・クリビーレ、7月がGP2ドライバーであり今月のF1冬季テストに初参加を果たしたハビエル・ビラ、8月が2006年のダカール・チャンピオンであるリュック・アルファン、9月がニッキー・ヘイデン、10月がダカールで9回の優勝記録を保持するステファン・ペテランセル、11月が2000年から2006年までの女性世界トライアルを7回連続制覇したライア・サンツ、12月がクロスカントリー・ラリーの3連覇を今年に達成したマルク・コマの12名。

■カレンダーに採用された各月の写真

現在スペインのガソリン・スタンドで販売されているレプソルYPFの2008年カレンダーに採用された各月の写真は以下の通り。

●1月 アンヘル・ニエト

●2月 ダニ・ペドロサ

●3月 トニー・ボウ

●4月 藤波貴久

●5月 ナニ・ロマ

●6月 アレックス・クリビーレ

●7月 ハビエル・ビラ

●8月 リュック・アルファン

●9月 ニッキー・ヘイデン

●10月 ステファン・ペテランセル

●11月 ライア・サンツ

●12月 マルク・コマ



 
 
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モーリタニアの仏家族襲撃犯 アルカーイダと関係か

2007.12.26 10:12

 アフリカ北西部モーリタニアの南西部アレグ近郊で、フランス人家族が襲撃され、4人が殺害された事件で、モーリタニア検察当局は25日、逃走中の容疑者のうち2人が、国際テロ組織「アルカーイダ」系の武装組織との関係を疑われているとの声明を発表した。フランス公共ラジオが伝えた。

 モーリタニア警察当局は事件に関連して5人を拘束、3人が隣国セネガル方面に逃走中とみている。

 検察の声明によると、逃走中の3人のうち2人は、アルジェリアを拠点とするイスラム過激派組織「布教と聖戦のためのサラフ主義集団」に所属していた疑いで2006年に逮捕されていた。同組織は現在「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織」と名称を変更している。(共同)



 
 
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モーリタニアの仏人観光客銃撃事件、3人を拘束

【12月25日 AFP】(写真追加)アフリカ・モーリタニアの首都ヌアクショット(Nouakchott)の東に位置するアレグ(Aleg)近郊で24日、フランス人観光客グループが銃撃され4人が死亡した事件で、地元治安当局は同日午後、モーリタニア人3人の身柄を拘束したことを明らかにした。

 治安当局によると、拘束された3人のうち2人は男性で、1人は女性。現在、地元警察が尋問中だという。

 モーリタニア内務省によると、襲われたのはマリへ向けて旅行中の観光客グループ5人。銃撃により子ども2人を含む4人が死亡、1人は重傷を負ってヌアクショット市内の病院で治療中だという。(c)AFP



 
 
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モーリタニアの仏人観光客銃撃事件、アルカイダ系組織が関与か

* 2007年12月27日 10:43 発信地:ヌアクショット/モーリタニア

【12月26日 AFP】(27日 写真追加)モーリタニア南部のアレグ(Aleg)近郊でフランス人観光客グループが銃撃され4人が死亡した事件で、地元検察当局は25日、国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)系組織が関与している疑いがあるとの見解を示した。

 24日に発生したこの事件では、これまでに5人が逮捕されているが、事件に関わったとみられる別の2人はセネガルに逃亡したとみられている。

 検察当局によると、逃げた2人はアルジェリアに拠点を置くイスラム過激派組織「布教と聖戦のためのサラフ主義集団(Salafist Group for Preaching and Combat、GSPC、現イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織)」に所属するとみられるモーリタニア人だという。

 2人は2006年にGSPCに所属している容疑で逮捕されたが、証拠不十分などの理由で釈放されていた。

 GSPCはアルカイダへの忠誠を公言しており、今年初めには「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織」に改称した。同組織は、アルジェリアで今月11日に発生した連続爆破テロ事件に対し犯行声明を出している。(c)AFP



 
 
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2007/12/29-15:08 モーリタニアでのレースは予定通り=自動車ダカール・ラリー

 【ヌアクショット(モーリタニア)28日AFP=時事】自動車のダカール・ラリーの主催者は28日、フランス人観光客が殺害される銃撃事件が起きたモーリタニアでのレースを予定通り実施することを決めた。主に同国でレースが行われる1月11日から19日の間、モーリタニアの軍と警官各2000人が警戒に当たるという。銃撃事件に関して、同国政府高官は国際テロ組織アルカイダの関与を指摘していた。(了)



 
 
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2008/01/04-22:02 ダカール・ラリーが中止=モーリタニアの政情不安理由に−自動車

 【ロンドン4日時事】自動車のダカール・ラリー(通称パリ・ダカ)の主催者は4日、モーリタニアの政情不安を理由に、5日から始まる予定だった同レースの中止を決めた。大会が全面的に中止されるのは初めて。

 世界で最も過酷な自動車レースとされる同ラリーは、今大会で30回目を迎えることになっていたが、昨年12月にモーリタニアでフランス人観光客が殺害される事件が発生。国際テロ組織アルカイダの関与が指摘され、フランス政府などと実施の是非を協議していた。

 レースは5日にポルトガルのリスボンを出発し、20日にセネガルのダカールにゴールする日程で、11日の第7ステージから19日の第14ステージまでモーリタニアを通過することになっていた。

 今年のレースには、8連覇を目指す三菱自動車勢から過去2度優勝の増岡浩が出場予定だったほか、篠塚建次郎(日産)らも参戦することになっていた。 (了)



 
 
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パリダカに忍び寄るアルカーイダの影 治安悪化の北アフリカ

2008.1.4 23:32

 開幕直前で中止に追い込まれたダカール・ラリー(通称パリダカ)の舞台モーリタニアをはじめとする北アフリカ諸国。「マグレブ」と呼ばれるこの地域では最近イスラム過激派の武装組織が活動を活発化、国際テロ組織アルカーイダとの関係を名乗る組織が爆弾テロを繰り返すなど、アルカーイダの影が忍び寄っている。

 モーリタニアではクリスマス休暇を利用して同国を訪れていたフランス人一家5人が南西部アレグ近郊で昨年12月24日、武装グループに襲撃され、子供2人を含む4人が殺害された。検察当局は逃走中の容疑者2人がアルカーイダ系武装組織との関係が疑われているとの声明を発表した。

 2人は隣接するアルジェリアを拠点とするイスラム過激派組織にかつて所属していた疑いで2006年に逮捕。同組織はその後、アルカーイダとの関係を強調する「イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ組織」と名称を変更している。

 アルジェリアでも昨年12月11日に首都アルジェで2件の自動車爆弾テロがあり、内務省の発表によると37人が死亡。今年1月2日にはアルジェ東方約50キロのナシリアの警察署近くで爆弾が爆発し3人が死亡、7人が負傷。ともに同組織が犯行声明を出している。(共同)



 
 
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パリ・ダカが中止、モーリタニアの治安悪化で

モーリタニアの治安悪化のため、パリ・ダカの中止を発表する主催者=4日、リスボン〔AP〕

 【リスボン4日共同】世界で最も過酷なモータースポーツといわれるダカール・ラリー(通称パリ・ダカ)が開幕前日の4日、走行区間のアフリカ北西部モーリタニアの治安悪化を理由に中止が決まった。大会主催者がリスボンで正式に発表した。AP通信によると、レースがすべて中止となるのは30回目で初めて。

 昨年12月末にモーリタニアでフランス人家族4人の殺害事件が発生。アルカイダによるテロと指摘され、フランス政府は3日、ラリー開催に懸念を示していた。これを受け大会主催者は4日、「安全性を最優先するには中止しかなかった」と表明した。

 3度目の優勝を目指し三菱パジェロで出場を予定していた増岡浩選手(47)は「今回がパジェロで参戦する最後の大会なので、有終の美を飾りたかった。残念でなりません」とコメントした。

 パリ・ダカは5日にリスボンを出発し、ポルトガル、スペイン、モロッコ、モーリタニアなどを経由してセネガルのダカールに到着する20日まで争われる予定だった。(00:02)



 
 
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パジェロ有終飾れず パリ・ダカ全日程中止 三菱・増岡ら落胆

2008年1月5日 朝刊

 【リスボン=共同】ダカール・ラリー(通称パリ・ダカ)が一部コースの治安悪化のため、4日、全日程を中止した。8年連続13度目の優勝を狙う三菱自動車勢と第2回大会以来の制覇を目指していたフォルクスワーゲン勢の争いが予想されただけに、関係者の落胆も深い。 

 紛争が続く西サハラ地方では以前にも競技車両が地雷を踏んだことがある。テロの危険から当該地域の競技を中止し、航空機で移動する措置が取られたこともあるが、全区間の中止は例がない。

 三菱は来年からディーゼル車両で参戦するため、パジェロでの出走はこれが最後だった。3度目の頂点を目指した増岡浩(三菱パジェロ・エボリューション)は「パジェロ最後の勝利ドライバーになりたかったし、そのためなら、どんなことでもするつもりでした」と悲しそうな声で話した。



 
 
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レース開幕前夜にパリ・ダカ中止、テロ組織から脅迫

 【ロンドン=大塚貴司】ダカール・ラリー(通称パリ・ダカ)の主催者は、レース開幕前夜の4日、テロ組織からと見られる脅迫と、モーリタニアの治安悪化を理由に、レースの中止を決定した。レース全体の中止は、30年の歴史で初。

 大会主催者の声明によると、モーリタニアで昨年12月24日、観光に訪れていたフランス人家族4人が、アル・カイーダの関連とされる組織に殺害される事件が発生。主催者も、テロ組織から直接脅迫を受けており、フランス政府などとの協議の末、中止を決めた。「関係者の安全を優先した時、中止以外の選択はあり得なかった」としている。

 ラリーは、5日にリスボンを出発、11〜19日にモーリタニアを通り、20日にセネガルのダカールに到着するコースで計画。日本からは3度目の優勝を目指す増岡浩さん(三菱パジェロ・エボリューション)らが参戦を予定していた。

 ◆三菱・増岡さん「自信あったのに」◆

 三菱チームの話によると、増岡さんは「前回のパリ・ダカ後1年間、今年の大会のためにマシンを仕上げてきただけに残念だ」と落胆、「今回は自信もあったし、パジェロの最後の舞台になるだけに、自分の手で優勝させたかった」と肩を落としていたという。

 12月のフランス人家族殺害事件以降、大会関係者には動揺が走っていた。暮れには警備の大幅強化方針も示されたが、中止の可能性も取りざたされた。4日はリスボンの大会本部で中止決定が発表され、三菱のドミニク・セリエス監督らが出席。三菱自動車関係者は「パリ・ダカにかけてきただけに残念。しかし、安全が担保できない状況では仕方がない」と語っている。

(2008年1月5日1時7分 読売新聞)



 
 
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2008年ダカールラリー、安全上の理由で中止に

* 2008年01月05日 11:14 発信地:リスボン/ポルトガル

【1月5日 AFP】(記事更新、写真追加)5日に開幕予定だった第30回ダカールラリー2008(Dakar rally 2008)が、特にテロの脅威を理由に安全上の問題で中止されることが4日に決定した。

 世界で最も過酷なレースとされる同ラリーは5日にリスボン(Lisbon)からスタートする予定だったが、競技ルートになっているモーリタニアでは 2007年12月24日、仏人観光客4人が殺害される銃撃事件が発生。フランス政府が同国への渡航自粛を呼びかけるなど、同国での政情不安が懸念されていた。

 同ラリーは5日にポルトガルのリスボンを出発し、11日から19日にかけて(休息日を挟み)モーリタニア国内で8ステージを行い、20日にセネガルの首都ダカール(Dakar)で終わりを迎える予定となっていた。

 大会主催者のアモリー・スポーツ・オーガニゼーション(Amaury Sport Organisation、ASO)は、「フランス政府、特にフランス外務省と幾度かの協議を重ね、同省からの警告を受けた結果第30回ダカールラリーの中止を決定しました」と声明を発表した。

 声明では、レースに対しテロリストグループによる直接的な脅しがあったことが明かされ、また「我々に課された最も重大な責任はレースに関係するすべての人たちの安全を確保することです。我々はいかなる危険も侵すつもりはありません。テロリストの脅威は大会参加者とそれに関わる人たちの信念と情熱に基づく 1年間の努力を台無しにしました」と声明には記されている。

 賛否両論の集まる同大会が中止されるのは30年の歴史の中で初となり、また同大会の今後の開催についても疑問を呈することになった。(c)AFP/Patrick Fort  



 
 
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パリ・ダカ、初の全面中止 モーリタニアの治安悪化で

2008年1月5日 朝刊

 【パリ=牧真一郎】リスボンからの報道によると、世界で最も過酷な自動車レースといわれるダカール・ラリー(通称パリ・ダカ)の主催者は開催前日の4日、走行区間のアフリカ北西部モーリタニアの治安悪化を理由に中止を決めた。レースが全面的に中止されるのは30回目で初めて。主催者はリスボンで「安全性を最優先するには中止しかなかった」と表明した。

 昨年12月下旬にモーリタニアで観光中のフランス人家族4人が殺害される事件が発生。国際テロ組織アルカイダの関与も指摘され、仏政府が開催に懸念を表明するとともに仏選手に不参加を呼びかけていた。

 過去のレースでも内戦を避けるためコースを変更したことはあった。モーリタニア政府の担当者はAFP通信に対し「中止決定は残念だ。選手の安全への脅威はない」と述べた。

 今大会は5日にポルトガルのリスボンを出発、スペイン、モロッコ、モーリタニアなどを経由して20日にセネガルのダカールに到着する予定だった。日本からは過去2度優勝の三菱自動車勢の増岡浩らが参戦することになっていた。

 ■増岡浩の話 がっかりですが、主催者の判断を尊重します。(来年からディーゼル車両使用のため)パジェロ最後の勝利ドライバーになりたかったし、そのためなら、どんなことでもするつもりでした。残念でなりません。 (共同)

 【パリ・ダカ】 砂漠や山岳地帯などを走り抜く世界で最も過酷なモータースポーツのラリー。1979年にパリ−ダカールで第1回開催。内戦を避けるために何度もコースを変更してきたが、パリ・ダカの愛称で親しまれてきた。四輪部門、二輪部門などに分かれ、日本人は四輪部門で第19回に篠塚建次郎、第24回、第25回に増岡浩が総合優勝している。第28回からはポルトガルの首都リスボンをスタートし、30回目のことしはセネガルの首都ダカールまでのサハラ砂漠を縦断する計15ステージの9000キロを超えるコースを予定していた。 (共同)



 
 
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パリダカ中止 モーリタニアでテロの危険性

2008年1月5日 紙面から

 【リスボン田村尚之】パリダカの通称で知られる「ダカールラリー」を運営する「アモリー・スポーツ・オーガニゼーション(ASO)」は4日正午、車検を行っていた当地のベルム中央文化会館で緊急会見を行い、5日にスタートする予定だった第30回大会の中止を発表した。国際テロ組織アルカイダと関係のあるテロ集団が、ラリーのメーンステージだったモーリタニアでテロ行為を行っており、フランス政府からの開催中止要請を受け入れ、決断したもの。1979年に初開催されて以来、パリダカ史上初の中止となった。

 車検会場に隣接する大ホールで行われた緊急ミーティングには、1000人を超える競技者や関係者、そして、報道陣が集結、険しい表情で壇上に上ったE・ラビーヌ大会責任者の発言を待った。

 「皆さんこんにちは。衝撃的なことが起きました。2008年のダカールはスタートしません」。事前アナウンスもなく話しだしたラビーヌ責任者の唐突な開催中止宣言に、会場に集まった関係者は静かに耳を傾けた。

 国際テロ組織アルカイダと関係のある「スラミック・マグレブ」という武装集団が先月末から今大会のヤマ場となるモーリタニアで計7人を殺害するテロ事件を起こすなど激しい活動を展開したため、フランス政府から出された同国への渡航自粛、ラリーの中止要請という措置を受け入れた結果の決断だった。

 「外務省と何度かやり取りしたが、開催中止を要請する一方的なものだった。フランス政府にはダカールラリーに対する脅迫もあったと聞いており、この状況ではやめるしかない。何よりも大切なのは競技者、関係者の安全だ」とラビーヌ責任者。

 4日早朝にASOの幹部ミーティングを開き、外務省の要請を受けてラリーの開催中止の決断を下すに至った経緯を説明した。

 パリダカの主催団体へ直接テロ組織から連絡があったわけではないが、仏政府にはパリダカを開催すればモーリタニア以外でも危険な状況に陥る可能性があると脅迫されたという。「モーリタニア以外で開催するコース変更は考えられない上、私たちは詳しい状況を知らされていないものの、モーリタニア以外の場所でもテロの危険性があるのなら中止するしかない。フランスの保険会社からも中止するよう要請があった」と、ラビーヌ責任者。まさに八方ふさがりの状況だったようだ。

 「テロに屈したという面では悔しいが、これでダカールラリーが終わるわけではない。これまでとは形態が変わるかもしれないが、明日から2009年大会がさらに大きなイベントになるよう活動を開始したい」と、ラビーヌ責任者は締めくくった。

 00年大会では、武装集団の襲撃が予想され、ニジェールでの5日間のステージがキャンセルされることはあった。が、今回はスタートを切れないという屈辱的な出来事。その思いを、1年後の09年大会で晴らす決意をみせていた。



 
 
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パリダカ中止 危険と隣り合わせのルート

2008.1.5 00:18

 「冒険の扉に連れて行ってやろう。ただし、運命に挑戦する扉を開けるのは君だ」

 1979年にパリダカを創始したフランスの冒険家、ティエリー・サビーヌ(故人)の言葉だ。

 その思いは多くの人に受け継がれ、参加者は年々増加。30回目の今回は50カ国から580台が参加を予定していた。

 車両という道具を利用し、大自然を相手に自らの力を試す。そんなロマンを感じさせるアフリカの大地には政情不安の国も多く、大会はこれまでもテロや強盗など暴力の脅威を受けてきた。

 過去には銃撃や地雷を踏んで死亡した競技者もおり、危険回避のためにコースの一部をキャンセルした例は枚挙にいとまがない。ダカールからカイロを目指した2000年には、ルート上のニジェールの通過を中止。競技者、車両をすべて飛行機で輸送している。

 だが今回、モーリタニアでは11〜19日の8ステージが予定されていた。競技区間(SS)3853キロは全SSの約7割。これをキャンセルすると競技が成立しない。

 また主催者は大会中止の最大の理由として、テロ組織から直接的な脅しを受けたことを挙げた。

 山岳あり砂漠ありのコース設定は、この地域以外に考えづらい。地元の協力は不可欠で、主催者は02年から現地の環境保全やインフラ、教育の整備に協力する事業を展開している。地元も世界に名前が報道され、参加者から多くの金が落ちることで、ルートを招致する国は多いのだが…。

 「今回の中止が、将来の大会を脅かすことはない」。主催者は強調したが、主催者にとってルートの設定は、これまで以上に困難になるだろう。

(只木信昭)



 
 
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2008/01/10-06:49 時の言葉「パリ・ダカ」

 世界で最も過酷といわれる自動車ラリーで、正式名称ダカール・ラリー。二輪、四輪部門などに分かれ、第1回大会は1979年にパリとセネガルのダカール間で開催。30回目の今回は5日にリスボンをスタートし、20日にダカールへゴールする日程となっていたが、通過するモーリタニアで昨年12月にフランス人観光客が殺害される事件が起きるなど治安が悪化し、初の中止となった。

 日本勢は97年に篠塚建次郎、2002、03年には増岡浩が四輪部門で総合優勝。三菱自動車勢としては昨年まで7連覇を遂げていた。(了)



 
 
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モーリタニアでイスラエル大使館銃撃、仏人女性ら3人負傷

 【カイロ=長谷川由紀】アフリカ北西モーリタニアの首都ヌアクショットで1日未明、武装集団がイスラエル大使館に向かって銃撃、ロイター通信によると、近くにいたフランス人女性ら少なくとも3人が負傷した。

 大使館員に被害はなかった。

 武装集団は「神は偉大なり」と叫びながら、発砲したという。モーリタニアは、アラブ連盟(22か国・機構)の中で、エジプト、ヨルダンとともにイスラエルと国交を持つ。しかし、最近、国内で国交断絶を求める動きが表面化。国際テロ組織アル・カーイダは2007年2月、ウェブサイトを通じてイスラエル大使館襲撃を呼びかけていた。

(2008年2月1日19時37分 読売新聞)



 
 
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2008/02/12-00:34 来年はアルゼンチンとチリで開催へ=自動車ダカール・ラリー

 【パリ11日AFP=時事】自動車のダカール・ラリー(通称パリ・ダカ)の主催者は11日、2009年のレースを、アルゼンチンとチリで1月3〜18日に開催すると発表した。ブエノスアイレスが発着点となる。

 1月5日から20日までポルトガルのリスボンとセネガルのダカールの間で予定されていた今年のレースは、コースに含まれているモーリタニアの治安悪化を理由に全面的に中止されていた。同ラリーは、世界で最も過酷な自動車レースとして知られる。 (了)



 
 
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パリダカ、09年にアフリカから南米に転戦

2008年02月12日17時04分

 自動車のダカール・ラリー(通称パリ・ダカ)の主催団体は11日、09年のラリーを南米のアルゼンチンとチリで開催する方針を明らかにした。同ラリーは例年アフリカで開かれてきたが、今年1月、通過国のモーリタニアでイスラム過激派によるテロが起きる危険性があるとして、初めて全面中止に追い込まれていた。

 仏ラジオによると、09年のラリーはブエノスアイレスを起点と終点に、1月3〜18日に開かれる。全行程9000キロのうち6000キロをチリ北部アタカマ砂漠の横断やアンデス山脈の踏破などにあてるとみられる。

 主催者の一人はAFP通信に「アフリカを去るわけではない。地政学的な条件が整ったら戻りたい」と話した。



 
 
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ダカールラリー主催者 アフリカ開催を誓う

* 2008年03月27日 12:01 発信地:マドリード/スペイン

【3月27日 AFP】アモリー・スポーツ・オーガニゼーション(Amaury Sport Organisation)のパトリス・クレール(Patrice Clerc)社長が26日、スペインのマドリード(Madrid)で記者会見を行い、ダカールラリーを再びアフリカの地で開催する意向を明らかにした。

 2007年12月24日に走行区間となるモーリタニアでフランス人観光客4人が殺害される事件が発生するなど、同国の治安悪化などを理由に第30回ダカールラリー2008(Dakar rally 2008)の開催が中止となり、大会を主催するアモリー・スポーツ・オーガニゼーションはこれまでの伝統を捨て、第31回ダカールラリー2009(Dakar rally 2009)をアルゼンチンとチリで開催することを決定していた。

 クレール氏は記者会見で「ダカール・ラリーは必ずアフリカの地に戻る。いつになるか今の段階で明言はできないが、大会のルーツはアフリカにある」と話した。(c)AFP



 
 
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モーリタニア・シンゲッティ……砂と闘う町

2008年4月30日

* 大野良祐前ジュネーブ支局長

 町の東の外れ。東西に細長く伸びたオレンジ色の砂丘が幾筋も盛り上がっている。北東の風が砂丘の先端を絶えず崩し、さらさらと砂が滑り落ちてゆく。西アフリカ、モーリタニア内陸部、世界遺産にも登録されている古都シンゲッティ。

 旧宗主国フランスをはじめ、欧州各国からの観光客が砂漠に魅せられてやってくる。小さなラクダの隊列を組んで砂漠を旅するツアーや、四輪駆動車やサンドバギーで砂丘を走り回るのを楽しむ一団もいる。無邪気な観光客たちと幻想的な夕暮れの砂漠。

 だが、この地で生きる人びとには、この風景はまるで違って見えている。砂丘は少しずつ西へと広がっている。まるで生き物のように成長し、動いているのだ。シンゲッティの町をのみ込みながら。町の人びとは、砂におびえて生きていた。

 風の強い日、アブド・ハネフィさん(45)は、代々受け継いできたナツメヤシ林の裏手20メートルほどに迫った砂丘から落ちてくる砂をかき出す作業に追われる。妻と子供4人、一家総出だ。「昼間にいくらかき出しても、夜の間に砂丘は一回り大きくなる。だが、あきらめればそこで終わりだ」

 はじめ、砂ははるか遠くにあった。それがこんもりと小さな砂丘になり、少しずつ、ハネフィさんのナツメヤシ林に近づき始めた。強い風が吹くと、砂丘は驚くほど速く動くことを知った。4年ほどで、目の前までに迫った。高さ数メートル。

 70年代前半の大干ばつが発端だった。雨が降らなくなり、毎日砂嵐が吹いた。モーリタニア政府の記録では、60年代には100〜150ミリ程度あった一帯の年間降雨量はいま、0〜50ミリ。すでに何万本ものナツメヤシが砂の下に消えた。

 「ある日、ヤギが屋根の上を歩いていた」

 多くの家屋が砂に消えた旧市街のダハンさん(50)は砂の動きの速さを振り返る。気がつくと家の裏手に砂が積もり、屋根に達していた。庭飼いのヤギがとことこと砂の斜面を登って屋根に上がったのだった。

 ダハンさんの記憶では、子供のころ、町から9キロほど離れた一族のナツメヤシ林に行くと、木が鬱そうと茂っていた。林の中は昼間も薄暗かった。7、8月の実の収穫期は「ゲトナ」と呼ばれ、一族が集まって摘んだばかりの実を食べて楽しんだ。いま、その場所で砂の上に顔を出しているナツメヤシは2本しかない。「一年中、砂との闘いだ。だが、砂の勢いは止まらない」。ダハンさんの表情に影が差した。

 草地が消えたために多くの遊牧民が「廃業」し、首都ヌアクショットなどに流れ込んでスラムを作っている。

 シンゲッティ郊外に出てみれば、絶えず北東からの風が吹き、風に押し出されるように砂丘が広がっている様がはっきりと見てとれる。いったい、この砂はどこからやって来るのか。

 首都ヌアクショット。同国環境省で82年から砂漠化対策に取り組んできたメイモン・サレック専門官に会った。

 サレック氏によれば、サハラ砂漠の西端にあたるモーリタニアの北東部は大昔から砂漠であった。「砂はモーリタニアのものだ。周辺国から流入してきたものではない」と同氏は言う。ただ、かつては、砂漠地帯の周辺部には自然に育った木々や草が生え、「植生の堤防」となって砂を閉じ込めていた。

 しかし、干ばつに加えて、人口増で煮炊き用の薪にするための人による伐採が進んだ。「自然の植生が消えたため、閉じていた扉が開き、砂漠が動き出した」と同氏は話す。砂を押しとどめていた草木の堤防が「決壊」したのだ。砂は、洪水のように西方へあふれ出した。本当の洪水と違うのは、砂は風向きが変わらない限り、水が蒸発するようになくなることは決してない、という点だ。首都ヌアクショット郊外の砂漠で環境省が84年に行った砂丘観測では、風の強い日は1日に4メートルも前進する。

 「大干ばつの原因は、我が国だけでは分析のしようもない。だから、砂漠化の理由については、『モーリタニア政府としてはわからない』と言うしかない。人為的な樹木伐採ももちろん影響していると思うが、地球規模の気候変動も大きく作用しているのではないか」とサレック氏。今必要なのは、緑化を進めるための資金と、自然と共存し、資源を枯渇させずに生きる知恵と術を身につけるための教育だという。



 
 
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モーリタニアで軍部がクーデター、大統領と首相を拘束

2008年8月6日21時21分

 【ナイロビ=古谷祐伸】アフリカ西部モーリタニアからの報道によると、首都ヌアクショットで6日朝、軍がアブドライ大統領とワグフ首相を拘束し、大統領官邸や国営メディアなど政府系の建物を占拠した。大統領報道官は、この日更迭された大統領警護部隊のトップによる、政権転覆を狙ったクーデターと発表した。

 モーリタニアを兼轄する在セネガル日本大使館などによると、大統領警護部隊が大統領官邸に午前9時過ぎに侵入。大統領を拘束して立てこもっているという。アラブ系衛星放送局アルアラビヤは、首謀者らが率いる「国家評議会」による「(アブドライ)元大統領の軍幹部更迭は無効だ」との声明を放送した。大統領の安否は不明。

 一方、国際協力機構(JICA)広報室によると、国内にいる邦人15人の援助関係者は全員、無事が確認されたという。

 アブドライ氏は05年の軍の無血クーデターのあと、民主選挙を経て07年4月に就任。食糧高騰問題などへの対応が批判され、今年5月に内閣を一新したが、新内閣も7月の不信任決議を受けて総辞職した。今月4日には国会議員48人が与党を離党するなど、政情の混乱が続いていた。



 
 
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首脳更迭された軍がクーデター、大統領を拘束 モーリタニア

ヌクアショット――アフリカ北西部、モーリタニアの大統領府報道官は6日、陸軍将校グループが同日、クーデターを起こし、シディ・ウルド・シェイフ・アブドライ大統領とワゲフ首相を拘束していると述べた。AP通信が報じた。

クーデターに参加している兵士の数などは不明。

同大統領が最近、陸軍指導部の4人を更迭したことに反発してのクーデターとみられる。これら4人の解任理由は不明。陸軍参謀長らが含まれていた。中東の衛星テレビ、アルジャジーラはモーリタニアの議員の話として、現政権は権威主義的であり国民の多数は今回のクーデターを支持していると伝えた。大統領支持者は議会で少数派ともしている。

大統領は首都ヌクアショットの大統領府内で拘束されているという。

国営ラジオ、テレビは放送を中断している。目撃者によると、兵士が首都の通りに配備され、警戒しているという。武装衝突などは報告されていない。

同国では2005年に軍がクーデターを起こし、当時のタヤ首相を追放している。06年に国民議会、翌年に上院選が実施され、民政が復活していた。07年3月には大統領選が行われ、アブドライ元財務相が当選していた。



 
 
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モーリタニア:軍がクーデター 大統領府を制圧

 【ヨハネスブルク高尾具成】アフリカ北西部モーリタニアの首都ヌアクショットで6日、軍がクーデターを起こし、大統領府を制圧。アブドライ大統領やワゲフ首相らを拘束した。中東の衛星テレビ局アルジャジーラによると、大統領府周辺には軍用車両が集結。政府機関や国営放送局などを包囲したが、大規模暴動や流血の事態は発生していない。

 大統領は6日、軍参謀長と大統領警護部隊司令官のアジズ氏の解任を発表した。その直後に軍が大統領府に押し入り、大統領を連れ去った。直ちに軍部が「国家評議会」の創設を宣言するとともに国営テレビを通じ、アジズ司令官の評議会議長就任を発表した。

 モーリタニアでは05年8月、軍が無血クーデターで政権を掌握した。07年3月の大統領選でアブドライ氏が選出され、同4月、民政移管が完了したが、今年6月には内閣不信任決議案が提出されたほか、首相は7月、内閣を改造するなど政治危機に直面していた。

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 ■ことば

 ◇モーリタニア

 1904年に仏領となり、60年独立した。人口約312万人の国民のほとんどがイスラム教徒で、公用語はアラビア語。国土の5分の4が砂漠。北アフリカとの隊商の中継地「シンゲッティ」など四つの古代都市遺跡が世界遺産に登録されている。自動車のダカール・ラリー(通称パリ・ダカ)の競技ルートだったが、同国内でテロの危険があるとして08年のレースは全面的に中止された。

毎日新聞 2008年8月7日 東京朝刊



 
 
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モーリタニアでクーデター、大統領が拘束される=大統領の娘

2008年8月7日

 [ヌアクショット 6日 ロイター] アフリカのモーリタニアで6日、クーデターが発生。シディ・モハメド・ウルド・シェイフ・アブドライ大統領が、複数の大統領警護員に拘束された。

 大統領の娘がロイターに明らかにしたところによると、大統領の警護を担当するBASEPの要員が現地時間午前9時20分(日本時間午後6時20分)ごろ、大統領公邸に現れ、大統領を連れ去った。

 大統領は6日、軍幹部級の人事を行った。その後、大統領公邸に兵士が集結した。

 モーリタニアは、2005年の無血クーデターで軍が政権をとったが、2007年の選挙でアブドライ氏が勝利し大統領に就任した。



 
 
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モーリタニア軍政、拘束の大統領を釈放

 【ロンドン=岐部秀光】ロイター通信などによると、アフリカ北西部モーリタニアの軍政は21日、8月6日のクーデターで拘束、軟禁していたアブドライ大統領を釈放した。大統領支持者らが明らかにした。クーデターを受け米政府が経済支援を一部打ち切ったほか欧州連合(EU)も軍高官への制裁を実施すると表明し、大統領の釈放を求めていた。モーリタニアは沖合に豊富な石油と天然ガスが埋蔵されていることが確認され2006年から産油国となった。 (07:00)



 
 
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カタールとモーリタニア、イスラエルと関係断絶 ガザ侵攻で

中東カタールとアフリカ北西部のモーリタニア両国政府は16日、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区への侵攻を受け、同国との関係を断絶すると発表した。

カタールはイスラエルと外交関係を樹立していないが、貿易事務所の開設を認めるなどの接触は続けてきた。アラブ連盟参加のモーリタニアは1999年、イスラエルと国交を樹立。しかし、ガザ情勢を受け今月初旬にはイスラエル駐在大使を引き揚げさせていた。

ガザ情勢を受け、アラブ諸国では親米派とパレスチナ寄り国家の亀裂が表面化。ドーハでは16日、ガザ情勢協議のアラブ首脳緊急会合が開かれたが、エジプトとサウジアラビアが参加しない事態ともなっていた。

ガザ侵攻に絡むイスラエルに対する外交制裁としては、南米ベネズエラとボリビアが14日、断交を打ち出している。



*このファイルは文部科学省科学研究費補助金を受けてなされている研究(基盤(B)・課題番号16330111 2004.4〜2008.3)の成果/のための資料の一部でもあります。
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/p1/2004t.htm

UP:2007 REV:
アフリカ  ◇世界 

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