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Gender Africa 2 アフリカ/アフリカ Africa 2005/アフリカ Africa 2006/アフリカ Africa 2007 1/アフリカ Africa 2007 2/アフリカ Africa 2007 3/アフリカ Africa 2007 4/アフリカ Africa 2008 1月/アフリカ Africa 2008 2月/アフリカ Africa 2008 3月/アフリカ Africa 2008 作成:斉藤龍一郎* *(特活)アフリカ日本協議会事務局長 ◆アフリカ日本協議会(AJF)2007 ◆HIV/AIDS 2007 ◆グローバル・エイズ・アップデイト update 2007/10/26 ◆Gender in Africa ◆アフリカ障害者の10年 ◆アフリカ開発会議(TICAD) ◆気候変動とアフリカ ◆アフリカと中国 ◆アフリカとスポーツ ◆アフリカの食料・農業問題 ◆アルジェリア民主人民共和国/アンゴラ共和国/ウガンダ共和国/エジプト・アラブ共和国/エチオピア連邦民主共和国/エリトリア国/ガーナ共和国/カーボヴェルデ共和国/ガボン共和国/カメルーン共和国/ギニア共和国/ギニアビサウ共和国/ケニア共和国/コートジボワール共和国/コモロ連合/コンゴ共和国/コンゴ民主共和国/サントメ・プリンシペ民主共和国/ザンビア共和国/シエラレオネ共和国/ジンバブエ共和国/スーダン共和国/セネガル共和国/ソマリア民主共和国/タンザニア連合共和国/チャド共和国/チュニジア共和国/中央アフリカ共和国/トーゴ共和国/ナイジェリア連邦共和国/ニジェール共和国/ブルキナファソ/ブルンジ共和国/ベナン共和国/ボツワナ共和国/マダガスカル共和国/マラウイ共和国/マリ共和国/南アフリカ共和国/モーリタニア・イスラム共和国/モザンビーク共和国/モロッコ王国/大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国/リベリア共和国/ルワンダ共和国 ※外務省ウェブサイトを基に、国名を表記しています。 アフリカにおけるジェンダー問題の現状を広く共有することで、新たな切り口でアフリカ社会への認識を深めることは、アフリカの情報自体が不足し、偏重しがちな日本においては、大きな意義があると思われます。 ◆アフリカ女性たちの平等への闘い〜北京会議後10年間での前進の陰で残される主な課題〜 ◆十代の妊娠をめぐる議論が盛んに −ナミビア ◆アフリカ女性の『サクセス・ストーリー』 ◆リベリアの新大統領、レイプのタブーを打破 ◆リプロダクティブ・ライツ基金を求めるアフリカの声に、いらだつアメリカ ◆アフリカ全体のために経済成長と健全なリプロダクティブ・ヘルスの両立を ◆Body blows−障害女性が直面するいくつもの苦難− ◆おばあちゃんが母子保健を改善する−地域の人々の知恵の管理者としての役割 ◆西アフリカにおいて女性が果たしてきた政治的役割 ◆アフリカの女性たち、指導者になる準備完了 ◆リベリア:戦争後も続く女性への性的暴行を、政府、女性グループが激しく非難 ◆コンゴの女性たち、レイプの遺産に立ち向かう ◆ソマリア:内戦で最も苦しむのは女性と子ども達 ◆女性商店主がマラウイの農業を後押し ◆Jeune Afrique 国際女性デー2007特集 女性の時代 ◆NPO法人インテルビダ・ジャパン 【3月8日 国際女性の日】マリにおいて女性が直面している不安定な労働状況をインテルビダは訴えます。 調査・報告 ◆世界の医療団 2007年3月8日 国際女性デー暴力の犠牲者、女性たちへの支援 ◆2005/04/10 JANJAN 国連、コンゴ平和維持軍の性犯罪スキャンダルへの対処を求められる ◆2005/04/14 JANJAN 女性団体、女性が3割比率を要求する ◆2005/04/14 JANJAN スーダン支援国会合:各国、女性支援重視の支援を求められる ◆2005/04/15 JANJAN 女性たちは妊娠が原因で人知れず死んでいく ◆2005/05/11 JANJAN 新開発プロジェクトの中核に女性の人権を配慮する ◆2005/08/05 GayJapanNews カメルーンで大規模同性愛者逮捕 ◆2005/12/19 JANJAN コートジボワール:悪しき風習を断つ、女性器切除(FGM) ◆2006/01/17 JANJAN ケニア:レイプ犯が罰金刑で済むのか(1/11) ◆2006/01/28 JANJAN ケニア:レイプ犯が罰金刑で済むのか ◆2006/02/14 JANJAN 「わが国の男たちは野獣よりも悪い存在になるべく選ばれたのか?」 ◆2007/03/06 JANJAN アンゴラ:母親という危険な職業 ◆2006/03/26 JANJAN 恥ずかしさと痛みに苦しむ産科フィスチュラ罹患者 ◆2006/04/12 JANJAN 性器切除に苦しむアフリカの人々と連帯する日本人女性 ◆2006/05/03 JANJAN ケニア:政治と水汲みの両立は無理と訴える女性活動家 ◆2006/05/04 JANJAN ナミビア:政府は売春婦問題を放置している ◆2006/06/04 JANJAN ケニア、対話を通じて伝統を変革 ◆2006/06/23 JANJAN カメルーン:忌まわしき風習に少女たちは苦しむ ◆2006/07/07 JANJAN やっと、女性器切除を規制する法律 ◆2006/12/15 JANJAN エジプト:ファトワで女性性器切除は減るか? ◆2006/12/23 JANJAN 欧米に先んじるアフリカ女性 ◆2006/12/26 JANJAN マラウィの幼児死亡率、大幅減少 ◆2007/01/31 JANJAN ザンビア:危険にさらされる妊婦 ◆2008/02/13 時事ドットコム 2008/02/13-15:19 暗殺予告受け、仏亡命を希望=イスラム批判の元オランダ女性議員 ◆2007/02/15 JANJAN マラウィ:女性の社会進出阻む暴力 ◆2007/03/02 東京新聞ホームページ 国会議員6人に1人が女性 各国比率、日本は99位 ◆2007/03/14 asahi.com リベリア大統領「治安組織の2割、女性に」 ◆2007/03/06 JANJAN カメルーン:砂漠化に直面する女性たち ◆2007/03/15 swissinfo 女性器切除に刑罰を ◆2007/04/22 財団法人 ケア・インターナショナル ジャパン ミレニアム開発目標達成には自然環境資源が重要。アフリカの女性が訴える ◆2007/05/06 JANJAN マリ:大統領選に初の女性候補者 ◆2007/05/31 New Internationalist No.400 南アフリカの村落女性運動の軌跡 ◆2007/06/12 JICA ナイジェリア 女性の生活向上のための女性センター活性化支援プロジェクト ◆2007/07/04 JANJAN 国連:部隊のジェンダー教育 ◆2007/07/06 CHRISTIAN TODAY 国際女性会議開幕 「エイズ撲滅で主体性を」 ケニア・ナイロビ ◆2007/07/21 asahi.com コートジボワールPKOで性的虐待が横行 ◆2007/07/21 Sankeiweb 国連要員、コートジボワールで性的虐待か ◆2007/07/22 cnn.co.jp モロッコの国連平和維持部隊、性的虐待疑惑で任務停止 ◆2007/07/23 JANJAN モロッコ/児童労働:子ども時代を奪われた少女たち ◆2007/07/24 AFP BB News 国連、コートジボワールでの国連要員による性的虐待を確認 ◆2007/07/26 JANJAN シエラレオネ:大統領・議会選 女性議員候補たち ◆2007/07/27 毎日新聞 コートジボワール:PKOのモロッコ兵に性的虐待疑惑 ◆2007/07/28 JANJAN ジンバブエ:HIV/AIDS支援活動に介護ボランティアの活躍 ◆2007/07/31 cnn.co.jp コンゴで「婦女暴行がまん延」と国連特使 ◆2007/08/07 JANJAN モザンビーク:人身売買防止には『意識啓発』が重要 ◆2007/08/09 JANJAN ケニア:母親の喜びが地獄に変わるとき ◆2007/08/13 AFP BB News エジプト政府、女子割礼に対する罰則強化へ ◆2007/08/16 JANJAN シエラレオネ:選挙権を実際に行使できるか ◆2007/08/27 JANJAN マリ:国民議会選挙、最悪の予想は回避 ◆2007/09/01 JANJAN 労働環境がよいウガンダの花産業 ◆2007/09/04 ZDNet Japan 事前の調査と計画が大切--育児休暇を取るための6つのステップ ◆2007/09/07 JANJAN マリ:国民議会選挙、最悪の予想は回避(全訳記事) ◆2007/09/12 JANJAN ケニア:女性の政界進出への道は遠し ◆2007/09/18 GayJapanNews ウガンダ政府 LGBT市民迫害を否定 ◆2007/09/26 時事ドットコム シンガポール、2年連続の世界一=日本は12位−ビジネス環境ランキング ◆2007/10/01 JANJAN モロッコ:議会選挙、女性議員数はほぼ現状維持 ◆2007/10/02 国境なき医師団 コンゴ民主共和国:北キブ州での暴力により、援助活動が大幅に妨げられる ◆2007/10/05 GayJapanNews 米聖公会、同性愛者の主教任命・同性カップル祝福を中止へ ◆2007/10/09 JANJAN 東アフリカ:なぜ女性は貿易に携わることができないのか ◆2007/10/18 AFP BB News アフリカ・タンザニアの中等教育奨学金制度 ~少女たちの喜びの声 ◆2007/10/18 UK Today 10/18 英国における10代の妊娠率、西ヨーロッパでは『最高』に ◆2007/10/19 しんぶん赤旗 減らせ妊産婦死亡 国連機関 行動よびかけ 目標達成 現状では困難 ◆2007/10/26 しんぶん赤旗 紛争時の女性への暴力 国連が「重大な懸念」 ◆2007/11/05 MSN産経ニュース 【ゆうゆうLife】医療 産科医不足に挑む タンザニア編(上) ◆2007/11/06 MSN産経ニュース 【ゆうゆうLife】医療 産科医不足に挑む タンザニア編(下) ◆2007/11/07 jp.reuters.com ルワンダの性的暴行被害者の写真、英コンクールで受賞 ◆2007/11/14 JANJAN コートジボワール:女性性器切除(FGM)と闘う宗教家 ◆2007/11/17 MSN産経ニュース 国連、反レイプ決議案採択 ミャンマー念頭に米提出 ◆2007/11/25 cnn.co.jp クリスマスに「地球への贈り物」を WWFがカタログ発行 ◆2007/11/30 GayJapanNews スペイン アルジェリア人トランスジェンダー女性の難民申請許可 ◆2007/12/01 exciteシーズンカレンダー 12月1日は「世界エイズデー」 ◆2007/12/06 国境なき医師団 アンゴラ:コンゴ人移民の国外追放に際する軍の虐待行為を非難する ◆2007/12/12 JANJAN アフリカ:資金・メディア・伝統が女性の政治的野心を阻む ◆2007/12/18 国境なき医師団 アンゴラ:国外退去されるコンゴ人への性的暴力−女性たちの証言− ◆2007/12/30 JANJAN ケニア大統領選、危険と隣り合わせの女性候補者 ◆2008/01/10 GayJapanNews LGBT市民迫害のカメルーン政府に抗議=活動家ら、世界各地で ◆2008/01/31 国境なき医師団 ソマリア:産科フィスチュラに苦しむ女性たちを支援する ◆2008/03/06 AFP BB News シエラレオネで、女子割礼の存続を訴えて女性たちがデモ ◆2008/03/13 外務省 人間の安全保障基金による「アフリカン・ミレニアム・ビレッジ(AMV)第2フェーズ」への支援について ◆2008/04/21 外務省 人間の安全保障基金によるブルキナファソにおける「児童結婚の撲滅:保護、能力強化及び地域活動プロジェクト」への支援について 参考図書 アフリカレポートNo.46 2008 March アジア経済研究所 735円 B5判 48p 特集1 TICAD IVの課題 TICAD IVの焦点とは? 平野克己 TICADプロセスの現段階 望月克哉 TICADはアフリカでどう評価されているのか 政策当局者間の会談から考える 白戸圭一 TICADを超えて 日本のアフリカ外交のエクリチュールを考える 落合雄彦 特集2 農村女性の生計戦略 ローカルバーの地酒売り タンザニア農村女性たちの創意工夫 黒崎龍悟 ロンボを売る女性たちの生活戦略 ザンビア西部に住む移住民の現金稼得活動 村尾るみこ 農村女性の土器づくり タンザニア北東部における女性のグループ活動をめぐって 松浦志奈乃 マルーラ酒が取り持つ社会関係 ナミビア農村社会の変容とオヴァンボ女性の酒づくり 藤岡悠一郎 ※ 必要な方は、アジア経済研究所に問い合わせて下さい。 ◇ マウマウの娘―あるケニア人女性の回想 ワンボイ・ワイヤキ・オティエノ著, コーラ・アン・プレスリー編, 富永 智津子訳 未来社 ¥2,370 274p 2007年5月 ◇ 切除されて キャディ (著), 松本 百合子 (翻訳) ヴィレッジブックス ¥1,470 274p 2007年5月 ◇ アフリカの医療・障害・ジェンダー―ナイジェリア社会への新たな複眼的アプローチ 落合雄彦, 金田知子編 晃洋書房 ¥3,300 A5版 257ページ 2007年3月 ◇ 新しいアフリカ史像を求めて―女性・ジェンダー・フェミニズム 富永智津子・永原陽子編 御茶の水書房 ¥4,950(税込) A5判 510p 2006年12月 ◇ アフリカの女性史 ケニア独立闘争とキクユ社会 コーラ・アン・プレスリー著 富永智津子訳 未来社 290p B6判 2940円(税込み) ◇ メンデ―奴隷にされた少女 メンデ ナーゼル (著), ダミアン ルイス (著), 真喜志 順子 (翻訳) ソニーマガジンズ ¥1,680 B6版 389ページ 2007年3月 ◇ Negotiating Reproductive Rights Rosalind P. Petchesky, Karen Judd ed. ペーパーバック: 358 p Zed Books 1998/06/01 参考website ■Gender and Women's Studies For Africa's Transformation http://www.gwsafrica.org ■Pambazuka News: Women and Gender http://www.pambazuka.org/en/category/wgender/ ■The Gender Advocacy Programme (GAP) http://www.gender.co.za ■Allafrica.com:Women http://allafrica.com/women/ ■Africa Renewal (UN Quarterly Magazine on African issues) http://www.africarecovery.org ■Integrated Regional Information Network http://www.irinnews.org アフリカのジェンダー問題に関わる論文
>TOP 国連発行の季刊誌Africa Renewal の最新号に載りました以下の記事の翻訳をご紹介します。
『African women battle for equality ? Some progress 10 years after Beijing,but major challenges remain (UN Dep. Of Public Information AFRICA RENEWAL, July 2005) 原文を参照されたい方は、こちらをご参照下さい。↓ http://www.un.org/ecosocdev/geninfo/afrec/vol19no2/192_pg06.htm 今年は国連ミレニアム開発目標MDGsのレビューが行われた年ですが、MDGsの一つに、「ジェンダーの平等の推進と女性のエンパワメント」があります。このままでは2015年までの目標達成には非常に困難な状況にあると言われているアフリカですが、ジェンダー問題に関してはどのような状況にあるのでしょうか。一方、今年は1995年に北京で行われた世界女性会議から10年の節目に当たり、アフリカのジェンダー問題に関するこの10年の残された課題は何か、また認められる前進は何か、国連から概観を示す報告が出ています。 課題として、貧困と女性の相関関係、この事態の改善の鍵となりうる教育分野での男女格差、ジェンダーに配慮したマクロ経済政策を目指すジェンダー予算や女性に向けてのアファーマティブ・アクションについての現状を報告。また他に類を見ない前進が見られた政治分野への女性の進出などポジティブな面も紹介しています。 これを読むだけで、「アフリカ」と「ジェンダー」という切り口で見ても、国によって非常に異なる状況にあるのだということがわかります。 非常に長いのですが、以下に全文の翻訳を掲載します。興味のある方はご覧下さい。
『African women battle for equality ? Some progress 10 years after Beijing,but major challenges remain 10年前の北京会議で、アフリカの女性達は、大々的に告知された国際会議で世界中の女性の暮らしを変えるための意欲的な目標が設定されたことによって、変化が起こることを確信した。 その歴史的な出来事であった1995年に中国で開かれた第4回北京世界女性会議から10年目を迎える今年、他の地域の女性たちと同様、アフリカの女性達もその進捗を評価し、約束された改革がどの程度実現されたについて確かめようとしている。 彼女たちはまた、なぜ多くの国々で女性の暮らしの前進が制限されてきたのかについて考え、その障害を乗り越える方法を探している。 国連事務総長ジェンダー問題特別顧問レイチェル・マヤンジャ氏*は、今年3月、ニューヨークで行われた北京会議後10年のレビューにおいて、過去30年間に数多くの改善の兆しが見られたと語った。その例として、国連の議定書である女性差別撤廃条約(Convention on the Elimination of All Forms of Discrimination againstWomen)の施行、ならびに新しい政策および指針の策定に向けた動きや、ジェンダー専門家のネットワーク作りなどを挙げた。 しかしながら、メキシコシティで行われた最初の世界女性会議以降の同じ30年間に「男たちは月へ往復したにも関わらず、女性たちはいまだ昔と同じところに留まっている、つまり女性たちの人権を奪うような、不当で受け入れ難い女性の周縁化に対して世界に向かって啓発しようとしている。」とマヤンジャ氏は165カ国から集った代表に向けて語った。 特にアフリカに関しては、過去数年間に女性たちが政治の場において著しい前進を遂げた。 アフリカ連合(AU)はその最高意思決定の機関においてジェンダー格差を解消することにおいて大きく前進した。2003年には女性5人と男性5人がAU委員に選出された。その翌年、ゲートルード・モンゲラ氏は、女性が25%を占めるAUの汎アフリカ議会の議長に選ばれた。もう一つのAU組織、アフリカの統治の基準を統括するアフリカ・ピア・レビュー・メカニズムはアンジェリーク・サバネ氏によって率いられている。 アフリカの女性たちはまた、彼女たちの権利を向上させるための合意を促すことに成功した。 昨年末までに1979年に国連総会で採択され国際的な女性の権利法と言われる女性差別撤廃条約(CEDAW)をAU加盟国53カ国中51カ国* が批准した。 そして2003年には、活動家たちがそれぞれの政府首脳に「女性の権利に関する議定書」を採択させるという成果をあげた。彼女たちは現在、それぞれの国に対して、最終段階として議定書を施行できる形にするために批准するようロビー運動を続けている。 〈残された課題〉 「多くの達成や進展があったにも関わらず、アフリカの女性たちは未だ大きな挑戦と障害に直面していることを私たち皆が認識している。」と国連アフリカ経済委員会の女性と開発委員会議長、ファコンダ・ハッサン氏は述べている。彼女によれば、例えば貧困削減戦略として知られる、多くの国の基本的な開発政策は、いまだに収入と権力の男女格差に配慮しておらず、このことがジェンダーによる不平等をなくすプログラムへの資金拠出を妨げている。更に、と彼女は続け、多くのアフリカ女性はいまだ教 育と雇用の機会を持たず、貿易、産業そして行政の分野において限られた参加機会しか与えられていないと言及した。 1995年の会議で出された北京行動綱領では女性の地位を向上させるために改善の必要な分野が明らかにされた。 その分野とは、女性の貧困削減・暴力の廃絶・教育と保健サービスへの提供・そして経済的政治的不平等をなくすことである。いくつかの特筆すべき例外を除いてこれらの分野における進展は遅い。 北京綱領は、もはや目標や抱負ではなく、ジェンダーセンシティブ(ジェンダー意識のあるよう)な政策の採用を推進するための道具として活用されなければならないと、ハッサン氏は指摘する。彼女は「現在の目標は、私たちの夢を再交渉するのではなく、目的、到達地点、達成そして失敗についての具体的な議論を通して、すべての関係者のアカウンタビリティ(説明責任)を強調することである。私たちは、もはや約束ではなく、行動を求めているのです。」と述べた。 〈貧困は女性の顔を持つ〉 多くのアフリカ女性にとって、北京綱領や彼女たちの政府が署名した様々な国際的な法律文書は未だ彼女たちの日々の生活に望ましい変化を及ぼしていない。彼女たちは未だに土地、信用、保健・医療、教育へのアクセスを制限され、社会階層の最下層にとどまっている。 アフリカの各国政府が批准したいくつかの合意は所有と相続の権利を保証しているが、ほとんどの国で女性たちはこれらの権利を認められていない。 事態を悪化させているのは、アフリカで男性よりも女性の健康を害して、女性たちが手に入れた発展を逆行させているエイズ危機の爆発のような現象である。結果として、アフリカの国々における貧困は女性の顔を持っていると、ジンバブエに拠点を持つ非政府組織「アフリカの法律と開発における女性 (Women in Law and Development in Africa-WILDAF)」のグラディス・ムトゥクァ氏は述べた。 彼女は、北京から10年経って女性たちが以前よりも貧しくなっていることに不快感を示した。 1990年と2000年の間に、国連の基準において貧困状況下(下のグラフ参照)で暮らす人の数が8200万人以上増加したアフリカ以外は、世界中の地域で減少した。 貧困状況下で暮らす人の大多数を女性が占め、一部の国ではその割合は70パーセントにも上る。 たいていの場合、男性の方がより職を見つけやすく、男性が経営する企業の方が銀行のような機関からの支援へのアクセスが容易である。
国連食糧農業計画(FAO)がベナン、ブルキナファソ、コンゴ、モーリタニア、モロッコ、ナミビア、スーダン、タンザニアとジンバブエで行なった調査は、土地を所有している女性がほとんどいないことを示している。まれに土地を女性が所有している場合でもその土地は男性の所有する土地よりも小さく、やせている傾向がある。さらに他の複数の調査は、女性農業従事者が男性と同様に肥料などの投入財や研修にアクセス出来た場合、収穫量全体が10から20パーセント増加することも明らかにしている。 〈少女たちを学校へ〉 多くの場合、貧困から抜け出せる唯一のチケットである教育の機会が、アフリカの女性たちに与えられない状況が続いていることが、おそらく最大の障害である。 男子と女子の格差は小学校に始まり、高等教育制度にまで一貫して、その格差は広がっていく。この10年間で比較して、アフリカは小学校の合計就学率が最も改善された地域である。 しかし、少女たちの就学率の低さを鑑みると、アフリカ大陸は、今年末までに目標値として設定されている入学者数の男女格差解消にはまだ遠い。サハラ以南アフリカは、10年前の2000万人から、2000年には2300万人と増加し最も多くの少女が学校に通っていない地域となっている。 一方学校へ通っていない子どもたちの合計はこの10年間に減少した。 1990年から2000年の間に世界中の小学校教育への入学者数は5億9600万人から6億4800万人へと増加し、その増加率が最も大きかったのはサハラ以南アフリカで38パーセントを記録している。 ベナン、ボツワナ、ガンビア、ギニア、レソト、モーリタニアそしてナミビアにおいては、女子への教育機会拡大を特別に目指した政策が目覚しい前進につながった。 例えばベナンでは、保護者に対するメディアを利用した啓発や、農村部における公立小学校の女子生徒の学費を減額するといった施策によって男女間格差は32パーセントから22パーセントまで低下した。国連教育科学文化機関(UNESCO)は女性教員の割合が増えると男子よりも女子の就学率が上昇すると報告する。そのため教員のジェンダーバランスを取ることは、ジェンダー格差への効果的な対策であり、この方法を取ったモーリタニアでは1990年から2000年の間に小学校におけるジェンダー格差を13パーセントから4パーセントにまで縮めている。また、ギニアでも、1990年代に女子教育を国の優先目標として、より包括的なアプローチを取った。少女たちが学校で直面する社会的障壁を検証した後政府は、トイレ建設、妊娠した少女への支援、教科書の無料配布、そして女性教員数の増加といったプログラムを開始した。 2000年までに、同国では女子の就学率を倍以上に増加させ、男子生徒の出席率を80パーセントまで増やした。しかし全般的にアフリカでは女性教員の割合が他のどの地域よりも小さい。 これ以外にも多くの障害がアフリカにおける教育機会の拡大を妨げている。 1980年代に多くの国で導入された緊縮財政プログラムは、教育への支出を抑止した。このため、多くの政府は既存の学校を維持したり学校を新設する予算を確保できなかった。 家庭レベルでは、貧しさの増した家庭では、どの子どもを学校へ通わせるかという厳しい選択を迫られ、多くの場合、家に残されるのは少女たちだった。授業料、制服着用の義務、家から学校への遠距離通学、不十分な水と衛生環境などが少女たちの教育へのアクセスを制限する要因となっている。 子どもたちが高校や大学へ行く頃までに、ジェンダー格差は開くばかりである。 10月にアジスアベバで北京会議以降の進展を評価するために集ったアフリカ各国の大臣たちは「高等教育・大学教育レベルでの女子参入の低迷は続いている」と言明した。「ジェンダー格差は化学、数学、コンピュータ科学の分野で特に顕著である」。国際労働機関(ILO)の調査は、歴史的に男性中心の学問は多岐に渡るが、アフリカの大学において技術プログラムでの女性比率が際立って低いことを明らかにしている。ILOは技術コースにおける女性在籍比率はガンビアの40パーセントからザンビアにおけるたったの2パーセントにまで広範囲に渡ると報告している。 ガーナでは、職業訓練校の生徒のうち、30パーセントを女性が占めているにも関わらず、技術コースを学んでいるのはそのうち1パーセントである。 一方、アフリカにおける成人識字率は改善傾向にあり、1990年から2000年の10年間で20パーセント上昇した。目標は1990年を基準として2015年までに50パーセント上昇させるというものだ。UNESCOはアフリカの約半分の国々では、地域のジェンダー格差が穏やかな増加を記録したと報じている。しかしながら、一部の国においては、女性の識字率は50パーセントというアフリカ地域の平均を大きく上回っている。 ブルキナファソでは82パーセント、シエラレオネでは79パーセント、そしてベニンとエチオピアでは77パーセントである。 〈女性への資金拠出〉 女性たちが貧困を抜け出すためには、開発政策において女性の経済への貢献がより強調されるべきであると多くの人々が認めている。女性たちは経済活動人口の上で大きな割合を占めているにも関わらず、主に家族農業やインフォーマルセクターに携わっているために、貢献が十分に認められていない。また彼女たちの担っている家庭内での働きについては経済活動とみなされていない。 サハラ以南アフリカの最も主要な経済セクターである農業において、家庭内消費と販売向け両領域において、食料生産の60〜80パーセントの労働を女性が担っている。 しかし、女性はほとんどの仕事をしているにも関わらず、市場と信用貸しへのアクセスがない。 ウガンダでは労働力の53パーセントは女性が占めているが、現金作物の11パーセントを販売しているに過ぎない。 「私は、女性は太古の昔から多くの国の経済・社会発展に重要な役割を果たし、今でも果たしていると強く信じている」とナミビアの女性省のネトゥンボ ナンディダイトゥワ氏は言う。 「問題は、女性たちが、見えない存在として認められておらず、彼女たちが担う重労働に対して報酬が支払われていないということである。」各国はそれぞれの国家予算を一定の割合でジェンダー課題に対して割くべきである、と彼女は主張する。「この要求は、今日どんな国も、国家予算の1パーセントを超えて女性やジェンダーに割いていないという事実に基づいている。」 近年の女性の前進を目指した資源は主に国外の開発パートナーから提供されている。 アジスアベバにある、女性のためのアフリカセンターのジョセフィン ウェドラオゴ氏はアフリカの70パーセント以上の食料を供給している、家計経済を通した女性たちの貢献は国別統計に適正に含められていない、と指摘する。「組織的な、時間をかけた家計調査を実施しているのはアフリカ諸国の10パーセントに満たない」と彼女は言う。これが男女間の相違を明らかにすることや、是正のための政策策定を困難にしている。マクロ経済政策において、女性や少女の犠牲の上に男性や少年に有利になっているゆがみを正すために、多くのアフリカ各国はジェンダー予算と呼ばれる指標を採用している(アフリカリカバリー2002年4月号参照)。 中でもケニア、ルワンダ、南アフリカ、タンザニアそしてウガンダは現在それぞれの予算をジェンダーの視点で評価している。その過程では、政府支出の選択と、それが男性と女性、少年と少女に対してどのような影響を与えているのかについて分析し、ジェンダー間の相違をより明確にすることを目指している。 ひいてはそれが、格差を縮小するために、具体的には女性の時間的負担を軽減するためのプログラムに資金拠出をしたり、女性のエネルギー、水、輸送手段、労働軽減技術を改善したりするような計画への資金を増額することを促す。2004年4月に行なわれた、北京会議以降の進展を振り返る会議において、南部アフリカ開発共同体(SADC)諸国のNGOはSADCメンバーである14カ国に対して、2006年12月までにジェンダー予算計画を採用するよう要求した。 〈政策への影響〉 SADCのほとんどすべての国には、ジェンダー課題に取り組む政府機関が設置されている。 しかし、北京会議から10年間にこれらの機関、部署、省庁は「弱体化しておりジェンダー公平性に向けた努力の中で出てきた課題に対応できなくなっている。」とザンビアのルサカで開かれたアフリカ社会フォーラムでNGOが言明した。 「資源不足、少ないスタッフ、そして女性のための平等や公平性を推進するための政府内での発言力や権威のなさなどは、障壁のほんの一部分である。」 他方、南部アフリカのいくつかの国では女性が政治的影響力を持つ地位を得ている。 例えば南アフリカとモザンビークでは、国会の議席の30パーセントを女性が占めている。 2004年2月にモザンビークはルイサ ディオゴ氏が首相に指名され、女性の首相が選出された、地域で最初の国となった。 ルワンダは国会の女性比率において世界を牽引している。ルワンダでは北京で定められた30パーセントを大きく上回る、国会議員の49パーセントが女性である。世界平均は15パーセントに過ぎない。 アフリカにおける最近行われた23回のうち、14回の選挙において、女性の国会での議席獲得比率は増加している。だがいまだに状況は理想には程遠い。これらの大多数の国(20)で、女性は議席の10パーセントかそれ以下を占めている。マダガスカル、モーリタニア、ニジェールといった国々においては、女性は議席の5パーセントにも達していない。 いくつかの国においては、国会における女性の存在がジェンダーを意識した政策の採択に影響を及ぼした。女性からの圧力によって、いくつかの国は現在、意思決定に参加する女性の増加のために、割当制などの積極的差別撤廃政策(アファーマティブアクション)を採っている。 南アフリカでは、女性議員たちは、堕胎の合法化、家庭内暴力への対策、子ども支援確保など、様々な法律を可決させることに成功した。 ウガンダでは、女性議員たちが、レイプを死刑に値する犯罪とする法律を採択する手助けをした。 モザンビークでは、同国で女性の解放に重要であると考えられる家族法が長期の遅れを経て2003年に可決された。 「もし国会に一つの性別しか存在しなかったとしたら、この法案はもっと弱いものだっただろ う。」と同国の高等教育相リディア ブリトー氏は語った。 国連のジェンダー特別アドバイザーであるワリアル ブグワ氏は、アフリカ大陸は非常な多様性を持っているため、問題は非常に複雑であると指摘する。「そのため、世界規模での議論において、それらの問題は単純化されたり、ひとつの共通項にまとめられたりしてはならない。」例えば少女たちは小学校教育へのアクセスが必要なだけでなく、暴力や有害な慣習からも守られなければならないのである。 ブグワ氏によると、女性を貧困から脱出させ、HIV感染拡大を止めるための基本的な戦略を続ける必要がある一方、「第2、第3世代のための戦略を設計することも重要である。」と言う。 そういった戦略には、女性に直接的な利益をもたらす国際貿易協定や情報通信技術の保証が含まれる。女性のエンパワメントは国内の狭い範囲の分野に限定されるのではなく、「急速に変わる地球規模のプロセスにおいても女性の対等な参加を確保しなければならない」と彼女は強調する。 >TOP 十代の妊娠をめぐる議論が盛んに −ナミビア IRIN(2005年10月20日、ウィンドホーク) 16歳のンジャンジェ・ジローレはナミビア最古の黒人居住区郊外カトゥトゥーラにあるアシペナ高校の生徒として優秀な成績を収めてきました。 しかし、彼女が昨年11月妊娠し男子を出産した時点で、エンジニアになるという彼女の夢は打ち砕かれてしまいました。ナミビアには十代の少女が妊娠した場合、生まれた赤ん坊の面倒を見るために、最低1年間休学することを定めた教育政策があるからです。 「学校当局は私が妊娠3ヶ月目であることを知って私を追い出しました。」と妊娠当時9年生だったジローレはIRINに語りました。「私は翌年にならないと学校に戻れないと言われました。」 ジローレのような若い母親に関する公式な統計はありませんが、ナミビアが1999年10月に採択した政策の被害を受けたのは彼女だけではありません。 今年初め、ナミビア高等裁判所は、18歳の娘ウジュア・カルアイヘが「2004年12月に出産したことを理由にウィンドホーク高校への復学を拒否されていること」を訴えるシュアー・カルアイヘ・サムポフから提出された緊急申請を退けました。カルアイヘ・サムポフは、自分の娘が学校へ通うのを認められないことは、憲法で保障されている彼女の教育を受ける権利の侵害であり、違法であると主張しました。これに対する政府の反論は、この政策が、ウジュアの教育を受ける権利と、憲法15条1項に明記されている彼女の子どもの根本的な権利、とのバランスを取る試みと考えられるべきであるというものでした。この条項によれば『子どもは生まれた時から名前を授かり、国籍を取得する権利、可能な限り最大限子どもにとって有利になるよう行使される法規、つまり「知る権利」と「親に世話をしてもらう権利」が適用される』と明記されています。 「この政策の表現、特に学校に通う少女が妊娠した場合に、少なくとも1年を子どもと共に過ごしてから通常の学校生活に戻ることを認められる。という内容は、この憲法の精神に基づいており、個別の事情に拘らず尊重されるべきである。」と基礎教育省は最近のコメントの中で述べています。 政府は、同政策が「幅広く実のある意見交換」の末に導入されたもので、それを「公正で、一貫性のある、人道的な方法で」実行に移す責任は学校側にあると指摘しています。 ナミビアは出生率が、世界でも最も高い国の一つで、政府は公共キャンペーンや家族計画サービスの拡大などの方法で出生率を低下させる努力を行なっています。近親相姦やレイプのケース、そして母もしくは赤ん坊の健康上の理由を除いて、中絶は非合法とされています。 国連合同エイズ計画(UNAIDS)によれば、国の人口200万人余のうち70%が30歳に満たず、うち33%は15−30歳。そして妊娠の5回に1回が13−19歳の年齢グループで起きています。 全般的な就学率は女子(75%)が男子(72%)よりも高くなっていますが、中学校から高校へ進学する人数は男子(56.2%)が女子(42%)よりも多くなっています。これは多くの女子生徒が10年生になる前に妊娠して中退してしまうためです。15−24歳の女性のHIV感染率は20%ですが、同じ年齢グループの男性のHIV感染率は10%と推定されています。 ナミビアの妊娠した生徒に関する政策は差別的であるとして今までも批判されてきました。少女を妊娠させた男子生徒、あるいは教師が妊娠の結果に直面することはほとんどなく、学校も男子生徒側に対して何ら措置を取らないからです。 「ナミビアは過去に暮らしています。」ジェンダー活動家であるエバ・マリア・バーナードは言います。「なぜ子どもには母親の愛情だけが必要で、父親の愛情は必要ないのでしょうか...両親ともが子どもと過ごすために家に居るべきではないのでしょうか?」 バーナードは中部及び南部ナミビアにおける十代の妊娠に関する調査に言及しました。 「私の得た調査結果は、妊娠した女子生徒のほとんどが、学校から追い出されるのを避けるために非合法な(そして多くの場合安全でない)中絶という手段をとることを示しています。」 「妊娠の結果、退学した少女たちのほとんどは教育を修了するために復学することはまずありません。そして、彼女達のその後の人生における社会経済的な向上への可能性は大幅に減ってしまうのです。」 バーナードは、その他にも多くの少女たちが、貧困、家庭内の飲酒、崩壊した家庭、エイズによって一家の稼ぎ頭を亡くすなど、その他の要因によって学校を中退することがあるといいます。 先週、ナミビア大学社会学部は十代の妊娠に関して、2つの若者グループを集めました。ほとんどの少女たちが、妊娠した自分たちの仲間に同情すると言ったのに対し、少年たちは、学校は子どものための場所であり妊娠した少女は自動的に大人と見なされるべきであると主張しました。 >TOP 今回の1つ目には、活躍する女性の話として、ナイジェリアで起業家育成の非営 利活動を軌道に乗せた女性のエピソードを紹介します。 彼女自身が成功し、活動が発展していくことも素晴らしいことですが、後に続く 女性たちにとっても具体的に目指す人物像があるということも意義が大きいので はないかと思います。 原文(仏):http://www.grioo.com/info80.html ---- アフリカ女性の『サクセス・ストーリー』 2003年2月8日 Par Paul Yange ナイジェリア出身の29歳、ンディディ オコンコウ ンウネリは20歳でウォー トン大学を卒業し、23歳でハーバードビジネススクールのMBAを取得した。彼 女は、最初の就職先であるマッキンジーというコンサルティング会社を辞めた 後、2年前の2000年3月、同郷者の一人と一緒に非営利組織、FATE(運命)財団 を設立した。この組織は、資格はあるけれども失業状態のナイジェリアの若者 たちを、起業するための方法、ネットワーク、融資を提供することで支援する ことを目的としている。 ンウネリは、薬学教師の父と、歴史教師のアメリカ人の母親を持ち、ナイジェ リアのエニュグという町の中流階級の家庭で育った。彼女の両親は1960年、コ ーネル大学で知り合った。『両親は私の人生に大きな影響を与え、私が最善を 尽くすよう、社会が私に与えてくれたものを、ちゃんと社会に恩返しするよ う、いつも後押ししてくれました。』とンウネリは言う。 ナイジェリアはアフリカの最大の石油生産国(その10%以上がアメリカ合衆国 で使われている)であるにもかかわらず、70%以上の国民が一日一ドル以下で 生活し、常に世界で最も腐敗した国の一つとして挙げられている。現場で勉強 した資格ある若者たちへの雇用機会はほとんどない。 FATE財団は現在3つのプログラムを擁しているが、実際のプログラムの開始以 来、ンウネリは多くの事を学んだ。『最初の入学生を育成していた時、私たち は失業中であると言う事実は必ずしも人々をそこから抜け出したいと言う気持 ちにさせるとは限らないと言うことがわかったのです。』第一期生の20人中 15人は資格を得て卒業したが、たった4つの小さな会社が設立されただけだっ た。授業出席率の悪さや遅刻のようなほかの問題も多くあったのだ。『私たち は、より厳しい基準をきちんと整えることを決めました。』 それ以降、このプログラムの恩恵を受けたい人々は、面接を受け、エッセイを書 き、筆記試験を受けなければならなかった。そして一度入学許可を得ると、生 徒たちは真面目に授業に出席し、それも遅刻しないことを要求された。『遅刻 した生徒たちは、教室に入ることはできませんでした。授業を多く欠席した者 は、プログラムを受講する権利を失いました。私たちは、会社を始めるために は規律が必要であることを生徒たちに示そうとしているのです。』とンウネリ は言う。 このプログラムの多くの要求は、第二期生の33人中20人が、インターネットカ フェから繊維工場に至る様々な活動分野で起業するという結果をもたらした。 投資家たちが生徒たちの考えを知り、彼らと顔見知りになることを目的とした シンポジウムが2度開かれた。 この財団のほかのプログラムとしては、特に、成功したナイジェリア出身の起 業家たちによる毎月の一連の講演会がある。『起業することと、それを維持 し、成功させることは別です。ナイジェリアは、ビジネスの世界で成功するの がとても難しい国です。例えば政府による妨害は、信じがたいほどのもので す。そのため、粘り強く続け成功した人々の話を聞くと、やる気が出てきま す。』 財団は、起業家たちが彼らの仕事用の部屋(仕事場)、コンピューター、マー ケティングと会計の手助け、水、電気を自由に使えるようにする他の活動を 提供することを検討している。(ナイジェリアでは、自分の部屋を持ちたい起業 家たちは、初めに2年分の家賃を支払わなければならないし、その大半は、電 気を供給するために自分たちで発電機を買わなければならない!)『融資のシ ステムはなく、多くの手段を持っていなければ、ほとんどの起業家たちは、自 分たちで事業を成功させることはできません。』 『非営利組織の事業が、民間セクターの支援を活用することを可能にします。 そのことをアメリカ合衆国での勉強、団体の仕事で学びました。信頼性を示す ことができれば、人々は大きな目的を支持することができます。』 ンディディ オコンコウとFATE財団が信頼性をもっていることは明らかです。 というのも、この若い女性は(6人の他のアフリカ人男性たちと共に)、ダボ スのシンポジウムの時に例年確定される最も前途有望な明日のリーダー100人 のリストに名前があるのですから。たった29歳での素晴らしい認知。見習うべき 人であることは間違いありません。 >TOP アフリカ初の女性大統領が誕生したリベリアから、内戦時から実質処罰されてこなかったレイプ犯罪に大きな対処改善が期待できる新法施行のニュースです。 原文:http://news.bbc.co.uk/go/pr/fr/-/2/hi/africa/4632874.stm ---- Liberia leader breaks rape taboo −リベリアの新大統領、レイプのタブーを打破 −BBC(2006年1月20日、モンロビア) エレン ジョンソン-サーリーフ氏が圧倒的な女性票の支持を受け、リベリアの大統領の座につきました。 女性の支持者達は、女性のリーダーが、14年間にも及ぶ内戦の間、彼女らにし向けられた悪罪を正すことを期待しています。 彼女の初心表明演説の一つに、就任の翌日に施行されることになった新たな立法措置を用いて、「レイプの苦痛に対する処置を行う」というものでした。 レイプという言葉は、礼儀をわきまえた社会においては頻繁に耳にする言葉ではなく、ましてや大統領が就任演説で口にするような言葉では決してありません。 しかし彼女は、月曜日(1月16日)の就任宣言の後、立ち上がり、観衆に衝撃を与える内容の発言を行いました。 「私は(レイプとの)闘いを知っています。なぜなら、私もその中にいたからです。」 「監禁の非人道性とレイプ未遂の恐怖について思い出しています。」 〈恐怖の中で生きること〉 戦争中も含めリベリアに30年近く在住している、修道女であり助産師でもあるシスター、バーバラ・ブリリアント氏もまた、その観衆の中にいました。そして、タブーが破られるのを聞きました。 「私は神に感謝しました。ついにその時が来たことがわかったのです。ここ(修道院)でさえ、そのようなことがありました。兵士達がフェンスを乗り越えてきました。」「私たちが最初にしたことは、電気を消すこと。床にはいつくばって、息をすることも怖かった。私たち全員が考えたことは、'レイプされたくない。'ということでした。私たちの歳でさえこうなのです!」 リベリアの内戦は、非常に残忍なものでした。多くのレイプが極度な肉体的暴力を伴いました。 シスター バーバラと共に女性に対する暴力の問題に取り組んでいるのがグレース・ボイゥ氏が率いるグループです。 「50歳、40歳の男性が13歳、10歳の少女をレイプしようとするとき、彼らは暴力的にならなければならないのです。」とボイゥ氏は言います。彼女はこう付け加えました。 「2人か3人の男でレイプを行う場合、彼らは暴力的にならざるをえなくなっていく、そして兵士をともなっていれば若い少女たちのグループをレイプすることができた。」 彼女たちは、ほとんどの場合、深刻な痛手を負います。彼女たちは子どもも産むことのできない身体になります。ある子は病院におり、レイプの影響で未だに歩くことすらできません。」 〈家族の絆の破壊〉 このような事実が公の問題とされるようになったのは、戦争が終わったにも関わらず、レイプによる被害が終わってないからです。 グレース・ボイゥ氏のようなリベリア人たちは、戦争がリベリア社会に半永久的に続くダメージを与えたという事実に向き合うことを強いられているのです。 「男性は、兵士達の前で、自分の娘と交わることを強いられました。」とボイゥ氏は言います。「兵士達は兄と妹、息子と母親がその夫の前でセックスをするように強制しました。そして家族の絆は壊れてしまったのです。」 リベリアラジオ局を通した公共情報キャンペーンは「レイプは不正な行為であり、法的に措置される問題である。」ということを女性たちに向け再保証しています。 しかし、リベリアでは、法律でレイプ事件を扱うことができるかどうかについて非常に疑問視されています。ごく最近まで、レイプは保釈可能な罪でした。このことは、容疑者が逮捕されようとも、翌日には刑務所を出て、家に戻り、彼に不利な証言をする人間誰でもを脅迫できることを意味しています。 〈終身刑〉 リベリア女性弁護士会会長のルイス・ブルータス氏は「以前は、ほとんど起訴する事が不可能だった。」「古い法律では、起訴、刑事訴追は非常に困難だった。」と述べています。 「私たちは、1999年にたった一度だけ、起訴することができました。それは女性裁判官による裁判だったからなのです。」 しかし、キャンペーンは成果を上げました。12月には、新しく厳しいレイプ法案が可決され、ジョンソン−サーリーフ大頭領の就任翌日に、施行されることになったのです。 この法律では、レイプの定義が広がり、ペニスだけではなく、いかなる外的物体の挿入をも含まれることになりました。また、被害者が18歳以下の場合には、自動的に、その被害者は合意していなかったものとして考えられるようになりました。 また、この法律では、集団レイプは終身刑の罪に当たります。 〈正しい歩みを〉 今、なされるべきことは、被害者達を申し出るように説得することです。 キャンペーン実施者たちには、新大統領の保証がついています。もしも、被害者による告白を促すことが出来たならば、レイプを犯した者は起訴することが出来るのです。 「私の政府では、リベリア女性にプロミネンスを与える(傑出した存在であること)べく努力していきます。」ジョンソン−サーリーフ氏は語りました。 「私たちは恐れることなく、国家の法改正で可決されたレイプに対する法律を施行していきます。」 この言葉は、ルイス・ブルータスやシスター・バーバラやグレース・ボイゥなどのキャンペーンを実施してきた人たちの耳には、美しい調べのように聞こえたはずです。 「実際、私はこれを聞いて踊りだしました。今こそ私たちが何かをする時だと思ったから。」ボイゥ氏は言いました。 「これは、適切なタイミングで、正しい方向へと進む理想的な歩みなのです。」 >TOP リプロダクティブ・ライツ基金を求めるアフリカの声に、いらだつアメリカ Date: Fri, 16 Feb 2007 13:37:33 +0900 アフリカにおける妊産婦・乳幼児死亡率の高さを鑑みて、リプロダクティブ・ライツに関連する基金の設立を求めるアフリカのジェンダー活動家の主張について、ケニア・ナイロビにあるメディア機関、The AfricanWoman and Child Features Service (AWC) からの報告です。 原文:http://www.awcfs.org/modules.php?name=News&file=article&sid=113 ---- 「リプロダクティブ・ライツのための基金を求めるアフリカの声に、いらだつアメリカ」 2005年11月24日 Arthur Okwembaケニア・ナイロビ、The AfricanWoman and Child Features Service (AWC) アフリカの政府、市民社会双方における、ジェンダーに関する政策提言活動家の多くが、「リプロダクティブ・ライツ」に関わる国連ミレニアム開発目標ための基金設立を国連に促すことを目的とした熱のこもった闘いを展開しています。 MDGs基金と呼ばれるこの基金に投じられた資金は、サハラ以南アフリカ諸国における高い妊産婦死亡率や乳幼児死亡率を低下させるために使われ、またそのことを通して、ジェンダーエンパワメントと環境保全目標が早く確実に達成されることをめざすしたものです。 環境の持続可能性確保に向けての基金は、各国がなんらかの投資活動を許可する前に行う、環境への影響調査などの活動の実施を促進する目的で使用されます。 現在、この基金の提案者たちは、HIV/AIDSや貧困問題解決戦略のための基金のような実質的な資金提供が、これらの課題については行われていないことは問題であるとしています。 また、MDGsが設定されてから5年たった今も、これらの目標に関しては、非常に深刻な結果が示されています。 「(これらの結果をみると)優先順位が正しく設定されていないかのように見えます。たしかに他の基金は重要ですが、生命を守ることに関わる問題は更に重要であるはずです。」と(ケニア企画開発省)人口・開発委員会事務長のリチャード・ムガ博士は言います。 また、健康、生存そして女性が潜在能力を開発し活用することが出来る自由を保障しなければ、いかなる国も発展することができない、とも付け加えています。 しかし、アメリカ合衆国、特にブッシュ政権やプロ・ライフ論者(生命絶対主義者)たちは、これらの主張は中絶に関連する問題やコンドームの調達への資金供与を意図する試みだと捉え、乗り気ではないと言われています。 実際、ブッシュ政権は近年、女性のリプロダクティブ・ライツの啓発やコンドームの普及を擁護していると彼らが判断したプロジェクトやプログラムへの資金供与を拒んできました。 この政権は、女性は(いかなる場合も)妊娠を受け入れなければならず、一方、若者やパートナーは、同時に禁欲し、性行為を避けなければならない、という考え方をとっています。 提案されている基金がもし実現したと場合、現在感染症と戦う国々に巨額の資金が提供されている世界エイズ・結核・マラリア対策基金のように運営されます。 先日(2005年9月)終了した国連ワールド・サミットでは、多くのアフリカのジェンダー活動家達がこのような基金創設の必要性を主張し、また国連の対応を求めて、他の参加者に向けてロビー活動を行いました。 活動家達は、北京行動綱領、1994年の世界人口開発会議、女性に対するあらゆる形での差別の撤廃に関する条約が定める、先進的な女性のエンパワメントの規定が、資金不足のために実現できないと主張しています。(註:北京行動綱領は、1995年の北京女性会議で定められました。1994年の世界人口会議はカイロで開催されています。女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女 性差別撤廃条約)は全文を以下で読むことができます。 http://myriel.jp/data/law/sabetsu.html) 「周知のように、国際機関・各国政府共に、女性の問題に割り当てる予算は引き続き、不十分であるかもしくは、全くないと言って良いでしょう。」と国連での会合に出席した市民社会(グループ)のメンバーであるメリー アルオック氏は述べています。 今年(2005年)初めにニューヨークで行われた北京会議+10のレビュー会議の開催期間中、ウガンダの大臣であるミリアム マテンベ氏が、女性に関する次なるキャンペーンは女性のウェルビーイングを向上させることを達成させる社会資源を探すことだろう、と語りました。 「私たちは多くの調査を実施し、女性の生活を改善する方法について戦略を練り、政策を作ってきましたが、しかし今のところ、何も起こっていません。私たちは、今、行動を求めています。」と彼女は言います。 従って、この基金の設立によって資源の不足のギャップが改善され、ジェンダー問題に対するプログラムや目標の達成が促進されることが期待されています。 この基金の設立を求めているアフリカのジェンダー活動家、特に女性達は、サハラ以南アフリカにおける妊産婦死亡率や乳幼児死亡率が高いにも関わらず、非常に限られた資金しか家族計画や安全な母体保護といったプログラムには届かいていないということを懸念しています。 国連ワールド・サミットにおけるスピーチで、マラウイ政府代表は、国連によって創設された民主化基金(Democracy Fund)よりも、妊産婦・乳幼児死亡の課題を取り扱うための基金を先行すべきであったと述べました。 また彼は、この意見は多くのアフリカ諸国で現実に展開されている状況によって裏打ちされているとも言っています。 WHO(世界保健機構関)によると、サハラ以南アフリカ諸国での妊産婦死亡は、約529,000にものぼり、妊産婦死亡率に換算すると、10万人の女性中920人が死亡していることになります。これに対し、先進国では、10万人中たったの20人です。 ケニアでは、(10万人中)400人を超え、一方、ウガンダ、タンザニアでは500人を超えています。 WHOの「熟練した助産師が立ち会った出産2005年推定(Skilled Attendant atBirth 2005 Estimates)」によると、アフリカで出産する女性の46.2%のみ、ケニアでは41%だけが、熟練助産師の介助を受けて出産しています。ウガンダでは、わずか39%なのです。その結果、妊産婦死亡率が高くなっているのです。 同様に同地域の乳幼児死亡率の統計においても同じような悲惨な状況を読みとることが出来ます。 5際未満で亡くなる子どもは、1000人の出産につき、80人以上と推測されており、世界で最も高い地域となっています。ケニアでは、(1000人中)113人になっています。 したがって、ジェンダー活動家は、MDGs基金からの資金は熟練助産師を訓練すること、また(専門医などへ)紹介するシステムや、妊産婦・乳幼児死亡を減らしていくために重要となるその他の医療関連のインフラストラクチャーを改善することに使われなければならないと主張しています。 政治的な地位を目指す女性たちや高等教育を求めている女性たちもこの基金に申請することが可能になります。 さらに、この基金は、子ども達への予防接種や微量栄養素支給の拡大にまで広がっていくべきです。 妊産婦死亡については、安全な母体保護支援としての避妊具への資金供与は、未だ多くのアフリカ諸国では(世界の中でも)最低となっています。 例えばケニアでは、リプロダクティブヘルス部署は、年間20億ケニアシリングを避妊具プログラムの実施のために必要としますが、その半分の資金しか確保できず、その資金の大部分もドナーから支援されているものです。 現在、この基金の創設については、主要なフォーラムでも中心課題になっていますが、基金創設を求める人々は、基金が中絶に関した事例について使われないように規制するための文言を入れる準備があると発言しています。 「もし我々が命を守ることができれば、その後、このことを達成するためにどんなことでもする用意があります。」とウガンダの市民社会代表のクリスティーナ・ルテンバ氏は言います。 しかし同じ人々が、中絶後のケアを求めている女性に向きあう時に、「中絶に関連した事項には基金を使用しない」との断り書きをどのように適用するのかに関する意見はせめぎあっています。 >TOP だいぶ暖かくなってきました。今日(3月8日)は、「世界女性の日」です。 タンザニアに滞在していた頃、県庁でしたが、女性と子ども開発省直轄の部署におりました。この日は、当地の女性たちとパレードをしたり、セレモニーを開催したりと、特別な日でした。 まずは、先月、セネガルの首都で「疾病とリプロダクティブ・ヘルス」をテーマに開かれた第16回医学・薬学・歯学・獣医学保健セミナーに参加した専門家たちが家族計画とリプロダクティブ・ヘルスの働きかけ・サービス拡大の必要性を訴えたというPanafrican News Agency (PANA)からの記事になります。 原文:http://www.afrika.no/Detailed/11400.html ---- アフリカ全体のために経済成長と健全なリプロダクティブ・ヘルスの両立を 2006年2月12日 Paul Ejime セネガル・ダカール、Panafrican News Agency (PANA) リプロダクティブ・ヘルスの専門家たちは、乳幼児死亡率そして妊産婦死亡率を低下させるには効果的な家族計画とリプロダクティブ・ヘルスの実践が改善されることが必要と主張し、2000年に世界の指導者たちが国連ミレニアム開発目標(MDGs)に合意した際、家族計画が目標の一つにあげられなかったことを悔やんできました。 世界の全ての地域の中で、アフリカはリプロダクティブ・ヘルスの指標が最悪を示しいます。最新のWHOのレポートは、これから10年間に、出産に起因する死者が250万人、障害を追う女性が4900万人に上り、その結果、750万人の乳幼児が死亡し450億ドルの経済損失が発生すると警告しています。 農業を始めとするさまざまな生産セクターは一次関数的に増加しているのに対し、アフリカでは人口が指数関数的に増加しています。しかも、アフリカは世界の人口の10%を占めるだけなのに、貧困な人々が集中しています。 「この流れを逆転させるために、アフリカは、先進国が取ってきた開発パラダイム、すなわち人口増加が農業生産や他の主要な開発セクターの生産を超えないようするパラダイムを踏襲していかなくてはなりません」と、ダカールのチーク・アンタ・ディオプ大学で開催された保健セミナーに参加した700人の専門家の一人、イサーカ・ディアヨ博士は語りました。 2月6日〜9日、セネガルの首都で「疾病とリプロダクティブ ・ヘルス」をテーマに開かれた第16回医学・薬学・歯学・獣医学保健セミナーには約700人の専門家が参加しました。 セネガル人の医師であり、20年以上にわたってサハラ砂漠以南アフリカ諸国で公衆衛生の促進に携わってきたディアロ博士は、こう続けます。「アフリカはリプロダクティブ・ヘルスに関してオーナーシップを確保しなくてはなりません。なぜなら、この決定的な分野での失敗は、直接健康に関わる分野だけでなく貧困問題の解決というMDSs達成の努力を無にしてしまうからです。」 「開発への包括的なアプローチにあたっては、人々の福祉に関わる全てのリスク要因を考慮しなくてはならない。その際に家族計画とリプロダクティブ・ヘルス(FP/RH)は欠くことができません」と、最近まで、保健分野でアドボカシーをする6組織のコンソーシアムである、米国に本拠を置くAdvance Africaのプロジェクト責任者だった、この保健専門家は言っています。 彼によれば、世界的な注目とドナーの焦点はHIV/AIDSと高い妊産婦死亡率および乳幼児死亡率に集中していますが、出産から回復する間もなく妊娠したり避妊具の使用率が低いといった貧弱なリプロダクティブ・ヘルスの状況は、アフリカに最悪の災難をもたらしているHIV/AIDS危機と同じくらいに、妊産婦や乳幼児の死亡につながっているというのです。 ディアロ博士は、出産と次の出産の間に少なくとも2年をおくことを勧めるOBSI(最適の出産間隔)を実施することで、「家族の存続、ひいては社会、国家そして世界の存続にとって決定的に重要な、丈夫で健康な母親」が確実になります、と言っています。 彼はまた、不必要な試みの重複やすでに活用できることについてさらに調査を行うなどによる限られた資金の浪費を防ぎ、対費用効果を高めるために、実証されたベスト・プラクティスを採用し応用するべきですと強調しました。 コンドーム使用は、望まない妊娠防止だけでなく性感染症予防にも非常に有効であることが立証されています。しかしアフリカの多くの国々では、意識の低さと多産を促す時代に逆行するような伝統のためにコンドーム使用率は情けなくなるくらい低いのです、とディアロ博士は嘆きました。 その結果、アフリカでは、毎年、望まなかった妊娠、予期せぬ妊娠が1200万件、70万件と推定される妊娠に起因する死の40%が発生しています。70万件のうち約40万件は危険な中絶に伴う合併症によるものです。 WHOの李事務総長は、2004年、コンゴのブラザビルにあるWHOアフリカ地域本部事務所(WHO/AFRO)で開かれた年次アフリカ保健閣僚会合の際、アフリカは出産時の母親死亡数が現在も増加している唯一の地域ですと語りました。「アフリカ地域では、出産や妊娠による女性の死亡が現在16件に1件と推定されています。北米ではこの数字が3500件に1件、アジアでは100件に1件なのです」とWHOのトップは強調しました。 地域の46の加盟国に呼びかけた保健閣僚宣言が家族計画を盛り込んだことに歩を合わせ、 Advance Africa、POLICYそして CATALYST といった保健分野のアドボカシーグループは、米国国際開発庁(USAID)のような援助機関からの資金援助を受けて、家族計画およびリプロダクディブ・ヘルスを開発アジェンダにあげるプログラムを前進させています。 現在、Advance Africaの後を受けて、USAIDから資金を得た、1億3500万ドルの5年計画である拡大サービス提供プロジェクト(the Extending Service Delivery (ESD) Project)が開始されており、タルー・ハーブ・ファラマンドさんがプロジェクト責任者、ディアロ博士が技術責任者となっています。 ディアロ博士のNGOであるManagement Health Sciences for Healthを運営パートナーの一つとするESDプロジェクトは、特にこれまで対象とされていなかった人々のコミュニティ・レベルでの家族計画のアンメット・ニーズ(満たされていないニーズ)に対応し、家族計画およびリプロダクティブ・ヘルスに関するサービス利用を拡大し、保健および社会経済的な発展を実現することを目指していま す。 OBSI(最適の出産間隔)推進プログラム以外にも、ESDは、避難民のためのプログラム、コミュニティによる出産後の女性支援サービスや産後サービスなどを実施しています。またこれまでAdvance Africa およびCATALYSTがさまざまな戦略を行使して取り組んできたRH/FPサービスの対象グループの拡大という目的達成のために、家族計画を保健だけでなく他分野のプログラムとも組み合わせていこうとしています。 世界中で12億人の若者たちが成人期を迎えようとしている中で、ESDは、妊娠に伴う疾病や危険な中絶、教育の中断、就労機会のなさ、HIVや性感染症といった社会的リスク要因に若者たちが対処できるように、若者に焦点を当てたリプロダクティブ・ヘルスと家族計画に関するサービスを促進しています。 リプロダクティブ・ヘルスおよび家族計画に対するドナーや政府の支出が減少している中で、この新しいプロジェクトは、企業の社会的責任(CSR)に基づいて民間セクターや商業セクターが職場での保健プログラムを実施したり、家族計画用品を提供したり、健康促進イベントを実施したり、あるいは資金を提供したりすることで、家族計画およびリプロダクティブ・ヘルスに対する需要の拡大への国による対応をいかに助けることができるかを試みています。 疑いようもなく、ESDや同様のプログラムが、アフリカ、ラテン・アメリカそして貧しいアジアの国々を望ましいリプロダクティブ・ヘルス実践への道筋に引き上げようとしています。しかし、他の地域ではこのアドボカシーによって前進が見られているに、アフリカでは、30年以上前に家族計画が導入されたにもかかわらず後退しているのです。 けれども、ディアロ博士が語っていることは、ごくあたりまえのことなのです。アフリカ諸国の政府、国際協力機関、民間セクター、NGOそしてコミュニティ、それら全てが、家族計画とリプロダクティブ・ヘルスの働きかけとサービス拡大を続けていくべきなのです。 彼は、ステークホルダーの自己満足や援助減少は壊滅的な影響を及ぼすと警告しました。そして、アフリカにおいて家族計画とリプロダクティブ・ヘルスによってよりよい成果をあげていくためには、無関心や有害な伝統的行為といった障壁を無くしていくための積極的な一般大衆への意識向上キャンペーンにメディアが参加するべきだと付け加えました。 >TOP Body blows−障害女性が直面するいくつもの苦難− by Gladys Charowa (2児のシングル・マザー。2001年12月、自動車事故で脊髄損傷障害者になる。障害女性支援組織 Disabled Women Support Organisation:DWSOを設立) 「私が尊敬していた人々が、私を傷つけました。障害児学校の生徒として、私は常にあの人たちを尊敬し家族のように感じてきました。私はあの人たちに抱えている問題も困惑も全て話してきました。まさか7歳で、30歳の男の人に妻のように扱われるなんて思ってもみませんでした。その男の人は、私が拒んでいるにもかかわらずことに及んだのです。私は傷つき、生きているのが怖くなりました。その人は、私が身を守ることができないことを利用したのです。寮母が男の人を導き込み、私をレイプさせたのですから、私は誰を信頼した良いのか判らなくなり、起きたことを誰にも言えませんでした。でも落ち込んで混乱してしまっていたのは、私一人ではなかったのです。同じ教師によって傷つけられた生徒が10人もいたのです。」 「ようやく、私たちは、何が起きたのかを訴え、事件は法廷に持ち込まれました。しかし、更に不幸が不足しているかのように、法廷で証言を終えて学校へ戻った直後に、別の教師が私たちのうち4人をレイプすると言う事件も起きたのです。子どもたちを守る手だてが全く取られていないように感じられます。法廷で、私たちはレイプ事件を起こした教師と向かい合って証言をしました。」 現在8歳でポリオの後遺症のため、車いすを使っているボンガイは、事件によって悪名高くなったマチェケにある小学校の生徒です。彼女たちが証言した法廷は、判事たちを含め全てが男性によって占められています。レイプ事件に関わったうちの何人か、とりわけレイプを行った教師を導き入れ、しかもレイプが行なわれている間、入り口で見張りを務めたと告発されている寮母が何のとがめも受けずに勤務を続けています。また、子どもたちの耳には、州の高官たちが趣くままに女性たちをレイプしておきながら逮捕されずにいるといった話も入ってきます。 悲しいことに、ボンガイに起きたことは、私たちが普通に考えようとするほど、例外的ではないのです。ジンバブエの社会では、障害は呪いの結果と思われています。そして、障害を持つ女性、特に少女はことのほかつらい思いを強いられています。人々は、障害を悪行の結果だと信じています。とあるコミュニティでは、売春のむくいと信じられており、別のコミュニティでは天罰、また別のコミュニティでは魔術と信じられているのです。障害者たちは、役立たず、お荷物、邪魔者と見られているのです。障害者というだけで、自動的に放置され、社会的な役割から排除されています。 障害を持つ女性たちだけが受けなければならない虐待があります。ジンバブエ社会は、成功の誉れは全て男性に、失敗への責めは全て女性に、という社会です。障害児を産んだ母親は責められ、子どもの面倒を一人で見ることを強いられます。中途障害者となった女性は離縁され、夫は健康な女性を新たな妻に迎えます。ところが、逆の場合には、家族から離れることができず、障害者となった夫の世話することを強いられます。 女性のための活動をしているような女性たちでさえ、女性障害者を差別します。私が、とある影響力のある社会的にも尊敬されている女性組織の女性の事務局長に面会を求めて電話をかけたところ、彼女は、「障害者とは連携しません。あなたと会っているところを見られたら、何と言われるか判りません。あなた達はおとなしく家にいて、社会福祉省が食料を提供してくれるのを待っていればいいのよ」と言ったのです。 障害者が絶望的な貧困のために日に一度の満足な食事さえ口にすることのできない国では、彼女の「忠告」は全く非現実的です。南部アフリカ諸国では、この5年間、度重なる干ばつによって状況がさらに悪化しています。ジンバブエでは、ほとんどの障害者は車いすや補聴器、杖、クラッチといった福祉機器を入手することができません。一部の障害者は、一輪車や牛が挽くスコッチ・カートあるいはショナ語で「移動性」を意味する「ムチャンジャ」と呼ばれる木製の手作りの移動具を使用しています。私は2001年に障害者になりリハビリテーションを受けました。その時、18人が一緒だったのですが、今も生きているのは私一人です。みんな床ずれのために死んでしまいました。 車いすを手に入れることができず、クッションもない一輪車に乗っていると、床ずれを避けることができないのです。 〈悪循環〉 政府の価格統制などの努力にもかかわらず、インフレーションは留まるところを知りません。こうした状況は、障害者そして女性に深刻な影響を及ぼさずにはいません。男性が都市で働いていたり、エイズの影響で亡くなってしまっていたりするため、ジンバブエの農村には女性家長世帯がたくさんあります。母親が一人で家族を養うために努力しなくてはならないのです。母親たちは先を争って食べ物を手に入れようとするのですが、商店にも食べ物がないのです。 都市では、家がないために多くの人が風雨にさらされて暮らしています。最近実施された「クリーンナップ作戦」で多くの都市の掘ったて小屋が破壊された為、家を持たない人々が増えています。100万人以上の人がホームレスであると推定されています。そしてその20%が障害者なのです。最貧困者である障害者たちは、運がよくても掘っ建て小屋を望むことができるだけなのです。 ヴェロニカは高齢の寡婦で、慢性病に悩まされています。彼女には3人の若い孫がおり、亡くなった娘が残した孫は障害を持っています。私が彼女に会ったのは、彼女の住まいが破壊された後でした。彼女は首にロザリオをかけ、ムガベ大統領の写真のTシャツに聖心が描かれたエプロンを着けていました。一切合切を失った彼女は、ムガベ大統領に対する怒りをあらわにしました。 「私の家は無くなってしまった。一体、どこへ行ってこの障害を持った子どもの面倒を見ろというのよ?大統領を父親みたいに敬ってきたのに、こんなことになってしまった」。 ローマ・カトリック教会が一部の障害者そしてHIV陽性者たちを支援しています。 首都ハラレにいるドミニコ会のある修道女が、こう言っています。「この世の小さき人々がなぜこのように酷い目に遭わなくてはならないのでしょうか?この人々の唯一の罪は、貧しく障害を持っており、助けてくれる人がいなく、たまたま住むべきではないところに住んでいた、そして石油も出ない、先進国にとって取るに足りない国に暮らしているということなのです。」ある人は赤十字に電話をかけて支援を願ったそうですが、返ってきた言葉は「戦争が起きているわけではないので、赤十字は何もできません」という答えだったそうです。 アフリカの多くの住居は車いす利用者向けにはできていません。私たちの調査によると、部屋の中で車いすを使うことのできない障害者たちは、ベッドの上でトイレをすませ、洗面を行なっています。 ジンバブエの伝統や慣習の中には、子どもたち、とりわけ少女たちを虐待にさらすものがあります。飢える家族を救うために少女が食料と引き換えにされるクズバリラのような習慣があります。引き換えにされた少女たちは絶え間ない苦しみを強いられるのです。少女たちは幼くして結婚を強いられ将来に備えて学ぶチャンスも奪われます。結婚相手はたいていの場合大きく歳が離れており、複数の妻の一人とされるのが普通です。こうした結婚は、少女たちをこの世の地獄に突き落としているのです。 セックス・ワークは、収支を合わせることに失敗した多くの人々が選ばざるを得ないもう一つの選択肢です。尊厳は飢えにとってかわることはできませんし、将来を考える前に飢えないための選択をせざるを得ないのです。強いられての結婚やセックス・ワークは、障害者女性を含め女性たち、少女たちが性感染症に罹患する危険性を高めます。その結果、ジンバブエはアフリカ大陸において最もHIV感染率の高い国々の一つになったのです。 こうした苦境に陥っていない人々もまた、さまざまな困難に見舞われています。家のお金が無くなってしまったために学校を辞めざるを得ない人たちもいます。ジンバブエでは、子どもがいたるところで働いています。食料不足と最近の住居を失う危険が伴い、ますます多くの子どもたちが働かざるを得なくなっています。しかも、この危機は政府によって作り出されたものなのです。 移動が困難な人々、盲人たちは、物乞いをしていた通りから引き離されたために、死ぬことを強いられています。 〈障害者排除〉 多くの女性が、障害者女性を差別していることを伝えなくてならないのことは大変苦痛を伴うことです。しばしば、おばたちや義理の母親たちが先頭に立って、障害者女性や障害児を産んだ女性を責めます。そして、彼女たちは、兄弟や息子たちに離婚を勧めます。 48歳のタテンダの話は、こうです。「私はブヘラの生まれで、ムォンドロの人と結婚しました。3番目の子どもが6歳の時に具合を悪くしました。私が彼を連れてハラレ病院へ行ったところ、髄膜炎と診断されました。いろんな障害が出てきたので、この子は毎週、理学療法を受けに通わなくてはならなくなりました。 ムォンドロから通うのはたいへんなので、私はハラレへ移りました。子どもの障害を受け入れられず、また親戚から圧力を受けた夫とは別れました。私は小屋に住んで野菜を売って生計を立てていました。でも小屋が壊されてしまったので、野宿せざるを得ません。収入を得る手だてもありません。子どもが治療を受けており私も理学療法に立ち会わなくてはならないので、都市から離れたところに住むことはできません。暮らすことのできる場所が欲しいし、もう一度野菜売りができるようになりたいです。」 障害者女性は、世話をしてやると言う男性たち、多くは妻が障害者であることを利用して婚外性交をしている夫によってHIV感染の危険にさらされることが多い。障害者女性がHIV陽性者になると、男たちは彼女を実家や親戚の家へ送り返して死ぬまで面倒を見てもらうのです。夫は、妻のHIV感染に責任があることを認めようともしないのです。マリーのケースは典型です。彼女はこう語っています。「私は脊椎カリエスで車いすを使用しています。現在、私は排便排尿をコントロールすることができません。私には12歳を筆頭に3人の子どもがいます。2000年、夫が亡くなりました。夫の死後、急に私も具合が悪くなり、HIV抗体検査を受けたところ、HIV陽性と判定されました。夫の親戚たちは、私のせいで夫が死んだと責め、子どもも私も嫁ぎ先から追い出したのです。私は、兄弟と兄弟の妻が暮らす実家に戻りましたが、彼らは障害者でHIV陽性者である私を受け入れてくれなかったのです。 障害者女性とセックスすればHIVから救われるとの俗説のために、多くのレイプ事件が起きています。2004年だけでも障害女性支援組織のメンバー9人が、性的暴行を受けた後のHIV感染によって亡くなりました。中でも打ちのめされるのは、HIVに感染した自分の兄弟が自分の娘をレイプするのを手伝った母親のケースです。暴行を受けた少女は1年半後に亡くなりました。ガール・チャイルド・ネットワークの報告によると、2歳の幼児までが、このHIV治療を信じる家族や親戚によって性的暴行を受けているそうです。 障害者はジンバブエ社会で最も教育の機会を奪われてた人々の一員です。障害者たちは、虐待を受けたことを告発できないような差別にさらされています。また、虐待告発が家計収入の担い手の投獄につながるのであれば、その他の家族はそろって告発を否定します。 障害者には、自発的カウンセリングとHIV検査センターのドアも閉じられています。カウンセリング・スタッフが障害者に対して取る態度も、センターそのものへのアクセスも問題なのです。点字、手話では、HIV/AIDSに関する情報を得ることもできません。 私たちは人間として認められることを目指して闘っています。私たちの目標は、現在の不安定な状態から脱し、また私たちの権利が守られることです。大きな目標を達成するためには、行動するだけではなく夢見ることが必要であること、計画だけでなく信念が必要であることを感じています。 >TOP 母子保健のプロジェクトで、その地域の「知恵袋」であり「情報伝達者」でもある年輩の女性、おばあちゃんたちの参加がその成功の鍵となり得るという世銀のIndigenous Knowledge Notes の文献です。 参考文献、筆者プロフィールについては、原文をご参照ください。 原文:http://siteresources.worldbank.org/EXTINDKNOWLEDGE/Resources/iknt89.pdf ---- おばあちゃんが母子保健を改善する−地域の人々の知恵の管理者としての役割 2006年2月 ジュディー・オーベル(Judi Aubel) IK Notes, World Bank No.89 Feb 06 すべての社会で実質的に、女性と子どもの成長発育、世話、ウェルビーイングに関する地域の人々の知恵を管理しているのは生来年輩の女性たち、すなわちおばあちゃんたちです。 このシステムにおいておばあちゃんは、知恵に基づき、若い世代に助言を与え監督することを期待されています。 しかしながら、多くの開発プログラムは、家族やコミュニティが彼女たちの知恵を得て生き残り戦略を強化しようとしていることを認めていないか、彼女たちをはっきりと参加させようとしていません。 地域の人々の知恵に関する多くの議論は、狭いものになりがちで大別すると次の二つに分かれます 1つは、地域の人々の知恵が特定の知識や実践、または「伝統的な知恵のかたまり」として取り上げられ、それらの知識が一部をなしている、コミュニティにおける知識の権威や体系から切り離されて 捉えられる場合です。 もう一つは、地域の人々の知恵に関する多くの議論は、伝統的な知識と実践の有害な側面をまるっきり無視しながら、有益な側面のみが取り上げられる場合です。 開発プログラムにおいては、地域の人々の知恵のコンセプトを広げてゆく必要があります。 まず、地域の人々の知恵を管理する人たちと、彼らがそれらの知識を他人に伝える際のメカニズムを、コミュニティと家庭のシステムの文脈の中で地域の人々の知恵を捉えるという視点が必要です。 次に地域の人々の知恵の体系(例えば保健、栄養や通過儀礼)のシステムの文脈に従って、地域住民にとって有益なプログラムと有害なプログラムを考えることが必要です。 <非西洋社会において誰が地域の人々の知恵の管理者なのか?> 多くの開発プログラムが、新しい情報や文化に新しく変化を持ち込む場合、最善の方法は、その社会の若いメンバーに焦点を当てることだと思い込んでいます。 いくつかのプログラムでは若者が年輩者に教えると手法をとっています。 この方向性は、地域の人々の知恵の伝達を含むコミュニティシステムの組織とコミュニケーションのにおいて年輩の者が権威的な役割を果たす、非西洋社会の文化価値としばしば対立する西洋的視点を明確に反映したものです。 スウェーデンのコミュニケーションと開発の専門家であるアンドレアス・ファグレサン(Andreas Fuglesang)は、伝統的な文化において、年輩者が情報管理について中心的な役割を果たしていることについて論じています。彼は年輩者の機能について、社会の「情報の保管と処理のユニット」において、まるでコンピュータにおけるハードドライブのようであると例えています。彼は、年輩者の重要な役目は彼らの祖先の知識や価値観を、将来の人生に向けて備えているより若い世代のニーズに照らして継続性を保証することにあると述べています。 セネガルでは、ディウフが農村部における伝統的な習得システムを研究し、コミュニティメンバーは年輩者を「情報を提供する人」と見ており、これは土着の価値観や実践を永続させる責任に関連した役割であることが分かりました。また文化人類学者のマーガレット・ミードは、社会の中で年かさの男性達が若い世代に「物事がどのように行なわれるべきか」の知識を引き継いでいく役割について述べています。 これらの考察はすべて、地域の人々の知恵が、伝統的にそれを保持し伝達する役割りを担ってきた年輩者から切り離されるべきではないと提言しています。しかしながら、アフリカ、アジア、ラテンアメリカ、そして太平洋州における開発プログラムのほとんどが、伝統的、そして近代的知識システムにおける年輩者の役割について重大なこととし検討課題にはしていません。 "アフリカでは、年取った人が死ぬということは図書館が一つ焼け落ちるのと同じだ"ハンパテ・バー(マリの哲学者) <年輩者の役割におけるジェンダーの差異> 地域の人々の知恵の体系の管理において、ジェンダーはもう一つの重要な側面です。 ほとんどの社会で、多くの役割がジェンダーによって規定されており、そのために年輩の男性と女性が持つ専門知識・技術は異なります。幼い子どもの成長や発育、および出産年齢の女性の健康に関する専門知識や技術に関して言えば、明らかにより多くの経験と知識を持つのは年輩の女性すなわちおばあちゃんたちです。 <おばあちゃんの多面的な役割> 非西洋社会におけるおばあちゃんの役割について最近出された文学研究は、実質すべての文化やコミュニティにおいて、おばあちゃんは、母子の成長・発育の全ての面についての相当な量の知識と経験を持っていること、また、子どもとその母親および家族の健康を促進するという強いコミットメントを持っていることを明らかにしました。子どもが育つうえで社会性や文化を育んだり世話をすること に関して、また自分の娘や義理の娘に対する教育や助言において、おばあちゃんが影響力を持つ役割を果たすことが、世界中の社会で認められています。多くの文化において有害な慣習がおばあちゃんによって助長されている一方で、おばあちゃんが多岐にわたる役割を果たし影響を与えていること、また女性と子どもの健康を促進したいという内発的なコミットメントを考えると、開発プログラムにおける中心的な役目を持つと見なされるべきであることが、この調査によって結論づけられています。 "地面に座っていながらおばあさんたちが見ているものは、若い人たちが木のてっぺんに登っても見ることができない"(セネガルの諺) コミュニティプログラムにおばあさんを巻き込むことの理論的な根拠は、ユニセフ、世界銀行、そして世界保健機関(WHO)の女性と子どもの健康とウェルビーイングに関する方針においても支持されています。 これらの国際機関の政策ガイドラインでは、プログラムは地元の文化的な実状に合わせて実施され、既存のコミュニティの資源を強化し、持続可能な発展のための社会関係資本を作り出すべきであると述べられています。これらの指針はさらに、知識の豊富な年輩女性をコミュニティプログラムにおけるリソースパーソンとして取り込んでゆくことを勧めています。 なぜ幼い子どもとその母親の教育、保健、成長に取り組むコミュニティプログラムは、これまでおばあちゃんたちを体系的に巻き込んでこなかったのでしょう? 大きくわけて次の2つの点が、開発プログラムにおいておばあちゃんたちが疎外されている要因として考えられます。 一つは、多くの開発計画立案者や実務者が述べている、おばあちゃんに対するいくつかの偏見があります。おばあちゃんは他の家族の知識や実践に決定的な影響を与えていない、影響力を持っているとすればそれは往々にして悪い方の影響である、また多くのおばあちゃんが非識字者であることから新しいことを習得するのは無理である、そして高齢であることと伝統への執着から、おばあちゃんたちは変化に抵抗するに違いない、というものです。 これらの様々な否定的でステレオタイプなものの見方の結果、おばあちゃんの経験と可能性は女性と子どもを支援するコミュニティプログラムにおいて真剣に考慮されてこなかったのです。 一方、女性と子どもを支援する開発のコミュニティプログラムで採用されているモデルや枠組みは典型的に若い、出産年齢の女性に焦点を当てており、家庭内での他の家族による意思決定や影響力といった状況からは比較的切り離されていると言えます。世界中で広く採用されている、個人の行動変容への志向は、出産年齢の女性に注目する傾向にあり、彼女たちがその一部をなしており、年輩の家族 メンバーが影響力のある役割を果たしている社会文化的なシステムを大きく無視しているのです。 <知識を管理する者としてのおばあちゃんの役割を強化する手法> 初めに南アジア、後に西アフリカにおけるコミュニティプログラムにおいて、母子保健に関する最適な実践を促進するための役割と知識を強化する目的でおばあちゃんたちのネットワークとともに活動する手法が、「グランドマザー・プロジェクト(米国の非営利NGO)」によって、開発されました。このアプローチには、土着の知識に関する取り組みの多くとは一線を画す2つの特徴がありました。まず、主要な焦点は地域の人々の知恵や実践ではなく、むしろ母子の発展に関する地域の人々の知恵についてコミュニティで認識されている権威、つまりおばあちゃんに対して当てられました。これらはおばあちゃんの持つ伝統的な役割と知識の両方に基づいたアプローチだったのです。 次に、このアプローチでは地域の人々の有益な知恵だけでなく、有害な知識も扱い、おばあちゃんたちに、有益な知識を伝統的、近代的な両方の情報源から組み合わせることを促しました。 1996年にラオスにおいて、ユニセフと世界保健機関(WHO)と合同での最初の試みとして、おばあちゃんたちのグループと協力して参加型のインフォーマルな保健教育活動が実施されました。 その目的は、鍵となる近代的実践についての理解を高めながら、おばあちゃんたちの伝統的な知識を土台としてさらに強化することにありました。ラオスでの勇気付けられるような結果を基に、このアプローチは続いて、セネガルでクリスチャン・チルドレンズ・ファンド(Christian Children's Fund;CCF)と、マリでヘレンケラー・インターナショナル(Helen KellerInternational;HKI)とともに行なった母子保健と栄養プロジェクトにおいてさらに開発されたのです。その後、この手法はセネガルでのユニセフとワールドビジョンによる幼児育成と栄養プロジェクトにおいても採用されました。 これら4つのプロジェクトにおいて、似たようなインフォーマル教育とコミュニティ・エンパワメントのアプローチが使われました。手法が使われたそれぞれの状況において、おばあちゃんを巻き込むというアイデアはコミュニティから強い支持を得ました。ほとんどのおばあちゃんたちは積極的に参加し、新しい知識を習得して、新しい知識を伝統的な知識と組み合わせることに同意しました。それ ぞれのセッティングでの評価データは、おばあちゃんの「近代的な」実践の知識が増えたことと、他の家族に対する助言の改善を示しました。 この実験、評価そして習得というプロセスの成果は、一般的なおばあちゃんを巻き込む方法論になりました。この方法論の5つの主な段階は:(1)関心のある問題についての、おばあちゃんの家庭およびコミュニティにおける役割と影響力の短期調査、(2)家族と地域の健康と発展を促進するおばあちゃんの役割についての人々の認識、(3)第一におばあちゃんたちのネットワークを、次にその 他のコミュニティメンバーを、伝統・近代的の両方についての話し合いに巻き込むような参加型コミュニケーション・教育活動、(4)おばあちゃんのリーダーたちやネットワークの能力強化をして、他のおばあちゃんたちと共同で、また家族内や広く地域全体において、よりよい実践を促すこと、そして(5)習得のためのモニタリングと記録の継続、になります。 <おばあちゃんを巻き込んだアプローチの重要な結果> アジアとアフリカの4つすべての地域において、先述したようなおばあちゃんに対するいくつかの偏見が次々に反証されました。最初に、すべての地域における短期調査で、女性と子どもの健康やそれに関連する他の家族の態度と実践といった物事に関しておばあちゃんが相当な影響力を持っていることが明らかになりました。 次に、彼女たちの実践のうちいくつかは有害でしたが、全般として、女性と子どもの世話に対する彼女たちの経験、動機、そしてコミットメントは非常に建設的なものでした。 3点目に、教育的アプローチが尊敬と対話に基づいたものであれば読み書きができない者も含めて大体のおばあちゃんたちは新しいことを学ぶことが可能でした。 4点目に、たとえそれが特定の伝統を捨てることを意味したとしても、彼女たちは新しい実践を「古い」ものと組み合わせることに対して非常に寛大でした。 4つの地域おける評価のすべてにおいて、おばあちゃんたち自身の実践と、若い女性と男性それぞれ に対する助言の両方において望ましい変化があったことが明らかになりました。これら4つのうち3つの地域における、数量化できる望ましい変化の例を以下に挙げます。 ラオスでは、1年間の介入の間に、おばあちゃんたちの家庭内での下痢への対処方法が大幅に改善されました。実施前の調査では、子どもが下痢をした時に「たくさんの水分」を与えていたおばあちゃんは30%だけだったのに対して、事後調査では74%のおばあちゃんが同様の有効な助言を与えるようになっていました。 同じように、幼い子どもを持つ母親に対して下痢中も授乳するよう助言をしたおばあさんの割合は、事前調査の73%から事後調査の90%にまで増えました。 CCFのセネガルでの栄養教育プロジェクトでは、おばあちゃんから若い女性への助言と、自身の幼い子どもへの実践について、全ての指標において改善が見られました。評価データは、おばあちゃんに焦点を当てた活動が開始される前は57%のおばあちゃんだけが、初乳を乳児に与えるよう若い母親に助言していましたが、介入の終わりにはほとんど全員(97%)のおばあちゃんが娘や義理の娘たちに、この助言をするようになっていました。同様に、開始時にはおばあちゃんの59%のみが、若い母親に対して、栄養価が高められたオートミールがゆを子どもの最初の離乳食として与えるよう助言していたのに対し、最終評価では97%のおばあちゃんが栄養価を高めたオートミールがゆを作って与えていたことが明らかになりました。さらに最終評価で明らかになったこととして、おばあちゃんたちも加わって栄養教育活動が行なわれた地域の方が、若い女性たちだけがそれらの活動に参加した地域に比べて、若い女性たちの実践の変化が大きかったということがあり、おばあちゃんの助言が若い女性たちの実践に影響を与えるという事実をさらに裏付ける証拠となりました。 HKIによってマリで実施された新生児健康プロジェクトでは、おばあちゃんの若い女性に対する母子保健についての助言に関して16の指標の全てにおいて改善が見られました。 例えば事前と事後調査の間に、妊婦に対して産前検診を受けるよう助言をしたおばあちゃんの割合は34%から61%にまで増え、若い母親に初乳を新生児に与えるよう助言した割合は46%から63%に増えました。 プロセスの記録化と評価を通じて、別々のコミュニティグループにおいて、おばあちゃんを巻き込んだ手法から生じた多くの望ましい、そして予想外の結果が記録されました。インフォーマル教育とエンパワメントアプローチを使った後に見られた変化の例を挙げます。 おばあちゃんたち:
男性コミュニティリーダー:
家庭レベル:
アジアとアフリカにおけるこれらの実験が示しているのは、地域の人々の知恵の体系の中で鍵となる役割を果たす人物、例えば地域の人々の知恵の管理者たち、が世界標準の知識と伝統的な知識を組み合わせるかどうか、またどのように組み合わせるのかといった決定に関わった場合に、いかに土着システムの中から変化が起こりうるのかということです。多くの西洋的な、単純化主義アプローチが特定の「優先されるべき行動」の変化を刺激しようとするのに対して、ここで言うアプローチは、コミュニティのメンバー自身が、同時に家族内やコミュニティシステム内での相互の役割や関係、そして規範や実践を強めながら、行動に関する戦略的な決定を下せるよう力をつけるというものです。発展途上の社会において、「伝統的な」知識と、「近代的な」知識の理解に基づいて若い世代を導き監督することを期待されている年輩者の、社会文化に依拠した役割の重要性を、これまで開発計画策定者たちはしばしば見落としてきました。その流れの中で、おばあちゃんを巻き込んだ家族とコミュニティの健康促進戦略は、社会に変化をもたらすという試みは「年輩者によってコントロールされている情報処理のための根本的なプログラムを変える必要がある」というファグレサンの主張を支持するものです。いくつかの国でおばあちゃんたちと協力した経験は、地域の人々の知恵の権威としての彼女たちの役割を強化しながら、同時に新しい実践を地元の知識体系に取り込むことをどのように促せるのかを表しています。世界中の他の多くの社会においても同じように、まだ生かされていないおばあちゃんたちの可能性が発見されることが考えられます。 >TOP 原文は、2005年3月の国際女性デー・イベントでのスピーチです。 出典は以下の通りです。 「西アフリカにおいて女性が果たしてきた政治的役割」 Les Femmes dans l'exercice de leurs responsabilite politiques http://www.idrc.ca/fr/ev-71543-201-1-DO_TOPIC.html にあるContributionFatouSow.pdf スピーカーのファトウ・ソウ教授は、2006年度日本アフリカ学会で記念講演をされました。 ---- 西アフリカにおいて女性が果たしてきた政治的役割 『序論』 1975年から2005年の30年間は、アフリカ、特に西アフリカにとって、相次ぐ挑戦の年月でした。1975年メキシコで開催された第一回世界女性会議では、西アフリカの多くの女性たちがおかれた状況や運命が農村地域の貧しい女性たちに関する議論の中心になりましたが、その存在はあまり目立ったものではありませんでした。しかしその20年後、北京会議(第四回世界女性会議)では、彼女たちは一つの大きな勢力となっていたのです。フェミニストのすべての演説において、グローバリゼーションと労働において、全く不平等に分断された状況の中で、途上国の一員であるアフリカ人として、また南の女性たちとしての最重要課題である負の条件に関する的確な分析を踏まえた主張をしました。そのおかげで、とりわけ女性の権利に関する国際的なフェミニストの議論に、成人女性と同じレベルで幼い少女たちの問題が紹介されたのです。 この発表は、30年にもわたるアフリカの女性たちの闘いを総活し、その発展と衰退、成功と失敗を評価し、また支持を得て政策に取り込まれた問題と、反感を招き女性たち自身によって抹消された、すべての問題を明らかにするというものではありません。おそらく2005年3月に行われる、北京会議+10を世界的に評価する際に、熱い議論のテーマになることでしょう。この議論が、20年かけて獲得され、北京で確認された女性の権利をめぐる綱引きの再開ともいえる危機に直面するであろうことはまちがいないでしょう。 この会議で女性たちが望む最大のものは、政治的、経済的に獲得された権利を守ることです。具体的には、性と生殖に関わる権利、政治面における保守的権力の出現とアメリカ共和党政権の「ギャグルール」(緘口令)によって危機にさらされている身体的不平等に関わる権利を守ることです。また世界の女性、特に第三世界の女性に対するネオリベラリズムなマクロ経済的政治の影響を議論することでもあります。 ここで議論の対象としている女性の政治的責任とは、とりわけ社会的文化的環境の中で女性たちが維持してきた関係の変革に関わるものです。各個人の政治参加がその人の具体的な目標や関心事に応じて状況を変えることであるならば、この30年間の議論や教訓は、女性たちだけが女性の市民権と平等権とを前進させることができるということを記憶に残したことでしょう。 これが、西アフリカにおいて女性が果たしてきた政治的責任について考察を進めるために、私が選んだ序論です。この序論は、北京会議から10年後、世界の女性の状況分析に関するUNRISDの共同作業の中で、この地域の女性の政治的動員に関して私が行った作業です。 今日の対話で、私はまず、この政治的動員の状況を位置づけ、女性たちが奮闘した場所を明確にしたいと思っています。それから、彼女たちが勝ち取った政治的地位の中での問題点、そしてもちろん直面した困難や得た成功について話し合っていきましょう。 1.背景:アフリカ政治の演劇化 『倫理的、政治的女性』(Femme, ethique et politique)についての優れた考察の中で、ダカールのCheikh Anta Diop大学哲学科の私の同僚で、アフリカの政治を分析しているアミナタ・ディアウさんが、政治権力の『劇場化』について言及しています。女性たちは、『観客』であり『案内嬢』ではありますが、毎日放送されるテレビ番組の女優あるいは監督になることはほとんどありません。 政治の中で女性は目立たず曖昧な役を担っていますが、これを政治的指導者とその周りの人々が陰で操っているという権力の劇場化について、我々は議論を進める中で自問し、これを受け入れるか、拒絶するかをすることができるでしょう。 現代の独立に関するアフリカの政治史を見ると、対処が困難で、複雑な世界状況の中で私たちが生きているということは明らかです。そのいくつかの主な理由は次のようなものです。
政治的闘争や武力紛争によって、西アフリカの多くの国が不安定になりました。1980年代から90年代にかけてのシエラレオネとリベリア、今日のコートジボアールがその例です。また、1989年の国境闘争においては、セネガルとモーリタニアが不安定になる可能性があったと言えるでしょう。困難な政治状況の中で、女性たちは形式的ではなく、実質的な市民権獲得のために、さらには後ほど見ていく固有の関心事をその状況に組み込むために奮闘しなければならなかったのです。 2.女性たちの政治動員の余地 今日のこの場は、植民地化以前の女性の地位や独立のための政治闘争、武装闘争においてあげた主たる結果について議論する場ではありません。文書に表されたアフリカの女性史は、そこから変化を進めなければならないのです。 アフリカの女性たちは、フェミニスト思想や「女性の政治参加のための10年(1975年から2005年)」の到来を待ってはいませんでした。彼女たちは必要があれば、新しい指導者や独立の父を支持しました。エリート、中産階級、庶民、都市部、農村部に属するすべての女性たちがともに、政党の後衛を構成しました。英仏植民地当局は、アクラからラゴ、コトヌーからロメまで、強制的な商業規則を課しましたが、この規則を破ったベナン湾の伝説的な商人たちのことを誰が忘れることができましょう。女性たちは、クワメ・ンクルマ、シルバヌス・オピンピオやその他の未来の指導者たちを支持し、資金を提供しました。また、仏領西アフリカのRDA、ガーナの人民会議党(CPP) などのような有力な政党のために闘った女性たちだけでなく、アルジェリア、ギニア・ビサウ、アンゴラ、モザンビークでのゲリラ戦での女性の役割も決して忘れることができません。女性たちは、バマコでEssorという新聞社の社長と編集長を解放するよう求めるデモ(1945年)を、グランド・バッサムで圧政反対デモ(1946年)を、ティエスで政治色の強い労働組合のストライキを支持するデモを組織しました。2005年2月、トーゴの女性たちはこの伝統を踏まえ、イヤデマの息子による権力奪取に対し、賛成、反対の立場に分かれてデモを行いました。またギニアの女性たちは1976年、セク・トゥレに反対し、悪評高い経済政策実施に反対し、自由貿易回復のためにデモを行いました。ギニアの経済政策がこれほど公に動揺したのは初めてのことでした。1991年にはムッサ・トラオレ大統領をその座から引きずりおろすことに対しバマコ女性のデモが一役買い、民主主義復活への先鞭を付けました。また、セネガルのジガンショールで学校のストライキが民衆の暴動と化した際のカザマンスの女性たちを思い起こすこともできます。これに対し、権力に対抗した知識人や専門家たちの数は、政策や同業者の組合に加わるよう占領軍から屈辱的な命令を下されたときでさえ少なかったことでしょう。 植民地時代には、女性たちがかろうじて政治運動の上層部に加わっていましたが、独立後20年間はもはやその地位に女性たちの姿はありませんでした。唯一、セク・トゥレ率いるギニアとンクルマのガーナは、1958年、1960年の独立後すぐに西アフリカで女性の閣僚、大使、議員、公務員を選出した国々でした。ギニアは決して民主主義の模範ではありませんでしたが、私はこれらの役職で昇進したジョアンヌ・マーチン・シゼや他の女性たちを、決して忘れることができません。一方で1957年に独立したガーナでは、数人の女性がCPPの中央委員会や国会で次々と選出されました。地方評議会や、地区の指導者、様々な行政機関、国営企業の幹部のトップにおける女性の数は次第に増えていきました。ナイジェリア、マリ、コートジボアール、セネガルでは、独立後数年で、女性たちを形式上、政治組織に受け入れました。そしてその他のモーリタニアやブルキナファソのような国々では、1975年の世界女性年まで政治的地位に女性が選出されることはありませんでした。1983年のブルキナファソの革命時、トーマス・サンカラの政府が、この地域で初めて予算、経済、財政などの専門的職種の女性閣僚を認めました。 政治の場における女性の任命は進んできましたが、政治権力につながる選挙ではそれは必ずしも進んでいません。選挙という形式での政権へのアクセスは、彼女たちや男性活動家たちにとって大きな挑戦でした。というのも、指導者たちが議員や有権者たちと顧客関係にあったからです。いくつかの例外を除き、女性の政治権力への参加は、その公約実現に対する堅固な意志や資質にもかかわらず、所属する政党、家族、民族、地方、そして党派によって大きく制限されました。『女性の団結』という方針は、後に女性と社会発展省においてそうであったように、政治的キャリアのための跳躍台でした。『国家の父』に関してアミナタ・ソウ・フォールが頻繁に言及しているとともに、政治学などの文献においては、一党制国家の効果と弊害を含め、その権力がしばしば描かれていますが、その『国家の父』である指導者の背後に女性たちは常に並べられていたのです。与党であれ野党であれ政党に属する女性たちが、権力の独裁性、家長性に対し疑問を投げかけることはまれでした。 また思想的な部分においても、彼女たちが育った、家長的な、あるいは植民地システムの家長制の影響を受けた地域の文化について再考することはありませんでした。男女の関係は、『補完的』と判断され批判の対象とされませんでした。その問題に触れることはあたかも場違いなようにも思われました。というのも、それは西洋の白人フェミニストたち自身の文化的矛盾に焦点をあてた、白人たちだけに関わる問題と見られたからです。アフリカ女性たちにおいては、アフリカ大陸の解放、参加・統合により女性たちの発展を定義づけるよう促されていました。 『伝統的な』政治の舞台では、同じ旗印の下で政治的パートナーとしての女性たちの統合よりも、むしろ女性たちの『ジェスチャー』が求められたのです。役割、権力、階層の分配、その機能の仕方に関わるのは男性たちだけです。偉大な人(男)の背後には必ず一人あるいは複数の女性がいる、とよく言われます。しかし、政治に参加した女性の背後には誰がいるというのでしょうか? 女性のパフォーマンスが政治的な地位を獲得する場においては、あまり際立つものではないことは周知です。民主主義へ移行しても、その数は著しく増加しませんでした。全体を総括し、北京会議で推奨された女性議席比率30%に達している国はまれです。セネガルやコートジボアールのように、その率は10〜15%の間でさまざまです。 1992年から2002年の間で行われた総選挙の女性候補者の結果を見てみると、その改善の速度が遅いことがわかります。「女性のための10年」の最初の数年でアフリカ女性たちが要求していた国会議席の25%獲得という割合は、東アフリカ、南部アフリカでは大きく達成されたのに対して、西アフリカ地域ではどの国でも達成されませんでした。2004年3月31日時点で、ルワンダでは48.8%の議席が女性で占められており(2003年9月の選挙結果で、80人中39人が女性議員)、これはスウェーデン(45.8%)より3%以上も高い割合です。続いて、モザンビーク(30%)、南アフリカ(29.8%:1999年の結果)、ナミビア(26.4%)、ウガンダ(24.7%)。西アフリカでは、ギニアとセネガルの女性の議席獲得率がそれぞれ、19.3%と19.2%でトップでした。サハラ砂漠以南アフリカ諸国の国会女性議席比率の平均は14.2%です。スカンジナビア半島の国々39.7%、ヨーロッパ18.4%、アメリカ大陸18.2%、アジア15%。2004年2月、モザンビークでは、開発経済学の博士号を持つ、ルイサ・ディアス・ディアゴ氏が女性の首相となりました。彼女は1994年以来、経済、財政、政策閣僚を歴任しました。彼女の前には、ルワンダとセネガルで1994年と2000年に短期間ではありますが同様なことがありました。しかし、リベリアのエレーヌ・シルリーフ・ジョンソン氏(1996年)、セネガルのマリエム・リ・ウォーン氏(2000年)以外には大統領選挙に立候補しようとする者はほとんどいませんでした。一部、臨時大統領としては、1996年にルース・ペリー氏が市民戦争によって荒廃したリベリアで任務についたこともありました。 永久に続く政治的闘争において、この女性たちの地位は何を意味しているのでしょうか?民主化、男女平等、社会正義、人権の戦いに挑んできたアフリカ諸国が抱える本当の問題とは、形だけの政策を適用する『代表と効果の強要』です。このような政策を行うことにより、女性の権力と彼女たちの活動が単なる見せかけや、形式的な議員数や平等ではないことを提示することができます。単独政党の大統領集権国家は、数十年以上も、女性有権者、そして経済、文化、宗教的秩序維持に関連する活動を利用してきました。民主主義の複数政党制の過程と共に、女性たちを分断してきた支持者のシナリオの中で、彼女たちが行ってきた投資を想像することは容易ではないでしょう。 3.女性の政治参加の問題点 開発、国家建設あるいは社会構想をめぐる議論からよりも、女性問題から発し、女性が政治に加わったり、責任のある地位についたりすることが重要であるとされていました。アフリカ諸国政府の大部分は1975年以来、10年もの間交渉し、女性のためのさまざまな議定書や条約、協定に調印し、『女性の政治・社会参加』を向上させる構造を徐々に作り上げていきました。多くの障害にも負けず、これらの政策で得られたものの一つに、女性が政治問題として大きく顕在化したことがありました。これは女性たちが政党の中ではなく、様々な組織の中でこの問題を取り上げ、議論したことによるものです。 今日、市民社会と呼ばれるものに女性たちが参加するまでは、これらの団体、組織が女性たちの自己あるいは自由を表現する場所であり、市民権を学び行使する場所でした。社会文化、政治、経済などへの関心に基づき女性たちが伝統を踏まえて再集結したいくつもの女性組織が、その場所として役立ちました。政府、国際機関、NGOは、相互扶助組織、友好団体、専門家組織、女性団体、経済団体などを女性たちの活動を支援、拡大するために活用しました。 。 1975〜1980年代、女性のための初の世界会議が行われて初めて、女性たちが求めているものに焦点を絞った権利要求の動きが起こりました。男性たちが『ブラック・アフリカの失敗した出発』という独立政策を強く批判している時、女性たちは日々の貧しさ(家庭内労働の負担、低い就学率、失業、多産の重圧、妊産婦死亡率の高さ、また強制結婚あるいは早婚、(広く見られる)一夫多妻制、政権へのアクセスの困難さ)を問題にし始めていました。優先課題が明確化され、多くの制約が暴かれ、議論が高まる中で、国家、政党や他の団体への参加や対立は、これらの動きを先導する者によってさまざまな形で行われました。国家レベルにおける女性政策としては、多くの場合、『女性の政治・社会参加』を担当する体制(女性担当の局、省、閣僚、ジェンダーユニット等)作りを意味しました。また政府によるスローガン、概念、活動の再構成も行われましたが、「ジェンダー」にすべてを統合した結果、すべてを無意味にしてしまいました。国家元首夫人たちが行った再構成の活動は称賛されてはいるものの、他方で多くの課題を残しました。私は彼女たちにより行われたこの活動を問題にせずにはいられません。 女性たちはさまざまな分野で自らの責任を果たしてきました。政治(政権、裁決への参加)、経済(経営、指導、起業やインフォーマル・セクターでの経済活動への参入)、社会、特に家庭(家族内での地位変革、現存する不平等の告発が日常生活に反映される)。 慣習、イスラム教、あるいはユダヤ・キリスト教の影響下において、文化的なものが多民族社会の社会的、宗教的伝統に反映されていますが、これと同様に文化的なものが女性の立場を決定する因子であるといえます。女性が政治参加しようとして、従来の考え方に反して女性の優先課題や法的・政治的権利を定義し明確にしようとする時や、経済的目標、あるいは要求、活動の政治的枠組みを決定しようとする時に、文化が影響を与えます。市民関係において父権的判断を行う公私の機関や国家が『性』のしばりを作りますが、これらに作用する文化的重圧、アイデンティティ危機、文化的・社会的に困難な経験が、女性たちの要求に対する障害となっているのではないでしょうか。家庭管理や家計において女性たちのさらなる参加を求める、生き残りの経済が展開されていますが、そのような経済に直面する中で、女性たちの積極的な意見表明が増えているのです。 文化の問題は、いくつかの重要な点で文明の議論に関わっているようです。民法、特に家族法の規定を大きく変更するために、社会的制度的なレベルで普遍的価値に訴えようとする、文明をめぐる議論です。 女性団体の多くが訴えている、ハレム的一夫多妻制度の下での女性監禁やベール問題、女性が土地所有権や使用権を得ること、イスラム法の下での相続に関する女性の権利、父母の遺産相続権の移行方法、長男問題など多くの問題があります。また、女性たちの身体、性、生殖の管理に関し、そして家族の中でさらなる法的権限を求める女性の権利に関して、次第に強まる宗教的議論に基づく規制への不安があります。 アフリカの文化の原点としての尊敬、作法もまた、深刻な問題となっています。宗教的原理主義は、女性の身体に表現と矛盾が現れているという文化における原則的態度を否定します。ここでの議論は、国の文化的本質を象徴する女性の態度や行動に関して、批判的な方法で向けられています。文化的、宗教的暴力(女性生殖器切除、一夫多妻制、妻を捨てること)に反対する要求は、議論によって当否を明らかにされることなく、常に文化の否認と解釈されるのです。 アフリカの女性たちが自分の身体にこだわるようになった時、彼女たちの要求はフェミニストのものになったと言えそうです。今日、身体が女性への抑圧の場そのものであるということは常識となっています。しかし、女性たちが性に関わることばを発することに合意するまでに、多くの年月と議論が必要でした。 1980年コペンハーゲンで、アフリカの女性たちの性的な体ではなく生殖に関する体についての議論がありました。非常に高い妊産婦死亡率のリスクをなくし、悲惨な衛生条件に直面している妊産婦ケアとサービスへのアクセスを改善するという母体保護論に比べて、性の解放と生殖管理に関するフェミニストの発言は小さな反響しか呼びませんでした。アフリカの女性たち自身がその重要性を否定し始めた女性生殖器切除は、ついに女性に対する暴力であると認められました。現在、この切除慣習が復活し『カッティング』(切除)について人々が語り始めることが懸念されています。これは、法に挑む暴力の再認です。裁判になれば、嬰児殺しは裁かれます。嬰児殺しは、間違いなく産児制限の最良の方法ではありません。避妊と中絶は、議論が熱くなったり、弱まったり、消えてしまったり、政治的あるいは宗教的イデオロギーの支配の仕方によって、再燃する問題です。 家族やコミュニティ内の社会関係の運営において、女性が家庭的・社会的に重要な役割を担うという理由から、家庭内での女性の地位を見直すことも、彼女たちの「ドメスティック性」を暴くことも単純なことではありませんでした。1960年代には西アフリカのほとんどの国が採用していなかった家族法は、男女間の不平等な制度的システム、その不平等性と女性の保護を同時に強化する国家の役割、新しい自由に関してとても気難しいイスラム教とキリスト教の家長の役割などを、家族に問いかける良いきっかけとなりました。西アフリカにおいては、イスラム教やキリスト教の影響を受け、フランス、イギリス、ポルトガルに由来するいくつかの法制度が、今も日常社会の中でアフリカ文化の基盤の上に根強く共存しています。それらによって家族モデルの中の個人の関係、イデオロギー闘争や権力の政治闘争の関係が管理されています。ここで、アフリカの家族体系はたった一つではなく、多様であることを思い出さなければいけません。 家族法の最初の争点は、アイデンティティの問題でした。どのように家庭、結婚、離婚、相続の管理に、西洋的、ユダヤ・キリスト教的法律を応用すればよいのか。独立の前後、イスラム教徒地域では、植民地支配国による法律の拒絶あるいは、緩和されたものの採用という方向を取りました。ナイジェリア、マリ、シエラレオネ、セネガルのイスラム教徒地域では、植民地時代、イスラム法裁判所でシャリーア(イスラム法典)を使っていました。独立時、マリ(1962年)、ギニア(1963年)、セネガル(1973年)、カメルーン(1981年)、コートジボアール(1983年)、ブルキナファソ(1990年)で、民法が発行されました。最初の数年間、これらの国では法文の見直しが行われ、いくつかの改善もなされました。ベナンでは、結婚の規定に関して、2002年6月に国独自の法律を採用するまで、1931年のダホメイの習慣によるものと、1958年のフランス民法によるものを使っていました。ニジェールとチャドでは、独自の民法は規定されておらず、地域によって、シャリーアか植民地時代のフランスから受け継いだ古い民法のどちらかを未だに採用しています。モーリタニアでは、黒人系ベルベル人の権力者がアラブ世界への所属を求めるため、イスラム教国の規定を選び、1970年代初めからシャリーアのみを採用しています。 もう一つの争点は宗教的であり政治的であることです。独立の仕上げ段階で、イスラム教会が政教分離の法律を拒絶したことがそれを示しています。 1960年から70年にかけて、宗教的取り組みは、1980年代のイスラム教運動の復活と共に次第に政治色を持つようになり、原理主義へと進展しました。複数のイスラム教国の教団は、家族法の見直しを呼びかけ、政教分離によって優遇された正当な権利、特に、挙式や戸籍登録、どこから夫婦による同意がなされるのか、司法離婚、法律による食物恩給の取り決め等の再検討を求めました。 家族をとりまく議論は、アフリカ女性たちを集結させ、その圧力でついに、アフリカ憲章の人権項目に女性の権利を追加した議定書を採択させました。この2003年7月のアフリカ連合サミット開催時の憲章では、家族法による一夫多妻制の廃止、中絶の合法化には成功しませんでしたが、憲章の中でこれらをアフリカ諸国の専門家、閣僚、アフリカ連合の政府指導者レベルに示すことができました。 結論 女性の政治参加を理解し判断する事は、現在の状況の元では、未だにとても難しい事です。憲法、法律及び経済成長のための開発目標に定義される市民権へのアクセスを実現させるため、政党や政権への参加、行政プログラム、選挙公約が行われますが、一般にそこにおいて女性の参加は男性たちのために評価されるものです。国家や政治が父権的であり、男性優位な性質をもつため、女性たちにとってアプローチはさらに複雑となります。植民地時代から受け継がれた政策の実施や現代化の試みが与えた新しい意義により、市民権のない共和国における女性の孤立状態が完全に打破されたわけではありません。女性たちは、政治へのアクセスが困難な中で、解放闘争に参加し、権力を持つ男性たちを支持し、しかしその努力に値する代償のない中で、発言と自由の場を自分たちで作り上げてきました。これほど女性組織を強調するのは、それらの組織が彼女たち自身の要求のための発言や政治参加への特権的な場所だったからです。土地、信用貸付、技術へのアクセス、女性生殖器切除習慣の廃止、避妊の権利、親権、少女への教育、あるいは物事決定への参加は、左翼政党の下ではなく、女性組織の中で議論され、要求されてきました。政党は、シャリーアの採用反対、政治における分担割合と均等、一夫多妻制の廃止、身体的暴力、虐待、セクシュアルハラスメントへの実刑などの女性たちの要求を、口先だけでしか捉えていません。 しかしながら、差別的儀礼や、女性たちが影響を受け、あるいは自ら受け入れている階層の強制のために、その戦いは依然、困難な状況です。彼女たちは、家族、文化、法律や地域内で維持されている男女の不平等関係をしばしば秘密にします。行政や議会の官僚の中でさえ、男性支配の影響を受け続け、また権力を得るためにそれを形式や用語に使用している女性もいます。 この10年に関する発言は男女平等や女性の能力強化に関する主張を根付かせることに貢献しました。北京会議から10年、経済のグローバリゼーションや宗教あるいは政治原理主義の高揚という現在の状況の中で、女性への利益はますます不確かなものになっており、それは女性の自由意志の強化に貢献した国際機関や協力機関から問題視されています。これは絶えがたい事です。政治的動員のみがそれを警告できるのです。その手段を作り出さなければなりません。 ファトゥ・ソウ CNRS(フランス)/IFAN(セネガル) 2005年3月 >TOP 国連発行の季刊誌「Africa Renewal, Vol.20 #2 (July 2006)」に掲載された「African women are ready to lead」を紹介します。 ----
アフリカの女性たち、指導者になる準備完了 著者: Gumisai Mutume 優秀な成績と厳しい規律で知られる、ザンピアの全寮制女子校に向けて送り出された若い日のInonge Mbikusita-Lewanikaさんは、リーダーシップへのキャリアを積む基礎固めをしているとは思いもしなかった。学業と家事の責任との間で時間を引き裂かれてしまう同世代の他の多くの女性と異なり、彼女には勉強に集中できる時間がたっぷりあった。現在、アメリカ大使として祖国を代表する彼女は、国会議員の経験もあり、2001年には、ザンビア初の女性大統領候補になった。 「自分の置かれた環境が私を今の位置に到達させたという気がします。」と、本人は語る。彼女は彼女の夢を応援し、必要な時にはいつでもそばにいてくれる両親に守られて育った。2月に第50回国連女性の地位委員会に出席のため、ニューヨークを訪れたLewanikaさんは、「多くの時間を両親と共に過ごしました。両親は可能性を生み出す環境を作り出し、(男女を問わず)子どもたち全員を進学させてくれました」と語った。 Lewanikaさんは、アフリカ大陸の政治的統合機関であるアフリカ連合に圧力をかけ、政府高官のジェンダー・バランスを50対50にするよう命じるという画期的な基準を2004年に採択させた女性ロビー活動に参加した。また、2000年に、紛争防止および解決、平和維持・平和構築への女性の平等な参加を促進する国連決議1325採択に向けてロビー活動を行ったことも彼女の業績のひとつだ。 だが、 Lewanikaさんのケースは、決して標準的なものではない。例外的な存在なのである。女性が政策決定機関の30%を占めるいう国連の目標に準じ、国会で女性議員が最低30%を占めるという目標を達成したのは、アフリカでは3か国(モザンビーク、ルワンダ、南アフリカ)にすぎない。世界的に見ても、2004年に国会でそのレベルに達していたのは、その他12カ国にとどまっている。 複数の役割 Africa Renewal誌のインタビューに応えて、「女性が権力を持つ地位に着き、留まることは、女性に期待される伝統的な役割があるため、楽なことではありません」、とLewanikaさんは語った。国会議員であると同時に妻であり母親でありたいと思っても夫が応援しなければ、その継続は困難である。「幼い子供がいると、同僚の男性たちがバーや議場でディスカッションを続けていても、家に飛んで帰らなければなりません」。 世界のいたるところで、指導者の立場に立つ女性は、家庭や職場、政府内で、女性と男性は平等ではないという、広くゆきわたった、そして多くの場合、それとなく示される態度や信念などによるおびただしい障壁に行く手を阻まれる。人種、階級、民族に関わらず、女性は一貫して政治的部外者と定義され、公人としての生活は母親という役割という条件に限られていると、フェミニストは論じている。 多くの文化は、子育てが女性の第一の仕事であると捉えており、男性は家庭内での役割を期待されていない。そのような考えが深く根付いている国では、そのような位置づけに逆らう女性は二重の義務を果たすことを要求されることが多い。 例えば、専門職を持つ女性は職業上の任務を果たしながら、家事と家族の面倒を見る義務を負う。このため、女性は同僚の男性に比べて不利な立 場に立たされることになるのである。 女性はプロフェッショナルな環境で場違いと見られることが多いため、同じランクの男性に比べて職場でより厳しい監査の目にさらされる。このため、女性の管理職への昇進が遅くなっていることに、活動家たちもまた、気づいている。 「あらゆる段階で、同僚からいつも、いつも監視されていました」と、メキシコの元国連大使であるロザリオ・グリーンさんは語る。「男性上司は失敗をしでかさないかと私から目を離しませんでした。同じレベルの男性は、私が自分たちと同じように仕事ができるかどうかと、いつも目をこらしてみはっていました。そしてもちろん、私の上司は男性でしたから、歴史の判定を恐れて、私や他の女性をいつも細かくチェックしていました。他の男性から『お前のミスだ。女性を選んだりして!』と言われたくなかったのです」。 女性が権威ある地位を獲得するためには、抜きん出た評価を得なければならないと、 Lewanikaさんは言う。それは社会の女性観、すなはち、女性は男性より劣る、という見方を直接反映している。そして、女性が良い地位に就くと皆から「あの人、まるで男みたい」と言われるのです。言い換えれば、出世をするのは男だと人々は信じているのである。 女性大使 Lewanikaさんは、米国の首都ワシントンに在任するわずか一握りの女性大使の中の一人だ。米国に派遣されている16名の女性大使のうち、8人がアフリカの大使である。そのうち7人が南部アフリカ諸国の大使であるのは、偶然ではないとLewanikaさんは言い添えた。1997年、南部アフリカ開発共同体(Southern African Development Community;SADC)」のメンバー国は、2005年までに各国は、意思決定機関における女性代表を少なくとも30%に到達させるという「ジェンダーおよび開発宣言」を採択した。SADCの目標を達成したのは現在、3カ国に過ぎないが、同地域の国会議員は平均20%が女性によって占められており、これは女性が平均38%を占める北欧諸国に次いで、2番目に高いと、南部アフリカの非政府団体である「ジェンダー・リンクス」は指摘している。 1975年の第1回世界女性会議以来、女性活動家は、社会の全分野における女性の完全参加達成に向けて、大きく前進してきた。2006年2月、女性活動家と政策立案者が、国連女性の地位委員会(CSW)50周年を機に、ニューヨークに集まり、進歩を評価しあった。1946年に国連経済社会理事会(国連の5大機関のひとつ)によって設立された同委員会は女性の利益の推進を任務にしている。 CSWが初めて設立されたとき、国連の51の当初加盟国のうち女性に選挙権があるのは、30カ国にすぎなかった。現在では、地球のいたるところで女性は投票する権利を確保し、ほとんどの国で選挙に立候補することができる。いまでは戦いの前線は、場所を変えた。ジェンダー活動家たちは、次第に政治および経済の場において意思決定権を持つ地位に女性を引き上げ、女性がより実際的な力を持つことが出来ることを重視し始めている。 ターニングポイント ナイジェリア出身でCSWの副会長であるAdekunbi Abibat Sonaikeさんは、「取り組みは遅く、不均衡なものでした」と語り、アフリカの多くの国々では国連の国際的目標である権力を持つ地位にいる女性代表が、まだ30%に達していないと指摘する。 アフリカ大陸の女性にとっては、貧困が大きな障壁のひとつになっているとSonaikeさんは指摘する。アフリカは、「貧困緩和という点で他の地域から立ち遅れています。貧困によりもっとも多くの影響を及ば されるのは、女性なのです」。 国連アフリカ経済委員会(ECA)では、貧困国の女性が政治参加を困難にされていることが多いのは、まず第一に政治にはお金がかかるためである、という点で意見の一致を見ている。アフリカでは多くの女性は土地、水、エネルギー、信用度、コミュニケーション手段、教育と訓練、健康ときちんと支払いを受けられる仕事などの生産資源への適切なアクセスを欠いている。最貧(1日1米ドル以下)レベルで暮らす人々の数は1990年の2億1700万人から2000年の2億9000万人へと増加し、その大半が成年・未成年の女性であるとECAは指摘している。 1994年に中国の北京で開催された第4回世界女性会議は、ジェンダー平等への苦闘の決定的なターニングポイントになった。この時初めて、各国政府はパワーを持つ地位へと女性を推進させる具体的行動に政府をコミットメントさせる国際的合意を採択したのだ。北京で、政府は、貧困を根絶し、持続可能な開発達成のためには、「マクロ経済と社会政策、そして貧困根絶のための戦略形成に男女が充分かつ平等に参加しなければならない」ことに同意した。意思決定に関わる地位の役職への30%の女性参加という国際基準が設定された。この割合は、政策決定において女性が違いを生みだすために必要な最低レベルである「必要数量」を女性に与える数値だと考えられている。 北京で各国政府はまた、「女性の政治代表に関する選挙制度の影響力」を点検し、代表を改善するための改革を提案することで合意した。ジェンダー・モニターは、そのような選挙制の変化を制定した国がもっとも大きな進化を遂げていると報告している。2004年までに国会で最低30%の女性議員を得たすべての国が、女性をエンパワーするための特別な選挙政策を採用していた。 これらの政策のひとつは、政党および国会において女性の割当人数を採用する、マイノリティ優遇措置だ。進歩を見せている多くの国はまた、選挙制度において比例代表制を採用している。 この方式の下では、政党は、勝利した政党が全議席を取るシステムとは異なり、投票全体の比率に準じて政党が議席を勝ち取る。このシステムは小さな政党に議席を得る機会を大きくするので、女性 候補者を公認するという「危険を冒す」可能性が増す。さらに、これらの国の中には女性が立候補しやすくなるよう立候補する女性に補助金を交付する法を制定した国もある。 アフリカでは、モザンビークと南アフリカが自発的な政党割当人数を用い、一定割合の女性が政治において立候補者として選ばれるよう保証している。ルワンダは法的割当人数を用い、目標を全政党に適用している。 指導者への進出 さまざまな難関にも関わらず、女性の比率は拡大し、ガラスの天井は打ち破られつつある。 指導的地位に参入した女性達は、自分たちが成功した要因を、教育へのアクセス、仕事の機会、男女両性の良き助言者、家族・従業員・上司・先生・同僚の支援、ジェンダー・アクティビストによるロビーイングの成功の結果であるなどによるとしている。 国会における平均女性割合は1995年の11.7%から2004年の15.6%に増加した。南部アフリカにおいては議会における女性の比率が17.9%で、アフリカの平均である11%よりはるかに高い。3カ国で過去10年間に女性の国会副議長が選ばれた。 さらに、モザンビークでは女性首相が任命され、ジンバブエと南アフリカでは女性副大統領が指名された。 この1月、リベリア国民はエレン・ジョンソン-サーリーフさんをアフリカ初の女性指導者に選出した。ジョンソン-サーリーフさんは、元世界銀行のエコノミストで国連職員の経歴を持ち、男性の競争相手より良い仕事を 行うことが出来ると見られた能力を基盤に選出された。 しかしながら、権力を持つ地位に女性が昇進してゆくこと自体が、真に変化を生みだす可能性を持つ環境作りの必要を解消するものではない、と南アフリカのロビーグループ「Gender Advocacy Programme」のディレクターであるPumla Mncayiさんは、指摘する。 「従来、女性には本当の権力や重要性を与えず、常に男性の副官としての地位に留めおいたというのが現実です」と言うのだ。南アフリカ初の女性副大統領であるPhumzile Gloria Mlambo-NgcukaさんについてMncayiさんは次のようにコメントした。「果たして彼女に南アフリカの女性の暮らしを改善する権力が与えられているのだろうか、という疑問は消えることがありません」。 Mncayiさんによれば、南アフリカのような国は、人数枠を超えるという考えをスタートし、女性の効果的な参加を可能にする政府機関の改革に向けてキャンペーンを行う時期に来ていると言う。政府機関は性およびジェンダー役割を考慮し、運営面において「ジェンダーに敏感」であるべきだとMncayiさんは、主張する。例えば、議会は母親と父親が子育ての責任を分担し、両方とも会議に出席できるよう改革すべきだと言う。 女性は歴史的に男性よりも指導的地位への機会や露出が少なかったため、政治制度に威圧感を感じ、参加をしり込みしがちであると、Mncayiさんは語る。そのため、政治権力の中心に参入するにあたって、女性を訓練し、準備を整えさせる入念なプログラムが必要なのである。 参加を強化 アフリカの女性政治家の中には、政党からの後援を促進する政治制度への対処を強いられる人たちがいる。このような制度において、政治家は選挙民よりも政党内の上下関係から恩義を受けるため、公選されて役職についても政策決定面では実効力を削がれてしまう。 Shireen HassimさんとSheila Meintjesさんは国連のアフリカ関係特別顧問事務局(UN Special Adviser on Africa)の委託による報告書の中で、女性にとって有利であると広く信じられている比例代表制選挙制度は、「政党が女性を統制するメカニズムを確立しがちである」という、これまであまり言及されてこなかった代償をはらむことを指摘している。アフリカ諸国の中で女性割当をいちはやく採用した国のひとつであるウガンダでの研究によると、女性参加の効果は一様ではなく、女性議員が女性運動に恩恵を与える立法を支援するのを与党が妨害することがよくある。 モザンビークと南アフリカでも同様な懸念が表明されていると、HassimさんとMeintjesさんは、指摘する。女性議員は、党への忠誠と女性の利益を推進すると思われる政策への肩入れとのバランスをいかにして保つかという問題に直面している。 モザンビークと南アフリカでは女性は、マイノリティ優遇政策のおかげで議会史上で女性の議席数は最多数を代表している。けれども彼らは、男性の同僚議員と同様に党を代表するために選ばれたのであり、必ずしも女性の利益を代表するわけではない。「そのため、女性のジェンダーに関わる利害を党の利害およびアイデンティティと区別すべきかどうか、あるいは、いかに区別するかが、課題である」と、HassimさんとMeintjesさんは、指摘している。 隣国のジンバブエでは、Catherine MakoniさんとTsitsi Matekaireさんが、女性ロビーは、昨年、Joyce Mujuruさんが同国初の女性副大統領に任命されたことを喜ぶべきかどうか、当惑していると報告している。任命は、「政党が手玉に取るゲームのひとつ」と見る人々もいると、この二人の執筆者 は、国際的な女性ロビー・グループである「女性環境開発機構(Womens Environment and Development Organization, WEDO)」の調査報告書の中で、「わが国の歴史のあの時点では[女性を指名すること]が好都合だと見なされた」と指摘している。 更に、この報告書は、Joyce Mujuruさんが、反対意見への不寛容さを増すと見られる法律を制定している政府に指名されたことに注意を喚起している。 南部アフリカ諸国では悪化する生活状態に反対してデモンストレーションを行った数百人もの女性が逮捕されているのだ。 紛争後諸国が順調 武装紛争はアフリカにおいてきわめて破壊的であったが、逆説的に「ジェンダー関係を変え、指導的地位に参入する機会を女性に切り開いた」と、WEDOのニューヨークを本拠地にするリサーチャーである、Doris Mpomouさんは語る。 過去10年間に、世界の武装紛争の3分の1はアフリカで発生し、600万人以上の難民と2000万人以上の国内避難民を生んだ。戦争はインフラストラクチャーを破壊し、開発を失速させ、特に女性はレイプと虐待の危険にさらされた。 だが紛争は女性が自分たちの生活を変質させ、ジェンダー役割を再定義する機会を生み出してきた。紛争の結果、男性が戦争に行き、戦闘で死亡することにより、人口統計に顕著な変化が起こる。これにより男女間の政治的・社会的力関係が自動的に変わるわけではないが、女性の数が男性より大幅に多くなると、女性に機会が与えられる可能性が生まれる。 ルワンダでは1994年の大量虐殺後、女性6人に対して男性4人という割合になった。政治、農業、フォーマルな経済など、従来は男性が支配していた領域の役割に女性が足を踏み入れた。ルワンダでは国会における女性議員の割合は現在、最高レベルの記録を保持している。 ルワンダは極端な例だが、紛争中の他のアフリカ諸国は、農村地域での戦闘から逃れて、都市部への大量移住が起きている。そのような大量移住により女性が一家の世帯主になり、他にも従来は男性のものだった役割を担うようになっている。 エチオピアからの独立をめざすエリトリア戦争や南アフリカおよびジンバブエの自由への戦いなどの紛争では、女性は男性と並んで戦い、平等を主張し、紛争後の調停において交渉力を獲得した。戦争が終わると、南アフリカなどで、女性はエンパワーされたと感じ、政府内で権力を握る地位を要求した。 時が経つにつれ、ジンバブエの女性は武装紛争後に得た最初の進歩が侵食されていくのを経験した。だが、その後、北京会議がもたらした勢いに乗って指導的地位への平等な参加に向けて意欲を新たにした。ジンバブエの例は、女性運動が国内の支援に頼るだけでなく、国際的コミュニティを通した支援を通しても勢力を得られることを示している。 国連女性開発基金(UN Development Fund for Women;UNIFEM)は、ルワンダ、シエラレオネ、コンゴ民主共和国(DRC)など多くのアフリカ諸国において和平プロセスへの女性の参加促進および、リーダーシップ獲得に向けての女性の訓練に大変積極的に取り組んでいる。 1985年に設立されたロンドンのInternational Alertなどの独立機関も重要な役割を果たしてきた。 同グループは女性のネットワークと提携して働き、リベリアおよびコンゴ民主共和国における和平プロセスへの女性参加を促進してきた。 戦争および移行状況で女性が生み出した進歩が平和時にどのようにして押し戻されることが多いのか、進歩をどのように持続できるかを見出す手助けとなる、より深い調査が必要だと、活動家たちは語ってい る。活動家たちはまた、最終的に両性の政治家が男女をエンパワーする政策を推進する日の実現に向けて努力を重ねている。 結局のところ、指導者としての地位は、「ジェンダーに敏感な男性と女性の両方」によって満たされる必要があります。私たちがめざすのは、男女間の建設的なパートナーシップなのです」と、Lewanikaさんは、締めくくった。 ジェンダー活動家たちは、世界銀行、国際通貨基金(IMF)などの国際金融機関においてより多くの女性を高い地位につけようと照準を合わせている。政策決定の全領域の中で、女性の代表がもっとも少ないのが経済・金融の領域だと、国際的女性ロビー団体、女性環境開発機構(WEDO)は指摘している。 世界中で経済ポートフォリオを担当する女性大臣はわずか28名にすぎない。 その結果、女性の利害、経験、関心は経済的意思決定においてまったく反映されていないか、不適切にしか反映されていないと、WEDOの報告書は述べている。過去20年以上にわたり、世界銀行およびIMFは貧困国の経済改革プログラムを企画してきた。こういった政策構築における女性の不在は、「世界的に実施されている、通貨・金融・貿易政策の大半が・・・ジェンダーを理解せず、その結果、重大な経済的損失を社会全体にもたらしている」とWEDOの報告書は指摘している。 世銀とIMFでは、リーダーシップを取るスタッフ内の女性代表率は約20%であり、両機関の理事会における女性メンバーは、10%以下である。両機関はスタッフのジェンダー構成を変える権限を持っているが、理事会に対してはほとんど統制力を持たない。理事は各メンバー国により指名されている。 世銀でもIMFでもこれまで女性がトップの地位を占めたことはない。 IMFは現在、初めてAnne Kruegerさんが女性副専務理事に就任している。 WEDOのDoris Mpomouさんは、今年の女性の地位委員会(CSW)の成果のひとつは、「活動家たちが、国際金融機関および学術界への30%割当目標を推進するようなんとかもっていけたこと」だと言う。 CSWで「アフリカ女性幹部会議(African Women's Caucus)」は、国連がいまだに遅れを取っていると非難した。同グループは60年間の国連存続中に、「女性事務総長はひとりも出ていません」と声明の中で指摘し、特に国連が、組織改革に着手しているいま、トップの地位に女性が着くよう促進するよう促している。 ワシントンの非営利組織である国際女性研究センター(International Centre for Research in Women)の報告書は、国連などの国際機関は女性が組織の階段を上昇する進歩に関してジェンダー分離統計を公表するよう、さらに、国際機関はまた、スケジュール表を作り、最高いレベルにおけるジ |