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神を演ずる play god
◆立岩『私的所有論』第3章(p.53)より
「……ハリスは、予想される反論、また実際に寄せられた反論に答えていく。 「Xの個性が尊重されるべきである」という主張には、しかしY・Zの個性も尊重されるべきだろうとハリスは言う。これが神を演じることになるという指摘には、「われわれに物事を変える能力がある時には、物事を変えないという選択をすることもまた、世界に何がこれから生じるかを決定すること」(Harris[1980=1988:172])であり、Y・Zを死ぬに任せることも神を演じていることに変わりはないとする。」
◇cf.サバイバルロッタリー
◆立岩[1997]第4章(p.153)より
「技術に対する「素朴」な懐疑、批判として、「神を演ずる」ことになるという言い方がなされる。そしてこうしたもの言いに対して、「学問」の側からおおむね否定的な反応がある◆21。否定の根拠として出されるのは、人は、人にせよ、ものにせよ、作為し利用し改変する存在だということであり、神を演じることになるなどと言ってそれを否定するのは馬鹿げた行いだということである。前段の事実は事実としてその通りだと言うしかない。しかし、それでこの懐疑、批判を否定し尽くせたと思うとしたらそれは違う。制御し作為しているという事実があり、そのようにしようという欲望があるのと同時に、そうしようとしない欲望があるのである。そしてもちろん、この懐疑、欲望には、本来神様、創造主は必要とされない。私が決定しないことを言うのに、どうしても私という位格を超越する何かを措定しなくてはならないわけではない。◆22」
◆立岩『私的所有論』第4章注20の引用
「反対者たちは、デザインで仕立てられた人間が生物学的に運命づけられた地獄に群がっている、ぞっとするような「すばらしい新世界」を見ている。科学者はついに神を演じるようになり、家系をいじくり、無意識にあるいは故意に、フランケンシュタインの怪物をつくりだすかもしれない(でも、これらの批判家は、研究者がなぜそのような怪物をまず第一にでっち上げたがっているのかを説明したためしがない。)」(Bodmer ; McKie[1994=1995:390-391])遺伝子操作に対する疑念を「フランケンシュタイン症候群」として捉え、批判し、動物の遺伝子操作のあり方を論じている書としてRollin[1995]。 (『フランケンシュタイン』=Shelley[1818=1984])
◆以下,立岩『私的所有論』第4章注21
「題名にこの語がある単行書としては、Goodfield[1977=1979]、Howard ; Rifkin[1977=1979]。「神を演ずる」という技術への批判を批判するものとして、Harris(第2章4節)、Proctor[1992]、Rollin[1995]。」
◆以下,立岩『私的所有論』第9章注30の一部(p.440)
「積極的優生を支持するグラヴァーの主張を検討する(Glover[1984]、他の著書としてGlover[1977]、Glover et al.[1989]等。以下は森村進[1987]の紹介による)。
……
D「不自然」「神を演ずるもの」という批判に対して、「放っておけば死んでしまう病人を救う医療は「不自然ではないののか? 自然さや神意に訴える議論は、あまりにも漠然としていてとらえ所がない。そのうえ、神を持ち出す議論は、神の存在を信じている人にしか意味を持たない。」」
◆森岡正博
「……遺伝子治療の方に顕著に見られる倫理問題としては,その技術が,生命の根本原理であるDNAへの介入になる点がある。DNAは,生命の遺伝と発生と成長を支配する原理であり,それへの介入は「神を演じる」ことになるという難しい問題が残る。そのDNAが人間のものであれば,なおさらであろう。……」
(森岡正博[1990:66])
→◆遺伝子治療
森岡 正博 1990 「遺伝子治療の倫理問題」,
加藤・飯田編[1990:63-67] <428>
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