『愛しすぎる母親たち――子どものために自己犠牲化する女性』
カリン・ルーベンスタイン,神崎 康子 訳 19981225 主婦の友社,1500円
last update: 20170426
この本の紹介の作成者:奥田玲子(立命館大学政策科学部3回生)
掲載:20020709
はじめに
第一章 女性と自分を犠牲にする伝統
第二章 犠牲の習慣化
第三章 犠牲的母親症候群
第四章 妻たちの犠牲に支えられる夫たち
第五章 子どもに犠牲的な母親はいらない
第六章 自分自身を大切にする
第七章 自分主義者になる
第八章 子ども以外の夢を見つける
第九章 バランスをとる
■はじめに■
・自分に新しいジーンズを買うよりも、子どもに新しいオーバーオールをかってやりたい。
・一日の少なくとも三分の一は子どもの要求や欲求について考えたり、子どもにはこうすげきだった、ああしてやればよかった、こういえばよかったと、思い悩むことに費やしている。
・少なくとも結婚記念日以来、夫と二人きりで夜、外出したことがない。
・学校で誰かに言われたことで娘が打ちのめされていると、自分まで気分が落ち込む。
これらは犠牲的な母親の一例である。
本書では女性の犠牲衝動について考え、それによって心と身体におよぼされる害について探っていくつもりである。生活において女性が犠牲を払えば夫たちの役には立つが、子どもの幸せにはほとんど影響しないことも明らかにしよう。最後に、子どものために我慢する必要と自分や自分の夢に集中したい気持ちとのバランスのとり方について、提案しよう。自分に関心を持ついわゆる「自分主義者」―他人を犠牲にして自分に集中する利己的な人と混同しないでほしい―の目指し方も提案する。(p.14−15)
■第一章 女性と自分を犠牲にする伝統■
□女性が犠牲にするもの□
母親は毎日のように子どものために自分を殺している。外で仕事をしたいのに一日中家にいる。家にいたいのに外に働きに行く。そうやって犠牲を払っているのだ。自分の好物を子どもに差し出すのは、自分殺し症候群のささいな一例に過ぎない。大半の女性にとって、本当の犠牲はもっと奥深いところで行われている。子どもたちの要求を満たし子どもに最高のものを与えて、幸せで賢く間違いのない人間にしようと常に考えること。子どもに尽くし、支えとなる情け深い母親でなければ罪の意識が消えない。自分の生活を犠牲にすること、それが本当の犠牲である。(p.22)
□自分を見失う□
わたし(著者)の調査では、十八歳未満の子どもを持つ大半の母親たちが、子どものせいで自分のやりたいことをする時間がほとんどないと答えた。また、ほぼ全員が、「妻はたいてい家族の要求のために自分の楽しみを犠牲にするもの」と信じている。ところが、夫も自分の楽しみをあきらめるべきだと答えた人は、ほとんどいなかった。(p.25)
子どもを支え、導き、慈しみ、献身することに、一日二十四時間費やすのが自分の仕事と信じきっている。悪いことに、母親の貢献は身をささげる当の相手―つまり子どもたち―のためにまったくならない可能性があるのだ(p.30)
□犠牲を払う価値を母親に説く□
犠牲を払う価値について繰り返し聞かされた結果、女性は母親になると直ちに犠牲を払う準備ができている。それはひとつの文化であり、犠牲の標準に従う母親たちには報いがある。毎日さまざまな方法で、母親は暗示をかけられている。犠牲は善で自分に夢中になるのは悪だと。(p.30)
□犠牲の生物学的根拠□
出産時に分泌されるホルモンによって女性の暖かさや優しさといった特性が助長され、やがてさらに高い次元、つまり犠牲的な母親へと向かうのである。(p.37)
母親に犠牲を払う傾向があるのは、ある程度遺伝子のせいかもしれない。メスマウスの単一の遺伝子を排除すると、それまで普通だった母親のマウスは、うまれたばかりのマウスを完全に無視する。もしかしたら、子を虐待する人間の母親にはこの種の遺伝子がかけているのかもしれない。(p.37)
□犠牲の心理学□
女の子は他人に共感する能力で自分の立場を明らかにする。それは男の子が決して使わない方法らしい。女の子は共感できる能力を自分たちにとってふさわしいものと考える。女の子は同情的で思いやり深く、やさしくあるべき事を知っている。(p.43)
□自分のことは後回し□
犠牲を払い、他人に共感する天性の傾向に加え、多くの女性が自分のことを後回しにするやり方を生活の中で学んできた。(p.46)
極端に犠牲を払う母親は、娘に偽りの自分を持つように勤めて娘の自尊心を損ない、自分の意見をもてないようにさせている。(p.52)
■第二章 犠牲の習慣化■
□犠牲の程度を測る□
母親の犠牲の程度を予測する非常に信頼性の高い方法がひとつある―子どもの年齢を調べるのである。新生児やよちよち歩きの幼児を抱える母親は、確かにとても犠牲的だ。子どもが学齢に達しているなら、得点はやや低くなるだろう。でも母親の得点は子どもの年齢に関係なく、父親の得点より高いのである。(p.59−60)
□悩める母親たち□
幼い子どもを抱えて深く悩んでいる母親はかなりの数に達している。親としての自分能力にも大きな不安を感じ、成長した子どもを持つ親より自分はだめな親だと考えているのが明らか。(p.61)
□寝ても覚めても赤ん坊□
犠牲に身をゆだね赤ん坊の要求に応えるうちに自分を見失う母親は、我を忘れた状態からなかなか抜け出せなくなってしまう。(p.64)
□罪悪感のオリンピック□
母親は自分の行動に罪の意識を持つ。一人で楽しむ場合には特に。母親は自分が何かしないことにも罪悪感を覚える。母親は自分の想像にも罪悪感を覚える。時がたつにつれていっそう罪悪感を強めていく母親は異常なほど多い。(p.70−71)
□犠牲行為という仕事□
母親は子どもと家にいるべきだと考える。なぜなら、子どもにはフルタイムの母親が必要だからである。また、母親には家族の世話をする責任があるからだ。一方で、母親は外で働きたいという気持ちもある。母親には生活費を稼ぐ責任もあるからだ。これが仕事と罪悪感の新しい方程式である。(p.74)
母親業は女性のフルタイムの仕事であるべきと考えている(p.75)
仕事のために家族を犠牲にするか、それとも、家族のために仕事を犠牲にするか。どちらを選んでも傷つくのだ。(p.75)
パートタイムの仕事をしている母親は、可能な限り最小の犠牲と罪の意識とによって、家にいる必要と仕事をする必要性を満たしている。パートタイムの仕事は、それが可能な家族にとっては、母親の仕事についての解決策となっている。(p.79)
□大人になりたがらない世代□
今日の母親はみなベビーブーマーに属し、犠牲的行為をしている人々だ。でも、次の世代はどうだろうか?今の十代、二十代の若い女性たちは?わたしは、彼女たちはまさに犠牲的な母親予備軍だと考える。なぜなら、彼女たちの多くが「偽りの自分」の問題を抱えており、そのことがすでに犠牲的行為の道に一歩踏み出しているのと同じだからである。(p.81)
若い女性が犠牲と無縁でいられる唯一の方法は、結婚も母親になるのもやめてしまうことである。そしてどうやらその点では、彼女たちはとてもうまくやっているらしい。国勢調査局の統計によれば若い女性たちは結婚し子どもを持つ年齢を引き延ばしている。(p.81)
■第三章 犠牲的母親症候群■
□なぜ自分を評価しないのか□
犠牲は母親に自分のことを後回しにしたり、自分のことをまったく考えないようにさせることで、母親の自尊心を小さくしてしまうのである。もし、母親自身が自分は尊敬に値しない人間だと考えたら、いったい誰が尊敬をこめて母親に対応するだろうか?(p.91)
自己非難や自己嫌悪に夢中になりすぎる女性はあまりにも多く、まるでインフルエンザにかかってしまったみたいである。中でも犠牲的な母親は、自己嫌悪が一番強い。自分を軽蔑していて、自分は無知で醜く賞賛に値しない人間だと考えている。(p.93)
□スタイルをめぐる葛藤□
犠牲的な母親は自分を好きになれないため、彼女たちが自分の容姿に不満を持つのも驚くことではない。(p.94)
母親と子どものいない女性とを比べれば、母親のほうがスタイルに不満を持っているのがわかる。なかでも、もっとも不満が大きいのが犠牲的な母親である。スタイルにかまっている暇などないというのが一番の理由だ。スタイルはとても大切だと考えているのに無視せざるを得ないので、母親はますます自己嫌悪を強めていくのである。(p.95)
□心配しすぎる母親たち□
犠牲的な母親は子どもの世話をする責任にも恐れを抱く。こうした母親たちは特に心配性である。それを仕事にしているようにさえ見える。抱いている子どもを落としてしまったらどうしよう、子どもが十代でセックスしてエイズにかかってしまったらどうしよう―子育てにかかわるすべての問題に信じられないほど神経質になっているのである。(p.99)
□セックスを犠牲にする□
不幸なことに、犠牲的な母親たちの多くはセクシーなどという言葉をすっかり忘れている。セックスの喜びを自分から取り上げてしまうのは、自分を殺しているのと同じである。(p.101)
セックスを方針にしてしまうことだ。(p.106)
□犠牲がもたらす病気□
犠牲的な母親はほかの女性や男性より、心理的な症状や身体の問題を多く抱えている。母親は自分の世話を忘れてしまう。特に病気になったときに。(p.107)
自分のことに集中するのは家族のためにならないと誤解している女性は多い。本当はその逆で、家族を助けることになるのである。自分に手をかければ健康で楽しい気分になり、情緒も安定して妻としても母親としてもうまくいく。自分の時間を持つことは心のエクササイズであり、母親の心の健康に効果的である。自分のために何かをすることを学び、他人に向ける過剰な共感や心配や世話の一部を自分に向けることを学ぶことで、母親たちは犠牲的症候群から逃れなければならない。(p.109)
■第四章 妻たちの犠牲に支えられる夫たち■
□健康で幸せな夫たち□
既婚の男性は独身男性よりも健康で幸せである。小さいころ母親に面倒を見てもらったように、自分のために喜んで犠牲を払ってくれる妻がいるからだ。既婚の男性は独身男性より長生きするという説も説得力がある。(p.115−116)
犠牲的な母親は、結婚を夫婦が犠牲を分かち合う平等のパートナーシップへと変える方法を学ぶ必要がある。なぜなら、夫婦で犠牲を分担するほうが家族のためになるからである。また、犠牲を分かち合うことを学んだ母親は、あらゆる面で幸せになるものである。(p.121)
□主夫になる□
夫の中には、妻が実際どれだけ余分な仕事をしているのかを忘れている人もいるだろう。もしそうなら、妻は自分が一日をどう過ごしているのかを夫に知ってもらわねばならない。妻の気持ちや行動半径を知るためである。夫は進んで妻の生活に関心を示すことで愛情を証明できるのだ。(p.128)
□父親であることの素晴らしさ□
父親である男性はそうでない男性に比べて、人間として非常に満たされている。というのは、父親であることによって男性は数多くの微妙な心理的恩恵を受けているからである。父親と子どものいない夫とを比べると、父親のほうが自分自身や生活に大きく満足していることがわかる。父親は子どものいない夫より女性から尊敬されることにも満足感を得ており、自分を男らしいと感じられるようになるのである。(p.129)
■第五章 子どもに犠牲的な母親はいらない■
□犠牲よりも大切なこと□
子どもの人格や気質は、母親や母親の犠牲的行為とほとんど無関係なのである。大いに関係しているのは母親が子どもに伝える遺伝子である。子どもの人格や気質は、子どもが世の中をどのように見、世の中から何を得、何を学び、また世の中が子どもたちとどのように接するかによって決まるのである。だから、母親は子どものありのままの姿に反応することしかできないし、ましてや母親の望む姿に子どもを変えることなどできないのである。(p.145)
□犠牲が子どもの害になるときの対処法□
極端な犠牲は、子どものためにならないとしても、少なくとも害にはならないと考える人が多い。しかし、そうではないのである。犠牲を払いすぎる母親は、子どもに自主性ではなく依存を、思いやりではなく侮蔑を教えている。心からよい母親になろうとしているつもりだろうが、志は逆効果である。子どものためにならないばかりか、実際には害を与えている可能性がある。(p.152)
もし、犠牲的な母親が子どもから尊敬される存在であり続けたいと思うなら、今自分がやっていることを理由を含めて子どもに話してやらねばならないのである。子どもに喜んでほしいし、楽しい生活を送ってほしいから犠牲を払っているのだと、子どもに知らせなさい。こういう話を子どもにするのは、想像以上に意義のあることなのである。(p.156)
自分自身の要求を優先させることを覚えて、子どもたちにお手本を示さなくてはいけないのである。そうすることで、家族から独立した人間として、世の中に貢献する自信を持つ女性のお手本になれる。母親はみな自分主義を身につけねばならないのである。(p.160)
家族一人ひとりと同じように、あなた自身も大切な人間だと考えることを覚えなければならない。そうすれば、幸せになれるだろう。あなたの子どもも共に。(p.160)
■第六章 自分自身を大切にする■
□自分主義は効果がある□
自分主義の女性は、人生からはるかに多くのものを得られるというのは事実である。自分主義の母親とそうでない母親とを比べると、両者の違いは劇的に際立っている。自分主義の母親たちは自分の生活のあらゆる側面、すなわち、結婚、仕事、知性、友人関係、容姿、日々の生活すべてに満足しているのである。(p.168)
□自分主義への六つのステップ□
・自分のために、小さなことをひとつする。
・自分の好きなことをするための計画を立てる。
・犠牲を分かち合う。
・自分を尊敬する。
・夢を見つける。
・真の自己を確立する。
この六つの提案は固定されたものではない。ひとつや二つ飛ばしても、自分の要求に完璧に沿うような方法で人生を変えることもできる。始めること、思い切ってやってみることが鍵である。(p.175)
■第七章 自分主義者になる■
□自分の好きなことをする能力□
母親は確かに自分の好きなことをするが、内容はとても控えめである。女性が自分をリラックスさせる一般的な方法は、読書、ゆっくりとお風呂に入るかシャワーを浴びる、テレビを見る、早めに寝る、髪を切ったりマニキュアをする、映画にいく、エクササイズをする、化粧品を買うなどである。そういうリラックス法をとることで、自分をもっと好きになるはずである。そうなれば、思い切って自分の人生を大胆に変えてみようかという気にさせられる。自分が満足できるものを人生に求めてもいいんだという気持ちになるものである。(p.190−191)
□魅力的な結婚□
魅力的な結婚では夫は家庭内の犠牲を分担する。結婚生活を魅力的にするために、自分の今の生活はどのレベルにあるのかを考えてみるとよい。魅力的な結婚は、夫婦の収入や年齢には関係がないし、子どもの数や年齢も影響しない。わたしたち自身の力を超えた社会的な力が、魅力的な結婚ができる人とそうでない人とを決めているわけではない。ごく簡単に言えば、魅力的な結婚を決めるのは男性である。魅力的な結婚とすばらしい夫はほとんどいつもセットなのである。(p.198)
■第八章 子ども以外の夢を見つける■
□女性が夢を持つ大切さ□
夢は女性に生きる理由を与えて切れる。夢は自分がどんな人間になるか、あるいはなれるかの未来像である。自分で思い描く最高の自分がそこにある。だから夢想し憧れてそこに向かって頑張れるのである。(p.213)
□夢の見つけ方□
自尊心の種をまくのは自分自身の夢を耕すことに役立つことになる。自分を尊敬し始めたとき、また自分の能力や才能に自身を感じたとき初めて、自分の夢を見つけられるのだ。また、精神的に強くなることは、夢を実現させる才能や技術を持つのと同じくらい、夢を支えるのに欠かせないものである。(p.226)
■第九章 バランスをとる■
□本当の自分はつかまえにくい□
多くの母親にとって本当の自分を発見することは、挫折感を引き起こしやすいものかもしれない。また、女性にとって本当の自分は、他人に対する義務と母親、妻、娘、姉妹としての責任との分厚い層の下に隠されているのかもしれない。女性も自分の発見に一所懸命勤めなくてはならないのである。(p.236)
□個室を見つける□
母親はめったに一人きりになれないし、口を閉じてもいられない。だから、腰を落ち着けて自分についてじっくり考えにふけることができないのである。だから、これが、あなたが抱えている問題なら、毎日一人になって何もしゃべらない時間を作るのを目標にしなければならない。母親でも、妻でも、娘でもない、自分の足で立って世界と向き合う一人の人間、つまりあなた自身について考えることが大切である。(p.240−241)
□無理をしない□
具合が悪くなったら抵抗してはいけない。ベッドに寝て、家族に世話をしてもらうのである。世話を焼かれるのではなく世話を焼く気分はどんなものか、夫や子どもに教えるチャンスなのだから。(p.241)
□家族とあなたは別のもの□
子どもや夫は特別の存在だ。今の自分にとって神聖な部分である。でも、あなたのすべてじゃない。母親や妻以上のものがあなたにはある。子どもの幸せにのみ尽くす自動人形より一人の人間としてバランスがよく取れているほうが、子どもにとってはるかに価値がある。(p.242)
□かつての自分を思い出す□
若いころの自分の姿や当時の夢を思い出そう。あなたの今までの人生をふるいにかけて、かつての自分の最良の部分である金の魂を探し出し、それを今の自分と混ぜ合わせるのである。(p.243)
□単調で退屈なことに打ち込む□
単調な反復性の活動をしていると、いやでも自分の内面と向き合う事になる。体を機械的に動かしていると、心が自由に解き放たれる。そのとき、自分の事に考えを集中させよう。今の自分の姿や今後どのようになりたいかを考えるのである。(p.243)
□バランスをとり続ける□
母親は犠牲を払う事と、それと同じだけ自分に集中する事とのバランスを取らねばならない。―犠牲をやめるためではなく、自分に集中することで犠牲の程度を和らげるためにである。この二つの間で健全なバランスをとることが、女性にとって人間性を維持する為の唯一の方法である。(p.245)
□最後に□
母親はすべての犠牲をあきらめる事はできない。犠牲こそ、母親である事をとても楽しく、またつらいものにしているからである。タコだろうとゾウだろうと人間だろうと、子供のために献身するのは母親である事の一部である。しかし、唯一人間の母親だけが、自分を殺す事に深い喜びを感じ取っている。また、人間の母親だけが、そういう気持ちと同じように自分の事に夢中になる喜びとのバランスをとることができる。(p.251)
家族を元気にするために母親の過大な犠牲に頼っている社会は、母親を利用して傷つけているだけである。そこには母親を家族のお手伝いとみなす文化があり、母親が自尊心や自信を持つ上での乗り越えがたい障害となっている。(p.252)
あまりにも極端な犠牲は、それを運命付けられて苦しんでいる母親自身が拒否しなければならない。問題は女性自身の手によってなくすべきなのである。女性の異議申し立てこそ、犠牲についての社会通念を粉砕し、消しさるための有無を言わさぬ大きな力となるのである。それ以外に道はないのである。(p.253)