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第8章「ワーカーズ・コレクティブ――主婦たちの新しい働き場所」


last update: 20170426


第8章

ワーカーズ・コレクティブ
主婦たちの新しい働き場所

                                 Ikeda, Karin
                                  池田 佳鈴 
 『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』第8章

「もちろんお金は必要だけれども,自分のことを自分で決めたい欲求っていうのは,
かなりいろんな層で飽和状態になってるかなと思うの。すっかり自分がぬいぐるみ状
態で全然苦にならないでレールに乗っかっていける人と,何かぶつぶつぶつぶつ外側
が割れてる人と,そのぶつぶつ割れた人が,健全に,どうやって自分も食べて満足感
を手に入れようかっていう時に,こういうしくみっていうのが,情報としてもっと出
されていけば,もう少し,人が助けあっていけるんじゃないかなって思うし。捨てた
もんじゃないなって思うのは,何がなんでもワーコレっていう働き方を続けたいって
いう人が私の周りにはけっこういるの,お金で多少無理しても。何が大事かっていう
ことが見えやすくなってきたっていう。だから私はね,そういう人が増えるっていう
ところに希望をもっている。
 ワーコレそのものも私達10年やってきて事業っていうもののおもしろさも含めてわ
かってきたから。商売っておもしろいじゃない。やっぱりモノだけ動かすんじゃない。
男が夢中になるのもわかるわ。人を動かすっていうかね,気持ちが動いて始めて財布
が緩んでモノが動くみたいな,そういう人間関係ってかなり濃厚じゃない。だから,
ワーコレは,女の人が商売を通じて回復していくのと同時に増えていくかなって。ど
うせ雇ってくれないんだからさ。女の子たちもバイトして1年で 100万円位のお金を
ためて10人で会社作るとか,これから考える人多いんじゃないかと思うのよ。OL何
年もやればさ,その気になれば1000万たまるって。海外旅行もしつくしてさ,30すぎ
たら自営業,ってのがこれからトレンドになるんじゃないかなって(笑)。」(山内)

T ワーカーズ・コレクティブとは

 誰かに雇われるのではなく働く者自身が出資し合い,それぞれが事業主のひとりとして対等に働く共同体をワーカーズ・コレクティブという。その原点,モデルとなったものは,スペイン・バスク地方にあるモンドラゴン協同組合である。そこには,生産協同組合から農業協同組合,消費生活協同組合,人民銀行など,様々な協同組合があり,生活の全域をカバーしているという。スペイン以外にもワーカーズ・コレクティブが定着している国としてイギリス,ドイツ,インド,アメリカ,イタリアなどがある。★01
 日本で,ワーカーズ・コレクティブの活動が始まったのは1982年だった。安全な食べ物などを中心に共同購入,店舗販売を行っている「生活クラブ生活協同組合」★02の試みとして,神奈川にワーカーズ・コレクティブ「にんじん」が生まれたのである。
 宇津木[1993:5]によると,にんじんは設立当初企業組合として法人認可申請を行ったが,認可されなかったためワーカーズ・コレクティブという名称を使うことにした。
 1983年には埼玉,1984年には東京,千葉でワーカーズ・コレクティブが設立され,その後も北海道から熊本まで日本各地でワーカーズ・コレクティブは生まれている。生活クラブ生協の組合員が中心となり,はじめは生活クラブ生協の店舗販売の請負というかたちで形成された。その後,惣菜やお弁当,お菓子,喫茶,リサイクル,編集,たすけあいなど多種にわたり数多く結成され,今に至っている★03。
 1995年7月現在,全国に約 270団体,7000名が参加しており,中では,神奈川県が96団体,3700名と最も多い。★04
 その業種は多種多様だが,ワーカーズ・コレクティブに共通する特徴としては,第一に自主管理型の民主主義的な運営であること,第二に事業内容が住民の生活に役に立つものであり,かつメンバーが仕事を通して自己実現できること,第三に使われる技術が公害などの発生原因にならないこと,があげられる(久田編[1987:437])
 その構成員は圧倒的に女性,中でも主婦が多い。この主婦の新しい働き方としてのワーカーズ・コレクティブ,まだまだ社会的認知度が低いため,その中身があまり知られていないことが多い。実際わたしもこの調査をするにあたって,その存在を初めて知った。
 主婦たちが意気投合して作ったワーカーズ・コレクティブは,その性格上,1人1人が同額の出資を行い,同時に労働者という立場であることから,全員が平等であり,同様の責任をもつ。雇われの身であり,責任もなく不安定なパートタイマーに比べれば,確かに魅力的な働き方である。しかし,彼女たちも魅力的な働き方と感じつつも,様々な問題を抱え,悩んでいる。わたしは,実際にワーカーズ・コレクティブで働く主婦たちにインタビューすることによって,ワーカーズ・コレクティブのこれからを見つけていきたいと考えた。

U インタビューしたワーカーズ・コレクティブの紹介

 千葉県内の3つのワーカーズ・コレクティブとワーカーズ・コレクティブ連合会(→第10章)を訪ね,1〜2人のメンバーにお話をうかがった。

 田中さん   (アンティ)
 長谷川さん  (アンティ)
 飯田さん   (回転木馬)
 若月眞弓さん (萼)
 山内京子さん (千葉県連合会)
 内藤美佐子さん(千葉県連合会)

 1 ワーカーズ・コレクティブ アンティ

 「アンティ」は主に仕出し弁当と惣菜,喫茶を中心としたワーカーズ・コレクティブであり,店は千葉市美浜区の大規模な団地のそばにある生活クラブ生協の店舗(デポー)の一角にある。
 店の中は,座席数こそ多くはないが,手作りの洋服の販売を行っていたり,いろいろな情報のポスターが貼ってあったりと,にぎやかな様子である。アンティで作られている手作り弁当は,素材の確かなものを使用し,化学調味料などは一切使わない安全なものである。お弁当のほかにもケーキやジュースなども扱っているが,それらもすべてその信念を守っている。実際,わたしも食べてみたが,家庭の味をそのままといった感じで,野菜もふんだんに使われており,なかなか外では見つからないものだと感じた。仕出しが主ではあるが,2個から出前もしてくれるので,手軽に利用できる。客層も,会社員の昼食はもちろん,家庭の主婦も子供との昼食に利用しているとのことである。
 このワーカーズ・コレクティブは,千葉県で最初に設立されたワーカーズ・コレクティブ「かい」から1985年に独立して設立された。「かい」は全県で様々な事業を行う,ワーカーズ・コレクティブとしては大きな組織(1991年に 150名ほど,横浜女性フォーラム編[1991:162])で,その中の一つ一つの事業を独立させていこうとしており,その第一号が「アンティ」なのである。ただ経済的なこともあって,その後「かい」から独立したワーカーズは今のところない。独立したことの利点は,決定が近くでできるようになったことだという。「かい」に所属している時には,「かい」の会議に行ってから決定,またもって来て,というように何段階かあったが,独立してからはここだけで決定できる。
 組織としては「かい」と同じく,企業組合の形をとっている。これについては,「肩書きがね,一応… わたしたち企業組合って名乗っていけますもんね。なんだかわかんないけど,そうですかってうなずいてはくださる」,「でもまわりは関係ない。企業組合なんですって言っても,企業組合って言葉をまだ知らないでしょ,一般人が。だからそうですかって言うだけで,企業組合じゃないアンティに企業組合をつけただけでどう違うかっていう差はわからない。まあ正式なところにいくと(わかってはもらえる)… パートですって言うにはちょっとそうじゃないと思うし。ワーカーズって言っても,ワーカーズって何ですかって,そこからまた説明が始まるから,もうまわりくどくなっちゃって。やっぱりまだ市民権得られてないからね,ワーカーズって。」(田中さん)
 場所のことなどで生活クラブ生協の支援があったこと,そして経営上のことなどで「かい」にいつでも相談できたことで,立ち上げについては恵まれていたという。出資金も,最初に1万円,あとは毎月働いた中から3000円ずつ出していくという形をとれた。
 現在のメンバーは11人。他にアルバイトで来ている人が3人いる。全員が女性,主婦である。営業時間は午前11時から午後5時までで,定休日は日曜日,土曜日は午後2時まで。仕事は交替,分担制で,店にいるのは5〜6人ほどになる。1人平均して週に3〜4日働いている。お弁当は(自動車の免許をもっている人がいないので)自転車で運んでいる。取りにきてくれる人もいる。単発の大口の注文の時は,知っている人に頼んで,「微々たるもんですけど」お金を払って,自動車で運んでもらう。
 月々の売上を単純に割って分配してるとばらつきが出てしまうので,開設当初から1年間の時給は固定し,それで過不足が出た場合には年度末に調整している。1993年は業績がよかったこともあって,4人の年収が 100万円を(しかし 130万円には行かないくらいのところで)超えたが,1994年は「幸か不幸か,今売上が伸び悩んでいるから (100万円以内に)収まりそう」だという。

 2 ワーカーズ・コレクティブ 回転木馬

 回転木馬は佐倉市中志津の,交通量の多い道路沿いに建てられた,プレハブの建物とその回りで営業している。ここはリサイクルの店で,家具に始まって洋服,食器,電化製品などいろいろなものが所狭しと並べられている。
 開業は1986年1月で,当初はユーカリが丘に店舗があった。7人が20万円ずつ出し合い,軽トラックを買って仕事を始めた。現在では,リサイクルという言葉は大変身近なものとなっているが,開業当時はまだ今ほど騒がれていなかったそうだ。後に今の場所に移転。土地はただで貸してもらっている(生活クラブ生協の組合員の関係者が持ち主で,持ち主が使うことになったら立ち退くという約束になっている)のだが,店を出すのに 300万近くかかり,その時にも出資しあってお金を出した。1988年4月には佐倉市宮前に惣材と地場野菜の店「麦」も開設している。
 生活クラブ生協佐倉支部の結成に関わって活動してきた7人で始められた。この支部委員会活動の中で,学校給食で合成洗剤を使わず石けんを使ってほしいという請願を出したのだが,全く相手にされず,これは,議会に自分達で議員を出していくという「代理人運動」★05にもつながっていく。ワーカーズ・コレクティブ結成は支部委員会で活動していた時から生活クラブ生協から提唱されていたが,活動自体は生活クラブ生協からは離れた独立したものとしてやっていこうと考えた。
 廃油のリサイクルを基本にリサイクルショップでやっていこうというメンバーからの提案で,ワーカーズ・コレクティブの設立準備が始まる。ガレージセールから始め,拾ってきた粗大ゴミのリサイクル(以前から行政にリサイクルを提案していたのだが動いてくれなかった)を行い,廃油を回収して「手賀沼石けん共有者の会」が建てた「手賀沼石けん工場」にもっていく仕事を請け負い,石けんを販売,といったかたちで事業を行っていった。(以上の経緯については中村[1995])
 当初のメンバーから代理人(議員)を3人出しており,引っ越していった人もいるので,人数が減り,現在のメンバーは4人。この中でも1人が市議会議員になっているので,実質的に働いているのは3人。今はアルバイトの人も頼んで(時給 650円)なんとかやっているという状態。メンバーを募集中。アルバイトの人もできればメンバーになってほしい。けれども,「一般にパートに出て働こうとする奥さんたちには,自分で出資して働くっていう自覚ってそんなにないんですよね,やっぱり雇われて働くっていうことに慣れてますから。「ああそうなんですか。うちはおじいちゃんいるからね,この時間からこの時間までだったらいいと思ったんだけど」,やっぱりどうしてもそういう感じになっちゃってね,メンバーとしてやっていくっていうのはなかなか成立しなくて。」
 販売形態は,委託販売という形式をとっており,これは一般の人が持ち寄った品物を預かり,1ヵ月以内に売れた場合はその売上の7割を支払い,残り3割が収益といった具合で,もし1ヵ月以内に売れなかった場合は,寄付もしくは廃棄となる。だから店の中に置かれた品物にはすべての値段のほかに,もってきた人の名前と日付が入っている。わたしが訪れたときには,平日にもかかわらず,かなりの人が入れかわり立ちかわり店にやって来て,品物を預けていったり買ったりしていた。定休日は月曜日と火曜日,土日はやはりかきいれどきなので,営業しているそうだ。また定休日もゆっくり休む暇なく,ビラをまいたり,雑務に追われるそうである。
 回転木場のメンバーは,40歳代半ばから50歳代半ばである。リサイクルといえば,まず家具と,だれもが考えるほどポピュラーな商品であるが,大型なものなども多くあり,それらを運ぶのはかなりの重労働である。これは,まだ若い主婦にとってはなんでもないことであっても,10年先20年先を考えると,かなり大きな問題になってくる。つまり,ワーカーズ・コレクティブの高齢化である。リサイクルショップなど力仕事を必要とする職種のワーカーズ・コレクティブは,現実問題としてこの高齢化が浮かび上がっており,ワーカーズ・コレクティブとともにメンバーが年を取っていくという現状がある。

 3 ワーカーズ・コレクティブ 萼 (うてな)

 佐倉市の「回転木馬」をモデルにして1987年2月に設立されたワーカーズ・コレクティブ「回転木馬・成田」(企業組合,メンバー7人,出資金 190万円,93年度事業高2470万円)の創設メンバーの一人若月眞弓さん達によって作られた。千葉県でもっとも(調査した時点で)新しいワーカーズ・コレクティブである。
 同じ人達が関わってはいるのだが組織的には少しややこしい。「回転木場」のところにも出てきた「手賀沼石けん工場」の第二工場としての「印旛沼せっけん工場」をという建設運動が92年8月から始まった。ワーカーズ・コレクティブ千葉県連合会でも出資金の呼びかけをし,みんなでお金を出し合って(2200万円ほど)建物を建設,土地は借りた。ここで,廃油から石けんを作る。借りた土地は工場を建てることは認められていない土地だが,事業が小規模である等の理由で,工場としてではなく許可され,94年9月に完成。その名称は「印旛沼せっけん情報センター」。廃油を集めるのは各地の「石けん共有者の会」である。
 「萼」はこの「共有者の会」から廃油集めの仕事を請け負い,「印旛沼石けん情報センター」での石けん作りの仕事を行うワーカーズ・コレクティブということになる。上記の「情報センター」のための出資と,このワーカーズ・コレクティブのための出資は別である。「情報センター」完成前,1994年4月に「萼」は誕生している。1995年1月からいよいよ実質的な仕事をスタートする運びとなった。
 このワーカーズ・コレクティブは,ただせっけんを作って売るのではなく,リサイクルの輪を作ることを目標にしている。つまり,各家庭から廃食油を集め,萼がそれをせっけんに変え,廃食油を提供した家庭が,このせっけんを買って使うというものだ。ただ廃食油を集めてせっけんを作るのは簡単なことだが,それだけではせっけんが山と積まれるだけになってしまう。それをどれだけ多くの人に使ってもらい,このリサイクルの輪の中に参加してもらうかというのが,萼の課題である。
 せっけんの作り方は,集めて来た廃食油を暖めて苛性ソーダを加え,十分に乾燥させて袋詰めしてできあがるが,小型の容器も使い捨てではなく,何度も繰り返し使えるようになっている。こうやって,廃食油が回収され,変身を遂げたせっけんを各家庭が使い,世に出回る。こうやって,まだまだ小さくはあるが,リサイクルの輪が完成するわけである。 現時点(1994年秋)では,4人の主婦ですべての行程が行われている。まだ始めて間もないので,せっけんを作るのは,月に2回,うまくいって週に1回,苛性ソーダを加えるまでの工程は丸1日,朝から晩までかかるが,それから乾燥して袋づめするまでの1週間は,常時せっけん作りに携わっているわけではない。将来は,毎日は無理にしても,2日に1回くらいは,と考えている。
 だから現在のところはまったく人手不足ではないのだが,仕事が増えていけば,将来的には増員を考えないといけなくなる。この時に,2つのことを考えているという。ワーカーズでは経営者であり労働者だということで,魅力的ではあるけれどもハードな部分がある。そうではなく
 「有償のボランティア,パート,アルバイト,月に2時間でもいい,私せっけん工場で働きたいっていう人達のグループというか集団が,外側に出来てほしい。足を運ばせるっていう意味でも。もう一つは,ゆくゆくは障害者も一緒に働ける職場になりたいなあって思うねえ。決して福祉作業所みたいなところじゃなくてね。ふつうのところに障害者がいるという職場を作っていく。手賀沼(石けん工場)がそうやってるんですよ。… 人が足りなくなった時に,ワーカーズのメンバーを多くするとは限らない。… 4人がしこしこせっけんを作るってことになりかねないと思うんですよ。… どっかでせっけんが作られているわっていうのでは困るのであって,情報センターとしても,人にここまで足を運んでもらうってことに大きな意味があるかな。その集団をね,なんていう名前にしようかって今考えているんですけど。ファンクラブにしようか,応援会,それかサポーターとか,いろいろ出てるんですけど。… ワーカーズってすてきな働き方だと思うんだけど,すごくすべてについてよいわけではないし。ワーカーズに適していないって職種もあるわけじゃない。なにがなんでもワーカーズじゃなくてさ。」
 人々が,気軽な気持ちでせっけんに親しみを感じ,いつも情報センターには活気があふれているというのが理想で,このことによってリサイクルの情報ネットワークも円滑かつ活発になって行き,世界が広がって行くと萼は考えている。
 他方で,ワーカーズ・コレクティブとしては,きちんと採算がとれるようなものにしていきたいと言う。「わたしは月50時間,50時間で2万もらえればいいんだって人とさ,わたしは扶養家族から抜けたいんだって人がそこに混在するとさ,すごいやりにくくなるのね。だから,ワーカーズ作っていくときは,ちゃんとどこまで働くのかっていうのをやっぱりちゃんと話し合って,どういう働き方をしたいのか。50時間で時給 300円でいいって人ばっかりだったら,別にそれはそれでいいわけじゃん。そういう働き方もあっていいじゃん。… 交ざっちゃうと難しい。」萼の場合は,「どういう職場にしていくのか,どこまで働くのか,将来的にはどこまでもっていきたいかっていう話し合いはきちんとやって。ここの場合は働けるだけ働いていこうって。」
 それというのも「萼の場合は一つ大きな目標があるんですよ。中規模プラントとしてのモデルになりたい。… たとえば,労働の自動化とか考えたら,福祉作業所でもできるだろうし,これから高齢化社会だから年寄りたちができるだろうし。規模としては非常にやりやすい規模なんです。ちっちゃな規模で。また1人や2人でできるものでもない。そうすると,ここが先行すれば,このプラントをモデルとして作っていきたいっていうのはある。そのためにはちゃんと採算とっていかなきゃなんないし,私達が(時給) 500円でいいとは言ってらんないわけでしょ。ちゃんと食えなきゃいけない。」

V ワーカーズ・コレクティブで稼ぐということ

 1 100万円の壁,130万円の壁

 「100万円の壁」 という言葉をわたしたちはよく耳にする。主婦が働いたときに夫の扶養からはずれない額で,パートが10月,11月にまとめて休みをとり調整したりするといった話をよく聞くが,ワーカーズ・コレクティブで働くメンバーたちもこの問題について,大きな関心をもっており,実際にこの問題を目の当たりにすることによって,悩むメンバーも多い。パートのような雇われの身ならばともかく,ワーカーズ・コレクティブでは無責任なことは許されない。そのような中で,実際どのような働き方をしていくかにまで,問題は発展してくるのである。
 「100万円の壁」 とはいったい何なのか。税法上の「給与所得」とは,「収入」から「給与所得控除」65万円を引いた残りで,それが課税対象となる。すべての「所得」には「基礎控除」が35万円あり,収入が 100万円までは課税は0になる。そして配偶者(夫)が給与所得者の場合,妻の収入が税金のかからない 100万円以下ならば,夫に所得税35万円,住民税31万円の「配偶者控除」がある。そしてこれ以外に「配偶者特別控除」があり,夫の合計所得金額が 1000万円以下で,妻の給与収入が135万円未満の場合,夫の所得から最高所得税が35万円,住民税が31万円控除される。かつては 100万円のラインで全体の所帯収入がダウンしてしまう逆転現象が起こったことから,「100万円の壁」 と言われるようになった。ただ今では,所得税,住民税のことだけを考えれば逆転は起こらない。だが,夫の勤務先から出る配偶者手当がなくなると減収となる場合がある。さらに 130万円を越えると妻も自分で社会保険に加入せねばならなくなり,結果的に実収入が減ることになる。
 年金保険について,夫の被扶養者である妻は「第3号被保険者」となり,保険料の負担がない。その代わりに夫(だけ)が払っているわけではない。厚生年金第2号被保険者全体が負担している,つまり独身者や共働きの女性も負担しているのである(内藤さん)。枠内に収まっている働く主婦は何とも不思議な位置にいる。(以上,詳しくは全国婦人税理士連盟編[1994]。他に福島[1992:114-119],島田[1991:170-187]。年金制度における専業主婦の優遇について八田・木村[1993],小口・木村・八田[1994:340-341])
 ここで,わたしはある疑問にぶち当たった。ワーカーズ・コレクティブという働き方は,社会に対して信念を提示していき,それを実行していく運動だったはずである。このように社会にはばたき,社会的にも自立し認知を受けようとしているメンバーたちが,なぜ社会との接点である税金のことに対して,消極的なのか。
 労働する人間は,税金を払うことによって,初めて社会的に1人前として認められ,発言する権利を得られるのではないか。それなのに,「100万円の壁」 内に収まり,得なのか損なのか,その保護枠の中で活動していくことと,社会的認知を受けたいということは,実は矛盾しているのではないのだろうか。
 またわたしは,働く女性は経済的な部分ももちろんあるが,自分の人生の中で生きがいにしていきたい,自分にできる何かをやっていきたいという願望があると感じていた。さらに,その中には,結婚したからと夫の給料に全面的にたより,夫に養われるかたちではなく,従属的な立場になりたくないという主婦の本音もあるような気がする。もし,この本音が本当ならば,つまり夫に食わせてもらう立場に疑問を感じて働いているならば,夫の扶養からはずれることを恐れることも矛盾しているのではないのだろうか。
 この二つの疑問は,ワーカーズ・コレクティブに限らず結婚し,働こうと考える女性すべてに当てはまることだろう。仕事に対してどんな意識で取り組んでいるのか。働こうと決めたとき,ワーカーズ・コレクティブをやっていこうと決めたとき,どんな働き方をするつもりなのか。現在暇な時間を当ててお遊び程度でやるのか,少々家庭を犠牲にしてしまうかもしれないが納得のいくまで働きたいのか,キャリアウーマンと呼ばれたいのか,すべてを捨てても働きたいのか,実に選択肢はさまざまである。
 ワーカーズ・コレクティブは,すべてのメンバーが経営者であり労働者でもある。代表者が取り仕切ってくれる気楽さは,そこにはない。労働は店に出て働いたりすることによって実感できる。しかし経営者の意識は,なかなか実感しにくいのではないか。
 主婦たちのサークル的な場としてのワーカーズ・コレクティブ,もうけが出れば「あら,ラッキー」で終わらせるのか,それとも一事業として常に発展を目指すワーカーズ・コレクティブなのか。ここのところで,インタビューに行ったワーカーズ・コレクティブがというのではないが,こういう事業形態,仕事のしかたでは――ただお金を得られればよいというわけではないという理念があることは承知の上でも――ちょっと,それなりのお金を得るという意味では,成り立たないだろうと思う部分はあった。そしてこのことに,主婦であるという立場が関係していないかと言えば,していないとは言えないだろう。一家を養わねばならないということになればそんなことは言っていられないからだ。
 ワーカーズ・コレクティブの構成員のほとんどは主婦である。資格や技術がある特別な主婦ではなく,ごくごく普通の主婦がほとんどである。彼女たちにできること,その多くは家庭に密着したものだろう。彼女たちは,身近なところへの関心から仕事を発見している。そんな彼女たちにワーカーズ・コレクティブを始めるときから,経営者感覚をしっかり身につけることを要求するのは,無理な話だ。しかし,スタートした時点から身につけていかなければならないことは確かである。どんなことでも,「わたし分からないから」で終わらせていたのでは,前に進まないし,話を大きくしていくことはできない。仕事をしていて,楽しいと感じることはいいことである。つらいより,ずっと長続きするだろう。だが,事業を始めたからには,少しの危険を伴う冒険も必要なのではないだろうか。
 と,まず,このように考える。実際,どうやってワーカーズ・コレクティブを事業として成り立たせていくか,ワーカーズ・コレクティブの連合会などでもこれを課題として取り上げているようだ(→第10章)。ただ,ことはそう簡単ではない。
 収入が 135万円を軽々超えてしまえば,少なくともお金の面では,問題は起こらない。税金を払おうが,保険料を払おうが,実収入は増えるからである。そして,少なくとも,今回私がインタビューした人達は,経営のことを考えており,低い時給,低い年収でよいとは思っていない。経営努力をしている。だが現実は難しい。現状の時間数以上は働けず,かといってこれ以上の時給アップもあまり望めないとなると,超えようと思っても,なかなかそのラインに達することができない。実際には,かなり努力し,かなりうまくいって,それでかなりきわどいラインに達するということである。いくら越えていきたいといっても,きわどいラインで超えた場合,アップするどころか逆転現象が起き,全体収入がダウンしてしまったら,だれだって一瞬考えてしまうのではないか。
田中「もっと時給も高くて,もっといっぱい働けて,本当に 150万ぐらい働けて,それで  あれだったら,きっと保険も払うし,でもね5万や2,3万や,ちょっとセイブしち  ゃいますよね。」
 −「それを超えたときにかかるお金が並じゃない。」
田中「並じゃないですよね。」
長谷川「結局,こっちにもかかって来ちゃいますからね。」

 そして,きわどいラインに自分が立っていて,超えると不利になることがわかっていても,ワーカーズ・コレクティブの場合,時間調整をするのは難しい

田中「わたしたちはつらいことに調整ができない。… みんなでやってるんだから,みんな同じようにほとんど出てるから,かえって必要ないぐらい忙しくて,だからそれもできない。そんな休んじゃうととてもできないつらさもあるし,本当に難しい。」

 特に社会保険の問題がある。収入が 130万円を越えると,夫の扶養からはずれるだけでなく,自分で社会保険にも加入しなければならなくなる。この掛金は彼女と事業主が折半する仕組みなので,ワーカーズ・コレクティブにおいては彼女と事業主は同一人物なのだから,すべてをワーカーズ・コレクティブ内で支払っていかなければならない。

田中「1人にくる社会保険ってあるじゃない。そうすると,やっぱりみんなの合意も必要だしね,じゃあそれだけここで出せるかっていうと,また苦しい。だからバリバリ働くから,ちょうだいって言っても,そうもいかないっていうのもあるし,難しいわね。まあそういう人,わたしぜひ越えたいからって,お金も必要だし,越えたいって人があればこことしては応援したい,今のところそういう人もいないので,とりあえず,今収まっている。」

 事業が拡大し,一人一人の収入が大きくなれば問題は起こらない。しかし,ワーカーズ・コレクティブの事業は,それなりにうまくいってるところで,この壁を通過するかしないかというあたりにいる。この時,壁が壁として立ち現れてくるのだ。

 2 家族との関係

 現在の制度のもとでは,妻の収入の増加が一家全体の収入を減らすというようなかたちで妻の仕事が家族に影響を与える。また,ワーカーズ・コレクティブでの仕事が増えれば家にいる時間が減る。彼女達は,家族,特に夫とどう折り合いをつけているのだろうか。

飯田「ずっとおとうさんのお荷物でぶら下がってきたくないから,自分でしたいことは自分の人生だからやってみたいっていうふうに,はっきり宣言しました。だから,そうじゃなかったらね,もう子供が手離れたら離婚だねって言ってたんです。でも今は協力的です。それはだから成功したかな。… そうね,だからメンバーみんなそうなんだけど,あのいろんなこう夫婦間の葛藤はねみんなあれして,今に至ってるのが現状ですよねえ。うん,だからわたしなんかも本当に大変だった。分け合うものは本当にないぐらいでずっと来ましたからね。」

 −「100万円の壁を越えることで,旦那さんから反対とかありました?」
飯田「うちは特に反対ってことはなかったです。… ただ扶養家族から抜けちゃうと,かなり主人のほうも税金アップしちゃうしね,だからそういう意味では,目減りするぞって言ってましたけどね,まあそれは聞こえないようにして。だから特に抜けたらいけないという反対はなかったですね。」

若月「わたしは男と肩並べて働く気はさらさら無いんですよ。ただ自分の食い禄くらいは稼ぎたいということであって。もう男と,それからうちの旦那と,対等に張り合いたいとか,そういう気は全然ないねぇ。… わたしみたいに,ふらふらやったりやめたりどうのこうのというのとは,まず違って当然だよね。じゃないと男は怒るよね,一緒にするなって。
 それとなんていうかな,地域参加っていうところでいえばね,うちの旦那ができない分をわたしがしてあげているわけなので,夫婦でいっちょまえって考えれば,そういうことを考えて…」

 今のワーカーズ・コレクティブでの収入と夫の稼ぎは「1ケタ違う」。けれども夫のように働いて犠牲になる部分を考えれば,同じだけ稼ごうとは思わないという。家事や,地域社会での活動の部分を考えれば,家計の半分を稼がないといけないわけではないという発言もある。しかし,自分の生活の分(+子の分の半分,という発言もあった)くらいは稼ぎ出したい,といったところだろうか。
 若月さんに,旦那さんに反対されたりしたかと聞いたときに( 100万円を越えることも含めて),そういう夫婦もあるだろうけど,それは夫婦間の基本的な人間関係にかかっていると一喝されてしまった。男(夫)が女(妻)に対して,「働くな」と言うのはおかしくなくて,その逆はおかしいと感じることがおかしいのだ,と。妻が外に仕事をもつ分,家庭での時間が減って,家庭に及ぼす影響も少なからず出てくるだろう。そのときは夫の協力が必要不可欠である。ここで渋い顔をする夫は結婚する資格がない。結婚は,自分の雑用をやってくれる人を養うのではなく,一緒に生きていく人を見つけることだ。ちょっとロマンティックすぎるだろうか。しかし,わたしはそう思うし,そう感じた。
 けれども,次のような発言もあった。壁はやはり壁としてあるのだ。

山内「扶養控除,100万円の壁を何とかしようっていうのが私の中では強いのね。女の人はパートかアルバイトにして下さいって言ってるような法律そのままにしておいて,ワーコレなんか成長しようがないって。… 私たちは見えない,いろんな家の亭主と戦ってるんだから,ワーコレのリーダーっていうのは。自分んちの亭主はいいよ。直接戦えるんだから。別に戦わなくてもいいのよ,うちは。要するにパートナーシップとして生きていける相手と暮らしているからいいよ。だけど,明日この仕事無理してでも受けようよって言った時に,一緒に働いてる仲間が,夫が休みだから私はダメなの 100万円超えたら私追い出されるから明日は働けないとか,そういうの聞くわけじゃない。自分の亭主ならね,勝負するよ。でもこの人に勝負しろって言っても,ずっとそんな関係で10年とか生きてきたわけじゃん。じゃあ出ていけばって言ってもこの人食べさせていけないじゃん,私達には。それが私は一番腹立たしいから。これがなくなってね,ワーコレが他の自営業のケーキ屋さんとかお弁当屋さんとか比べて業績がどうなのかっていうのをしたいのよ。だって自分の働きを抑える人が8割もいるの,主婦という名のもとに。… やっぱり自分がさ,一生何で食べていくかっていうことを女の人がきちんとテーマにして生きて来なかったツケなのかなって。私もそうなんだけど。何になりたいって聞かれたのは小学生までで,その後はあまり考えないできたの。… 自分の食い禄は自分でっていうのを前提に生きていかないと,あっというまにね,子どもが2人できた時にどっちがやめるってなったら,負けちゃうじゃない。男が働いている方が得だから。で1回やめたら復職できないんだ,この社会は。」



★01 久田編[1987:109]より。モンドラゴンについて,Thomas & Logan[1982=1986](訳者あとがきに1980年から1986年のワーカーズ・コレクティブ関連文献を掲載),石見[1983],Azurmendi(アスルメンディ)[1984=1990],吉田[1988]。世界のワーカーズ・コレクティブについて石見[1987],岸田[1989]。日本のワーカーズ・コレクティブ,そこで働く女性について,石見編[1986],天野[1989],中村[1993b],鎌田[1994] 等。また上野・電通ネットワーク研究会[1988:197-206]でもふれられている。他は注03を参照のこと。雑誌の特集として上記及び注03の文献のいくつかも収録する『現代の理論』1987-9(特集:ワ−カ−ズ・コレクティブと市民資本),同1988-1(特集:ワ−カ−ズ・コレクティブ2),同1989-9(特集:市民資本と市民事業)。
★02 1965年「生活クラブ」結成,1968年「生活クラブ生協・東京」創立,1971年「生活クラブ生協・神奈川」創立。生活クラブ生協について,神奈川生活クラブ生協編[1981],高杉[1988],早稲田大学第一文学部社会学演習UA[1985][1986][1991],佐藤編[1988],佐藤・天野・那須編[1995]。
★03 「ワーカ−ズ・コレクティブ・にんじん」について,宇津木[1984][1987][1993],これを含め神奈川県のワーカ−ズ・コレクティブについて宇津木[1989]。ワ−カ−ズ・コレクティブ「ACT」について松本洋子[1988]。「プレス・オールタナティブ」(通信社,女性主体の組織ではない)について片岡[1990]。等。在宅福祉サービスを行なうワーカーズ・コレクティブについては第11章注02。
★04 『うえい』7による。1992年度末の団体数は 164(ワーカーズ・コレクティブ全国会議実行委員会編[1993])。また,神奈川県内では1994年8月1日現在で87団体,3141名(『うえい』)。こうした数値からもかなり急速に数が増えていることがわかる。横浜女性フォーラム編[1991:152-166]には16のワーカーズ・コレクティブが紹介されている。神奈川ワーカーズ・コレクティブ連合会[1993]には27団体のリストが掲載されている。
★05 「代理人運動」については,大津[1992],天野[1995:55-58],渡部[1995]。


REV: 20170426
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