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第6章「企業人のボランティア活動――2つのボランティア・グループ,そしてボランティアする契機」


last update: 20170425


第6章

企業人のボランティア活動
2つのボランティア・グループ,そしてボランティアする契機

                     Sano,Takeshi Narui,Masayuki
                       佐野 剛士 ・ 成井 正之

 『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』第6章

 ボランティア活動の担い手として思い浮かぶのはどういった人だろうか。主婦かも知れない,学生かも知れない。しかし本稿で取り上げる対象はこれらのいずれでもない,一般の企業に勤めている人である。
 なぜ企業人でボランティアをしている人を取り上げるのか。まず,最も時間的制約があるはずの彼らのボランティア活動との関わりを見ること自体に関心を持ったためである。企業に勤めながらボランティア活動をしている人は,現在ではまだ少数である。働きながらボランティア活動などできるのだろうか。
 Tでは,企業に勤める人によって構成される2つのボランティア・グループを紹介する。
 Uでは,この2つのグループの次の5人のメンバーへのインタヴューをもとに,企業人ボランティアの一般化のための契機について考察する。Tは成井と佐野,Uは佐野が担当する。
  Aさん:女性/30歳代/企業人/未婚(KIDSのメンバー)
  Bさん:男性/30歳代/企業人/既婚(    〃    )
  Cさん:男性/30歳代/公務員/未婚(    〃    )
  Dさん:女性/30歳代/企業人/未婚(テラリストのメンバー)
  Eさん:女性/30歳代/企業人/未婚(    〃    )

T 2つの企業人ボランティア・グループ

 1 KIDS

 1991年11月,外資系の企業に勤めるアメリカ人のリード・メジャースさんと,日本人の山本幹夫さんが知的障害者の施設の運動会に参加した。その際に,閉鎖的な社会で生活する彼らをディズニーランドに連れていったら面白いのではと考え,ディズニーランド・プロジェクトを発案し,仲間を集め始めた。そして翌1992年の2月,「KIDS」と名前を決めて活動を開始した。「KIDS」は,「子どもたち」という意味のほかに「Knowing Is Doing Something」という意味も含む。日本の公益法人格を得ることが制度上難しいこともあり,現在も任意団体として活動している。
 「子どもたちへの継続的社会教育の奨励および支援」「市民一人一人の社会貢献意識の高揚」「国,企業,老若男女そしてさまざまな枠組みや障害を越えた共存社会の提案」の3つを活動方針とし,「子どもたちとの交流(施設・学校訪問)」「ディズニーランド・プロジェクト」「スマイリング・フェイス・プロジェクト(写真展)」の3つの活動を柱としている(後述)。
 発足当初は発起人の1人がアメリカ人ということもあり,中心メンバーにはかなり外国人がいたが,現在は,彼らが会社の都合などで本国に帰るなどして,日本人の活動者が中心となっている。現在企画などに携わるメンバーは約40人。社会人と学生がいるが,中心は一般企業に勤めている人達である。年齢層は大学生から50歳代までにわたるが,中心となっているのは20代後半から30代の人である。男女比は男性2:女性8で,女性の方が多い。1995年からは「KIDSサポーター」という会員も募集している。年会費は1200円,『KIDS FORUM』が送られる。募集を始めるにあたり,組織全体の年間の収支報告を行うようにし,組織構成も整備した。

 @ ディズニーランド・プロジェクト

 この活動は,「さまざまな障害(壁)を越え,子どもたちとボランティアが共に遊び,生きることの喜びを一人でも多くの方々に体験していただく機会の提供」を目標としている。またKIDSはこのプロジェクトを,人々への「きっかけ作り」と位置づけている。ボランティア活動が初めての人がメインの対象となっているのである。
 1992年5月に第1回が,1993年4月に第2回が,1994年に第3回が行われた。第2回からは東京だけではなく,ロサンゼルスでも開催している。第3回の決算や参加人数などは以下にまとめておく(表1・表2)。参加者は知的ハンディキャップ,身体的ハンディキャップを持つ子どもたち,両親と離れて暮らさざるを得ない子どもたち,難病の子どもたち,そして子供達と一緒にディズニーランドで遊ぶボランティアである。
 子どもたちもボランティアも参加費を払うが,実際に必要な金額よりははるかに安い。完全な招待にしないのには二つの理由がある。一つは大勢の人に参加してもらいたいためである。すべてKIDSが負担すると,参加できる人数が減ってしまうのである。二つ目は,参加者も当然の負担をするべきであるという考えに基づいている。子供達もお金を払っているのだからきちんと楽しませてあげなくてはいけないということにもなる。足りない資金は,その大部分が寄付で補われている。チャリティー・イベントとして「ドッジボール大会」も行った。
 表2の現金と物品やサービスの寄付のほとんどは企業からである。この他に,バスを破格の料金でチャーターさせてもらったりもしている。ディズニーランド・プロジェクトでKIDSは企業から,人的な援助,金銭的な援助,物品やサービスなどの援助(チャリティ・イベントのスポンサーや協賛も含む)を受けている。企業からの援助についてKIDSのメンバーであるBさんは言う。

B「大きな考え方としては,負担できる人が負担すればいい。例えば,ボランティアは労力を負担しますね。企業でお金を出してくれるところはお金を負担する。お金を出してくれるところもあるし,ボランティアを呼びかけてくれるところもあるし,それは持っているものが違うはずだから,持ってるもので協力してくし,それがお金かもしれないし,会社のシステムかもしれないですしね。例えばバスなんかは破格のお値段でチャーターさせていただいているから。… ただ前提としてギブ・アンド・テイクは絶対にないといけないですね。お金を頂く代わりに,その企業には何かを差し上げないといけないですね。それは何かっていうと,社会貢献をする,ボランティア活動をするきっかけを差し上げるとか,社員にきっかけを差し上げるとか,あと最近では会社によってはどのような社会貢献をしたらいいのかっていうのを模索しているところもあるから,そういうところにアイディアを提供するとか。」

 表1 KIDSディズニーランド・プロジェクト'94 参加人数
 人数 東京 ロス 計     ※内訳 計
子どもたち 471 200 671 企業・団体参加(33団体) 374
付き添い 177 177 個人参加 121
ボランティア ※495 100 595       計 495
スタッフ   50   50
  計 1193 300 1493

  表2 KIDSディズニーランド・プロジェクト'94 収支報告
  収入内訳 計(円)    支出内訳 (円)
ボランティア参加費 1,924,550 ディズニーランド入場料 3,546,820
生徒・教員等参加費 986,600 昼食代 1,250,000
ドッジボール大会 収益金 428,550 移動費(バスチャーター等) 587,000
1993年度Tシャツ売上 80,000 会計監査 400,000
寄附金等預け入による銀行利息 1,557 記録費(写真等)  36,868
現金寄付 4,621,768 物品配送費 129,592
    計 8,043,025 通信費(郵送費) 321,538
※他に物品・サービス等の寄付7,810,000円 通信費(電話,ファックス)  82,560
KIDS便箋,封筒印刷費 209,605
備品,文房具代 116,619
学校訪問費  22,643
アメリカ渡航滞在費★01  95,294
LAディズニーランド入場料 652,922
ボランティア保険(通年)  57,180
会議費  13,600
銀行手数料   3,749
    計 7,525,990

 A 子どもたちとの交流・・施設・学校訪問

 KIDSはこの活動を「自主活動へのシフト」と位置づけ,「子どもたちとボランティアによる定期的・継続的な交流の促進・充実」が目標とされている。現在のところ,養護施設1つと毎月最低1回は訪問交流を行っている。「ディズニーランド・プロジェクト」が単発的なボランティアの機会・子どもたちとの交流の場を提供するのに対し,この活動は定期的・継続的なボランティア・交流の場を提供することを目的とする。これは「ディズニーランド・プロジェクト」で得たボランティアのきっかけを定期的・継続的なものへとつなげる機会を提供することも意味する。KIDSのメンバーは,このような交流の芽をもっと増やしていきたいと言っている。

 B スマイリング・フェイス・プロジェクト・・写真展

 「子どもの笑顔の写真を通して,厳しい環境におかれているアジアの子どもたちに対する理解の促進と援助」を目標とする。KIDSはこの活動を「国際的な広がり」と位置づけている。「フィリピンのストリートチルドレンを保護するための「グリーン・ホーム」への寄付を募るとともに子どもの権利に対する理解を深め,世界の子供達がおかれている環境改善の緊急性を強く訴える」ことを目的とする。「グリーン・ホーム」とは「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」がフィリピンのストリートチルドレン救済のために行っているプロジェクトである。1993年12月に第1回が行われ,展示写真 180枚,フィリピンへの寄附金70万円という結果を残した(表3)。また,第2回が1995年1月に行われた。 

表3 KIDS「Smiling Faces ’93」収支報告
   収入内訳 計(円) 支出内訳 計(円)
企業寄付(7社) 990,000 展示会場費 123,600
団体寄付(1団体) 10,000 レセプション会場費 147,290
個人寄付 80,450 コピー代(ちらし等) 2,432
匿名   3,100 写真代 16,042
銀行口座開設    100 通信費(切手等) 33,328
銀行利息    54 通信費(物品配送費) 25,028
計 1,083,704 文具用品費 38,050
    その他物品の寄付1,955,400円 手数料(郵便振込)   300
    サービスの寄付423,900円 計 386,070
  ※ 残金\697,634を「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」に送金した。

 2 テラリスト

 この団体はまだ発足して間もない。1993年の秋に「薔薇の会」として活動を始め,1994年3月,名称を「テラリスト」に改め,現在にいたっている。企業社会のなかでのボランティアの浸透を促進するのが目的で,基本理念は「企業人間が社会への責任を果たす」というものである。
 異業種の企業人が,ボランティアを接点にしてつながった会がテラリストである。約30名弱のコアメンバーがいる。コアメンバーとは,「企画・立案のできるボランティア・リーダー」になることを目指している人々である。当面はコアメンバーの知識やスキルを深めることを目的とした学習・体験をしていくことが活動の中心となっているようである。コアメンバーとは別に,一般体験者がいる。彼らは,コアメンバーが主催する体験型のイベントに参加する人々である。
 テラリストは,ボランティアは一般に思われているほど難しいものではない,と考えている。重く考えている人々のボランティア観を変えたいという。そのために「楽しく気軽に,明るく軽く,細く長くできるボランティアの企画」をしていきたいということである。
 現在はコアメンバーの知識を深めるために,1年間はジャンルを決めずに活動をしてみるという段階である。だからさまざまなものを単発的にやっている。最初の活動としては,「日の出太陽の家」という知的障害者の入院施設で施設の大掃除を手伝ったり,日常作業の介助をした。その他にも,例えば,湘南セシリア自立ホームという知的障害者の施設でも日常介助のボランティアをしたり,上述のKIDSディズニーランド・プロジェクトにも参加するなど,いろいろな活動に従事してきている。
 さまざまな活動は全て紹介者を通じて行われている。構成メンバーのネットワークをそのままテラリストに持ち込んで,その人を窓口としていろいろな活動に関わっていくのである。企業を一つのネットワークとして利用し,ボランティア活動をしている。

D「なんで企業でやったかっていうと,企業が一番ネットワークが多かったからなんですよ。事務所で広げるよりも企業の方がネットワークが広がりやすかった。企業の人を介することで情報の広がり方とか浸透性,情報の信頼度が高まる,っていう現象がどこにでも起こっていると思うんです。縁をつなぐ場がなくなってきている中で,企業が一つのネットワークになって生きている,それも非常に強いネットワークとして。だからその企業のネットワークを使っていけば良い体験がみんなできるな,と思ったんですね。だから,始めはトップ・ダウンっていうのは非常に早いんでいいかなと思ったんですけども,逆にそういう制約がなくて自由にやれるというので非常に健康的だなと,あり方として。で,広げる方法として最適だったんで,企業でやるのがいいなと。人を動かすのに企業というのが一番効率的だったんで敢えて場を企業に選んでるんで,企業そのものに対して何をして欲しいというのは私には特にありません。社会全体にどうなって欲しいというのはあるんですが,企業はただの波及手段…。」

 3 活動方法

 @ 資金

 KIDSの活動で特徴的なのは,自らが企業などに積極的に働きかけているところである。彼らは企業などが寄付してくれるのを待っているのではなく,自らが企業に出向いてプレゼンテーションをする。そして企業に寄付を求めたり,人(ボランティア)を派遣してもらったり,あるいはものを提供してもらったりしているのである。この団体は3つのイベントを行うためにかなりの資金を必要としている。よって企業に援助を求めたり個人に援助を求めたりしているのである。企業の場合は,社会貢献担当室などを置き理解してくれそうなところに中心的に行くそうである。個人の場合は,例えばディズニーランド・プロジェクトに参加したことのある人に「KIDSサポーター」の誘いをしている。また,援助を求めるばかりでなく,チャリティー・イベントでの収益を資金にするといったこともしている。これらで集まった資金はイベントに使われるほか,「KIDSサポーター」に送られる『KIDS FORUM』などの必要経費に使われている。
 テラリストでは逆に,お金をほとんど視野から外している。これは現在テラリストの活動が個人個人で行われているのに起因しているのかも知れない。基本的に自分で経費を出して活動している。希にボランティアをされた側が,交通費ということでいくらか支払う場合もあるらしいが,基本的には求めていないそうである。そしてお金をもらう場合も個人がもらうので,テラリストとして会計が何かをするということはない。お金の管理等といった事務処理が増えると大変である,というのもあるようだ。
 この違いは活動内容や規模の違いによる。自費でまかなえる範囲なら資金のことはあまり問題とはならない。ただ,大きなプロジェクトを行ったり,海外援助が活動内容に入ってくると,資金をどうやって確保するかが大きな課題になる。KIDSの場合には,スタッフ,ボランティアとしての参加者の多くが企業人であることも生かし,企業から,現物やサービスによる寄付を含め,かなりの援助を得ている。

 A 活動者の時間配分

 ボランティア活動がなぜできないか,という問いの答えはたいてい「時間がないから」というものである。では彼らは,企業に勤めながら,どのようにしてボランティア活動に関わっているのだろうか。「時間がない」にもかかわらずボランティアに携わっている人が実際にどのようにして時間を使っているのかについて触れたい。
 KIDSでは,年に3回のイベントの準備のために必要な会議がある。それは当然,会社の終わった後である。時間としては,1度で4時間ほどである。その他必要ならば休日に準備をしたり,ということもある。忙しいのはイベントの直前だけで,一年中忙しいわけではないという意見が聞かれた。イベント前以外の時期は,仕事は当然として,ボランティア以外のいろいろな活動もしている。ただ,KIDSでは企業にプレゼンテーションを行って寄付を求めることもあるため,昼間,企業に説明に行かなくてはならない場合もある。このようなケースなど,限られた場合にのみ有給休暇をとるそうである。
 テラリストの人達は,アフターファイヴには会議をすることも具体的な活動をすることもあるらしい。KIDSでは大きな3つのイベントのための会議が中心であるが,テラリストはさまざまな活動をしてみるという段階なので,会議も活動もあるわけである。会議は,月に1度ほど,ボランティアの企画,学習のために開いている。議長などはコアメンバーの持ち回りで行っている。
 いずれにせよ活動の主な時間は,仕事後や休日である。そして,これはどこででも私達が聞いたことなのだが,無理をしないというのが基本としてある。そして,まず自分のしたいことを優先させるべきだろう,ということらしい。実際の時間配分について聞いてみたが,そこで必ず出てきたのが,そのときによる,というものだった。いつでも仕事が第一に優先されるべきなのはほぼ決まっている。ボランティアの活動が忙しいときは(人手が必要な時は)ボランティアが二番目にくる。旅行に行くときはボランティアのことはほとんど忘れる。家族と一緒の時は家族が一番なのである。
 企業人にとって,仕事はすっぽかしてはならない重要なものである。ボランティアをしているというと,それに専念して仕事さえもおろそかにするようなイメージがあるが,実際にはそうではないようだった。
 ボランティア休暇について。今回インタビューを行った人々の勤め先は有名な大企業が多かったが,それでもボランティア休暇制度は整備されていないところもあった。あってもとりにくいという意見や,逆に有給休暇と同じという意見があった。

 B 事務所,会議の場所

 外側から見ていると気がつかないことだが,企業人ボランティア・グループにとって重要なのが,場所の問題である。会議の場所や事務所の場所などはKIDS,テラリストに共通する切実な問題となっている。
 彼らは昼間はフリーではないので,事務所に常時誰かがつくという体制はとれない。そこで,例えばKIDSはオフィスを委託している。電話とファックスをいれて,連絡などはそのオフィスまで,という形にしている。当然お金はかかるが,便利なのでそのまま継続しているそうである。なぜ便利かというと,KIDSの人間が常にいる必要はなく,また連絡先が会社の自分達のデスクではないからである。ただしここは,電話とファックスだけで,場所までは提供してくれない。
 会議の場所もどこかを借りることになる。KIDSにせよテラリストにせよ,会議の場所にはいくつかの要望がある。アフターファイヴに活動するということで,比較的遅くまでゆっくりと使える場所であるということ。金銭的に余裕はないため,長時間の利用にもお金がそれほどかからない場所であるということ。また大勢の人数が一度に入れて,しかもきちんと話ができること。そして都内の企業に勤めている人が多いので,都内の便利な場所にあるということ。このような条件を満たすのは,企業の空いた会議室などである。事実,KIDSにせよテラリストにせよ,大抵はそのような場所で会議をしているようだ。われわれが行ったインタビューも,都内のある企業の一部屋を使わせていただいた。こういうところで,企業はボランティア・グループにもっと協力することができるはずだ。

U 企業人がボランティアする契機

 1 企業人ボランティアを妨げている要因とその実状

ボランティア活動の契機について考えるために以下のような図を用いてみる。ごく単純な図式である。「人々」とはボランティアをやったことのない企業人すべてである。「きっかけ」とは,ボランティアの初めての体験である。「人々」は,「きっかけ」を持った後ボランティア活動を「続ける/続けない」と決定するのである。
 ここでいくつかの疑問が浮かび上がってくる。
 疑問a:「人々」を「きっかけ」へと向かわせるのは何だろうか。
 疑問b:「続ける/続けない」の違いは何によるのか。ボランティアの「きっかけ」が与えられた場合,それを続ける人と,そのまま辞めてしまう人と,二通りの人が考えられる。この違いはどこから生ずるのか。ボランティアをその先「続ける/続けない」を決定する情報を与える「きっかけ」はどのようなかたちが最も望ましいのだろうか。何がボランティアの「きっかけ」であるべきなのだろうか。


           A     き B
      人         っ        続ける
      々         か         続けない
          疑問a   け   疑問b


 以下,これらの疑問の解答を探りつつ,企業人ボランティアという選択肢を一般化するためにはどうしたら良いのかについて考察していく。
 まず,企業で働いている人々がボランティア活動を行うのを妨げていると思われるものについて考えてみたい。なぜボランティアをしないかという問いに対する企業人の答の多くは,「時間のなさ」と「情報のなさ」である★02。一方,ボランティアに対する偏見を理由としたり,「興味がないから」という意見もある。以下でそれぞれについてみてみる。

 @ 時間の制約

 まず第一に時間の制約が考えられる。このことについてBさんは次のように語っている。

−「(イベントの)準備段階はすごく忙しくて,有給休暇とか,ボランティア休暇とか, 取る必要とかでてくるかもしれないんですけれども,そういうことはありましたか」
B「そうですね,実際には有給休暇を取ったりとか,うちの会社はまだボランティア休 暇っていうのはないんですけれど,まぁ,数日は取ってますね。」
−「取りやすさとか,取りにくさっていう点ではどうなんでしょうか。」
B「それは会社にもよると思いますけど。一つは,ある程度計画性があれば,なんとかなるわけですよね。と言うのは,… 千人以上動かすプロジェクトなので,何が必要かって言うと,見通しと,計画ですよね。何をいつまでにどうやらなくちゃいけないか。もう一つ大事なのは,みんな有限の資源しか持ってないんですよね。時間も限られている。能力もある程度限られてますよね,何でも一人で出来るわけじゃないし。それからお金も限られているわけですよね。そういった限られているなかで,あることをしなくちゃいけないっていうことが分かったときに,何が問題かっていうのが考えれば浮き彫りになってくるわけですよね。それはどうやって解決するかっていうのは,みんなで解決するんですけどね。営業的な仕事をしてて時間が自由になる,いろいろ外に出ていくことができる人には資金集めの仕事をしてもらうわけですね。それから,コンピューターのスキルのある人にそういったことをお願いするとか,持っているものをうまく利用して,無理をしないでやる,そういったことを一応心掛けて来てたので。そうは言っても忙しかったですけどね。そういった意味じゃ,ある程度ビジネスマン,ビジネスウーマンの集団なので,ある程度その処理の仕方とか,仕事の進め方っていうのはある程度慣れてるかな。問題点さえパッとクリアになると,なんらかの答えが出てくるし。そのへんは非常に面白いというかね。」

B「自分が楽しくなきゃこんなのやってられないですから,みんな,私もそうですけど,忙しくても,例えば友達と一緒に旅行に行くっていうスケジュールはキープして,でも,またこの活動もスケジュールに入れとくわけですね。それが,1ヵ月,2ヵ月先とか,ある程度,何をいつまでどうやんなくちゃいけないかがある程度分かってさえいれば,それをうまくはめればいいわけですね。で,ここ人が足りないときには,どなたかにお願いする,ていうことでやっていくと,それなりに,多少個人の努力にかなりよりますけど,なんとかやって来てますね。」

 ある程度の計画性があればボランティア活動と仕事とレジャーとを両立して生活していくこともできる,という★03。Bさんはまた,ビジネスマン,ビジネスウーマンならばそのくらいのことは当然で,特にすばらしいことをしているというわけではない,という意見であった。そういった三者★04を両立させた生活を送ると何をする時間が影響を受けるかという質問には,単にだらだらする時間が減るだけなのではないかとも言っていた★05。このように,実際にはボランティア活動に従事したからといって,自分の生活ができなくなるほどの時間の制約にはならないのである。また,自分の仕事をおろそかにしてまでボランティアに専念することもない。ほど良く時間の配分をしているようである。

 A 情報量の制約

 もう一つの物理的な要因としてよく挙げられるのが情報の不足である。だが,ただ単に情報量を増やしてもそれによる影響には限界がある。

A「ただでも,こっちが情報をあげると来てくれるというよりは,来てくれる意志があ るという人が…」
−「意志があって,情報をあげると来てくれる,と」
A「… 毎月第何何曜日まで,ボイス・ボックスにいれときますので,その情報をみんなできいて,参加したい人は連絡をくださいだとか,ファックスをいれてくださいだとか,今ちょっとそれを色々やっているんです… コストの面等色々あって,模索中です。でも近々そういう情報サービスみたいなのを,何らかのかたちでやれると思います。だから来てくれる気のある人,やってくれる気のある人なら…」

 「情報」自体は(もちろん重要なことではあるが)人々をボランティアに向かわせる動因とはなりえない。「情報」が広まるということは,ボランティアをやりたい人にとっての「情報の不足」という障壁が取り除かれる,ということなのである。つまりその影響があるのは,ボランティアに興味を持っている人々だけなのである。それも大切ではある。だがそれだけではない。つまりボランティアに興味を持っていない人々も考慮に入れねばならないのである。従来述べられてきたような,「情報量を増やせば良い」という意見は,問題の一側面のみを考えている意見でしかないのではないか。
 情報量は実際に現在不足しているかもしれない。だからボランティアが一般的でない理由がそこに求められているのも当然である。だがどれだけあれば不足していないといえるのだろうか。現在でも公的なレベルでボランティアの情報は流されているし,メディアを通しても情報は得られる。ボランティアに興味のある人,ボランティアをやりたい人に関しては,現在の状況でも情報を得ることは不可能ではない。より根本的な問題は他にあるのではないだろうか。後で検討する。

 B ボランティア活動に対する誤解

 第三に考えられるのは,ボランティア活動そのものに対して誤解のようなものがあるのではないかということである。このような場合,どんなに時間と情報があっても,もしくは機会があっても,ボランティアをやろうと考えないのは当然であろう。
 誤解の内容に関しては,大きく分けて2つの種類が考えられると思う。

−「管理職やそういう所で働きながら,退職しないで働きながら,そうしたボランティ ア活動に関わりあうと言うのはやはり難しいんでしょうか。」
D「ボランティア活動でも軽く出来るものも沢山あるわけだから,あまり重く考えなけ れば何でも出来るんじゃないですか。」
E「まだイメージ的に重いものが一般的にある,非日常的っていうのが正直なところだ と思うんですよね。奇特な人とか,偉いわねというふうに言われたりですね,私とは 違う人だわとか,そういった意識はまだまだある。非常に少ない時間で,少ないこと をボランティアですることが出来るということを,皆さんに周知することが出来れば, 皆さん積極的に関わられるんじゃないかと,思ってます。」

E「ボランティアは選ばずに全部やらなくちゃいけない,という了解をしている人が非常に多いんですね。いやなことを進んでやらなければいけないのがボランティアだというふうに。好きなこと,得意なことを役立てるというのがボランティアなんで…。」

 「ボランティア=非日常」という図式は誤解だ,ボランティアは大変なもので自己犠牲を必要とするものというステレオタイプな了解は誤りで,実際にやってみると意外におもしろくて続けている,思うほど大変なものでもないという。
 もう一つの誤解は,@Aの時間的制約と情報の不足という物理的な要因が企業で働きながらボランティア活動をすることに対するブレーキになると考えられている,ということである。上述したように,この2つの物理的な要因も,実際には(問題を少し残しているにせよ)完全なブレーキとなるものではないのである。興味があれば,あるいはやろうと思えば,考えられているほどの妨害とはならない。ここで問題はCへとつながる。

 C 興味,関心のなさ

 インタビューを見る限りでは,興味さえあれば@Aのような物理的要因は本当のブレーキとはならないようである。Bのような誤解がなくなればブレーキは弱まるだろう。「ボランティア=自己犠牲」という認識の払拭,@Aのような要因が実際にはそれほどブレーキとなるものではないという事実の周知。この2つが行われればブレーキは弱まる。だがこうした誤解がのぞかれたとしても,興味がなければ,やはり人はボランティアへと向かわないに違いない。より根本的にはC:興味のなさがブレーキとなっていると考えられる。
 これは決定的で,興味のない人には打つ手だてがないようにみえる。このことについては意外と考えられていない。興味のない人々に対してどの様な手だてがあるのか。大抵は社会的な評価を増せば良いだとか,啓蒙を行わなければならないだとか,そのような論調のものが多い。あるいは,情報さえふやせば問題の解決に貢献するかのような意見もある。当然そういったことも必要ではあるだろう。だがそれで十分だろうか。

 2 ボランティアするきっかけ

 問題は,企業に勤めている人々にボランティアへの選択肢を持ってもらうこと,企業人ボランティアという選択枝を一般化するためにはどうしたらよいのかである。というのは,一部の人々の間で広げるよりも(もともと興味のある人の間のみで広げるよりも)一般的に認知された方がより望ましいのではないか,と考えるためである。
 このことを考えるために,現在ボランティア活動をしている人のボランティア活動への契機を分類してみる。分類には幾つも方法があるだろうが,ここでは大きく2つのタイプに分ける。「自分から活動に関わったタイプ」と「誘われて活動に関わるようになったタイプ」である。

 @自分から積極的にボランティア活動に従事したタイプ

 このタイプに当てはまる人は,社会に対する何らかの問題意識のようなものを持っていたか,あるいはボランティア活動そのものに対して興味関心を持っていたかである。そしてその上で,ボランティア活動に参加することに積極的であったり,機会が身近にあったりして参加に至った人々である。

−「始めたきっかけを教えていただきたいんですけれども…」
C「さかのぼると10年以上も前のことなんですよ。ボランティア・サークルに入ったのが大学1年の時で,それは,中学・高校の時に,世の中の色々な問題,社会問題っていうのかな,そういうことへの関心が非常に強まっていって,自分も何か行動する必要があるんじゃないか,と思ったんですね。単に本を読んだり新聞を読んだりして世の中に憤っているだけではしょうがないと。実際に行動というと大げさだけれども,それぞれのことに取り組んでいる人はいっぱいいるわけだから,自分もそういうことをしたほうがいいんじゃないか,と。… 自分の場合には福祉関係の活動が自信をもってできるかなと思ったんですね。自分のやっていることが確実に役にたちますよね。例えば車椅子に乗っている人が駅の階段をのぼれなくて困っているとする。でその人の手助けをする,まわりの大人の人に声をかけて車椅子をあげたりおろしたりする,ということは間違いなくその人の助けになりますよね。そこに何の疑いもない。… あと直接人との関わりがもてる活動がしたかったんです。だから理由はこの2つ,自分のやることの確実性と,あと人との関係性,この2つで福祉関係のボランティア・サークルに入ろうと,高校3年生の時にそう思って,だから大学に入ったら迷わずボランティア・サークルを訪ねていって,入れてくださいといって,入ったんですね。」
−「… 大学時代はサークルというかたちでしたよね。社会人になられて… 」
C「卒業して最初の1年位は学生時代のサークルの続きというのかな,学生時代に行っていた施設に時々行っていたんだけれども,もともと学校の中だけのサークルだから,卒業した先輩がずっと続けるという感じのところではないんでね。だから卒業して一年くらいたって,自分も何かほかのボランティア・サークルに入って活動しようと。できればうちの近所で活動できるボランティア・サークルがいいな,と思ったんですね。やっぱり近所でやることが大切だろうと。で市役所のボランティア・コーナーというのかな,社会福祉協議会の中にボランティア・コーナーというのがふつうあるけれども,そういうところに行って調べたんですけど,うちの近所には手ごろなのがなかったのね。で,結局見つけたのがYMCAだったんだよね。… それが勤めてから2年目のときです。そこでは結局6年間くらいはけっこう一生懸命にやったのかな。」

 Cさんは学生時代からボランティア活動をしていた。ボランティア・サークルに属していたのである。そしてCさんはボランティアを続けようという意志があったので,ボランティアの情報を求めたのである。以下にあげるAさんは,学生時代からではなく,企業に勤めはじめてからボランティア活動に従事するようになった人である。

 A「いろいろ自分のことも落ちついて,何かやりたいなと思っていたときに朝日新聞にKIDSのことを取り上げた記事があって,そのときはKIDSは外国人が主流で,8割が外国人で2割が日本人…,なぜ日本人はボランティアをやらないの,という大きな見出しで,… 去年の春です。いやそんなことはない,と思ったのと,そのときはちょっと不純な動機があって,英会話やっていたので外人としゃべれるな,というのもあって半々で,でとりあえず連絡をとって話を聞いて,それで… ボランティアとして参加したんですけど,そうしたら不純な動機はどこかに飛んでしまって。一緒にペアを組んだ男の子が23才のダウン症の男の子で,彼と一緒に歩いていたんですけど,そんなにいままで人に頼られることってないじゃないですか。日常のなかですごく頼りにされたりとか,そういうことにミョーに感動してしまって…。」

 Aさんの場合,ボランティアに強烈な関心がもともとあったわけではなかったことが見てとれる。だが何らかの問題意識を持っていて,そこに情報が入ってきたために活動に関わったようである。先にも触れたが,ボランティアの情報はただどこかにあるだけでは意味がない。ボランティアに興味のある人がいてこそ情報の意味が増すのである。

 A 自分の友人,知人に誘われて活動に従事することになったタイプ

 このタイプは,特に強い問題意識もボランティアへの興味もなかったが,知り合いに誘われて,あるいは頼まれたので始めたというタイプである。このタイプの人は,@のタイプのように何らかの問題意識やボランティアに対する興味を持っていたわけではない。

 B「プロジェクトの始まった直後にお前も何か手伝えと,具体的に言うとボランティアを集めてくんないかということで。じゃあとりあえず,自分の会社からやろうかと。で,やり始めたのがきっかけですね。その後,ちょっと距離を置いて見てましたけど,そのうちいろんな企画書を作ったりとか,いろんな文書を作ったりとか,いろんなマニュアルを作ったりとか,といったことを手伝っているうちにここまできちゃったと,いうのがきっかけですね。なので,ボランティアとかに関心があったわけではなくて,悪い言い方をすれば,成り行きで来たと,いうのが正直なところですね。」

 Aのタイプは,何となく続けている,という点で非常に興味深い。一般にボランティア活動をしているというと,特殊な人,自分とは違う人といったイメージを持つことが多いが,Aのタイプの人はボランティアをやったことのない多くの人とほとんど変わるところがない★06。つまりボランティアに強烈な興味があったわけではないのである。ただ唯一違ったのが友人にたまたま誘われた,という点だけである。
 ここで我々が問題とすべきは@のような人々ではない。Aのようにあまり興味も関心もなかったような人々である。または,情報があっても時間があってもボランティアをやらなそうな人々である。1で見たように,ある程度の興味を持っている人,関心のある人にとって,いくつかの妨害要因は実際には必ずしも妨害になるわけではない。問題とすべきはAのように,興味がない,という究極の妨害要因をもっている人々なのである。このことをふまえてもう少し考察を進めてみたい。

 3 ボランティアを始め,続ける契機としての口コミ

 1でボランティア活動を妨げる要因をあげた。これらの要因を除けばAに対するブレーキが効かなくなる。だが,それだけではたりないのである。先ほどから述べているが,ブレーキがなくても,ボランティアをしようとしない人はボランティアをしないだろう。そして,ボランティアへの興味については制度的には如何ともしがたいのである。この興味問題が我々の最後のブレーキ,課題となる。以下では,ボランティアへの興味自体を作りだすことは目的とはしていない。そうではなくて,その代わりになるボランティア活動へのきっかけ,契機と考えられるものをいくつか挙げてみる。そしてそれが,Bの力を持つかどうかを考えてみる。きっかけになり(=Aの力をもち),Bの力を持つものが最も適切なボランティアへの契機と考えられる。

 @強制・評価

 まずはじめは強制的にボランティア活動のきっかけが与えられる場合についてである。具体的には学校教育におけるボランティア活動や,企業の社会貢献活動の一環として社員が一括してボランティア活動に従事しなくてはならない場合などである。
 このような場合,「人々」を「きっかけ」へと向かわせる力,矢印Aにあたるものは強制力である。だが矢印B,疑問bについてはどうか。わが身を振り返っても,学校などで強制的にさせられたボランティア活動についてはあまり良い思い出はない。最近では企業のトップ・ダウン式のボランティア活動にも疑問が投げかけられている。「きっかけ」が,結果として興味を失わせるということがあって良いものかどうか,という疑問が残る。
 強制的な「きっかけ」以外にも様々なものがある。

C「最近中学校でボランティア活動をしているかどうかが重要になってきていますよね。だから,最近は色々な福祉施設でもボランティア活動をさせてください,という人が電話をいっぱいかけてきたり,本人じゃなくて親がね,うちの子をボランティアで使ってくれませんか,とか言ってきてまいっちゃっているらしいんだけど(笑)。そういうのもいやな話ではあるよ。けど,きっかけって様々でいいんじゃないかな,とぼくは当事者じゃないからおおらかに考えていますね。ボランティア・サークルで活動をしているときだって,そこに自分の好きな女の人がいたからとかさ,男の人がいたからとかさ,そういうので入る,ということだってあるわけじゃない。あるいは同じサークルの中に好きな人がいたから続けてこられたとかさ。動機は不純なようだけどさ,人間てそんなに一つだけの動機で動くような動物じゃないから(笑)。」

 このような場合も,「人々」を「きっかけ」へと向かわせる力は持っていると考えられる。動機がなんであってもボランティア活動の経験はできるわけである。強制力ほどには強いものではないにせよ,ある程度のものでありうる。だがここでも強制と同様に,疑問bに関わる問題がある。ボランティア活動に対する正しい情報を与えるか,ということになると,強制の場合ほどでないにせよ,やはり疑問なのである。

 A コーディネート

D「ニーズが必要なところにそのニーズを引っ張ってくる,コーディネーターって言われてるのがアメリカとかあちらの方では一般的にいらっしゃるらしいんですよ。いきなりあるものを提供したいという方が行ったら(先方では)全然別のものが欲しかった,ということもあるわけですよね。そうするとその人にとってのボランティアの体験には非常にマイナスのイメージがついてしまうわけで,どんなことをしたいかっていう人と,どんなことが欲しいかっていう人とを,うまくつなぎ合わせるっていうコーディネーターという仕事があるそうです。で,できれば私達も,そういったコーディネーター的な役割ができたら良いなぁと,思ってるわけです。」

 これまで,「続ける/続けない」を決定するに際してきちんとした情報をどうするのか,という部分でつまずいてきた。ニードとニードを合致させるコーディネーターがいれば,このことは解決される。ここで,漠然と使われてきた「きちんとした情報」「正しい情報」の内容がはっきりする。「きちんとした情報」とは「人々」それぞれにあったボランティアの特徴を見てもらうということである。ボランティアには実に様々なものがある。個人の興味にも様々なものがある。興味にあった活動をしたならば,ボランティアの特徴を理解することができるし,誤解や偏見を解くことも可能である。@にはこれが欠けていたのである。興味のないものを無理矢理やらされても,その活動に対する正しい認識を持とうとしないのは考えられることである。
 この意味でコーディネートは優れている。だがこれも完全なものではない。今度は力Aが問題となるのである。つまりコーディネートという行為があるだけでは,「人々」はボランティア活動へと向かわないのである。コーディネーターがいても,コーディネートを頼む人がいなければ意味がない。ボランティアに興味を全く持っていない人にとっては,コーディネーターは別世界の人間でしかないのである。この意味でコーディネートをするということと情報量を増やすということとは,非常によく似たものといえるかも知れない。

 B 口コミ

 そこで最後に最も原始的な情報の形態であるところの,口コミについてみてみる。口コミでは「情報」とあまり変わらないのではないか,という疑問があるかも知れない。つまり情報を聞くだけで,「人々」を「きっかけ」へと向かわせることはできないのではないか,ということである。そこでとりあえず,CさんとBさんの経験を見てみたい。

−「知り合い,友人の方を活動に誘ったり,ということはよくあるんですか。」
C「そうだね,わりとぼくは人をよく誘うほうなんじゃないかと思う。… こんなこと をやっているんだよ,よかったらどう,という宣伝も含めてね。」
−「そうするとその方はどうなさいますか,続ける方はどの程度なんでしょうか。」
C「自分が色々やっている中で,この人にはこれが合いそうだな,というので誘ってい るから。この人は体を動かして何かをやるよりも読書会みたいなのが好きそうだな, という人にはそういう方を誘いますよね。」
−「その方はどうでしょうか,続けていくんですか。」
C「しばらくやって辞める人もいますよ。ぼく自身もそうなのかも知れないけどさ。わ りときてくれますよね。」

−「友人の方をボランティアに誘うということはありますか。」
B「誘ってますね。大学のときの友達も実際…。彼はコンピューターのエンジニア,研究者ですけど,どっぷり浸かってますね。それから,会社の人間も,あの音楽を選んでくれたのも会社の人ですね。いろんな展示会のときに,美術的な才能も彼はあるんで,やってもらったりとかしてますし…。写真展の写真とかね,友人とか,兄弟とか,親戚なんかに出さないかって言って,まぁ,やると。」
−「だいたい,誘われて,ずっとどっぷり浸かっちゃったり,続けるっていう人は,ど れくらいの割合なんでしょうか。」
B「そんなにいろいろ声をかけないんで分からないですけど,感覚としては大概やってくれますね。なんでかって言うと,その人が得意なところでお願いするからですね。何も我々に協力してって言うんじゃなくて,例えば絵を書いてくんないとか,なんかこう手伝ってくんないって言うと,別にボランティアがどうのっていうんではなくて,彼ら,彼女らにとってみれば,たやすいことなんですね。いいよって言ってやってくれるから,じゃあ,その成果をちょっと見に来ないとか,今度そのことについて話し合うからちょっと来ないとか。来ちゃうとこれはそうした方がいい,ああしろ,こうしろ…,で,そのうち自分でやる羽目になったりとか。(笑)」
−「Bさんもそういう感じですか。」
B「そうだよね。例えば企画書で,最初は英語で書いてるけど,日本向けにはアレンジしないといけない。攻め方も違うでしょう,日本の企業なら。プレゼンテーションの仕方も違うわけですよね。それはこうやってやるべきでしょうっていうようなことがあると,じゃあ,ちょっと書いてやるよっていうふうになるわけですよね。で,そういう,言ってしまうような人間がね,はまるんでしょうね(笑)。私はいいですっていう人はね,やっぱね,残らないですよね。これが,ある種のリーダーシップっていうんですかね。そうすると,ああ,あの人がやるんだったら私も手伝いましょうということがでてくるんでしょうね。」

 情報と確実に異なる点がある。その人に合うと考えられる活動,あるいはその人ならたやすくできると思われる活動を,その友人,知人が判断して勧めることができるのである。
 それではコーディネートと同じではないか,という意見もあるだろう。だが異なる点がある。これはインタビューから見て取ることができる。それは人が直に頼むかそうでないかという点である。この差は圧倒的なもので,ボランティアだから,というのではなくてちょっと手伝ってくれないかな,というような頼み方であれば(個人的なつきあいがほとんどない場合は別だが)あまり断らないのが大抵であろう。それが自分にはたやすくできることであればなおそうであろう。
 だから,口コミが,a・bの疑問を解決するものと考えられる。「人々」を「きっかけ」に向かわせ,その人その人に合うと思われる活動をしてもらうことができるのはこれ以外にないのではないか。もちろん人を「きっかけ」に向かわせる力としては強制力ほどの強さは持たないし,その人に合うと思われたボランティアが本当は全然合わなかったということも起こり得る。だがこれがとりあえずはベストであるように思われるのである。

 我々は,ボランティア活動をしている人々について,偉いとか尊敬の念に値するとかという感想を抱いてしまう。このことは,ボランティアを実際にしている人々としていない我々との壁となり,かつまた,我々がボランティアをいざやろうとする際の壁ともなる。だが,このような壁は一度崩れてしまえば,再び現れることはない。
 これらの意味で,活動の従事経験者を増やすこと・・我々が実際にボランティア活動に従事してみて,いろいろな人と接してみるということ・・自体が重要なことであるように思われた。そしてこの文脈の上で,ボランティア活動の契機,きっかけが重要なウェートを占めると考えたのである。
 契機を持った上でボランティアを続けるか続けないかを決定するのは個人である。すべてのボランティア活動の経験者がそのままボランティアをし続けなければならないということではない。選択するのは個人であり,選択の情報を与えるのが活動の経験である。この意味で企業人ボランティアという選択肢が一般化される必要があるのではないだろうか。
 いまだ制度面で残された部分が多くある。興味のない人には,制度的にはどうする手だてもない。だが興味のある人に対しては別である。興味のある人々に関しては,Tで述べたような妨害要因(本稿で利用した図式に即していうなら矢印Aと反対向きの力)を除去してやることである程度の成果が見込める。
 その上で(あるいは平行して)その他の人々,すなわち興味のない人々に対して口コミによる拡大が行われるというのが望ましい。



★01 KIDSではディズニーランド・プロジェクトで,東京から養護施設の高校生2名とプロジェクトの代表2名をロサンゼルスに派遣した。
★02 『月刊世論調査』1994-5によると,ボランティアをしたことのない理由として,1位が忙しいで60.4%。ついで2位が機会がないで45.4%であった。
★03 もちろんそれは活動の内容にもよる。企業人ボランティアのできる範囲はごく限られている。何よりもそれは時間的な制約によるものである。たとえば一日中誰かの介護をすることを企業人ボランティアができるかといえば,やはり難しい。その意味で役割分担が必要であることは否定できない。ここで企業人ができる範囲は限られているとして,企業人ボランティアではカバーできない部分は誰がやるのが良いのだろうか。例えば介助などは議論が多いところである。家族がやるべきだ/行政が担うべきだ/主婦ボランティアにやってもらうのはどうか/介助のプロを養成しなくてはならない/などいろいろな意見がある。本稿の本題とは離れてしまうのでこれ以上深入りはしない。だが介助(高齢者,障害者など対象は様々である)の問題は,被介助者の視点が重要であることだけ述べておこう。つまり介助というのは介助者による生活補助である前に,介助者と被介助者との人間関係が重要なのである。
★04 Bさんは既婚者で,家庭サービス(この言葉は幾分か語弊があるように思われるが,他に適当な言葉が見つからないのでこの言葉を使う)も行っているはずである。
★05 実際の時間配分について。インタビューの対象となった人々は,全員一致で,仕事後/休日に活動を行うということであった。どの程度活動に時間を使っているかについては,場合によりまちまちである。アンケートでは(対象は14名なので一般化はできない)週平均 6.6時間だった。ここにはミーティングやお互いの連絡,そして実際の活動など,ボランティア活動に関わる全ての時間が含まれている。
★06 だからといって@のような人々(問題意識のうえにボランティアに関わるようになった人々)が,ボランティアをやらない人とは別の人種である,というわけではない。彼等も,もしボランティアの機会がなかったならボランティアをやらずにいたかもしれないのである。Cさんは大学にボランティアのサークルがなかったらやらなかったかもしれない。Aさんは新聞記事を読まなかったらボランティアに関わっていなかったかもしれない。


REV: 20160425
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