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『フランス家族事情――男と女と子どもの風景』

浅野 素女(あさの・もとめ) 19950821 岩波新書

last update: 20170426

この本の紹介の作成:馬場由佳(立命館大学政策科学部4回生)
掲載:20020805

はじめに

第1章 非婚の時代
 ・森の家族
 ・コービタシオン
 ・個人の証
 ・親たちへの答え
 ・パッションと生活と
 ・LATカップル
 ・共有空間をどうするか

第2章 誰だってシングル
 ・枯れ枝
 ・揺れるシングル像
 ・進む社会認知
 ・豊かな孤独

第3章 シングル・マザーは泣かない
 ・私が欲しさえすれば
 ・父親の不在
 ・欠けた部分が語るもの
 ・家族という神話
 
第4章 パパ、SOS!
 ・パパはどこ?
 ・五月革命の後遺症
 ・〈SOSパパ〉
 ・「わたし」を許す存在 
 
 第5章 人工生殖の問いかけるもの
 ・存在の起源をめぐる選択
 ・ 幻の子どもを求めて
 ・人工生殖天国
 ・世界初の生命倫理法
 ・「不妊」の現在
 ・欲望の果て

第6章 複合家族
 ・新しい言葉
 ・キットの組み合わせ
 ・子どもを軸とした家族空間
 ・「形」から「関係性」へ
 ・三つの円
 ・すべてかゼロか
 ・二一世紀の家族 

おわりに
 ・「ちがい」の賞賛
 ・男たちの反撃

はじめに
 私たち(作者)―ここでは三十代(1960年前後生まれ)を指して大幅にいうが― は男女が平等であることを当然と思って育ってきた。仕事に就き、経済的な自立も果たした。結婚に関係なくパートナーを持つことに、なんの抵抗も感じなかった。つまり、あらゆる意味での自由を一応手にいれた。
 だが、三十代にはいり、この自由がいつか孤独に変貌する時が来るのではないか…というかすかな不安がパートナーのいるいないにかかわらず、胸を締め付け始める。男性の場合はもう少し遅く、35〜40歳くらいからかもしれない。
 フランスでは、1972年をピークに婚姻数が減りつづけ、94年には約25万件。二十年前に比べると、40パーセントの減少だ。一方、離婚は70〜80年代に急増したが、ここ数年は、10万件をわずかに超えたところで安定している。それでも一日に300組近くが離別する計算になる。
 この場合の婚姻数とは、立会人を介し、市役所で婚姻届にサインをしたカップルの層であり、離婚とはそうした婚姻の法的な解消を指す。だが、現在のフランスでは、婚姻という法的手続きをとっていない事実婚のカップルが、年齢層をとわず数多く見られる。したがって、正式の離婚としては統計にでない事実婚カップルの数も勘定にいれれば、フランスでは、男女の「離婚」は全くの日常茶飯事である。
 こうした現象は、男女の共同生活そのものが否定された結果起こっているのではない。むしろ、二人の生活を成功させたい、させなくてはならないと、多くの男女が血相をかえているのである。(5−6)

コービタシオン
 日本語でいう「同棲」はフランス語では「コンキュビナージュ(内縁関係)」に置き換えられるだろう。フランスの現状をより、客観的にとらえた「コービタシオン(同居)」という言葉が一般的である。
 結婚と事実婚の間で法律絡みの差があるとすれば、別離のときの財産や住居の問題と、伴侶死亡時の相続問題である。日常生活においては、とりたてて問題になることはなく、両親が結婚していないからといって子どもが差別を受ける状況はここではない。
では子どもの姓はどうなるかというと、結婚している夫婦の子どもなら、自動的に父親の姓となる。結婚していない男女から生まれた場合は、先に認知した親の姓となる。

個人の証
今日、フランス人全体の12パーセントが、年齢を18〜24歳に限れば20パーセント以上の人々が非婚のまま共同生活を送っている。これらのカップルの特徴は、性関係を結ぶことを出発点に、なんの制約もない「軽やかな」結びつきからスタートし、「ゆっくりした足並み」で二人の関係を結んでいく。パートナーを替え、何度か別離を経験する。その間、彼らは自分の可能性を探り、自分探しをするのにより長い時間をかけるのである。
 女性の場合は、25〜30歳のはキャリア作りに専念し、その間は試験的共同生活を繰り返す。昔のように妻なら妻の役割だけを押し付けられるというのではなく、さまざまな側面を持った自己表現が可能な時代になり、同棲などの形で、相手の男性がどの程度働く自分を受け入れてくれるか、どんな風に共同生活が進行するかをまず試すようになった。それがうまくいけば出産、それをきっかけに結婚、という運びになり、結婚はいわばカップル最終的に与えられる「花束」のようなものになった。(11−13)

親たちの答え
 共同生活をせずに結婚する夫婦の割合は、いまや全体の四割にすぎない。結婚は制度としての価値を失い、私生活上での選択肢の一つになったといえる。しかし、人々は結婚という区切りを心のどこかで求めているため、結婚というものがいつか無くなるとは思えない。
 それぞれの親が、離婚や破局という展開でなかったとしても、様々な波風を経験し、子どもはそれを近いところで見ることになる。そして、自分の恋愛を経験し、男女間の愛情の脆さをいっそう確信するのである。寿命までの5、60年もの長い間を一人の人とずっと連れ添っていくとは思えない。恋愛至上主義だからこそ、人々はますます結婚に踏み切れなくなっていっているのである。(19−22)

パッションと生活と
 離婚の増えた原因として、離婚を思い止まらせていた宗教的・政治的要因が消えたことに重ね、「期待のインフレーション」がある。「期待のインフレーション」とは、家族およびカップルは社会的な場であるより、個人的な「幸福」を実現する場となった。
 かつて女性は、子どもを産み育て、家事をしっかりやっていればよかった。ところがいまや、美しく、賢く、仕事に生きがいを持ち、よき母、よき妻、セクシーな愛人、理解のある友でなければならない。男性は、仕事に燃え、育児に参加し、時には料理をしたりしなければならない。子どもは極端に数が少なくなったため、まわりの期待を一身に受ける。お互いに期待されることが多すぎて、全ての「幸福の条件」を満たすことなどほとんど不可能になった。そのため、人々は家族というものに最大の価値を置きつつも、それ自体が非常に不安定なものになっているという矛盾を抱えることとなった。(26−27)

LATカップル
 LAT(Living Apart Together)カップル。男性と女性が結婚もせず、一緒に生活もしていないが、子どもを持ち(どちらか一方の家で生活)休日をともに過ごすカップルが増えている。子どもに関する支出以外はそれぞれが独立して生活していて、二人の間には何の契約も法的拘束力もない。二人を結ぶのは自由意思だけである。
 LATカップルは非婚カップルの7パーセントを占めている。生活を共にした場合、どうしても家事という問題が避けられないが、そうした日常の雑事よりも二人の「関連性」により重点が置かれるようになってきている。(30−34)

第2章 誰だってシングル
枯れ枝
 非婚化の背景には一方で同棲や事実婚の一般化、もう一本でシングルたちの増加がある。
 フランスでは結婚しているか結婚していないかは、もうたいして問題にならないが、カップルであるかシングルであるかの差は大きい。しかし、パリでは全戸数の半分以上が単身世帯、フランス全体でも約27パーセントが単身世帯である。
 いい部分だけをパートナーと分かち合いたい。しかし、二人の生活というのは「シングル+シングル」ではありえない。ある程度の学歴を持ち、それなりの仕事に就き、自立した生活を送ってきたところ、気づいたら誰かと一緒に暮らすことが不可能になっていた・・という人が増えてきている。

揺れるシングル像
 80年代後半には、エネルギッシュで文化的で充実した生活を送るシングルたちという、人も羨むようなイメージがメディアを通じて振りまかれた。実際、シングルたちの生活はカップルの3倍も本や雑誌を購入し、4倍も頻繁に外出する。一方、家事は必要最低限に割り切る傾向があり、非常に外交的な生活を送っている。
 ところが、90年代に入ると、溌剌としたシングル像に揺り返しがきた。「実際にそんなに楽しいものではないよ。経済的に恵まれていなければ活動的で元気なシングルはとてもやっていけないし、実のところシングルの多くは孤独感に苛まれ、素敵なパートナーの到来を待ち望んでいるんだ。」といった議論が目立つようになった。女性の場合、結婚し、子どもを産めばどうしても仕事で成功する機会を逃してしまうのではないか、という悩みがあるだけに女性のシングル化はいっそう拍車がかかっている。(49−50)
 シングル化は高学歴化、晩婚化、出生率の低下、離婚の増加、共同生活ないし事実婚の一般化といった現象と連動しており、自立と自由を求める「個」の欲求に根を発している。一緒に暮らしはしないが互いの自由を尊重して一人の相手と長期的な関係を保つ、というLATカップルの在り方は、カップルとシングルの生活を折衷した形で現代のシングルたちの価値観を反映している。晩婚化から結婚抜きの共同生活へ、さらにLATカップルへという変遷が示すものは、人々がパートナーと意識的に距離をとることで、相手への従属より「個」の自立と自由の方に重きを置こうとしている姿なのであろう。(52−54)
進む社会認知
 フランスは税金や様々な優遇制度についてずっと考慮に入れてこられなかった。シングルの社会認知を進めようとシングル擁護活動グループという民間団体も存在する。家族主義的な社会にシングルとして生きる人たちの存在を認め、極端な家族偏重主義を改めてもらうよう行政や民間企業に働きかけている。(55)
 このグループの一員である男性は、「勤労、家庭、祖国といった標語に要約されるような思想とはちがう、個を基準にしたもう一つの選択がある。人口爆発が今まさに問題になっている時代に、子どものいる人ばかりを優遇する理由がいったいどこいあるのだろう。」と語っている。(58)

第3章 シングル・マザーは泣かない
私が欲しさえすれば
 1990年調査によれば、八つに一つの家庭が片親であった。その原因のトップは離婚である(約43パーセント)。一方、死別による片親家庭と結婚しないまま子どもを持った人の比率はほぼ20パーセントで肩を並べている。離婚の増加と女性の自立が、近年、片親家庭を大量に生み出していることがわかる。そして、片親家庭の約9割が母子家庭(シングル・マザー)である。
 女性は勇んで社会進出し、貴重な「自立」を苦労しながら少しずつ手にしていった。現在のフランスでは、25歳から49歳までの四人に3人が働いている。そして、恋愛関係においても、たとえ望んだわけでない妊娠であったとしても、自分の経済力と子どもへの執着を天秤にかけ、一人でやってゆけると判断すれば、それを実行に移すようになったのである。(69−70)
 十年ほど前、母子家庭の急増に危機感を抱いた人たちが、母子家庭があたかも非行少年予備軍の温床であるかのように激しく警鐘を鳴らした。そうした家庭の子どもたちが今、成人している。結果がではじめた。(72)

父親の不在
 別れれば、親の生活も大きく変化する。二人で支払っていた住居費、生活費が一人の肩にかかってき、子を引き取った親にとっては負担はぐんと大きくなる。たとえ、養育費は両方が折半していたとしても、働いているため第三者の手助けが必要となりベビーシッターの費用もかさむし、子どもと過ごす時間を作るため、仕事量を制限しなくてはならなくなる。友達と外出することもままならない。つまり、母子家庭の母親の大部分は時間とお金と余裕がないのである。母親自身がどうやって精神的な面でのバランスをとれるかが重要な鍵となる。このことから、子持ちの現実は厳しくなかなかうまくいかない。
 こうした不安定な時期は特に、母親は無意識のうちに愛情の飢えを子どもで埋め合わせようとしがちである。「私たちふたりしかいない。」というナルシシズムに近い強烈な思いこみが、過剰な母子未着を引き起こす危険が、かなり高くなる。母親が自分を突き放して、状況を客観視する余裕を持てればいいのだが、子どもとの密着度が無意識のうちに度を越し、生涯尾を引く大きな精神的負担をおわせる結果を招くこともある。母子家庭の危うさはそこにあるのではないだろうか。(もちろん父親がいる家庭もこうした状況と無縁ではない。)(81−84)

欠けた部分が語るもの
 母親が一人で母親と父親の二役を演じようとするとどうしても無理がくる。その危険性は常に注意を払うべきだと述べてきた。
 二人きりだと、子ども対立した時どこかで譲歩し妥協してしまいがちである。たとえ妥協しなかったとしても、私の態度は正しかったのかと一人で悩んでしまいがちである。その結果、親は子どもにとって必要な「重し」の役割を果たせなくなるのである。(88)
 一人の人間が誕生するためには、父である人と母である人と二人の人間が必要なのであり、自分が生まれてきたことの源としての親を否定されること、ましてや一方の親がもう一方の親を否定することはこどもに深い傷を負わせることになる。
 こうした危険を回避するために、父親のいない生活を母親がどう話すか、また、親にとって子どもは何なのかという「象徴的な」面が重要である。(91−92)

第4章 パパ、SOS!
五月革命の後遺症
 1968年の「五月革命」により、フランスは共和党の父たるド・ゴール将軍(当時の大統領)を葬り去った。五月革命当時、フランスはド・ゴール大統領を頂点におく強い家父長制だった。ド・ゴール将軍はフランスをナチス・ドイツから解放した英雄であり、戦後、大統領の権限を強化し、第五共和党制下でフランスの発展を導いた国家の父であった。
 五月革命はこの「父」に対して「ノン」を突きつけ、この「父」から派生するすべてのシステムと、人々の自由な発想を縛っていた当時の社会モラルを打ち砕こうとした動きだった。そして、権威の象徴としての父はやぶれ、フェミニズムが台頭した。
 性の解放にとってフランスで決定的な意味を持ったのが、1975年に人口妊娠中絶が合法化である。。また経口避妊薬(ピル)に健康保険が適用されることとなった。子どもを生むか生まないかを女性自身が選択できるようになった決定的な変化である。また、民法が改正され、協議離婚が認められるようになった。これ以後、離婚件数は爆発的な伸びを見せる。(106−107)

SOSパパ!
 離婚した父親は、養育費を取られながら、せいぜいつきに二回の週末とヴァカンスの半分を子どもと過ごす権利が与えられるのが普通である。さらに、家庭裁判所がそう決めても、母親が子どもを父親に会わせようとしないケースが多く、母親が子どもを連れて遠くに引っ越してしまい、父親が子どもとの関係が断たれる、ということがある。
 結婚していないと、男性の立場はもっと不利になる。最近まで、結婚していないカップルが別れた場合は親権は自動的に母親のものとなり、認知していたとしても父親は子どもに対して一切の権利を持てなかった。子どもの権利を持てなかった父親は「家庭裁判ショの判事たちは、単に「習慣」や「常識」から母親を優先させ、父親には驚くほど冷淡だ。実際に子どもとそれぞれの親との関係がどんなものかは無視される。母親が絶対的に有利な立場になるように守られてきたから、女性たちは簡単に離婚を要求するんだ。」と語っている。
 「親権」が父母によって行使されるようになったのは1970年のことである。それ以前は「親権」とは「父権」のことであり、フランスもごく最近まで家父長制の支配化にあった。しかし「親権」が父母によって、行使される今、違う形で父親と母親の比重は同じではない。
 たとえば、女性は子どもを産んでおいてその子を拒否するわけにはいかない。なんらかの事情で母であることを拒否するなら、「X出産」というものがある。生まれた時点で子どもを「放棄」することを予め宣言しておく。子どもは国の保護のもとに置かれ、海の母親との関係は完全に絶たれる。この場合放棄の撤回は不可能である。
 一方、男性の場合、婚姻関係にあるときは通常、妻の子はその男性の子どもになるが、婚姻関係にない場合、自分の子どもであっても認知しないこともできるし、したいときにいつでもできる。「認知」とはつまり、「真実の推定」であり、結婚していればじどうてきに父親になるというのも、そう「推定」されるからである。したがって、親子関係が立証されていても父親の場合は、本人及び第三者によって取り消し可能な物なのである。母親が、あなたはこの子の父親ではない、と裁判所に訴えることもできる。どの人を父親にしたいかという母親の意思によって自体は大きく左右される。母親が父親と認めてこそ父親は父親でいられる、と言える。
 1993年民法の改正により、別離の後も親権は母親と父親が共同で行使するという大原則が打ち立てられた。方の母親至上主義的な側面が改善されたといえる。これにより、結婚していないカップルの場合も子どもが1歳になる前に父親が認知していたなら、父親に親権が認められるようになった。大きな変化であるが、遡及効果はない。それに、法が改正されても子どもには父親より母親が必要だという「常識」はすぐには変わらない。「常識」にすがりがちな判事や、母親の権威を掲げて一切の譲歩を拒否する女性たちの硬直した姿勢に泣かされる父親が、すっかりいなくなることを期待することは難しい。(110−117)

「わたし」を許す存在
 「母親と距離をつくる、それが父親の役目です。」と小児科兼 心理学者である医師は述べた。一人の人間が自立する過程は、自分を他者から自立した人間と認め、受け入れる過程である。子どもは、母親との一体感から抜け出す手助けをするのが父親なのであり、子どもにとっての「一番の他者」と言い換えることができる。
 このことから、父親は母親に追随した存在ではないということが言える。男たちはたとえ女たちと同じ事をしても男たちのやり方でやる。それでよいのである。強くなった女たちは「料理は男に任せられても出産、育児は女の仕事」と思いこむことによって、「女のアイデンティティー」を守ろうとていたのではないだろうか。生む性は多子化に女性が女性であることの本質的なアイデンティティーではある。だが、不器用でもいい。なるべく父親が子どもと関わることで子どもが得る豊かさは大きく、それを阻止してはいけないのである。(124−128)

第5章 人口生殖の問いかけるもの
存在の起源をもとめる選択
 フランスはアメリカに次ぐ人口生殖の先進国で、これまで約2万人の試験管ベビーが生まれている。「人間の命はどこから始まるのか」という問いは、人口中絶が合法化されながらも、うやむやにしてきた問題だが、人口生殖という技術によって「いのちはどこから来るのか?」「父と母?」「顔のない精子と卵子?」という更なる問いが浮かび上がってきた。医療や科学技術の発達スピードに社会のモラルがついてゆけない。こうした中、フランスは94年に「生命倫理法」を成立させた。この法案をめぐる議論の最大の焦点は、臓器移植や人口生殖などの最先端医療技術の汎用に、どこまで法的な枠組みをつけるか、という点であった。これは現時点での、意図的に曖昧な線引きに過ぎず、95年に見なおしされることが決まっていた。(136−138)

人口生殖天国
 フランスは世界稀に見る人口生殖天国で、「不妊症」に対する人口生殖には保険が適用される(ちなみに普通の出産費用も中絶費用も保険でほとんど返ってくる)。体外受精の場合、一回で成功する確率は低いため、基本的には4回まで保険を適用できる。また、第三者の精子や卵子の提供を受けることもできる。提供は、無償で無名の行為である。
 厚生省管轄のもと、精液および受精卵(受精前の卵子は凍結保存ができない。)の凍結保存研究センターが、フランス全土に22ヵ所あり、ここで精子はマイナス196度の液体窒素の中で保存される。男性の側に不妊の原因がある場合は、ここで凍結されている精子の提供を受ければよい。
 体外受精の際には、月に一度、ひとつしか排卵されないはずの卵子を、一度に複数取り出す。それを受精させ、うちの三つ程度を子宮内に戻し、残りは次回のために凍結保存される。
 問題はここにある。
 体外受精が一回で成功したとして、そのカップルが何年後かに、また子どもを持ちたいと望んだ場合は凍結保存してある受精卵を使えばよい。しかし、体外受精の計画が終わる時にそれをちょうど使い切れないと、受精卵は余ってしまうことになる。受精卵とは初期の胎児である。フランスでこうして凍結保存されている受精卵の数は、約68000個にのぼるといわれている。「処理」の方法の一つとして、男性の側にも女性の側にも問題があって不妊に苦しむカップルに提供する道がある。もう一つは、破棄する道である。だが、受精卵はすでにいのちがここに存在するのであり、しかも人間としての存在を切望され意図されて生み出されたのである。(147−150)

世界初の生命倫理法
 1983年、フランスでは「生命科学倫理国家諮問委員会」が創設された。フランスの試験管ベビー第1号が誕生した翌年のことで、すばやい対応であった。この諮問委員会の創設は、生命倫理をめぐる諸問題に法的な枠組みを設けるための第一歩である。そして、92年に「生命倫理法案」がはじめて国会で審議された。2年の歳月をかけて議論され、94年に可決されたのである。人口生殖は、男女のカップルのみ、双方の合意のもとでのみ認められることになった。結婚しているかどうかは問われないが双方が生存していることと、最低2年間共同生活を送っていることが条件である。大原則として、人口生殖は「医学的に認められた症状を伴う不妊症の治療を目的としている」場合にのみ行われる。だが、更年期をどうとらえるかは曖昧のままである。

第6章 複合家族
 新しい言葉
 これまで、非婚化、シングル化、片親家庭、父親、人口生殖など家族の変化が最も集中するばを見てまわったが、「複合家族」はそうした変化と連動しつつ、家族の概念をさらに拡大するものだろう。(166)

キットの組み合わせ
 一昔前の再婚はその前に存在した家族を「ないこと」にするものであり、継父や継母が本当の両親に「とって代わる」ことが求められた。すなわち、再婚家庭の中心はあくまで夫婦だった。ところが現在の家族は「複合家族」であり、新しいカップルのそれぞれの継子は本当の父親と母親の間を行き来して生活するという、カップルの関係が壊れても親子関係は壊さないというものである。「複合」である所以は、前の家庭との関係を断ち切らないところにある。どこかで血縁があったりなかったり、様々なキットの組み合わせによる家族、それが「複合家族」である。(168−169)

子どもを軸とした家族空間
 1990年のデータによると複合家族の数は66万世帯ということになているが、フランスの社会学者は現実にはその倍にのぼると考えている。なぜなら、この数字は「子どもの主要居住地として届けられている側の親が、新しい伴侶と暮らしている場合」の世帯数だからである。つまり、子どものもう一方の親の側は計算されていない。現実を見てみると、男女が別れる。多くの場合、母親が子どもを引き取る。もう一方の親である父親が再婚する。それでも親子の絆をばっさり切るようなことはせず、子どもは程度の差こそあれ定期的に父親の家を訪れ、父親の家庭にも参加することになる。この「程度の差」が少なければ、父親側の家庭も「複合家族」ということになる。
 家族の現状はますます複雑で把握しにくく、数や統計で表すのが難しくなっている。
 複合家族の出現は、夫婦関係と親子関係のふたつがわけて考えられるようになった。しかし、親がパートナーを持ち、愛情面、性生活面で一定の安定を得ることは、子どもにとってむしろ好ましいことだ、と見られている。(171−176)
 
「形」から「関係性」へ
 一口で複合家族といってもその形はさまざまである。女性の側に子どもがいて再婚だったり、男性の側にいたり、両方いることだってある。新たにいっしょになったカップルに子どもが生まれる場合と生まれない場合とでは様相はおのずと違ってくる。このことからわかるように、複合家族を十把一絡げにしてしまうことはできない。複合家族の場合、うまくいくかいかないかは「形」より「関係性」がものをいうのである。

おわりに
 五月革命を機に、ある時は一気に、ある時は粘り強く、フランスの人々が闘い、勝ち取ってきた自由。これは私たちが手にしていると思いこんでいる「自由」とはどこか手触りが違う。自由の果てにどんな風景が可能なのか、私たちがおそらく別のやり方と速度でいつか手にするであろう「自由とその後」のためにも、彼らの姿を借りて報告したかった。
 70年代の幸福の青い鳥が自由とセックス、80年代のそれが社会的成功と金だったとしたら、90年代の青い鳥は家族なのではないか。
 婚姻制度は危機にあるかもしれないが、それがそのまま家族の危機には結びつかない。男と女と子どもの描く三角形がどんなにいびつな形になろうとも、人々は、その三角形を描きたいと思い続けている。生涯独身者tがいくらふえようとも、子どもを持たない人たちがいくらふえようとも、それはそれでひとつの行き方だ。彼らは彼らで別の道を通って、家族というものに行き着こうとしている。家族をいま一度、男と女と子どもという要素に解体し直し、その間でどのような絆を結びうるのか、と考えるべきなのだろう。


……以上。コメントは作成者の希望により略、以下はHP制作者による……


REV: 20170426
フランス  ◇フェミニズム (feminism)/家族/性…  ◇女性の労働・家事労働・性別分業  ◇BOOK  ◇2002年度講義関連 
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