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『愛の労働』

Dalla Costa, Giovanna Franca 1978 Un labora d'amoure, Edizioni delle donne, Roma
=19911125 伊田久美子訳,インパクト出版会,177p.

last update: 20170426

この本の紹介の作成:出水田法子
掲載:20020731

【目次】
T 女は家内奴隷か、それとも労働者か?
U 女に対する男の肉体的暴力
 1   なぜ肉体的暴力なのか
 2−a 肉体的暴力の具体的形態
   b 性暴力
V 強姦と近親相姦
W 女に対する男の肉体的暴力と国家
 1   国家による暴力の黙認
 2   イデオロギーの編成によって・・・
X 強姦、 近親相姦と国家
Y 暴力に対する女たちの願い
解説 「労働としての愛」を超えて
あとがき

**************************************

T 女は家内奴隷か、それとも労働者か?

 <資本主義社会における男女の関係は暴力的関係なのだということは、フェミニズム運動がその活動の当初から告発してきたことであった。むしろ、そここそがフェミニズム運動が広範な論争を展開し、組織された論争を高度に成長させてきた主要な領域だったのである。>(P.7)女に対する男の暴力は、資本主義に端を発しているとは言えず、それ以前の長い歴史を持っている。しかし<たとえ暴力の形態にはかなり普遍的要素がいくつか存在するとしても、資本主義は女に対する男の暴力にある役割を担わせて、それにあらためて根拠をあたえた。その役割は、女が供給するようにと定められた労働、家事労働の中にこそ存在する。>(P.8)
ここではっきりさせておきたいのは、基本的に労働者の家庭、したがって19世紀後半以降の先進資本主義諸国における結婚と家事労働の機構の類型について言及しているということである。
まず、家庭そのものの中における女の地位をあらかじめ定義しておかねばならないが、そのためにはフェミニズムの論争に登場する、女の地位は「奴隷の地位と同じである」という仮説に関してきちんと見解を述べておく必要がある。私たちはそれに異議を唱え、私たちは「家庭労働者;家においてはあらゆる女が無償労働者なのである」と主張する。
そこで、男の女に対する肉体的暴力に関連して、家庭労働者と奴隷のおかれた状況を比較することを特に重要視する。

【A】女は、奴隷とは異なり、自由な労働者と同様に自分の労働力を自分で自由にできる。
<奴隷は自分の労働力を自由にできない(彼自身が商品である)ので、労働力を売ることは出来ない。女は、自由な労働者と同様に、自分の労働力を自由にでき、労働力の自由な所有者であり、したがってそれを商品として売ることができるのである。>(P.14)

【B】労働力の売り手としての女は、彼女の労働力の買い手としての男と法律的に平等ではない。
<自由な労働者については、『彼は市場でカネの所有者と出会う。そして両者は商品の所有者として平等の権利を持って相互関係に入る。』しかし女は労働力の再生産者であるくせに、自分の労働力を賃金に換えうる商品として自由にする事ができない。したがって、女は形式的にさえ、人間として男と法的に平等ではないのである。>(PP.14−15)

【C】女は結婚によって一生涯の労働力を売る。
<自由な労働者については、彼とカネの所有者との関係が存続するためには「労働力の所有者がその労働力を一定期間の間のみ売る」ことが必要である。一方女は結婚によって、本質的に彼女の人生の残りすべての間労働力を売ってしまう。そのために、女の状況は一見して自由な労働者の状況とはまったく異なり、奴隷の状況にずっとよく似ているように見えるのである。
 しかし、女は結婚によって自分の労働力を人生の終わりまで譲渡するとはいえ、いつでもその労働力を、夫や再生産の途上にある子供たちによる消費から引き上げて、再び自分自身の所有に戻す権限がある。>(PP.15〜17)

【D】女は一定の制限の範囲で主人を選ぶことは出来るが、主人を取り替える可能性はほとんど持たない。
<奴隷も自由な労働者も女も、主人を取り替えることの可能な状況にある。奴隷は商品であるがゆえに、『ある所有者から別の所有者に』渡る可能性がある。自由な労働者は、自分の労働力を自由に出来るがゆえに、一定の制限の範囲でだれに自分自身を売るかを選ぶことができるが、それと同様に『主人を取り替える』こともできる。 
女は自分の労働力を自由にでき、それゆえ一定の制限の範囲でだれに自らを売るかを選ぶことができる。したがって彼女もまた主人を取り替えることが可能である。しかしこの可能性は、彼女の労働力を売る際の特殊な条件のせいで、著しく狭められている。>(PP.17−18)

【E】女は見返りに「扶養」を受け取る。
<女は、自由な労働者と異なり、賃金を受け取らない。また奴隷と異なり、必ずしも自然な形態で生計手段を受け取るのではない。
 さらに、具体的な形態であれカネとしてであれ、彼女が受け取る生計手段の量と質は奴隷の場合のように定まってはいない。つまり奴隷の場合は、もっぱら奴隷自身の存在を可能にするということにしたがって定められる。ところが女の場合、それは夫の賃金の水準にしたがって定められるのである。>(PP.20−21)

【F】女はいかなるものに駆り立てられて働くのか?
<奴隷が本質的に外部からの脅威に駆り立てられて働くのに対して、自由な労働者は自らの必要に迫られて働く。
女は家族全体を再生産するかぎりにおいて、自分の生存だけは確保することができる。女は自分の生存のみと引き換えに働かされているのに、それは労働者の家族というものが形成されたおよそ19世紀後半以後、先進資本主義諸国において、ロマン主義的愛のイデオロギーと定義すべきある特殊な「愛」のイデオロギーによって神秘化されてきた。>(PP.22−23)
この愛をめぐる特殊なイデオロギーこそ、無償労働としての家事労働を正当化するために資本が作り出し、維持しているものだから、女にとっての宿命は「愛」として神秘化されてきた。<このイデオロギーを統括的に「愛の労働」としての家事労働イデオロギーとして定義することができるだろう。>(P.24)
19世紀以降以後のあらゆる先進資本主義諸国に共通している、結婚という契約の常套句の中で述べられている、身の回りの世話という表現は、愛の帰結として登場する。そしてこのような神秘化を通して、愛は「相互に」交換されるかのように語られるが、その背後には男が彼の労働者としての女の労働力を獲得するという事実がある。<だから資本主義の下では、愛は「素晴らしいこと」であるどころか、労働関係を覆い隠す神秘化の中でもっとも重大な神秘化にほかならない。賃金も支払われることなく家事労働を供給するような女を駆り立てているのは、この「愛」なのである。>(PP.24−25)

【G】家事労働の職務、時間、場所に関するいくつかの解明
 以上の、労働力再生産者としての女の労働力の売買が生じる条件へのアプローチを行った上で、さらに彼女の状況を新しく「家庭労働者」として定義する必要がある。なぜなら家事労働のいくつかの重要な側面の分析を通して、後に女に対する男の肉体的暴力発生のメカニズムや原因を特徴づけることが可能な段階に至るための基礎となるからである。
 次に労働力の売買が行われてからの奴隷、自由な労働者、家庭労働者がそれぞれにいかなる時間と職務を持っているかという根本的に新しい観点から検討していくこととする。
  <既に述べたように、奴隷はひとたび買われると、その労働力ごと一生主人の自由になる。だから奴隷は労働力を売るのではなく、労働力ごと「一度で一生」売られるのである。そのため奴隷がその労働力ごと主人の自由になる時間は基本的に一生の間である。>(P.27)職務は厳密に定められており、主人のための生産が行われる場所と、奴隷の共同体の再生産が行われる場所(掘っ建て小屋)の場所の区別はあった。
 自由な労働者は、自分の労働力を自分の裁量下におき、ある一定期間のみ労働力を売る。
と同様に、各々が雇われる職務もまた定まっている。余暇を持つこともできる。そしてこの時間を彼は、労働を行う場所とは全く違う場所で過ごす。
 女は結婚という契約によって、一生の間の労働力を売るので、奴隷にずっと状況が似ているように見える。しかし、<女と奴隷がその労働力を自由にされる期間としての「一生」という時間がもつ意味は両者の間でまったく異なっている。>(P.28)妻としての購入された女の一生という期間は、質的に重要なのである。なぜなら、彼女の欠如によって不足する労働力は、ただちに(今日では存在しないが)他の妻たちの労働を強化することで補充できるものではなく、新たな結婚の契約を必要とするものであるからである。<再生産労働の供給者としての女の場合には、職務はある程度限定されているものの、量的には無制限である。>(P.30)また、その職務内容は女の人生の時期によって変わる。
 すなわち、「愛の労働」としての家事労働の職務は無限で、時間的制約ももたない。さらに、女にとっては第一の労働場所が家庭であり、労働時間の大部分(=人生)を過ごす家そのものの中で、女は伝統的に「自分の」部屋すら持たない。

 この章では、家事労働に従事する女に対する考察が、賃労働者や奴隷との比較を通して進められている。そして著者は、「愛」のイデオロギーを告発し、家事労働を「愛の労働」として定義する。さらに「愛の契約」である結婚について、「愛」による神秘化を取り除いた視点から分析を行っている。

U 女に対する男の肉体的暴力

 前章のように、奴隷、自由な労働者、女の3者間には売買条件は根本的に異なり、よってその労働関係をめぐる暴力もまた異なる。
 奴隷の労働関係をめぐる暴力は、商品にされているのが奴隷自身であり、それゆえ何の制約もなく奴隷を主人が自由にできるということに由来する。奴隷を働かせるためには、主人は「処遇」すなわち肉体的暴力と家父長主義との特別な野合によって、外部から介入するより仕方がない。
 一方、賃労働の労働関係をめぐる暴力は、必要労働と剰余労働との差に一致する。資本家は労働者に対して、処遇によって外部から介入する必要はなく、彼らを「賃金」によって統制する。
 非賃金労働である家事労働の労働関係をめぐる暴力は、以上の2つとは異なっている。女は自由な労働者ではあるが、その労働力を「扶養される」ために売る。そしてこのことによって、彼女の労働関係をめぐる暴力は特徴づけられる。
 女を扶養するということから、男は奴隷の主人と同様に、しかし別の種類の「処遇」であるが、女に対して外部から介入する必要がある。女は、資本との関係の中で、量的にも質的にももっと暴力的な労働関係にあるが、愛というイデオロギーによって神秘化されている。そして、<家庭労働者である女が置かれている生産関係者が、一人の男(と彼の子供たち)のための「愛の労働」の関係であるということによって、女に主人を愛することを義務つけるという新たな暴力が生じる。>(P.40)男は、女と資本の中間搾取者で、女の労働の直接監督者なのである。

1 なぜ肉体的暴力なのか
 家事労働には、賃金が存在しないので主人である夫は、妻である女が「愛の契約」に違反したところで、彼女に経済的な攻撃を加えることは出来ない。また、扶養の水準を下げることによってしても彼女を攻撃出来ない。なぜなら、夫自身や子供達の生存を危険にさらすことになるからである。さらに、「彼女を解雇」してしまうと、新しい結婚の契約を必要とするので解雇することも出来ない。したがって、<男に残された唯一の恫喝手段は肉体的暴力なのである。>(P.41)
 男が女に対して果たす抑圧的な役割は、「愛の特権」によって正当化され、家事労働がいくつかの特殊な職務を持っていることによってさらに強固なものへとなっている。そしてこの役割全体が、家事労働の抽出を資本に対して保証する。その裏で資本はまた資本自身に対する階級的暴力を絶えず取り除いているのである。

2−a 肉体的暴力の具体的形態
 女に対する男の肉体的暴力の範囲は、平手打ちに始まり殺害にまで至る。<しかし、一般に、もっとも「普通の」形態は殴打である。>(P.49)
 男による、家庭労働者である女の殺害は、刃物、鉄砲、毒物による「迅速な手続き」によるものが多い。それは、奴隷の主人によって行われる「見せしめを行う」ための殺害とは異なるが、上記のような抑圧的役割を担う男による、言うことを聞かなくなった女に対する極刑であり、他の全ての女に対する警告になりうる。

b 性暴力

 <女が結婚の内外において大衆的にこうむっている肉体的暴力のもっとも明白的な性的特徴は、結婚の中で女が置かれている地位に基づいている。この性的労働に関して資本が非常に厳格な規律を強要するのは、明らかに資本がこの労働によって労働力の再生産の確保をしなければならなかったからである。>(P.56)そして、その<性的職務が、妻の中心的、独占的職務であるという観点によれば、結婚によって男の自由に任されるのは女の肉体そのものであり、このことにおいて労働関係はその暴力性の極致に達するのである。>(P.58)

 この章では、結婚によってもたらされる女の労働に関する詳細な考察がなされている。と同時に、婚姻関係における男の暴力の分析がなされている。「性的職務」である。しかし、これらの暴力も「愛」の神秘化によって正当化されると指摘している。

V 強姦と近親相姦

 <男は結婚において、妻に対して性暴力を行使する権限を暗黙裡に獲得する。しかし、結婚の外においてまでも女に対して暴力をふるう男は、一般的に見て一体いかなる動機によって性暴力を犯すのだろうか。>(PP.67−68)それを解明するのに、家事労働の労働関係を再度取り上げ、性的職務の供給条件から考察すると、資本は性的職務を行う義務を妻だけに負わせていた。ところが、ここ数年の間に彼がその職務を十分に供給なされない可能性が「深刻化」してきている。その原因には、女たちの運動の増大にともなう、家事労働の徹底的な削除要求と、セクシュアリティーの要求がある。さらに、売春婦の労働の大衆的普及と、その相場の値上がりが手伝って、男をとりまく状況に変化が生じ、強姦の増加へとつながった。換言すると、<男はこの行為によって性的職務の供給を確保しようとするのである。この意味で強姦は、正真正銘の家事労働の収奪であると定義することが出来るであろう。>(P.71)また、強姦は労働力再生産に関する女の労働条件に対してのもっとも凶暴な攻撃となっている。

 強姦が家庭の中で生じる場合、近親相姦となる。これもまた、家事労働の収奪に他ならない。<それは、家庭を分断して、家庭内の家事労働の機構と分担を破壊する。>(P.73)

 この章では、結婚という契約によって作られた関係の内外における、性暴力すなわち、強姦、近親相姦について考察がなされている。そして男たちがこれらの行動に至る原因の分析をし、女たちの運動の動向について述べている。

W 女に対する男の肉体的暴力と国家

1 国家による暴力の黙認
 
 <女に対する暴力をめぐる国家の態度は、家庭における労働の機構に対する国家の態度に由来する。国家は女の搾取の資本主義的関係に特有のこの暴力の保証人である。なぜなら国家は、女の非賃金労働に基づいて家庭を明文化したからである。>(P.79)
 近年ますます国家は、女たちの闘いによって男たちに対する介入を余儀なくされているが、国家の振る舞いは、男たちが女たちに対して暴力を行使する気力を無くし過ぎないようにしようとしている。その一方で、脅迫、侮辱的尋問によって女たちが告発を徹底的にやり抜くことを思いとどまらせようと努力する。だが、女たちの闘いによる圧力は増大し、国家の姿勢の背後にある欺瞞を発見する。そして「政治的スキャンダル」の地位に達したのである。

2 イデオロギーの編成によって・・・

 結婚を「愛の契約」として制定した国家は、夫の妻に対する公然たる脅迫を、一定の許容範囲を伴いつつも、「愛の契約」が許す範囲内にとどめる必要があることは確かである。
よって、国家は、自ら愛と肉体的暴力の2つに作動するイデオロギーの編成をし始めなければならないと感じている。
 ほとんどすべての先進地域においては、家族を形成しているのは19世紀後半に生まれた、ロマン主義イデオロギーに多大な影響を受けた、愛のイデオロギーそのものである。 ロマンチック・ラブ・イデオロギーは、表面的には明らかに暴力を否定している。しかし、今日のような次元に女の力が達するまでは、男による女に対する暴力が、完全に大衆的次元で生じているということを覆い隠す手段でもあった。
 <国家によるイデオロギーの変遷の第1の方針は、よい女を悪い女から分断し、隔離しておかなければならないというものである。ところが、第2の方針は、よい女の内部で、もっぱら家庭にとどまらなければならない女と、家庭の外へも働きに出なければならない女とを、平和共存させなければならないというものである。このようにして国家は女を、国家の都合によって勝手に引き起こされるいかなる運命の変化をも受け入れるように訓練されてきたのである。>(PP.106−107)

 この章では、国家と男の暴力の関係について検討されている。そして、実は国家が男を代理人として、女の告発をなるべく最小限にとどめさせようとしているメカニズムの解明がなされている。国家は、「愛」から暴力までのイデオロギーを使い分けて、女の労働力を搾取し、さらにいくつかの基準に基づいて女を分断して、家事労働の無償性の確保に努めようとしている、という指摘がなされている。

X 強姦、近親相姦と国家

 <強姦の場合は、間接的に家庭を堅固にし、家庭は他のどんな場所よりももっと安心できる場所であると思い込むにいたるまで女たちをひるませるように作用するのだが、近親相姦の場合はいったん発覚したら、もっぱら家庭を危険にさらし、女に対して家庭が保証しなければならない安全を脅かすのみである。これについての国家の対応は、近親相姦が生じた事実と、それが大衆的次元で実践されていることを隠蔽する以外の何物でもなかった。>(P.122)ところが、かえってこのことが自動的に、女が家庭の中で無給労働者として働いていかなければならないことの代償に、女の生存と肉体的保護の確保を基本的に保証するという家庭のイデオロギー的基盤を揺るがすことになる。
 <それゆえ強姦に関しては、国家がある程度その事実についての情報を流しているのに対し、近親相姦に関しては、もっぱら女たちの闘いだけが、それが大衆的行為として存在していることを告発してきたのである。>(P.124)

 この章では、近親相姦や強姦といった、男の性暴力に対する国家の対応について論じられている。国家の対応は、それぞれについて形式的には異なるが、女の労働力を搾取するという姿勢に一貫性を見出している。

Y 暴力に対する女たちの願い

 <資本主義的家族の歴史は、女たちの国家に対する闘いと、それに対する国家の激しい弾圧によって彩られている。>(P.128)女たちの闘いの大衆化・組織化に対して、縦横に張り巡らされた男たちの仲介によって強化された国家は、組織機構レベルとしてそれに対抗してきた。しかし、国家の弾圧が女の闘争組織を破壊できたとしても、そのことが逆に女の運動を初めて国際的レベルで大衆的権力、組織力、攻撃力を獲得するに至らせたようだ。
 こうした闘いの動向についての結論的考察として、第一に重要なのは、<フェミニズム運動の出現当初から今日に至るまで、女たちは男の暴力に対する国際裁判所を組織する必要性を感じていることである。このことは女たちが、闘争の目的として、女たちの生活全体の状況、とくに生活の質に関する重要な指標として、彼女らが受けた暴力についての広範な調査の必要性を感じていることを示唆していると考えられる。>(P.136)
 また、一方で売春婦と同性愛の女たちの運動について具体的考察をしておく。これらの運動はいずれも<女たちが自らにとってより生き易い選択を作り出すためには男の暴力と闘わねばならないことを、大衆的に表現している。>(P.138)同性愛者たちの運動は、ヘテロ・セクシュアリティーに必ずしも奉仕しないセクシュアリティーの獲得を表明し、同時に女に対して労働、それも厳しく規制された永遠の労働を要求する暴力の魂としての男のセクシュアリティーとの関わりへの拒否を表明しているのでもある。
 売春婦の運動については、1975年にフランスで、アメリカではそれ以前にも先駆的動きがいくつかあったが、1976年に公然たる果断な闘いとして、大きな盛り上がりを見せた。<この運動が起こったどの国においても、売春婦たちが国家に対して突きつけた根本的要求は、売春の非犯罪化、およびその結果として警察官によるあらゆる種類の迫害、国家による彼女らの生活や子供を自分の手元に置く権利の管理統制に終止符を打つことであった。>(PP.140−141)
 <今日女たちは金を欲しているが、それは同時に家庭の規律や労働の規律全般と縁を切ろうという意志でもある。
潜在的脅迫、平手打ち、殴打、ピストルの一撃、さらには妻、娘、母親、行きずりの女、売春婦の肉体に突き刺さった男根あるいはナイフによって成り立つ愛と古い愛の契約は、もはや成り立たない。女たちは、世界中で、資本主義国家のあらゆる習慣に巣食う男の暴力のおぞましい虚栄を焼き尽くしつつある。>(P.143)

 この章では、資本主義とともに国家が奨励してきた、男の暴力に対する女たちの闘いが記されている。時の流れとともに、女たちの闘いが国際的規模で拡大していく様子がうかがえる。

解説 「労働としての愛」を超えて

 本書はイタリアのフェミニスト、ジョヴァンナ・フランカ・ダラ・コスタの著作品であり、「愛の労働」の概念は、ロマンチック・ラブ・イデオロギーによって確立された脅迫的呪縛に悩む人々に新たな視点を提供している。それは同時に、ロマンチック・ラブ・イデオロギーにすがって生きている、さらに多くの人々、とりわけ男たちの反発を引き起こすことも確実である。しかし、「愛」と「暴力」が、実は女の労働の搾取をめぐる共犯関係にある表裏一体のものであるという視点によって、個々の男の性格や心がけなどのレベルを超えて存在する、女に対する男の暴力の構造を解明するのが本書の目的である。
 社会学者である著者の視点は、従来もっぱら文化的心理領域のものとされてきた愛、家族、セクシュアリティー、暴力などの問題を、労働の搾取をめぐる力関係との関わりにおいて克明に解き明かし、「愛」の名による女のセクシュアリティーの搾取も含めた家事労働という無償労働の搾取こそが、女と男の関係を今日のような暴力的関係に変質させていると主張する。そして、ただ男による女の支配と国家による女の支配との共謀関係を、それが資本主義と家父長制の関係のすべてであるか否かという問題設定とは次元の違う観点から、具体的かつ詳細に論じている。
 <マルクス主義フェミニズムの最大の功績が「労働力再生労働としての家事労働の発見」であることは、およそ衆目の一致するところであろう。この概念によって階級支配を論じるマルクス主義と性支配を論じるラディカル・フェミニズムの議論が一致して、資本主義下の性差別という今日女たちが置かれている現実に対するもっとも有効な分析が可能になった。>(P.162)
 <多くの人々の思い入れに反して、家庭は資本主義的労働関係、すなわち労働力の搾取の場であり「愛」はこの搾取された労働を神秘化するまたの名であるとする本書の論点は、家庭が男の暴力から女を守ってくれる安全地帯であるというもう一つの幻想を破壊する。家庭における女のあり方が社会における性差別を規定するように、婚姻関係における女と男の暴力的関係こそが女に対する男の暴力性を含めた暴力一般の根源であると著者は言う。>(PP.164−165)

* 最後に訳語についていくつかの説明が加わっている。


……以上


REV: 20170426
フェミニズム (feminism)/家族/性…  ◇女性の労働・家事労働・性別分業  ◇BOOK  ◇2002年度講義関連 
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