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『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』

立岩 真也 2020/01/10 青土社,536p.

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立岩 真也 2020/01/10 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』,青土社,536p. ISBN-10: 4791772261 ISBN-13: 978-4791772261 [amazon][kinokuniya] ※

立岩真也『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』表紙  ◇目次
 ◇はじめに・二〇一九年版
 ◇はじめに・二〇〇〇年版
 ◇文献表(別頁)
 ◇第8章 闘争と遡行(新版に収録)
 ◇第9章 高橋修 一九四八〜一九九九(新版に収録)
 ◇高橋修(別頁)
 ◇お知らせ:https://twitter.com/ShinyaTateiwa
 ◇編集者とのやりとり


◆立岩 真也 2000/10/23 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』 青土社,357+25p. ISBN:4791758528 2940 [amazon][kinokuniya] ※

立岩真也『弱くある自由へ』表紙
◆立岩 真也 2019/08/01 「高橋修・上&話を残すこと――『弱くある自由へ』第二版に・1」
 『現代思想』47-10(2019-08):222-237
◆立岩 真也 2019/09/01 「高橋修・中――『弱くある自由へ』第二版に・2」
 『現代思想』47-(2019-09):-
◆立岩 真也 2019/10/01 「高橋修・下――『弱くある自由へ』第二版に・3」
 『現代思想』47-13(2019-10):215-231
◇立岩 真也 2019/12/01 「身体×社会アーカイブの構築――『弱くある自由へ』第二版に・補章」
 『現代思想』47-(2019-12):-
◆立岩 真也 2020/01/01 「なぜ書いたか、なぜ新版か――『弱くある自由へ』第二版に・最終回」
 『現代思想』48-(2020-01):-

◆立岩 真也 2019/12/24 『弱くある自由へ 第二版』,青土社,ISBN978-4-7917-7226-1



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■目次

はじめに・二〇一九年版

はじめに・二〇〇〇年版

第1章

 1 迷惑について
 2 空虚II・条件について
 3 緩い自己決定
 4 堅い自己決定
 5 機能不全とその修理
 6 責任問題とその解決
 7 詐称
 8 圧迫
 9 畳まれてしまうこと
 10 弱くしてしまうこと

第2章 都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について

 1 都合の悪い自己決定
 2 都合のよい自己決定
 3 屈辱による死
 4 問い方について

第3章 「そんなので決めないでくれ」と言う――死の自己決定、代理決定について

 1 安楽死を駆動するもの
 2 みんなのため、みんなのおかげ、でなく
 3 少なくとも医者は(代理)決定者ではない

第4章 一九七〇年――闘争×遡行の開始

 1 できなくさせる社会、という把握
 2 「平等派」と「差異派」
 3 一九七〇年
 4 能力主義のこと
 5 自己決定のこと
 6 そのあと

インターミション 障害者運動に賭けられたもの――市野川容孝氏との対話

 1 平時の思想としての優生学
 2 一九七〇年
 3 日本の障害者運動は特殊なのか
 4 問題提起しかしないこと・を受け止めること
 5 障害者運動の国家論
 6 不妊手術の闇

第5章 生命の科学・技術と社会:覚え書き

 1問い
  1境界の移動が開く問い
  2生産・消費・流通
 2 人とともに既に存在してしまうことを巡る問題
  1 わかってしまうだけであること
  2 雇用と保険
  3 「治療」
 3 その人を離れ利用可能になる時に生ずる問題
  1 移動し譲渡されるもの/されないもの
  2 所有の規則
 4 漠然とした不安を漠然としなくなるまで持ち続けること

第6章 未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険 cf.名づけ認め分かり語る…

 1 保険会社が遺伝子情報を求めることの是非
  1 かまわないではないかという主張
  2 そんなことはない
 2 しかし逆選択がおこりうる
  1 保険金が入ることがわかってしまう
  2 検査する前に加入してもらう
 3 未知ゆえの連帯の限界

第7章 遠離・遭遇――介助について

 1 まえおき
  1 介護保険
  2 これまでに述べたこと
  3 いつも二つある
 2 根本的中途半端さについて
  1 両方がある
  2 だから強制が要請される
  3 組み合わせ、減殺する
 3 「よさ」について
  1 語られなくてもよい
  2 無色であってほしいものへの意味の充当
  3 贈与をめぐる供応
  4 職域と権能の維持・拡張
  5 消し去らず、局限すること
 4 機構
  1 本人が決める
  2 三つのものの配置
  3 接近、しかし義務をめぐる差異
  4 選択→責任という誤り
  5 どんな仕事とするのか
  6 「専門性」を根拠にしないこと
  7 家族による行ない・無償の行ないの位置
  8 判定から逃れようとすること
  9 補い代行する機構の必要とその危険を回避する機構の必要
 5 口を挟むこと、迎えること、他
  1 パターナリズム
  2 承認
  3 接・触
 6 つまり短絡させないこと
  1 ほぐして組み立てること
  2 だから、やっかいで、しかし仕方なく大切なことは

第8章 闘争と遡行

第9章 高橋修 一九四八〜一九九九 381-471 cf.◇高橋修
 1 動きを捉える
  1 その動きは今もおもしろい
  2 間にいるが片方に付くこと
  3 集め収め示す
  4 集め収め示す・続
 2 一九四八〜/立川で
  1 新潟・長岡から静岡を経て東京・立川へ
  2 七〇年代からの厄介さを継ぐ
 3 道を作る
  1 空白だったと語る時期に動いている
  2 有償ボランティア的なものからは逃げる
  3 やんちゃな部分を合流させる
  4 分裂した一方に付く
  5 落としどころができるまで、考える
 4 後を継ぎ、答を出し続けてみる
  1 やがて難しくなる
  2 青天井でいけなくはない
  3 足りているから、もっと余裕だ
  4 そのうえで基本を確認し譲らない
  5 供給・支援
  6 もらったから報いようとする

 文献表



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はじめに・二〇一九年版

 最初の共著書の第三版(安積他[2012])、最初の単著の第二版([201305])が生活書院から文庫判で出ている。単著として二冊目の『弱くある自由へ』([200010])の増補新版(第二版)が本書になる。
 初版の「あとがき」を読み返してみたら、冒頭は以下。

 私は、思うとすれば、長く生きたい、痛いのはいやだといったぐらいのことしか思いつかない人で、つまり「いのち」や「ケア」といったものに対する感受性に乏しい人で、ただ、そういう不似合いな人もいてよいだろうとも思い、また、そういう不粋な人であるがゆえに不思議なこと、違和感を抱けてしまうことも多くて、それでものを書いているようなところがある。
 そういうわけだから、「死を受容する」等々といったことがわからない。そんなことは少しもほめられたことでないことは承知しているが、それでもしかし、わかった気になるまではわからないと言うしかない。そして、なにかを死者に捧げるということも――そうしたことを行いたいその私達の側の気持ちはわかるけれども――わからない。なによりその人はもう死んでしまったのであって、その人になにも伝えることはできない、と私は思うから。([200010:305])

 もう長く、同じことを言い、書いている。死ぬのと痛いのはいやだ。それを「病気」と括る。痛みを減らし死を遠ざけのはよい。だから、それをもたらす病を治すのは(そのために支払うものとの差し引きは考えるべきではあるが)よい。しかし、できないこと・異なること(としての「障害」)となれば話は別だ。そのことを『不如意の身体』で述べている([201811])――▼本書では、私が(単独で)書いたものについてだけ、便宜のために[201811]などと六桁で表示させてもらい、著者名を略す▲。
 そして病や死を美しく語ることに慎重であること。それは倫理に関わることでもあるが、すくなくともまずは単純な事実・認識から発する。それは、方法的にというよりは、私がどうしてかそんな具合にできているからということなのだが、その単純さがそんなに普通のことでもないということさえわかっていれば、出発点としてはそれでよい。そのうえで何を引いたり、何を足したりした時にことは変わってくるのか。それを見ていこうというのだ。安楽死について本書に短文が一つ、インタビューが一つ収録されている。その後もずっと、そして近頃も関係するできごとが様々起こるので、やはり書き続けている。
 その私は、二〇一八年の終わりに『不如意の身体――病障害とある社会』([201811])と『病者障害者の戦後――生政治史点描』([201812a])の二冊を刊行してもらった。それらは二〇〇五年に始まって一五三回続いた『現代思想』連載の数年分を用いて作られたのだが、その連載は、二〇一九年一月号掲載の「最終回」という、その連載と青土社からの本で何を書いてきたかを記した回([201901])をもって終わった。その後、その二冊はいくつか紹介・書評していただくことがあった。共同通信配信記事(竹端寛)、『朝日新聞』(椹木野衣)、『京都新聞』の記事(岡本晃明)があり、『週刊読書人』に掲載された天田城介との対談(立岩・天田[2019])もその全文を週刊読書人のサイト上で読める。その一つということでもあるが、三月末、天田との対談の前日に東京堂書店であった熊谷晋一郎との対談(立岩・熊谷[2019a])が『現代思想』の七月号に掲載された(立岩・熊谷[2019b])。
 一つには、熊谷との対談を第二版にと思った。そういえば、痛いのをがまんしてできるようにといろいろされたが、痛いばかりでよいことはなかったことも熊谷も語った。そのことは熊谷の最初の本(熊谷[2009])に書かれている。ただもったいなくもなり、もし本に収録するなら短くしないままの版がよいのではないかと思った。そこで見送った。
 「あとがき」は次のように続いていた。

 けれども捧げるとするなら、この本は高橋修さんに捧げる。彼は一九九九年に突然亡くなった。([200010:305])

 高橋は一九四八年七月二五日に新潟県長岡市に生まれ、二〇〇〇年一〇月に『弱く』が出る前の年、九九年二月二七日に亡くなった。そして私は、本の出た翌年、その人について「高橋修――引けないな。引いたら、自分は何のために、一九八一年から」([200105])を書いた。それは『自立生活運動と障害文化』(全国自立生活センター協議会編[2001])に収録された。その本は貴重な本で今でも購入できるのだが、ほとんどが運動に関係した本人が書いた文章(いくつかは対談や座談)により構成されている。ただ高橋はその時にもう亡くなっていたから、彼については私が書くことになった。
 彼の死後、とくに私がということではなく、まとまったものを作ろうという話はあった。ただそれはずっと実現することなく、約二〇年が経ち、今日に至った。十分なものを書こうとするとなかなか書けない。私はこのところ、ないよりよいものはよい、と思うことにしている。そこで[200105]を下敷きにしつつ、『現代思想』に三回書かせていただき、大きく手直しし――他方、※初版に収録された文章のすべては初出のまま収録されており、後で加えた部分は〔〕で囲っている※――第10章とした。大きく直しした結果、その章がこの本に置かれる意味が明確になったと思う。他の箇所を読む際にも有益なものになったと思う。他は第2版にするに際しての変更はしていない。「その時」に書いたものを残したいと思ったからだ。ただ、文献についての追加情報などは《》内に追記した。
 もう一つは、「闘争と遡行――立岩真也氏に聞く 『弱くある自由へ』」([200101])。翌年に『図書新聞』に掲載されたもの。聞き手は米田綱路(米田編[2000][2006])。これを再掲し、註を加えて第9章とした。初はこの二〇〇〇年の本が後の後の仕事について知らせる文章を書くことも考えていたが、散漫になってしまい、自分が書いた文章の名前を列挙するといったものになってしまうのでやめた。そして情報・文献はこれからも増えていく。とすると紙の本に記すより、HPの索引などを使ってもらい、そちらを見ていただく方がよいと思った。



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はじめに・二〇〇〇年版

 この本は八つの章からなっている。一九九八年から二〇〇〇年にかけて公刊されたものがもとになっている。
 そのうち五つの章は、『現代思想』(青土社)に掲載された四つの論文(その一つは四回に渡って連載)と『仏教』(法藏舘)に書いた文章で、これらは主に関連文献について注にいくらかの加筆をした以外はそのまま、収録した。(加筆部分は〔 〕で囲った。)
 そして、『ヒポクラテス』(九段出版・情報センター)に掲載されたインタビュー(聞き手・構成は丸山哲郎氏)と、『現代思想』に掲載された市野川容孝氏との対談。これらにはあらたに注をつけた。(第5章となった市野川容孝氏との対談を読まれる方は、私の方が行儀のわるい粗暴な人物のように思うだろう。だが、それは市野川氏が録音テープからおこされた原稿を内容はそのままに行儀よく整えたからであり、実際のところは二人は同じようにしゃべった。両人は同じくらいに行儀がよいかあるいはわるい。)
 そしてもうひとつ、『科学』(岩波書店)に掲載された文章を、これは加筆して、収録した。(以上、初出の詳細については巻末の文献リストを参照のこと。)

 それらはみなつながっているはいるけれど、多様な主題を論じているようでもある。そのひとつひとつをもっときちんと、もっとながながと、論じるべきではあるのだろう。少なくともいくつかの主題にはついてはそうしたいと考えている。ただ、今回のようなかたちで出版する意味もあると考えた。
 まずひとつは、今知っておいてよいことがあると思うから。ここに記されるいくつかのことは、知っている人はよく知っているが、知らない人は全然知らないことだと思う。そして、知っている人の数は多くない。ときにとても少ない。
 そしてひとつ、今考えるときに考えにいれておいた方がよいことがあると思うから。私は、その私の論じ方が上手かどうかは別として、最低ここまでは話をもっていかないとそこに論じられる主題を論じる意味はないと、それだけは確かなことだと思って、各章を書いた。単純なことを複雑にする必要はまったくないが、しかし、すこしばかりは複雑なことをまちがえて単純化してはならないと思う。ところが実際にはなかなかそうなってくれない。そういう事態に対するいくらかの苛立ちもあって、ここに収録された文章のいくつかは書かれたし、さらに本とする意味もあると考えた。
 それからもうひとつ、同じことは一度しか言わないというやり方は、少なくとも親切ではないと私は思うようになった。論理の本筋だけを展開していくとそれなりに短くはなり、すっきりとし、そして私はそういう論じ方が好きなのだが、多くの場合、書かれていることは読み飛ばされる。私自身にしても、本を端から端まで通してきちんと読むことはそうない。だから、各々が別のメディアに掲載されたものを並べ、言いたいことが何度か出てきてもよいように思った。

 そんなこともあって、この本はどこから読んでいただいてもかまわない。「遺伝子」に関心のある人と「介護」に関心のある人は、同じ人であるかもしれず、違う人であるかもしれない。より関心の大きな方から読み出してくださればよい。様々な二つがどのように連なっているかについてもこの本には書いたつもりだが、その連なり具合はどちらから読んでも理解できると思う。
 こうして、いろいろな主題が別々にこの分量の本にまずは収まっているということは、話がはしょってあるということでもある。その省略が可能だったのは、一九九七年に出版された『私的所有論』という本で、いちおう話を最初から始めてひとまとまりがつくまで順番に書くことができたからである。とくに第4章は、なぜその本を書いたかを説明しているようなところがあり、そしてその説明で終わっているとも言える。その本とこの本を合せて読んでいただければありがたい(が、お金はかかる)。

 それにしても私達は、どんな時に難しいとか難しくないとか思うのだろう。一九九七年に出たその本について、両方の感想をいただき、そしてその両者の分布は、日頃いわゆる難しい本を読んでいるかどうかとはあまり関係がないようだった。多分、とても当たり前のことではあるが、なにかの事情で自分がすでにあることを考えてしまっていて、そしてそのために行き止まっているとき、行き止まるまで考えてしまっているとき、なんでこの書き手はこんなふうに書いているのか、よくわかるということがあると思う。
 第1章や第4章やそして第7章は、すでに考えられ言われたりしていることについてさらに考えたくて言いたくて書かれている。その「すでに考えられ言われていること」を知っていたり、さらにそれらについてなんだか変だと日頃思っていたりすると楽に読めるはずだが、そうでないと、「いったいこの人は何を考えているのだろう」と思うかもしれない。「なにを敵にまわしているのか」とか、「なんでわざわざこみいったところに話をもっていくのか」とか、思うかもしれない。そんなわけで、第1章や第4章に書いてあることはすこし伝わりにくいのかもしれない。例えば、A「その人をなおす(ことによってその人ができるようにする)」という発想がある。それに対してB「社会の方をなおす(ことによってその人ができるようになる)」という案が対置される。ここまでだってていねいに説明しないといけないのかもしれない。しかし第4章に見るのは、Bを採用したとして、C「ならみんなほんとに同じになれるの(同じに扱ってもらえるの)?」という問いである。そしてこれははじめの方にある問いで、その続きがさらに続き、この本の第4章では収まらず、九七年の本の方に行ってしまう。そんな具合だ。考えることを商売にしている人は別として、たいてい人は仕方なく考え始める。その仕方なさがなければ考えない。Cの問いが仕方のないものとして自らにあってしまう人もいる――まったくそれはほめられたことではない――だろうが、もちろんそうでない人もいる――それは健康的なことだ。どんな場にいる人にもわかるようには書こうとするが、しかしそれは、私の技量を棚に上げても、難しくはある。
 だから、例えば第2章や第3章から読んでみたらよいかもしれない。より具体的に具体的な主題を扱った章、言いたいことをその脈絡は略して単純に言っている章の方が読みやすいかもしれない。つまり、繰り返すと、この本は、どこから、どんな順序で読んでくださってもかまわないのです。

 最後に大切な情報。ホームページに関連する情報を掲載している。
 http://www.arsvi.com/
 「50音順索引」にはこの本の索引の項目のすべてがあり、各々についての関連情報が得られる。
 また、「『弱くある自由へ』関連情報」にはこの本の文献リストに対応するファイルがあり、そこから、著者や文献の入手方法についての情報等がえられる。またいくつかの文章(文献表に*印)についてはその全文にもリンクされている。
 ホームページのURLは変更される可能性がある。つながらない場合には、またこの本についての御意見、御批判等は、tae01303@nifty.ne.jpにお願いいたします。

 * 視覚障害などで活字版が不便な人に、この本のテキスト・ファイルを提供します。筆者までEメイルなどで連絡をください。
  [凡例]
  ※ 引用は「 」で手示す。「…」は中略を示す。「/」は原文の段落の変わり目を示す。
  ※第1・2・4・7・8章について、初出稿に対する加筆部分は〔 〕で囲った。
  ※文献表示は基本的に「ソシオロゴス方式」を採用しつつ筆者(立岩)については著者名略・発行年月を六桁で表記などいくつか変更を加えている。著者名[出版年(=訳書の出版本]:頁]のように示され、当該の論文は巻末の文献表(著者名のアルファベット順)で知ることができる。



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 ■第8章 闘争と遡行

◇―― 立岩さんは先頃、『弱くある自由へ――自己決定、介護、生死の技術』を刊行されました。この本を手がかりにお話をうかがいたいと思います。
 まず、タイトルになっている「弱くある自由へ」についてですが。
◆立岩 最初この本のタイトルを『闘争と遡行』☆01にしようかと考えていたんです。売れないって却下されましたけど。たしかに売れないかもしれません。
◇―― かつて続けて出ていた埴谷雄高の評論集のタイトルを思わせますね。
◆立岩 闘争ではスタンドポイントははっきりしている。それをどうやって実現していくのかという戦略、そこで実現されるべき仕組みを考えていく仕事なんですね。たとえば、人が自分の暮らしのこと、暮らしのありかたを自分で決めて、自分で実現していくという意味での自己決定については、私はまったく肯定的な立場に立ちます。障害者なり病者の生活に対する決定が剥奪されている、それはけしからんと。ではどうやっていくか。介助・介護について考えた第7章「遠離・遭遇」は基本的にそういう仕事になります。
 けれどそういう仕事でも、実現するために、なぜ実現しないかを考えていく必要が出てきます。この問いは簡単に解けることもありますが、そうでないこともある。闘争のために、闘争の一部として、遡行がなされないとならない。さらに、自分自身がどこに立っているのか、なぜ、どこに立てばよいのかよくわからないことがあります。あるいはわかっていたつもりがわからなくなることがあります。とすれば、遡っていかないとならない。
 僕は、両方の仕事を同時にやっていきたいと思っています。なにか「哲学的なもの」がとんでもなく素朴なところにとどまっていることがあります。原理的なことを考えているようで、全然そうでないことがよくあります。「そんなことは知ってる、問題はその後しばらく行ったところに現れる」と、闘争し、その方向を考えている人は言うでしょう。
 […]

☆01 この題は『闘争と遡行・1――於:関西+』(立岩・定藤編[2005])で使った。「2」はまだない。[200003c]にもこの題が使われている。



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 ■第9章 高橋修 一九四八〜一九九九 cf.◇高橋修

 ※リンクはこれからだんだんと
 ※ときどき引用を増やしていこうと思います。が、それはそれとして、本買ってください。

 1 動きを捉える
  1 その動きは今もおもしろい

 『弱くある自由へ』は二〇〇〇年に出された。運動の歴史・展開、そこに作られた仕組みについては現在第三版になっている『生の技法』に書いたが、とくに介助・介護を巡る理論的な主題については初版本全体の五分の二ほどの分量を占める「遠離・遭遇」に記した。それは「ケア」を語りたい人たちにも、他方で今ある仕組みをはなから所与にして制度を言う人たちにも、よくわからないものであったのかもしれない。しかし、他の「自己決定」がどうだとか「先端技術」がどうだといったことを書いたその本の他の章に比して意義のあるものだったと思っている。そしてそれは、七〇年代を継いで、八〇年代以降の運動・政策そして社会をどう見るかに関わっている。
 出版の前年に亡くなった人に高橋修(一九四八〜一九九九)がいる。本のあとがきに「捧げるならその人に」と記されていたことを「はじめに」に記した。以前から高橋について書こうと思っていて、それを加えて第2版にすることにした。
 ある人の思考・行動から社会と運動が辿った道を確認するという文章をもう一つこの(二〇一九年の)九月に出た本に収録した。白石清春(一九五〇〜)の一九八〇年代について書いた「分かれた道を引き返し進む」([201909b])だ。各所で「福島本」と称してきた(今でもそう呼んでいる)その本★01の題は、ずいぶん難儀した末、『往き還り繋ぐ』(青木他[2019])というよくわからないものになった。評判が悪いのだが、それでも無理やりそれにしてもらった。
 その人たちが何十年と続けてきた、そして今に継がれている運動の何がおもしろいのか。『人間の条件』([201008][201805])、最近では白石についての章他でも繰り返して述べてきた。
 とくにこの社会は能力によって編成されているから、非・能力者〜障害者はこの体制ではいいめに会わない。腹が立つから、その社会を否定し、逃げ出したいところだ。だが、食べていかねぱならないし、介助がいる人は介助を得ねばならない。(やせ)がまんするという手をとれる人はまだよいが、(例えば障害が重すぎて)できない人もいる。嫌いな人たちと別れて暮らすという合理主義――孤立主義は、可能であれば、合理的である――を貫くことができない。付き合わざるを得ないし、取ってこざるをえない。それは、主張するだけ主張して、それが実現しなくてもじつはさして困らない運動と違う。そのような気楽な運動の方が楽しいかもしれないが、仕方がない。どのようにするか、どのように考えるか。それをこの社会をどのように捉え、どのように介入していくかということだから、本人たちは辛くとも社会(科)学的にはおもしろい。
 そしてその人たちはまた、どうして暮らすかという時、経済〜市場/政治〜政府/家族/自発性の領域と分かたれているこの社会の諸領域の境界のあたりにいたり、横断したり移動したりせざるをえないのでもある。とするとやはり、この社会の形状を知り、どのように手を入れていくかを考える★02うえでも、その思考・実践を辿ることはおもしろいことだ。
 そして、批判・否定と交渉・妥協・獲得の間をどのように振れるかもまた種々の事情により変わる。本書には、『現代思想』が「身体障害者」を特集した号に掲載された「一九七〇年」([199802])が収録されている。その時期の運動は、実際には多くほんとうに小さな規模のものであったのだし、そう知られたわけでもなく、知られても無視されるか非難されたのだが、後で振り返られた時に、華々しい、華々しくはないとして勇ましいものにみえる。すっきりする部分がある。七〇年代のしばらくは、否定し批判することがよいことだとされた。告発は暗く重いが、しかし、言い放つことによって、すこし明るく軽くもなれる。多くの人たちが、そして白石も橋本広芳も(土屋[2019a:29-30]、田中[2019:93-94])『さようならCP』(一九七二)にびっくりしたという――私が観たのは、ずっと後、原一男監督を呼んで話してもらった二〇一六年のことで、それまでじつは観たことがなかったことを周囲に呆れられた★03。
 それに対して、比べて、その後の時期の運動には華々しい荒々しいところがなくてつまらないという受け止め方がある。八〇年代以降の運動はなにか普通な感じのものに思われる。
 八〇年代から九〇年代は、いくらかは「福祉」が拡大していった時期だ。年金改革の流れに乗って障害基礎年金が実現する(八五年)。介護保険が構想され実現する(二〇〇〇年)。そしてそれに乗った人たちもいた。やがては私も高齢者になるのだから互いに助け合ってという、またかつての「左」の性癖が国家に依存しないという方角に行って、「共助」が言われる。どこまでが仕方なくでどこからが本気だったか、それは様々だが、それに乗った人たちがいた。さらに、自分で稼いで払うというのとは異なる屈折した「自助」〜「責任」を言う人たちもいた。それでよいか――福島本で私が書いたのは、白石たちがいったんそれに乗ったが、まずいと思って引き返したこと、そしてそれは正しかったということだ。
 しかしそのように捉えるのも、つまらないと思う。たしかに「母よ!殺すな」といった類いの直截なメッセージで括れないところはある。だからわからないではないが、やはりだめだと、むしろそれこそがつまらないと私は思う。まず一つ、おもしろいとかおもしろくないとかいうことではない、まして他人たちをおもしろがらせるために運動があるのではないし、やっているのではないというまっとうな反論があるだろう。もう一つは、いやおもしろいのだと言える、言おうというものだ。私は二つとも当たっていると思う。そして、むしろ私たちがどのように捉えて言えるかだ。いろいろと多様になりました、地域での地道な運動になっていきました、センター・事業・プログラム…が普及していきました、といったこと以上・以外のことを言えると思うが、それを言おうとすれば、よく考える必要もあるし、また調べる必要もある。それを私は捉え書きたいと思ってきた。
 「遠離・遭遇」もそういうものだ。そして一九九九年に高橋が亡くなった後、二〇〇〇年を超えて、何が起こってきたか。いくつか述べてはきた。『生の技法』第三版に新たに収めた文章では、「多様で複雑でもあるが基本は単純であること」([201212a])「共助・対・障害者――前世紀末からの約十五年」([201212b])、そして[201909b][201912b]。これらをつなげるとどう見るかはわかるようになっている。ただそれは面倒なことだし、みな読んだ人などいはしない。あまり伝わっていない。新たに加えようということもある。どう見立てるかについては別に本を用意する。ここでは簡単に書く。

★01 「「福島県青い芝の会」の生成と展開――それは『さようならCP』からはじまった」(土屋葉[2019a])、「福島コミュニティの形成――コミュニティ・キャピタル論から福島の障害者運動形成期を読み解く」(田中恵美子[2019])、「運動が繋いだ生――『かがやく女たち』に登場した女性たちの語りから」(瀬山紀子[2019])、「支援/介助はどのように問題化されてきたか――福島県青い芝の会の呼びかけから」(土屋[2019b])、「獲るために動き、対話する――白石清春の戦略」(土屋[2019c])、「分かれた道を引き返し進む」(立岩[201909b])、「東日本大震災以後の福島の障害者運動――JDF被災地障がい者支援センターふくしまの活動を中心に」(青木千帆子[2019])、「遠くから」([201909c])。「病者障害者運動史研究」([201611])の成果の一環ということにもなる。
 「遠くから」は、東日本大震災に関わる福島での動きを記した青木の章を受けて、私がかつて書いた文章「後ろに付いて拾っていくこと+すこし――震災と障害者病者関連・中間報告」([201205])に註を加え、解説・補足のような部分を加えた章。そこでもずいぶんな時間を隔てたつながりを確認した。また、近しいことと距離をとること、両者の関係をどう考えるのかもまた、じつはその章の主題になっている。そして前後に「はじめに・いきさつ」([201909a])と「もう一度、記すことについて」([201909d])を付した。マイナーな機関紙やビラ、人が話すことなど記録を残すこと、それを長い時間の間に捉え、考えて書くことについて、その前にとっておくこと、多くの人がアクセスできるようにすることの意義について書いた。HPから全部読める。そしてその後、研究資金を求める書類を書いて出した([201911a])。行なってきていることについては[201911]。
★02 関係する文章に「こうもあれることのりくつをいう――境界の規範」([200508])。私が書いてきたものの多くが、社会の諸領域の関係・境界について考えようというものではあるのだが、一書にまとめたりはできていない。できればするかもしれない。
★03 映画を作ったり上映したりがかなりの数なされ、現在も活発に行われている。なかには私たち(生存学研究所)が関わっているものもある。その映像作品やそれに関わる資料なども――上映には著作権等の問題があるのだが――収集・整理の対象になる。

  2 間にいるが片方に付くこと

 高橋は一九八〇年代、九〇年代の運動家だった。本人が言うには八一年に始めた。九九年に亡くなった。その人は忘れ難い人だったと、多くの人が言う。[…]

  3 集め収め示す
  4 集め収め示す・続
 2 一九四八〜/立川で
  1 新潟・長岡から静岡を経て東京・立川へ
  2 七〇年代からの厄介さを継ぐ
 3 道を作る
  1 空白だったと語る時期に動いている
  2 有償ボランティア的なものからは逃げる
  3 やんちゃな部分を合流させる
  4 分裂した一方に付く
  5 落としどころができるまで、考える
 4 後を継ぎ、答を出し続けてみる
  1 やがて難しくなる
  2 青天井でいけなくはない
  3 足りているから、もっと余裕だ
  4 そのうえで基本を確認し譲らない
  5 供給・支援
  6 もらったから報いようとする


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◆2019/02/19 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1097660610966220801
 「『弱くある自由へ』青土社在庫7冊→http://www.arsvi.com/ts/2000b1.htm  第6章「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」はこの分量では他には書いてない。1「保険会社が遺伝子情報を求めることの是非」:1「かまわないではないかという主張」2「そんなことはない」→2「しかし逆選択がおこりうる」→3」
 ▽お〜たん@sennku_mitsu
 「【本棚登録】『弱くある自由へ―自己決定・介護・生死の技術』立岩 真也 https://booklog.jp/item/1/4791758528 #booklog」

◆2019/06/24 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1143113578515329024
 「「私が介助について書いたものとして長いのは『弱くある自由へ』に収録されている「遠離・遭遇――介助について」→http://www.arsvi.com/ts/2000b1.htm その後「ケアもの」が種々書かれているけれども、まずこれは読んでおいてもらってよいものと思う」→http://www.arsvi.com/ts/20192619.htm

◆2019/07/27 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1155007206602842112
 「『弱くある自由へ』(立岩真也、2000、青土社)関連情報→arsvi.com/ts/2000b1.htm  新本もうすぐ出版社からなくなります。」
 ▽NIKI@blttblue
 「立岩真也『弱くある自由へ』 青土社seidosha.co.jp/book/index.php…

◆2019/07/30 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1156121126365384711
 「発売始まった『現代思想』8月号の特集はアインシュタイン(ですが)、私は「高橋修・上&話を残すこと――『弱くある自由へ』第二版に・1」。「私はこのところ、ないよりよいものはよい、と思うことにしている。そこで[200105]にいくらかを加え、本の一部とする。」→arsvi.com/ts/20190154.htm

岩崎 航 i2019 インタビュー 2019/12/08 聞き手:立岩 真也 於:仙台市・岩崎氏宅 ※

 「立岩:そういう仕事はひとつ、僕の仕事だと思って。来年、短いっていうか、あんまりでかくない、こんな重たくない本とかでそういう話をしようかなっていうのは、ひとつ願望としてありまして。ちょうど今日の昼まで校正してたんですけど、僕は東京に16年とかいたもんですから、その時に知り合った高橋修(1948〜1999)っていう、99年だから、もう20年前に亡くなった人の話をずっと書かなきゃと思ってて。で、それをようやく書けて。私の2冊目の本が『弱くある自由へ』っていう本なんですけど、それの第2版という形でできて◇。その先人たちがどういうふうに制度作ったりとか、作ってきたのかとか、そういう仕組みのある社会はほんとに大変なのかみたいな話も含めて。その次に、高橋さん亡くなった後の20年間、僕は僕なりにどう考えてきたとか、また動きが続いてきたとか、そういう話をちょうど今日、ほぼさっき2時間前までやってたんですけど終わったので。本が、奥付的には24日、クリスマスイブに出るので、それはお送りさせていただきます。谷川俊太郎の詩集のようにですね、読んで気持ちいいかっつったら、僕は気持ちいい本は書けないので、気持ちよくはないんですけど。」

◆2019/12/13 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1205436773901328384
 「『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』(立岩真也、青土社)、第2版(増補新版)もうすぐ出ます。関連情報作成開始→http://arsvi.com/ts/2019b1.htm」
 ▽シテキ・れいわ新選組応援@山形@shiteki1
 「#ss954 いつか読もうと思って、ずっと読んでなかった。弱くある自由へ―自己決定・介護・生死の技術 立岩 真也 https://amazon.co.jp/dp/4791758528… @amazonJPさんから」

◆2019/12/13 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1205455987961843712
 「12/15ベーシックインカム学会大会・2「 さてなにを話すか。一つにはあと10日ほどで発売になる『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』の、新たに加えた第9章「高橋修 一九四八〜一九九九」の第4節「後を継ぎ、答を出し続けてみる」にまた記したこと」→http://www.arsvi.com/ts/20192655.htm

◆2019/12/17 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1206709040782331904
 「なんでここが繰り返しでてくるのかわかりませんが、その本(『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』、青土社)の増補新版(第2版)もうすぐ出ます。予約できます。→http://www.arsvi.com/ts/2019b1.htm
 ▽偉人の(どうでもいい)言葉@ijinkotoba
 「「先々のことなどわからないから、日々をのほほんと暮らしているということもある。」 立岩真也『弱くある自由へ』p177」

◆2019/12/22 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1208574970458038272
 「『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』(立岩真也、2019/12/24、,青土社、536p.)関連情報掲載開始→http://www.arsvi.com/ts/2019b1.htm 増補した部分も、読んでもらう価値あると思います。お知らせ続けます。」
 ▽河村書店@consaba
 「【12/24発売予定】『弱くある自由へ ―自己決定・介護・生死の技術― 増補新版』立岩真也(青土社)「自由」とはなにか、「自己決定」とはなにか、自己と他者、個人と国家を再検討し、新しい社会関係の可能性を探る、医療と病理をめぐる社会学。https://www.amazon.co.jp/dp/4791772…

◆2019/12/23 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1208917600970760192
 「『弱くある自由へ 増補新版』の第9章は「高橋修 一九四八〜一九九九」。「高橋は一九八〇年代、九〇年代の運動家だった。本人が言うには八一年に始めた。九九年に亡くなった。その人は忘れ難い人だったと、多くの人が言う。  千葉大学の学生たちの調査報告書の終わりに」→http://www.arsvi.com/w/to01.htm

立岩:そういう仕事はひとつ、僕の仕事だと思って。来年、短いっていうか、あんまりでかくない、こんな重たくない本とかでそういう話をしようかなっていうのは、ひとつ願望としてありまして。ちょうど今日の昼まで校正してたんですけど、僕は東京に16年とかいたもんですから、その時に知り合った高橋修(1948〜1999)っていう、99年だから、もう20年前に亡くなった人の話をずっと書かなきゃと思ってて。で、それをようやく書けて。私の2冊目の本が『弱くある自由へ』っていう本なんですけど、それの第2版という形でできて◇。その先人たちがどういうふうに制度作ったりとか、作ってきたのかとか、そういう仕組みのある社会はほんとに大変なのかみたいな話も含めて。その次に、高橋さん亡くなった後の20年間、僕は僕なりにどう考えてきたとか、また動きが続いてきたとか、そういう話をちょうど今日、ほぼさっき2時間前までやってたんですけど終わったので。本が、奥付的には24日、クリスマスイブに出るので、それはお送りさせていただきます。谷川俊太郎の詩集のようにですね、読んで気持ちいいかっつったら、僕は気持ちいい本は書けないので、気持ちよくはないんですけど。

◆2019/12/24 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1209240576656195585
 「『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』(立岩真也、青土社、537p.)。入荷ありがとうございます。第8章「高橋修 一九四八〜一九九九」と第9章「闘争と遡行」を加えました。紹介頁→http://www.arsvi.com/ts/2019b1.htm
 ▽こちら神田村取次八木書店店売所@toritugi_yagi
 「【12/23弊社搬入新刊】 青土社9784791772261『弱くある自由へ 自己決定・介護・生死の技術 増補新版』(立岩真也)本体2,800円 *安楽死、遺伝子治療、介護保険、臓器移植。生と死を巡り決断を迫られる私たちは、何を決定できるのか。医療と病理の社会学 http://seidosha.co.jp/book/index.php?id=3380 #めえめえ新刊案内」

◆2019/12/25 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1209600498673672192
 「「闘争と遡行」in『弱くある自由へ 増補新版』(立岩真也、青土社)→http://www.arsvi.com/ts/2019b1.htm 「最初この本のタイトルを『闘争と遡行』にしようかと考えていたんです。売れないって却下されましたけど。たしかに売れないかもしれません。…闘争のために、闘争の一部として…」」
 ▽リブロ@libro_jp
 「【新刊】『弱くある自由へ 増補新版』立岩真也(青土社) https://www.honyaclub.com/shop/g/g19777740/ 「自由」とはなにか、「自己決定」とはなにかを厳密な論理で追いつめ、自己と他者、個人と国家を再検討し、新しい社会関係の可能性を探る、医療と病理をめぐる社会学の決定版。大幅増補し、ついに復刊。」

◆2019/12/25 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1209734811448856576
 「「闘争と遡行」in『弱くある自由へ 増補新版』→http://www.arsvi.com/ts/2019b1.htm「優生学はこんなふうにも実現しうるのですし、実際実現しているのです。とすれば、これは社会システムの問題として、そして市場を廃棄してしまうのでなければ、市場への介入のあり方の問題として解かなければいけない。僕は」」
 ▽早大生協ブックセンター@wasedacoop_book
 「【新刊案内】 立岩真也『弱くある自由へ 増補新版 -自己決定・介護・生死の技術-』(青土社) 「自由」とはなにか、「自己決定」とはなにかを厳密な論理で追いつめ、自己と他者、個人と国家を再検討し、新しい社会関係の可能性を探る、医療と病理をめぐる社会学の決定版。大幅増補し、ついに復刊。」

◆2019/12/26 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1210003400831598594
 「「闘争と遡行」in『弱くある自由へ 増補新版』→http://www.arsvi.com/ts/2019b1.htm「一方に妙にクリアカットに一見みえるような議論があって、もう一方に、現実はそんなにクリアじゃない、ドロドロしてるよっていう話があって、その二通りしかないというところが僕は気にくわないんですね。たとえば…」」
 ▽ジュンク堂池袋本店人文担当@junkuike_jinbun
 「【新刊】12/24の新刊です。岩波書店『思想』2020年1月号 特集・時代区分論、ポール・ド・マン『ロマン主義と現代批評』(彩流社)立岩真也『弱くある自由へ 増補新版』(青土社)グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』(フィルムアート社)など入荷しております(一部写真にないものもございます。)」

◆2019/12/27 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1210447549368172545
 「「闘争と遡行」in『弱くある自由へ 増補新版』→http://www.arsvi.com/ts/2019b1.htm「無償の仕事を有償にするとお金がかかって大変だという話があって、こうした仕事の「社会化」を主張する側もうっかりそういう話に乗ってしまっているところがある。たとえばその話は本当か。私はひとまず嘘だと言ってよいと」」
 ▽河村書店@consaba
 「【本日12/24発売】『弱くある自由へ ―自己決定・介護・生死の技術― 増補新版』立岩真也(青土社)「自由」とはなにか、「自己決定」とはなにか、自己と他者、個人と国家を再検討し、新しい社会関係の可能性を探る、医療と病理をめぐる社会学。https://amzn.to/2sexCCu

◆2019/12/28 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1210715029579808770
 「『弱くある自由へ 増補新版』(立岩真也、青土社)第9章「高橋修」初版「出版の前年に亡くなった人に高橋修(一九四八〜一九九九)がいる。本のあとがきに「捧げるならその人に」と記されていたことを「はじめに」に記した。以前から高橋について書こうと思っていて…」→http://www.arsvi.com/ts/2019b1.htm#c9

◆2019/12/29 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1211075633394044928
 「闘争と遡行」in『弱くある自由へ 増補新版』→http://www.arsvi.com/ts/2019b1.htm「私たちは強制されないと負担しない、しかしその負担、強制的な負担には民主制の政体のもとでは人々の同意を要するという事態をどう考えるかといったことにも関わってきます。」これ『自由の平等』で→http://www.arsvi.com/ts/2004b1.htm

◆2019/12/30 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1211565616085131265
 「「闘争と遡行」in『弱くある自由へ 増補新版』→http://www.arsvi.com/ts/2019b1.htm「一方では空疎なことが言われていて、もう一方では無原則にいろんなことが行われているという間で、困るのは、そこでその時々の都合で、そこにある力関係の中で処遇されている人々なんです。とすれば…」このことは(続)」

◆2019/12/31 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1211799418250248192
 「「闘争と遡行」in『弱くある自由へ 増補新版』続き:「とすればきれいごととしてクリアに語られることと現実の間にはなんで差があるのか…。…はいどうぞといつでも言って、そのまま受け入れていればよいか。その極限的なケースが安楽死の場合ですけれど」→http://www.arsvi.com/ts/2019b1.htm



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 ■編集者とのやりとり

■0902

瑞田様

 返信おそくなりました。いろいろとやってみないとわからないところがあって遅くなりました。16頁一回で終える方向でやっています。ただ文献表のスペースはなくなり、それは『現代思想』では略し、本でどうぞということになるかもです。
 4日までに原稿あげようとはしています。それが10月号に載るとして、本のスケジュールはいかがなりましょう?

 心づもりとしては、3回書かせていただいたもの(の第3回に本の後のことも書く)+熊谷対談をということであったのですが
http://www.arsvi.com/ts/2000017.htm
を収録するというのもありうるかと思いました。ご意見をたまわればと。
 &頁数としてどこまでだいじょうぶかということもあります。(全部が無理となればどれかを省くということに。)

 それから今の原稿を終えてからということになりますが、2006年の『希望について』
http://www.arsvi.com/ts/2006b1.htm
御社になくなってきているとうかがいました。その
□V 働くということ ……138
 □3できない・と・はたらけない――障害者の労働と雇用の基本問題 2001/12/25
ごく基本的なことは書きましたか、まだ考えて書くべきことがあると思います。れいわ新選組の議員の(仕事に際しての)介助のことが話題になったようですが、そういうことにも関係します。これはかなりややこしい話になるはすで、かなりの分量が必要と考えます。

立岩
■0917

瑞田様

何件かありまず。基本ひとつ一通で、とします。

3回書かせていただきました。16頁をはみでてしまったりですみませんでした。
A)高橋という人の話はここまでです。整理します。
★B)『弱』の各章についての、解説?補足を1回分書かせていただいて、加える部分は終わりにいたそうと。
11月号の締切にまにあわせることできると思いますが、本の発売を12月とするなら
12月号に掲載させていただくほうが(少々の)宣伝になってよいようにも思います。

それにさらに加えるものですが、熊谷対談よりC)「闘争と遡行」
http://www.arsvi.com/ts/2001062.htm
のほうが短くてよいかもと思えてきました。いかがでしょう。
ちなみにこれインタビューですが、『図書新聞』からできてきた原稿がよくなくて、ほぼ最初から書き直し
ました。実質的には私の作文です。許諾はいると思いますが問題はないだろうと。

熊谷さんとの対談は(フルヴァージョンを?)別に使っていただけるならそのほうが
全体の分量的によいのかなと思います。

というわけで、近くに決めねばならないのは★についてです。原稿は用意しつつあるので――もともとはA)の3回めにくっつけるつもりでしたが、
書いていて到底無理ということになりました――11月号にまにあわせることは可能ですが。

新刊(共著ですが)出ました。明日お送り(贈り)します。

立岩真也・新刊
http://www.arsvi.com/b2010/1909ac.htm
http://www.arsvi.com/ts/sale2018.htm

■20190925 Re: 『弱』第2版関連;

Date: Wed, 25 Sep 2019 12:16:18 +0900
From: 立岩真也
To: 瑞田卓翔

瑞田様

8日前に出した以下??メールの件ですがいかがでしょう?
いつも返信が遅いので困っています。

立岩

 →★20190917

■20190927 12:30 立岩真也 :

篠原様

瑞田さんに出して返信を待っていたのは以下です。

立岩

 →★20190917&20190925

■1003

篠原様

[…]

このかんの話ですと『希望について』の在庫がなくなっていてその第2版をということでした。
その話は生きているという理解でよいでしょうか?
このかんなにを加えたらよいのかと考えていました。
ちなみにこの本本文&註393キロ+文献表41・2キロ
で『弱』よりはだいぶ短いです。一つには
「できない・と・はたらけない――障害者の労働と雇用の基本問題」
の続きを書くことです。れいわから国会議員が2人当選し、その人たちの仕事に際しての
介助のことがいっとき話題になったそうです。ただ問題の所在が理解されて議論されているようには思えない。そこで…という話です。
ただ、この話はじつはかなりやっかいで、どういう話にもっていけるか見通しが立ち切らず、そのまま1月以上たちました。今もそう状態は変わらないのですがそれでもいくらかは書けるだろうと思います。

それをやはり何回か書かせていただけるでしょうか。
月刊誌にまとまった分量の原稿を書かせていただけるので本になるものができていきます。
そのことに感謝しております。
ただ他方、その私の本が売れるのかというとそんなことはないだろうと思い、
お願いしてだいじょうぶなのかと思ってもいるわけです。

他にもいろいろとあります。たぶん別便いたします。

立岩真也

■1007

篠原様

メールありがとうこざいます。
『希望について』在庫はないみたいで、これの第2版も含めて
同じサイズにしていただければ文庫判にこだわることもないかなと
思ったりしたところでした(字が小さくて私読めませんし)。

『弱』については以下のようなスケジュールで作業進めます。

立岩真也
https://www.facebook.com/profile.php?id=100004084513075
https://twitter.com/ShinyaTateiwa
http://www.arsvi.com/ts/0.htm

■1109

篠原様

ありがとうございます。
まにあわせるようにします。

四六版で1頁の字数・行数はどうなりまでしょう?
必須の情報ではないですが。

http://www.arsvi.com/a/arc.htm
始めています。
https://twitter.com/ShinyaTateiwa
https://www.facebook.com/profile.php?id=100004084513075
などで知らせております。よろしくです。

立岩真也
http://www.arsvi.com/ts/0.htm



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