*この頁は故西尾等さんが遺されたホームページを再録させていただいているものです。→ALS [2003.7 再録:立岩 真也]

のように のように_/_/_/
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目次【English】
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昭和24年12月26日 長野県大町市に生まれる
田舎/雪国
中学1年まで大町市に。
父の仕事の関係で、大阪府高槻市に転勤
中学時代は田舎から来たコンプレックスで友人も少なかった。
昭和43年大阪府立島上高校卒業
昭和43年立命館大学経済学部経済学科入学
ESSドラマのクラブ活動に参加
お茶と同情 花咲くチェリー セールスマンの死 熱いトタン屋根の猫 などを英語で公演
大学時代は安保闘争の最中で殺気立っていた
昭和47年卒業

医療機器輸入商社に入社し、米国ボストン、シカゴ、サンディエゴ、スイス、シンガポール、デュッセルドルフ、上海などで研修をうける。

(写真:西ドイツにて/詩人ハイネの家の前にて/今はバーに。)


(写真:ボストン大学遺伝学とサウスカロライナ大学生化学教授(ご夫婦)と/当時。




複合抗癌剤効果判定のソフト開発を担当してからPCに興味を持つ。

輸血/血液/骨髄移植/免疫/遺伝子関係の機器が中心だった。
大阪−博多−名古屋−大阪と転勤。

平成3年 空気調和設備会社に転職
平成5年 
右手拇指の違和感に気づく。
  箸で焼き魚をほぐせなかった
平成6年春 自宅近く(兵庫県三田市)の済生会病院/内科、整形診療を受けるが原因不明。しばらく様子をみることになる。
平成6年秋 右腕上腕部の脱力感に進行。スーパーの買い物袋を車の座席に上げられず、腕立て伏せも腹筋も一度も出来なくなっていた。右手拇指と人差し指の間の肉が無くなりやせ細っていた。
ピクピクと勝手に痙攣するように動く。(不随意運動)
再度済生会を受診。整形、脳外科でも担当疾患と違うと言われ、神経内科の受診を勧められる。

平成6年12月 大阪大学医学部附属病院 第一内科を受診。約1カ月の検査入院を勧められ、入院。


[検査した項目]
血液検査、肺活量、記憶力/知能検査、深部+浅部筋電図、神経伝達速度、皮膚感覚試験、脳内血流分布 核磁気共鳴装置、起立性貧血(自律神経)検査、糖尿検査、脊髄液検査、頚部や胸部レントゲン、腱反射など。
平成7年7月13日 SPMA脊髄性進行性筋萎縮症と告知を受ける。近い将来ALSに進行する可能性を示唆される。
平成7年1月15日 妻と西宮の門戸厄神に厄払い。
平成7年1月17日 阪神淡路大地震発生
         門戸厄神崩壊
平成7年1月18日 退院
平成7年2月   仕事に復帰
[症状の進行] 〜ほんの数カ月の出来事〜
 トイレの後ズボンのフックがかけられない。箸が使えない。車の窓が開けにくく、ハンドルを持つにも左手で右手を持上げていた。運転禁止。ナイフとフォークの食事から、右手が上がらなくなり左手のスプーン使用のみになる。背広が自分では着れない。トイレの後パンツ/ズボンが上がらない。軟便の時、間に合わない。(左手にも進行)雨が降っても傘がさせない。図面や書類が持てない。背広が脱げないし着れない。自販機のおつりが出せない。電車が揺れた時自分を支えきれない。トイレの水洗が流せない。(呼吸機能低下)姿勢の前屈、歩くとすぐ息切れする。
平成7年5月頃より、B12を止めてセレン+ベータカロチン抗酸化カクテルの治験に参加。その後、症状が急速に進行したのでプラシーボかもしれない?と思っている。

平成7年8月末 会社に休職願い
平成7年9月  庭で転び顔に大怪我。
救急車 で済生会病院に。
救急車イラスト

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