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『体制の歴史――時代の線を引きなおす』

天田 城介・角崎 洋平・櫻井 悟史編著 20130331 洛北出版,608p.
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天田 城介角崎 洋平櫻井 悟史編著 20130331 『体制の歴史――時代の線を引きなおす』,洛北出版,608p. ISBN-10:4903127192 ISBN:978-4-903127-19-4 \1880+tax [amazon][kinokuniya] ※ shs
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製作:洛北出版

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 本書は、メジャーな「体制」の歴史に、マイナーな「体制」の歴史の視座を持ち込むことで、メジャーな「体制」の歴史を批判的にとらえかえそうとする書である。たとえば、本書は、直接的に「福祉国家体制」や「治安体制」や「グローバル経済体制」を扱ってはいないし、それらに対する内在的批判も行なっていない。本書が企図しているのは、こうしたメジャーな体制が取りこぼしてきた人々や問題や生活のあり様から、別の「体制」といった視座を打ち立てることで、これまでの「体制」の歴史に新たな分断線や補助線を引くことである。(オビより)

■目次

はじめに【角崎洋平・櫻井悟史】

   * * *

第1部
生存の体制
  ―― 労働と社会関係のエコノミー

◆ 1章 【天田城介】
戦時福祉国家化のもとでのハンセン病政策
  ―― 乞食労働・都市雑業労働の編成


当事者の歴史記述をいかに診断するか
当事者の語る歴史を受け止めた上で歴史を診断する
本妙寺集落の形成と変容
本妙寺集落の自治組織化
本妙寺集落の消滅
戦時動員体制/戦時福祉国家化体制での乞食労働・都市雑業労働の変容
創造的な歴史の導き方

◆ 2章 【角崎洋平】
構想される「生業」への経路
  ―― 貸付による離陸


「測量」する者による貸付
福祉的貸付制度史の断絶を埋める ―― 戦後直後の実践と構想
戦後の福祉的貸付と民生委員
「生業」という「離陸」経路の縮小
おわりに

◆ 3章 【佐藤 量】
満洲開拓者の再定住と生活再建

はじめに
満洲引揚げ者と米ソ冷戦
満洲開拓者の人的つながり
開拓者ネットワークと生活再建
おわりに

◆ 4章 【松田有紀子】
「女の町」の変貌
  ―― 戦後における京都花街の年季奉公をめぐって


 はじめに
「女の町」の年季奉公体制
「女の町」の転換期
「女の町」における労働者の発見
「女の町」の変貌
 おわりに

   * * *

第2部
セキュリティの体制
  ―― 体制批判の時代とその時代性

◆ 5章 【小泉義之】
精神衛生の体制の精神史
  ―― 1969年をめぐって


「批判」「改革」と「反」「脱」
社会防衛の下での医療化
精神医療の拡大 ―― 学会の改革(1969年)
精神と心理の統治体制へ

◆ 6章 【櫻井悟史】
笞刑論争にみる死刑存置を支える思考様式

苦痛を与えることを目的とする刑罰の系譜
明治期の刑罰思想小史 ―― 小河滋次郎の戦略的撤退
笞刑を支える輿論 ―― 笞刑論争の背景と後世の歴史診断
刑罰における苦痛をめぐる争い
痛苦懲戒主義の間欠泉としての死刑

◆ 7章 【福間良明】
叛逆者としての「磯部浅一」の発見
  ――『日本暗殺秘録』(1969年)をめぐって


「打算」と「浅慮」――『日本暗殺秘録』前史
「磯部浅一」映画の誕生
「磯部浅一」のその後

◆ 8章 【酒井隆史】
Notes on the Snake Dance / Zigzag Demonstration

A Year of Snake Dance ―― 1960年
Snake Dance phase 2 ―― 1945年から 1960年まで
ジグザグ・デモと「へたりこみ(坐り込み)」―― 路上のイニシアチヴ
転換点
ジグザグ・デモ ―― 批判の経緯と論点
ジグザグ・デモ規制と抵抗 ―― フランス・デモの誕生
roots of the snake dance
おわりに

   * * *

第3部
周辺の体制/体制の周辺
―― 体制変容の只中での少数派たち

◆ 9章 【石田智恵】
集団の名、集団の顔
  ―― アルゼンチンの社会変動と「ニッケイ」


他者化の体制―― 20世紀前半
白人の国の東洋人
「移民/国民」の新たな形象と体制の変容
「ニセイ」と「ニッケイ」のあいだ
おわりに

◆ 10章 【近藤 宏】
アポリアを生み出す自主管理
  ―― パナマ東部先住民エンベラから見る先住民統治体制

実現しなかった強制退去
特別区という制度
代表制と国内移民
先住民共同体をかたどる言説編成
行政区化がもたらすアポリア

◆ 11章 【冨田敬大】
モンゴル牧畜社会における2つの近代化
  ―― 開発政策の転換と都市近郊の牧畜経営をめぐって


国家体制の転換
社会主義期
ポスト社会主義期
おわりに

◆ 終章 体制の歴史 ―― 時代の線を引きなおす(天田城介)

あとがき

■執筆者紹介(五十音順) ※データは2013年3月現在のもの


天田城介(あまだ・じょうすけ) 編著者
1972年生。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。社会学。
著書として『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』(多賀出版、2003年→〔増補改訂版〕2010年/第3回日本社会学会奨励賞「著書の部」受賞)、『老い衰えゆく自己の/と自由――高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論』(ハーベスト社、2004年→〔第二版〕2013年夏刊行予定)、『老い衰えゆくことの発見』(角川学芸出版、2011年)ほか。編著として天田城介・村上潔・山本崇記編『差異の繋争点――現代の差別を読み解く』(ハーベスト社、2012年)、天田城介・北村健太郎・堀田義太郎編『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』(生活書院、2011年)など。

角崎洋平(かどさき・ようへい) 編著者
1979年生。立命館大学大学院先端総合学術研究科在籍・日本学術振興会特別研究員。福祉政策論・福祉理論。
編著として『歴史から現在へのアプローチ(生存学センター報告17)』(立命館大学生存学研究センター、2012年)。論文として「なぜ〈給付〉ではなく〈貸付〉をするのか?―― Muhammad Yunusの〈貸付〉論と「市場社会」観の検討」(『コア・エシックス』vol.6、2010年)、「選択結果の過酷性をめぐる一考察――福祉国家における自由・責任・リベラリズム」(『立命館言語文化研究』第24巻4号、2013)など。

櫻井悟史(さくらい・さとし) 編著者
1982年生。立命館大学大学院先端総合学術研究科在籍。歴史社会学。
著書として『死刑執行人の日本史――歴史社会学からの接近』(青弓社、2011年)、編著として『特別公開企画 アフター・メタヒストリー――ヘイドン・ホワイト教授のポストモダニズム講義(生存学センター報告13)』(立命館大学生存学研究センター、2010年)、論文に「死刑執行方法の変遷と物理的/感情的距離の関係」(角崎洋平・松田有紀子編『歴史から現在へのアプローチ(生存学センター報告17)』立命館大学生存学研究センター、2012年)など。

   * * *

石田智恵(いしだ・ちえ)
1985年生。立命館大学大学院先端総合学術研究科在籍。文化人類学、移民研究。
論文として、「日本人の不在証明と不在の日系人」(角崎洋平・松田有紀子編『歴史から現在への学際的アプローチ(生存学センター報告17)』立命館大学生存学研究センター、2012年)、「「日系人」という生き方、日系人の生き方」(『生存学』vol.2、2010年)、「1990年入管法改正を経た〈日系人〉カテゴリーの動態――名づけと名乗りの交錯を通して」(『コア・エシックス』vol.5、2009年)など。

小泉義之(こいずみ・よしゆき)
1954年生。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。哲学・倫理学。
著書として『病いの哲学』(ちくま新書、2006年)、『「負け組」の哲学』(人文書院、2006年)、『デカルトの哲学』(人文書院、2009年)、『倫理学』(人文書院、2010年)、『生と病の哲学――生存のポリティカル・エコノミー』(青土社、2012年)など。
論文として「国家の眼としての貧困調査」(天田城介・村上潔・山本崇記編『差異の繋争点』ハーベスト社、2012年)、「精神と心理の統治」(『思想』第1066号、2013年)など。

近藤宏(こんどう・ひろし)
1982年生。立命館大学大学院先端総合学術研究科在籍・日本学術振興会特別研究員。
文化人類学。論文として、「鳥の声を聴く――パナマ東部先住民エンベラにおける動物をめぐる言説の諸相」(『生存学』vol.4、2011年)、翻訳としてクロード・レヴィ=ストロース「親族研究の未来」(『思想』第1016号、2008年)など。

酒井隆史(さかい・たかし)
1965年生。大阪府立大学人間社会学部准教授。社会思想史。
著書として『自由論――現在性の系譜学』(青土社、2001年)、『暴力の哲学』(河出書房新社、2004年)、『通天閣 新・日本資本主義発達史』(青土社、2011年)など。
訳書として、アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート『〈帝国〉――グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』(以文社、2003年、共訳)、マイク・デイヴィス『スラムの惑星――都市貧困のグローバル化』(明石書店、2010年、監訳)など。

佐藤量(さとう・りょう)
1977年生。立命館大学・立命館グローバル・イノベーション研究機構専門研究員(ポストドクトラルフェロー)。歴史社会学・近現代中国史。
論文として「1950年代中国の近代化と対日協力者――旅順工科大学出身中国人同窓会を事例に」(『ソシオロジ』第56巻2号、2011年)、「植民地体験を乗り越える同窓会――旅順工科大学同窓生の戦後」(『植民地教育史研究年報』皓星社、第14号、2010年)など。著書として『現代中国史のなかの対日協力者――日本人学校出身者のネットワークと反日のジレンマ(仮題)』(彩流社、2013年)を刊行予定。

冨田敬大(とみた・たかひろ)
1983年生。立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員(ポストドクトラルフェロー)。文化人類学、近現代モンゴル社会史。
論文として「家畜とともに生きる――現代モンゴルの地方社会における牧畜経営」(『生存学』vol.2、2010年)、「体制転換期モンゴルの家畜生産をめぐる変化と持続――都市周辺地域における牧畜定着化と農牧業政策の関係を中心に」(角崎洋平・松田有紀子編『歴史から現在へのアプローチ(生存学センター報告17)』立命館大学生存学研究センター、2012年)、"Spatial Temporal GIS Based Analysis of the Pastoral Environment: A Preliminary Approach to the Transformation of the Pastoral Sedentarization in a Suburban Area of Mongolia," Kyoto Bulletin of Islamic Area Studies, vol.6、2013年)など。

福間良明(ふくま・よしあき)
1969年生。立命館大学産業社会学部准教授。歴史社会学・メディア史。
著書として『「反戦」のメディア史――戦後日本における世論と輿論の拮抗』(世界思想社、2006年)、『「戦争体験」の戦後史――世代・教養・イデオロギー』(中公新書、2009年)、『焦土の記憶――沖縄・広島・長崎に映る戦後』(新曜社、2011年)、『二・二六事件の幻影――戦後大衆文化とファシズムへの欲望』(筑摩書房、2013年)など。

松田有紀子(まつだ・ゆきこ)
1985年生。立命館大学大学院先端総合学術研究科在籍・日本学術振興会特別研究員。
歴史人類学、女性史。
論文にとして「「花街らしさ」の基盤としての土地所有――下京区第十五区婦女職工引立会社の成立から」(『コア・エシックス』vol.6、2010年)、「芸妓という労働の再定位――労働者の権利を守る諸法をめぐって」(角崎洋平・松田有紀子編『歴史から現在へのアプローチ(生存学センター報告17)』立命館大学生存学研究センター、2012年)、「京都 祇園の女紅場」(佐賀朝・吉田信行編『シリーズ遊廓社会 2 近世から近代へ』、吉川弘文館、2013年予定)。

 

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■はじめに


 「戦後レジーム」や「マクロ経済政策のレジーム」といったフレーズが喧しい。このフレーズのあとに「からの脱却」や「チェンジ」といったフレーズが付されることからもわかるように、ここでのレジーム(体制 Regime)とは、ただ単にそこにあるものではない。それは、否定されるべき対象であり、乗り越えられるべき対象として示唆されている。
 「体制」とは、誰の目にも明らかな、たったひとつのものなどではない。だから、「戦後レジームからの脱却」「レジームチェンジ」という政府の方針に批判的な者は、「レジームの保守」をわざわざ掲げたりはしないのである。ここで指摘したいことは、「体制」を批判する者たち<012<の慧眼でも、統治者が裸であることを指摘する者たちの純真さでもない。そうではなく、その時代の政治・経済・社会・文化の特徴・傾向を「○○体制」というフレーズで括る背景には、なんらかの思想や前提があるということである。
 にもかかわらず、いや、そうであるからこそ、「体制」はあたかもそこに存在している(いた)かのように多く語られ、実際にそのように人々に認識されていくことで、メジャーな「体制」となる。そうした「体制」に注目することは、「体制」を語る者が認識する「体制」の特徴・問題点をよく捉えはするだろう。しかし、そうして語られる「体制」は、ある種の思想によって切り詰められた、歴史認識のための小さな灯りにすぎないのだということは、つねに心にとめておかなければならない。なぜなら、ある「体制」の歴史は、歴史の一部を明るく照らし出すがゆえに、別の部分に影を落とすからである。この影が落ちた部分は、往々にしてなかったことのようにされるか、あるいは貶められてしまう。そして、それによって、人間の生の可能性は切り縮められてしまうのである。
 本書は、メジャーな「体制」の歴史に、マイナーな「体制」の歴史の視座を持ち込むことで、メジャーな「体制」の歴史を批判的にとらえかえそうとする書である。たとえば本書は直接的に「福祉国家体制」や「治ち 安あん体制」や「グローバル経済体制」を扱ってはいないし、それらに対する内在的批判も行なっていない。しかし本書は、こうしたメジャーな体制が取りこぼしてきた人々や問題や生活のあり様から、別の「体制」といった視座を打ち立てることで、これまで<013<の「体制」の歴史に新たな分断線や補助線を引くことを企図している。
 第1部「生存の体制――労働と社会関係のエコノミー」では、「福祉国家体制」から見ればまさに外縁に位置する人々を描く。乞食労働や都市雑業労働によって生計維持を図るハンセン病当事者(1章)、民生委員の支援を受けながら、企業に雇用されずに地域で零細な生業を営む自営業者(2章)、戦前は農村から過剰人口として追い出され、戦後は自らの農業経験とネットワークのみを頼りに資産の全くない状態から生活をスタートさせなければならなかった満洲引揚げ者(3章)、労働基準法・児童福祉法の枠組みのなかで規制に従ったり切り抜けたりしながら「女の街」という独特の空間で生き抜こうとする芸妓や置屋(4章)。かれらは、企業に雇用され労働を行ない、生計を立てる者ではないし、生活保護や年金など福祉的給付を受けながら生活するものでもない。こうしたいわば、「分厚い」といわれたミドルクラスでも、現在急増が指摘されるアンダークラスでもない人々の生存を支える「体制」とは何だったのか。これが第1部を通底するテーマである。
 第2部「セキュリティの体制――体制批判の時代と時代性」では、治安や刑罰や政府といったセキュリティの体制に抗する、運動や主張の時代性について考察している。5章では、一九六九年にピークを迎える反精神医学・脱病院の運動が、結局は精神医療の巨大化という〈精神医療体制〉の完成を招いたということを、6章では時代の趨勢や進歩を謳う死刑廃止論が、実は死刑を支える痛苦主義的刑罰観の別バージョンにすぎないことが指摘されている。続く7章で<014<は、二・二六事件の首謀者の一人とされる磯部浅一をめぐる映画表象の変遷が描かれているが、そこで明らかにされるのはメディア文化における体制批判の「時代性」である。また8章では、体制批判の大衆示威行動たるデモが、「暴力から祝祭へ」などと語られるなかで、デモという文化の取り締まりを体制の側へ委ねつつあるのではないかとの疑念が示されている。これらに共通するのは、「体制批判」の主張そのものの時代性であり、体制批判の「主張」そのものが体制を強化してしまうという逆説である。だから第2部は「体制批判の体制の歴史」でもある。
 第3部「周辺の体制/体制の周辺――体制変容の只中での少数者たち」で記述されるのは、日本国外における「体制の歴史」である。もちろん「周辺」であるのは日本国外であるからではない。アルゼンチン社会でマイノリティとして生きるニッケイ人(9章)、パナマの先住民エンベラ(10章)、社会主義経済から市場経済への体制変化のなかを生きる牧畜民(11章)。そうした各国の「体制」の周辺で生きる人々の生存と生活を記述するのが第3部である。ただ、ここで記述されるのは、周辺で生きるニッケイ人の位置づけを変えるアルゼンチンにおけるナショナリティの変容でもあるし、周辺で生きるエンベラを先住民としてカテゴリー化する国家や国際機関による開発政策でもあるし、周辺で生きる牧畜民をそれぞれの経済体制に位置づけようとする社会主義と市場経済の姿でもある。そういう意味で第3部は体制の周辺に生きる人々の歴史であると同時に、周辺で生きるものを包摂しようとする体制の歴史でもある。<015<
 以上のように本書のテーマ・キーワードは多岐にわたる。ハンセン病、都市雑業労働、貸付、民生委員、生業、満洲引揚げ者、開拓者ネットワーク、年季奉公、前借金契約、「旦那」、精神衛生法、日本精神神経学会、死刑、笞刑、小河滋次郎、二・二六映画、磯部浅一、学生運動、デモ、安保闘争、移民、アイディンティティ、先住民政策、開発、ポスト社会主義……。本書の「間口」は広くとってある。したがって本書を読むにあたっては1章から順に読んでいく必要は全くない。読者には、この「はじめに」や終章や目次、および各章の冒頭に設けたリード文を参考に、関心のあるテーマ・キーワードのある章から読んで頂きたい。関連する章について注で指示している章もあり、関心のある章から関連する章へ進む形で本書を読み進めていただければ幸いである。
 最後に本書の生い立ちと限界について述べておく。本書のもとになっているのは、『歴史から現在への学際的アプローチ』(立命館大学生存学研究センター報告17号、角崎洋平・松田有紀子編)と題した研究報告書である。同書は立命館大学大学院先端総合学術研究科(先端研)に所属する院生が立ち上げた、歴史社会学研究会が母体となって編まれた。先端研は学際的な研究科であるため、さまざまなディシプリンをもった院生が、さまざまなテーマに取り組んでいる。彼らの多くに共通するのは、歴史を叙述することに意欲的なことである。とくに、これまで知られてこなかった歴史を叙述する者が多い。たしかに知られていない歴史を書くことは、それだけでも意義のあることである。しかし、知られていない歴史を書くことが現在にどのような問いを投げかけ<016<るのか、現在の問題にたいしてどのようなアプローチを可能にするのか、ということまで問われる必要がある。本書は、『歴史から現在への学際的アプローチ』で提示したその問いに対し、「体制」という視点を手がかりにして答えようとした書である。
 本書はメジャーな「体制」がとりこぼしてきた人々や問題や生活のあり様を取り上げ、そこからマイナーな「体制」の視座を打ち立て、メジャーな「体制」の歴史を批判的にとらえかえそうとしていることは先に述べた。しかし、当然のことながら、本書も「体制の歴史」であるからには、多くのことを取りこぼしている。それゆえ、それを汲み取るために、本書とは別の「体制」から、本書で描いた「体制」を照らす、新たな「体制」批判の書が、いつか書かれるに違いない。そうした「体制」批判の連鎖が起こり、それが、人間の生の新たな可能性を切り拓いていくのだとしたら、編者としてこれほど喜ばしいことはない。つまり本書は、必ずしもマジョリティではない人々の生や「体制」の歴史を書く者たちへのエールでもあるのである。

 

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■各章リード文


1章 戦時福祉国家化のもとでのハンセン病政策――乞食労働・都市雑業労働の編成(天田城介)

 本章では、ハンセン病療養所の患者作業や自治会活動に関する歴史記述を紐解くことを通じて、明治後半から昭和初期までの日本の都市においては細々ではあれ、各種の乞食労働・都市雑業労働によって辛うじて食を凌ぐことが可能となる政治経済的構造があったこと、それこそが療養所の外部で労働すれば療養所よりは多少はマシになると思える当事者のリアリティを形成していたこと、そうであったがために、九州療養所の自治会は乞食労働・都市雑業労働を中心とする生産・産業・経営の複合組織であった本妙寺集落の自治を参照しつつ設計されたで<020<あろうこと、その意味で本妙寺集落の自治とはまずもって自分たちで生存していけることを意味していたゆえに自治会とは「産業」や「物質的豊富」を創出する組織として期待されていたことを提示する。
 その上で、かかる意味において患者作業という形で労働を自己調達することは確かに安定的運用をもたらすために「患者作業」が療養所内部で拡大化したのではないか、とはいえ、療養所からの脱走が繰り返されたのは「乞食集落」たる本妙寺集落の自由空間を当事者たちが感受していたからであり、そこにこそ自らの生存とともに立ち上がる自治を感受したからではないか、ということを論じるものである。
 とはいえ、その後における戦時動員体制/戦時福祉国家化体制期における国家総動員法や労務動員実施計画などの社会政策によって労働市場それ自体が統制されたがために、乞食労働や都市雑業労働市場は著しく痩せ細ったのではないか、それゆえに患者たちの生存は著しく困難になり、文字通り徹底的に貧しい貧者に転落していったのではないか、さらにはそうした振る舞いこそが社会統制が強化されていく中で管理・収容の対象として発見されていったのではないかということを考究したものである。その意味で本章は、戦前期におけるハンセン病当事者たちの乞食労働・都市雑業労働によって可能となっていた「生存の体制」の視点から戦時動員体制/戦時福祉国家化体制期のハンセン病政策の「時代の線を引きなおす」試みである。

 
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2章 構想される「生業」への経路――貸付による離陸(角崎洋平)

 本章が行なうのは、福祉的貸付事業をめぐる歴史の、「戦前」と「戦後」の断絶を埋める作業である。この作業により、戦前から現在へと続く福祉的貸付の歴史のなかで、このような事業がどのような観点や手法を内包していたのか、確認する。本章の直接的目的は、福祉的貸付が行なってきた、行なおうとしてきた実践の内実を明らかにすることで、福祉的貸付についてのイメージを刷新することにある。そうすることで、資金を貸し付けるという方法の福祉政策としての可能性を開きたい。
 まずその準備作業として、戦前における低所<054<得者向け貸付事業を、民生委員の前身である方面委員の活動指針や実際の活動から再確認する。その上で、これまでの研究がほとんど触れていない、世帯更生資金貸付制度創設以前から民生委員が関わっていた生業資金貸付事業の経緯と、その実績を踏まえて政府(厚生省)が種々構想した福祉的貸付制度について明らかにする。続く節では、ここまでの考察を踏まえて、今日の福祉的貸付の嚆矢とされる世帯更生資金貸付制度の設立とその実践内容を見直してみる。
 本章は最後に、福祉的貸付が現代において十分に機能していない理由も考察している。このような考察は、福祉的貸付の実践が前提としてきた経済環境や福祉国家体制を炙り出しもするだろう。

 
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3章 満洲開拓者の再定住と生活再建(佐藤量)

 一九四五年に第二次世界大戦が終結するとともに、満洲開拓者の逃避行は始まった。日本まで遠く離れた中国大陸の奥地から、ソ連や中国からの襲撃を逃れながら日本にたどり着くことは並たいていではない。戦闘に巻き込まれて戦死したり、捉えられてシベリヤに抑留されるケースも多く、凌辱を避けるために集団自決したものも少なくない。過酷な体験を共有し、強固なつながりを持つ満洲開拓者たちは、常に集団で行動しながら日本を目指して引揚げた。
 だが、壮絶な引揚げ体験が注目される一方で、引揚げた後の開拓者がどこで暮らし、どのように生きていったのかという開拓者の戦後生活史はあまり知られていない。必死の思いで引揚げてきた満洲開拓者たちは、日本にたどり着いたからといってすべての生活が保障されてい<103<るわけでは決してなく、むしろ彼らを待ち受けていたのは、引揚げ者ゆえの苦労や災難であった。本章では、満洲開拓者の引揚げ体験そのものではなく、引揚げから再定住、生活再建に至る過程に焦点を当て、とりわけ満洲開拓者たちの人間関係に注目し、国家の植民政策に翻弄され、血縁・地縁・社縁から切り離された満洲開拓者が、「開拓者ネットワーク」を活用しながら生き抜いていく過程を明らかにする。

 
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4章 「女の町」の変貌――戦後における京都花街の年季奉公をめぐって(松田有紀子)

 京都花街では、長女を一家の長として、お茶屋・置屋などの家業が数世代にわたって営まれてきた。その特異な性質からこの町は、今日においても「女の町」ということばで表現されている。この京都花街は、敗戦から高度経済成長期に入る一九五八[昭和三三]年までの一五年たらずの期間に、大きな再編を経験している。GHQの主導する労働改革のなかで、お茶屋・置屋を取り締まる法制度が次々と成立したためである。ところが京都花街では、この転換期においても、年季奉公によって舞妓を育成する体制については、頑なに維持し続けた。なぜ「女の<151<町」では、年季奉公の存続が望まれたのだろうか。本章では、この問いに対して、代々花街で生計を立ててきた家に生まれた女性たちの視点から迫ることで、京都花街の転換期たる一五年たらずを経て、「女の町」の年季奉公体制がいかに再編されたのかを検討する。
 この章が提示する論点は二つある。一つは、敗戦から労働基準法が京都花街に適用された一九五八[昭和三三]年までの第一の転換期においても、年季奉公体制から人身売買的要素を取り除き、舞妓の就労・独立を支援するシステムとして再編することで、「女の町」のエッセンスたる「疑似的」家族関係を維持し続けたということ。もう一つは、「旦那」制度が立ち行かなくなったことで、今日の京都花街は、年季奉公体制の第二の転換期を迎えているということである。

 
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5章 精神衛生の体制の精神史――一九六九年をめぐって(小泉義之)

 精神医学史・精神医療史は、いまだに進歩史観にとらわれたままである。その立場を問わず、とらわれたままである。
 第二次世界大戦後については、こう語られている。戦前の私宅監置制度は人権を侵害するものであったが、一九五〇年の精神衛生法の制定によって同意入院と措置入院が制度化されるとともに、人権擁護のための精神衛生鑑定医が制度化され、その後、一九六五年の精神衛生法改正にいたって、ついに私宅監置制度は廃止された、とである。
 ところで、この精神衛生法改正に対しても多くの批判が出されていた。そして、一九六〇年代から七〇年代にかけての大学闘争のなかで、<206<とくに一九六九年には、日本精神神経学会をはじめとする精神系・心理系の諸学会で、旧来の精神医学体制への批判が行なわれ、学会改革が進められた。
 その一九六九年以後については、こう語られている。旧来の精神医学と旧来の精神病院は改革され、新たな病院精神医療、新たな地域精神医療が始まり、また、新たな精神医学も始まり、一九八七年の精神保健法の制定、一九九五年の精神保健福祉法の制定によって、その動向は法制度化されて現在にいたっている、とである。
 つまり、第二次世界大戦後の精神医学史・精神医療史は、一九六九年を屈曲点としながらも、基本的に正しき方向へと上向きに進歩してきたものとして描かれ続けているのである。
 本章は、その進歩史観に対して疑いを提示するものである。また、仮に進歩史観があたっているとしても、その進歩の意味するところに対して疑いを提示するものである。ただし、疑いを提示するためだけであっても、必要な準備作業は膨大とならざるをえない。そこで、本章は、従来の進歩史観を再検討するための着手点として、二つのことだけに注意を向けている。第一に、精神保健法も精神保健福祉法も精神衛生法の改正として、法名称の改定を含む改正として行なわれているという事実である。つまり、法制度的には、戦後の〈精神衛生の体制〉は現在まで変わることなく継続しているのである。第二に、戦後日本の精神(科)病院数と病床数のピークは一九九〇年代にやって来ているという事実である。つまり、戦後日本は一貫して、一九六九年の屈曲点があるにもかかわらず、精神障害の医療化と病院化を押し進めているのである。
 では、この二つの事実をどう受け止めるべきであろうか。本章は、一九六九年の精神系・心理系の諸学会の記録の検討を通して、その限り<207<において、少なくとも今後のさらなる検討に値する仮説として、以下の諸点を引き出していく。第一に、一九六九年の学会改革運動はそれなりに激しい相貌を示したものの、それらは反精神医学・脱病院化の運動ではなかったということである。その運動はむしろ、医療化と病院化と施設化をいっそう強く押し進める役割を果たしたのである。第二に、現代の法体制においては、精神医学・精神医療は、それがいかなるものであろうと、精神衛生の一部であったし現在もそうである。絞っていうなら、精神医学・精神医療は社会防衛・社会治安と本質的に分離不可能である。その善し悪しは別として、また、改革や改正の名の下にごま化すのではなく、その事実を重く受け止める必要がある。第三に、反精神医学・脱病院化と称されてきた思想や運動のほとんどすべては、実はいささかも「反」でも「脱」でもなかったのである。
 となると、結局は、進歩史観は事実として正しいということにはなる。戦後日本はひたすら精神医学・精神医療の拡大に成功してきたのだから。反精神医学・脱病院化・脱施設化といった抵抗に出会うこともなく、どこかで出会ったとしても何の痕跡も残さないまま、精神医学・精神医療の浸透範囲を拡張してきたのだから。しかも、病院・施設内部での人権侵害を阻止する制度化も進められ、何よりも「医療を受ける」権利がかくも広範に認知されてきたのだから。
 本章では米国や英国、フランスやイタリアの動向に触れることはできなかったが、おおむね、屈曲点のことをそれなりに考慮しながらもそれを呑みこんでしまうような進歩史観が大勢を占めているように見える。いまや、それが何であったのかは定かではなくなってしまった反精神医学・脱病院化・脱施設化、そこから見返し<208<たなら進歩が単なる進歩としてあらわれてはこないはずの反精神医学・脱病院化・脱施設化はすでに乗り越えられてしまったかのようなのである。そして、本章は、そこにこそ〈精神衛生の体制〉の完成を見ている。精神・心理の統治と治安の体制は、たしかに完成したのである。
 そして、完成したからこそ、その体制は一挙に反転する潜在性を孕んでいる。本章は、その徴候をいくつか示唆している。例えば、「精神障害」の概念の変化についてである。それは広範に使用されている。むしろ濫用されている。医療化・病院化の拡大そのものが、その濫用に寄生し、その濫用を促進している。ところが、いまや「精神障害」概念は、「精神疾患」概念から零れ落ちかけている。ひょっとしたら、近い将来、反精神医学・脱病院化・脱施設化は意想外の形で忍び寄ってくるかもしれない。そして、〈精神衛生の体制〉はいわば剥き出しの形で立ちあらわれてくるかもしれない。それが歓迎すべきことかどうかはいまは措くが、おそらく体制の歴史は現に動き始めているのである。

 
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6章 笞刑論争にみる死刑存置を支える思考様式(櫻井悟史)

 二〇一〇年に発足した、現役の法務大臣が外部有識者を交えて議論を行なう「死刑の在り方についての勉強会」は、明確な結論を出せぬまま解散となった。しかし、結論が出なかったにもかかわらず、死刑を積極的に運用していこうとする動きは止まらない。いったいなぜ日本は死刑を存置し続けるのか、その背景にはいかなる思考様式があるのか。その問いの解は、死刑を軸にした論争にではなく、刑罰とは何かを軸にした論争にこそ見出せる。本章でとりわけ注目するのは、日本統治下の台湾において導入された笞刑、すなわち鞭打ちをめぐる論争である。<264<そこでは肯定派の司法省官僚・鈴木宗言と、内務省管轄時代から監獄改良に従事してきた反対派の小河滋次郎が激しく争ったのだった。
 本章のポイントは二つある。一つは、規則を遵守させることで精神的苦痛を与えることを前提としつつも、受刑者の感化・改善に力点をおいた内務省監獄体制と、刑罰によって苦痛を与えることに力点を置いて社会防衛を企図した司法省監獄体制とのはざまで翻弄された小河滋次郎の軌跡である。そこには、苦痛を与える刑罰と決別する小河の姿があった。
 もう一つのポイントは、小河が最後まで「とどめ」をさすことができなかった、笞刑を支えた思考様式である。小河の批判に真っ向から立ち向かい、最後まで笞刑を肯定し続けた鈴木の思考様式は、注射刑を導入して死刑を存置していこうとする思考様式と同じものである。すなわち、身体刑の精神は今なお滅んでいないことが、この笞刑論争から確認される。

 
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7章 叛逆者としての「磯部浅一」の発見――『日本暗殺秘録』(一九六九年)をめぐって(福間良明)

 昭和恐慌による農村の疲弊、それに処する政治・政党の機能不全、財界への不快感――これらに陸軍内部の派閥抗争も相まって、一九三六年二月二六日未明、二〇余名の青年将校は「天皇親政」「昭和維新の断行」を掲げて決起した。この二・二六事件は、軍の政治関与を大きく加速させ、軍国主義を招いた出来事として知られる。
 だが、この事件は、戦後しばしば、映画やマンガなどのメディア文化において取り上げられ、青年将校たちはヒロイックに描かれた。ことに、一九七〇年前後の時期は、その動きが際立っていた。映画『日本暗殺秘録』(一九六九年)では、磯部浅一元一等主計を中心に、青年将校の「昭和維新」に対する情熱を描いていた。マンガ『血染めの紋章』(かわぐちかいじ作、一九七二年)も、同じく磯部浅一を主人公にしながら、物語を展開していた。
 磯部浅一は、青年将校のなかでも最も急進的<311<な人物として知られる。すでに、「粛軍に関する意見書」を配布し、軍上層部や統制派を苛烈に批判したために(一九三五[昭和一〇]年七月)、軍籍を剥奪され、決起の早期実行をつよく主張していた。事件鎮圧後は、獄中において、軍上層部のみならず天皇をも苛烈に批判する大部な遺書をしたためた。こうした激しさを帯びた磯部は、大学紛争が高揚していた時期のメディア文化において、着目されていた。
 だが、二・二六事件の青年将校は、何も磯部に限るものではない。また、磯部が指導者格であったわけでもない。磯部は二〇余名の青年将校のなかのひとりにすぎない。さらにいえば、大学紛争期以前の二・二六事件映画では、磯部は主人公として位置づけられていないどころか、決起に躊躇する他の青年将校を苛烈に突き上げるさまも描かれていた。映画評も、多くの場合、青年将校の「情熱」「純粋さ」には批判的であり、むしろ、政治を歪ませるほどの「歯止めの利かない暴力」が指摘されていた。
 だとしたら、なぜ、大学紛争期に、メディア文化のなかで青年将校が「発見」されたのか。そして、さまざまな青年将校のなかで、なぜ磯部浅一が着目されたのか。これらの考察を通して、戦後メディア文化における「体制(批判)」の言説の力学を検討していきたい。(注)

 (注)本稿は、拙著『二・二六事件の幻影――戦後大衆文化とファシズムへの欲望』(筑摩書房、二〇一三年三月刊)の一部の節を部分的に下敷きにし、それらを再構成しつつ、磯部浅一が戦後メディア文化で「発見」されるプロセスと「体制(批判)」をめぐる欲望について、歴史社会学的に整理・考察したものである。拙著よりも先に脱稿したものではあるが、内容・記述において、いくらかの重なりがある点を、お断りしておきたい。

 
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8章 Notes on the Snake Dance / Zigzag Demonstration(酒井隆史)

 この章は、日本特有の大衆的示威行動のスタイルといわれ、ある時期はめざましくさまざまな闘争で行使され、紆余曲折をへて、ある時期まで、ほそぼそとであれつづけられていた「ジグザグ・デモ(ないしジグザグ行進、蛇行進)」――海外では「スネーク・ダンス」として知られていた――についての覚書である。そのルーツ、戦後における展開、そして凋落の過程を、複数の資料を介してみていきたい。ジグザグ・デモの帰趨とその背景にあるさまざまな社会的・政治的条件を考察することは、現在にいたる日本のデモ文化総体を考察することでもあり、よりふみこむなら、その作業なしにはほとんどなにもみえてこないとすらいえる。ここでは、一九六〇年安保闘争が、重大な転換点であったこと、そしてそれがいかなる転換点であったのかが示唆されるだろう。

 
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9章 集団の名 集団の顔――アルゼンチンの社会変動と「ニッケイ」(石田智恵)

 新たな集団の呼称がある社会に定着していく過程には、当該社会全体の歴史の一場面が陰に陽に映し出される。本章では、アルゼンチン社会の日本人移民とその子孫たちが使用するスペイン語の語彙として「ニッケイ」という語が普及していく過程に焦点をあて、二〇世紀後半に「アルゼンチン人」とその他者を形象化する体制がいかなる変容を受け、それがマイノリティに属する個人の経験にどう表出したのかを明らかにする。
 「他者化の体制――二〇世紀前半」の節(436頁〜)ではまず、二〇世紀前半の「アルゼンチン人」<432<とその他者の形象を概観し、そのなかで「日本人」が置かれていた位置づけを「白人の国の東洋人」の節(440頁〜)で確認する。ここでは、移民の子=第二世代の状況に焦点をあて、「ニセイnisei」という独自の意味を持った名乗りの過程を跡づける。「「移民/国民」の新たな形象」(452頁〜)では、一九八〇年代後半から九〇年代にかけての「アルゼンチン人」とその他者のイメージを支えていた政治・経済・社会構造の転換と、移民としてのルーツを表明し追求することを促す新たな体制への移行を検討する。「「ニセイ」と「ニッケイ」のあいだ」(462頁〜)では、こうした変容のなかで日本人移民の子孫を意味する「ニッケイ nikkei」という語がスペイン語を共通語とするコミュニティに浸透したこと、そして現在、それを積極的に名乗ることがどのような意味を持ち得ているのか、それが「ニセイ」の時代とどのようにつながっているのかをみていく。この新たな名の発生をたどることで、現在も変わらず機能し続けているもうひとつの他者化の体制が浮かび上がるだろう。

 
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10章 アポリアを生み出す自主管理――パナマ東部先住民エンベラから見る先住民統治体制(近藤宏)

 ラテンアメリカ諸国では、一九八〇年代から九〇年代の先住民運動を経て、先住民の権利、つまり土地に対する集合的な権利、自己決定権などが行政区として制度的にも実現されるようになった。それは、政府からの自律を可能にするが、一方で、国内諸法の枠組みにおかれるため、様々な行政手続きや公的機関との交渉を先住民の代表者たちに要求する。
 本章では、パナマ共和国東部に居住し、行政区のなかで生きる先住民エンベラが直面する問題に目を向けることによって、行政区化をともなう今日の先住民を統治する体制(以下、先住民<484<統治体制と略す)について考察する。
 パナマ共和国には、先住民の土地に対する集合的な権利を承認する特別区制度がある。ただ現在五つある特別区は、それぞれ異なった背景のなかで状況依存的に形成されてきた制度でもある。ここでは、エンベラの特別区形成にかかわる歴史的文脈を振り返えったうえで、その制度がつくりだす現在を描く。この制度は政府と先住民の「交渉」の装置という役割を果たしてきたが、そのために先住民は解決が不可能な困難のなかに位置づけられてしまうことが明らかになる。

 
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11章 モンゴル牧畜社会における二つの近代化――開発政策の転換と都市近郊の牧畜経営をめぐって(冨田敬大)

 過去一〇〇年余りの間に、旧ソ連およびその隣接地域で牧畜を営んできた社会は、社会主義の選択と放棄、そして市場経済の受容という政治・経済の大きなうねりを経験した。本章は、モンゴル国を対象として、この異なる「近代化」を経験した牧畜社会のあり方と彼らの牧畜の今日に至る変容について論じる。具体的には、次の三点について検討する。
 第一に、モンゴルにおける農牧業開発を、社会主義/ポスト社会主義期の歴史的文脈に位置づけて論じる。モンゴル牧畜民にとって国家体制の転換とは、牧畜協同組合の解体とほぼ同義<542<であった。ここでは、この牧畜協同組合の設立・展開・民営化の過程を、歴史学的研究の成果に依拠しながら詳細に跡付ける。
 そのうえで第二に、社会主義時代(とくに牧畜が集団化された一九五〇年代後半以降)の農牧業政策が牧畜社会に何をもたらしたのかについて考察する。ここでは、現在の牧畜社会のあり方と深く関わる畜産業化、牧畜の定着化、新技術の導入という三点に着目する。
 そして第三に、牧畜協同組合解体後の農牧業の特徴と課題について述べたうえで、牧民たちが不安定な経済状況にいかに対処しているのかを、都市周辺地域の牧畜経営実践に焦点を当てて検討する。最後に、牧畜業の持続的な発展を目指す近年の開発計画が牧民たちを取り巻く諸問題の解決につながるものなのかについて議論を行なう。
 以上の検討を通じて、激動する政治経済環境のなかで、牧畜民がどのように生きてきたか、さらに現在どのように生き抜いているのかが明らかになるだろう。


■引用

■書評・紹介・言及

◆立岩 真也 2013/11/ 『造反有理――精神医療の現代史 へ』(仮),青土社 ※
◆立岩 真也 2013 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版


*作成:櫻井 悟史
UP: 20130601 REV:20130619 0627, 0707, 0904
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